ジェイドの執務室で、邪魔にならないようにと静かに本を読んでいたは、ジェイドの呼び声にふと顔を上げた。

執務机に座っているジェイドの方へと視線を向ければ、彼はじっとこちらに視線を送っている。

どうやら呼ばれたのは間違いないらしいと判断したは、読んでいた本をパタリと閉じて、不思議そうな面持ちでジェイドの元へと歩み寄った。

「どうしたの、ジェイド」

仕事中の彼が、自分を呼ぶなど珍しい。

一体どうしたのかと思い問いかければ、何故かジェイドは複雑そうな面持ちで1枚の小さな紙をの方へと差し出した。

「申し訳ありませんが、この紙に書かれてある資料を探して持ってきてもらえませんか?」

「・・・しりょう?」

「ええ、地下の資料室にあります。急がなくとも結構ですから、よろしくお願いします」

そう言って渡されたメモ用紙をじっと見下ろし、はコクリと1つ頷く。

「わかった。行ってくる」

がジェイドに付いて軍基地本部へ出入りするようになってからも、勿論軍人ではないに、ジェイドが用事を言いつけた事など一度もない。

なのに今回はどうしてなのか?―――そんな事を疑問に思う事もなく、はジェイドから与えられた仕事に嬉しそうに僅かに頬を綻ばせながら、駆け出す勢いでジェイドの執務室を飛び出す。

背中から「急ぐ必要はありませんよ」というジェイドの声が掛かったけれど、そんなものはの耳には届かない。

初めての仕事にわくわくと胸を躍らせながら、は地下だという資料室に向かって駆けて行く。

途中何度も迷子になりながら、親切な兵士に資料室まで案内してもらったは、山積みになり埃だらけの資料室を見てぼんやりと立ち尽くす。

果たしてこの中から、ジェイドの言う資料を見つける事が出来るだろうか?

がそう思うほど、部屋の中はたくさんの紙や本で埋め尽くされていた。

けれどそれがジェイドの言い付けならば、に拒否する理由などない。

とりあえず手近なところから・・・と、はジェイドから渡されたメモ用紙を確認しながら、そこに書かれてある資料を必死に探した。

そうしてどれくらいの時間が経ったのだろうか。

埃まみれになりながらも漸くメモ用紙に書かれた資料を集め終えたは、すぐさまそれを抱えて資料室を飛び出す。

随分と時間が掛かってしまった。

早くジェイドの元へこの資料を届けなければ。

そんな思いだけを胸に、はジェイドの執務室を目指して暗い階段を駆け上る。

「・・・あ」

一階へと戻り窓の外を見ると、辺りはすっかりと夕日に照らされている。

確か自分が地下を下りる前は、まだ青空が広がっていたはずだ。

そんなにも時間が経ってしまったのかと驚きながらも、急がなければとは改めて足を速めた。

それからもやはり迷子になりなかなかジェイドの執務室には戻れなかったけれど、またもや親切な兵士に道を教えてもらい、漸く執務室の前に辿り着いたは、ホッと息を吐き出しながらドアノブに手を伸ばす。

そうしては執務室のドアを押し開けた。

「・・・ジェイド?」

しかしどうしたのだろうか。―――部屋の中は暗闇に包まれていた。

どうやらカーテンも閉められているらしい。

唯一の光源は、の開いたドアの向こうから差し込む灯りだけ。

「・・・ジェイド?」

不思議に思い、はただジェイドの名前を呼ぶ。

もしかして、忘れて先に帰ってしまったのだろうか?

