「今日はブウサギたちを風呂に入れようと思う」

ジェイドが会議で不在の中、緊急の用だと皇帝からの達しを伝えに来た兵士に半ば攫われる勢いで連れてこられたピオニーの私室。

一体何があったのだろうかと考えていたは、笑顔で自分を出迎えたピオニーの口から出た言葉に、いつも通りぼんやりとした面持ちでジッと彼を見上げる。

「・・・お風呂?」

「そうだ、風呂だ。―――手伝ってくれるよな、

緊急の用はどうした。

この場にジェイドがいたならば間違いなく聞こえてくるだろう突っ込みは、しかしの口から零れる事はない。

軍人をなんだと思っているのか・・・や、そもそもはブウサギの世話係ではないという反論も、が口にするはずもない。

そうしてもはや尋ねるといった様子ではないその声色に、しかしは大して気にした様子もなくコクリと頷いた。

 

 

単純にブウサギを風呂に入れるとは言っても、それはそう簡単な事ではない。

現在、ブウサギは総勢7匹。

それもまだ子ブウサギならばともかく、もうとっくに成長した立派な体は、ピオニーとだけでは持て余してしまうほどであった。

しかしピオニー本人は楽しそうにブウサギの体を洗い、もまた愚痴をいう事もなく黙々とブウサギの体を磨いている。

「そういやぁ、この間ネフリーの結婚式があったんだよな」

熱心にブウサギ・ネフリーの体を洗っていたピオニーが、なんでもない世間話のようにそう話を切り出す。

その白々しさは彼の幼馴染が見れば丸解りだが、しかしブウサギの体を洗う事に熱中しているがそれに気付くはずもなかった。

。確かお前もネフリーの結婚式に行ったんだったよな。―――どうだった?」

おそらく、彼はそれが聞きたかったのだろう。

しかしまさかジェイドを相手に聞くことも出来ず、彼はブウサギを風呂に入れるという口実を使ってを呼び出したのだ。―――わざわざ、ジェイドが会議に出ている時間を見計らって。