そう思うも、ジェイドに限ってそんな事はありえないだろうと判断して、はもう一度不思議そうに首を傾げた。―――その時。

パァン!という大きな炸裂音の後、パッと部屋に明かりが灯る。

そうしてそこにいたのは・・・。

「ハッピーバースディ!!!」

聞きなれた声が部屋に中に響き渡る。

突然の事に目を丸くしてその場に立ち尽くせば、目の前に立つピオニーは至極楽しそうに笑みを浮かべた。

「どうした、。感動して言葉も出ないか」

「あなたの目は節穴ですか。どう見れば彼女が感動しているように見えるんですか」

1人ご満悦のピオニーの後ろから、呆れを隠す事無く表情に浮かべたジェイドがやれやれとため息を吐き出す。

「・・・ジェイド?」

「ああ、驚かせてしまいましたね。すみません。殿下がどうしてもとおっしゃるものですから」

そう言って、ジェイドはが抱えたままの資料をごっそり受け取ると、彼女の服や髪についた埃を払ってやる。

それにされるがままになっていたは、改めて目に映った光景にパッと瞳を輝かせた。

普段は飾り気のないジェイドの執務室に、今はきらびやかな飾り付けがされている。

それは何かのパーティでされるような豪奢なものではなかったけれど、にとっては何よりも綺麗なものに見えた。

「・・・きれい」

「そうだろう、そうだろう。今日はの誕生日パーティだからな。張り切って飾りつけしたんだぞ」

自慢げに笑うピオニーを見上げて、は小さく首を傾げる。

「誕生日パーティ?」

「そう、誕生日パーティだ」

も、誕生日というものが何かは知っている。

「誕生日。―――人が生まれた日」

「そうだ。生憎とが生まれた日は解らないが、折角だから俺が新しくの誕生日を作ってやったんだ」

誕生日は作るものではないでしょうに・・・というジェイドの突っ込みは、やはりピオニーの耳には届かないようだ。

不思議そうな顔をするの頭を優しく撫でたピオニーは、これまた優しい眼差しをへと向けて。

「今日は、がジェイドに拾われてマルクトに来た日だ」

「・・・・・・」

「俺たちとが出逢った、大切な日だ。―――誕生日おめでとう、

優しく頭を撫でられて、は思わず目を見開く。

も、誕生日というものが何かは知っている。

それを祝う意味も。

「生まれてきてくれてありがとう、

優しく響くピオニーの声に、は僅かに目を細めて。

何も持たない自分。

記憶もない。

両親も知らない。

それでもいいと思った。―――には、今だけで十分だったから。

けれど思わなかったわけではない。

もしかすると、自分は捨てられていたのかもしれないと。

だからこそ、1人だったのかもしれないと。

けれどそんな自分にピオニーは言うのだ。―――生まれてくれて、ありがとうと。

ジェイドへと視線を向ければ、彼もまた笑みを浮かべていた。

そこに多少の呆れは混じっていたけれど、ピオニーの言葉を否定するものではなかったから、はじわじわと広がっていく温かい感情に身を委ねる。

「んじゃ、早速パーティを始めるか。会議があるから遅れるらしいが、マクガヴァンやゼーゼマンも顔を出すってよ」

あいつらの事だから、山ほどプレゼント抱えてくるぞ。

そう言って笑みを零したピオニーは、所狭しと料理が並ぶテーブルへとを促す。

それに逆らう事無くソファーに座ったを、同じくソファーに腰を下ろしたジェイドはじっと見つめた。

隣ではピオニーが、嬉々として用意した大きなケーキにろうそくを立てている。

「まったく・・・、どちらが子供なんだか」

小さくそう呟いてみても、当然の事ながらピオニーの耳には届かない。

けれど今日はそれも良いだろう。―――目の前のが、楽しそうにしているのだから。

「・・・

呼べば向けられる、まっすぐな眼差し。

こうして共にいる事が、いつしか当たり前になっていた。

自分という人間をよく知っているジェイドとしては本当に不思議でしかないのだが、それでもが傍にいる生活に言葉には出来ない安らぎのようなものを感じているのも確かで。

「お誕生日おめでとうございます、

だから、こんな日もそう悪くはないのかもしれない。

ピオニーに話を持ちかけられた時は、なんてくだらない事だと思ったけれど。

それでもその話に乗ってしまったのは、ピオニーの命令のせいだけではないだろう事もジェイドは気付いている。

「ありがとう、ジェイド」

傍目には判り難くとも、それでも嬉しそうに笑うを見返しながら、ジェイドはもう一度やれやれと呟きながらそっと眼鏡を押し上げた。

 

 

ただ、感謝

 


君がいれば、それだけで特別。