そんなピオニーの問いかけに、熱心にブウサギの体を洗っていたが顔を上げた。

ジェイドの妹のネフリーが結婚式を挙げたのは、最近の事だ。

養子に出たとはいえ彼女の兄であるジェイドは勿論、彼女の結婚式に出席した。

そしてもまた、ネフリーからの熱心な誘いに応じ、ジェイドと共に生まれて初めての結婚式に出席したのだ。

その時の様子を思い出して・・・―――そうしては、普段は滅多に変わらないその表情を少しだけ和らげて。

「綺麗だった」

まるでその時のネフリーの姿を思い出すように、遠くを見つめながらポツリと呟いた。

生まれて初めて見る結婚式。

には結婚式という儀式がまだよく解らなかったけれど、真っ白なドレスに身を包んだネフリーの姿は本当に綺麗だったとそう思う。

彼女の幸せそうな微笑みも、ジェイドの柔らかい表情も、まるで目の前にあるかのように思い出せた。

そんなを認め、ピオニーは彼女に向けていた視線を再び手元のブウサギ・ネフリーに移して。

「・・・そうか」

まるでため息のように吐き出されたその声に、はふと我に返りピオニーへと視線を向ける。

そういえば、ピオニーも招待されていたはずだ。

「ピオニーも行けばよかったのに」

「皇帝はなかなか外出させてもらえないんだよ」

ふと浮かんだの疑問に、しかしピオニーは困ったように笑ってそう告げる。

確かに、ジェイドと共にまでもが休暇を取るだけでも大変だったというのに、皇帝である彼がそう簡単にグランコクマを離れられるはずもないのだけれど。

もっとも、彼が本気で出席を望んでいたならば、それは決して不可能な事ではなかっただろうが。

「そうか」

しかしそこを突っ込む事もせず、はただコクリと頷く。

ピオニーがそう言うのならばそうなのだろう。

そう結論付けて、は再びブウサギの体を洗い出す。

それに今更結婚式の出席について話をしても遅いのだ。―――ネフリーの結婚式は、もう終わってしまっているのだから。

そんなを認めて、ピオニーもまたブウサギの体を洗い始めた。

しかしその合間にもチラリとへと視線を向け、問おうか問うまいか悩むように視線を泳がせる。―――そうしてしばらく経った頃、意を決したようにピオニーが口を開いた。

「なぁ、。ネフリーの旦那って、どんな・・・―――いや、いい」

口を開いたピオニーは、しかしすべて言葉にする前に自らそれを断ち切った。

それはもしかすると、のまっすぐな眼差しを見てしまったからなのかもしれない。

彼女のまっすぐな眼差しは、嘘など簡単に見破ってしまいそうな気がした。

それでもネフリーの結婚式の招待状が届いた時から胸の中にあった重い何かに耐えられず、ピオニーはまるで縋るようにへと手を伸ばした。

そうして何の抵抗も見せないを引き寄せて、その小さな身体を力いっぱい抱きしめる。

「・・・ピオニー?」

「悪い。ちょっとだけ、こうさせてくれ」

まるで囁くような声に、は身動き一つせずにじっとその場に佇む。

が拒否などしない事を解っていながらも、そんな彼女の心遣いが嬉しくて、ピオニーは更に腕の力を強めた。

そうしてどれくらいの時間が過ぎたのだろうか。

ブウサギの鳴き声だけが聞こえる静かな部屋に、不意にピオニーの大きなため息が響いた。

それと同時に解放される己の身体。

至近距離にあるピオニーの顔を覗き込めば、彼はいつもと同じように余裕さえ感じられる笑みを浮かべていた。

「よし、。今日はいい天気だし、こっそり抜け出して街にでも遊びに行くか!」

先ほどとは打って変わった元気な明るい声に、は僅かに目を細める。

「でも、ジェイドに怒られる」

「バレなきゃ怒られねぇって」

勿論、本気でバレないなどとピオニーが思っているわけではないだろう。

優秀な彼の目は、そう簡単に欺けない。

「な、行こうぜ」

それが解っていないはずはないというのに、けれどは自分を見つめるピオニーを見返してコクリとひとつ頷いた。

「・・・うん、行く」

その返答に驚いたのは、彼女を唆したはずのピオニーだった。

いつだってジェイドに従順で、彼の言い付けを破ったりなどしない

ピオニーと共に抜け出したと知れれば怒られるどころでの話ではないだろうに・・・―――それでも聞き間違いでなければ、は行くとそう言ったのだ。

「・・・行くのか?」

「うん、行く」

聞き間違いかと思い問い掛けるも、は聞き間違いようがないほどはっきりとそう答える。

一体どうしたのかと思わず目を丸くするピオニーに、はそっと手を伸ばして。

「だからピオニー、泣かないで」

僅かに頬に触れたの手は、ブウサギを洗っていたからかひんやりと冷たい。

それが妙に現実に引き戻された気がして、ピオニーは僅かに眉を寄せた。

「俺は泣いてなんかないぞ?」

「うん、泣いてない」

はピオニーの言葉に反論する事なく、素直にコクリと頷く。

しかし彼女の口から零れる言葉の矛盾にピオニーが僅かに首を傾げたその時、はまるで空気に溶けるように自然に言葉を紡いだ。

「でも、泣きたそうだったから」

静かに響く、の声。

それは労わるように、慰めるように。

の冷たい手が頬に触れるたび、それは冷たいはずだというのに温かい何かが注ぎ込まれるような気さえする。

まるで幼い子供のような

けれどこんな複雑な感情にも敏感に察するのだから、やはり侮れないとピオニーはそう思う。

「・・・よし。じゃあ、行くか」

の小さな手を握り返して、ピオニーは吹っ切ったように笑った。

もうすべては終わった事で、今更どうこう言ったって何も変わらない。

未練なのだと解っていても、それでも手放せなかった恋。

それを手に入れる事は出来なかったけれど、それでも自分の手にだって大切なものはまだたくさん残っているのだ。

たとえば、不器用ながらも自分を必死に慰めてくれる、この小さな手だとか。

やんわりと微笑んだピオニーを認めて、も安心したように僅かに頬を緩めた。

「この間、美味しいケーキ屋さん見つけた。案内してあげる」

「おお、いいなぁ」

「ジェイドにもお土産、買って帰ろう」

「何言ってんだ。そしたら黙って出掛けたのがバレちまうだろうが」

「そうか」

「今日は俺との秘密のお出かけだ。だからジェイドには内緒だぞ」

「内緒」

2人顔を見合わせて、口元に手を添えながら小さく笑う。

そうして見つからないよう、手を繋ぎながら2人はこっそりと宮殿を抜け出した。

そう、まだ自分の手には残っている。

大切なもの。

かけがえのないもの。

それは自分が考えるより、ずっと幸せな事なのだろう。

「脱出成功!」

「成功」

誰にも見つかる事無く、無事に宮殿を抜け出したピオニーとは、楽しそうに街へと繰り出す。

 

その後、ケーキ屋を案内するべく先陣を切ったが道に迷うのはまた別の話。

散々遊びつくして戻った2人が、待ち構えていたジェイドの説教を受けるのも、まだもう少し先の事だった。

 

 

               生きるって事はさ、

何かを諦めていく事なんだ

(おかえりなさい。随分と楽しんできたようですねぇ)


落ち込んだ時だって、楽しい時だって、一緒。