「あー・・・もう、だめ」

は唸り声を上げて、勢い良くベットへダイブした。

時刻は昼過ぎ。

休日だというのに朝から勉強に励んでいただが、とうとう脳が情報の登録を拒否した。―――つまりは、集中力が途切れたという事なのだけれど。

ずっと同じ体勢をしていたからか、固まってしまって痛みさえ感じる肩に眉を顰めつつ、緩慢な動作で起き上がり机の上に放置してあった郵便へと手を伸ばす。

少し前に受けた模試の結果だ。

結果は上々。―――まぁ予測の範囲内ではあるが、上位をキープできたのだから合格だろう。

そこまで考えて、は模試の結果を放り出し机に身を伏せた。

なんだか、余裕のない生活を送っている気がする。

夏にSPRとその他助っ人の面々と仕事をして以来、チョコチョコとした仕事はあるものの、それほど厄介な依頼には有難い事に発展してはいない。

時々時間が空いた時に麻衣や滝川、それに綾子と遊びに行く事はあるけれど、彼らもそれぞれの生活を抱えているのだからそう頻繁というわけでもなく。

学校の友達も部活に励んでいる子が多く、放課後に何処かへ寄る・・・なんて事が頻繁にあるわけでもなくて。

「なんか私の生活って、勉強と怪現象に追われてる気が・・・」

否定できないところが個人的に痛かったが、それでも麻衣たちと出掛ける事が良い息抜きになっている事も確かで・・・。

やらなければならない事はそれなりにあるが、一度切れた集中力はなかなか戻ってこない。

いっその事何処かへ出かけてやろうかと頭の隅でそう思い、その勢いに任せてはベットに放り出していた携帯電話に手を伸ばした。

 

する乙女の相互関係

 

ナルに頼まれたお茶を持って行き、そうしてあっさりと追い返された麻衣は、所長室のドアを乱暴に閉めつつ拳を握り締めた。

ったく、たまにはありがとうくらい言えっての!!と心の中で叫び、掴んでいたお盆を力いっぱい握り締める。

確かにお茶を入れるのもバイトである麻衣の仕事には違いないのだけれど・・・―――だからといって、あんな言い方はないではないかとそう思う。

お茶を淹れてくれた相手に、『まだ何か用か?』なんて。

「そりゃ確かにお茶淹れるのもあたしの仕事だけどさっ!ヒトがこ〜んなに心を込めて淹れとんのが解らんのかい!!」

僅かに声を潜めて、麻衣はそう呟く。―――意外に厚いドアを通しては絶対に聞こえないと解っているからこそ言える事だった。

しかしそれは所長室という壁を挟んでの事であり、例外は勿論存在するのだけれど。

「へ〜、麻衣ってばちゃんと女の子してるのね〜。ナルも幸せ者だわ」

突然何の前触れもなく響いた涼やかな声に、麻衣はパチリと目を瞬かせる。

この声は・・・―――この、とても聞き覚えのある声は・・・。

油の切れたロボットのごとく強張った身体のまま振り返った麻衣は、いつの間にか優雅にソファーに座り、こちらに向かってひらひらと手を振っているの姿を見て硬直した。

一体、いつから聞かれていたのだろう。

それは問い掛けるまでもなかった。―――普段の独り事なら何を聞かれても大して困りはしないが、よりにもよって一番聞かれたくない事をばっちり聞かれてしまったらしい。

「あ、あの・・・。一体・・・あの、どこまで・・・?」

「ん〜?人がこ〜んなに心を込めて淹れとんのが解らんのかいっ!!あたりから?」

それってまるまる全部じゃん!と心の中で叫ぶ。

カッと顔が熱くなる感覚に、きっと今の自分の顔は真っ赤だろうと推測した。―――もっとも、その推測は麻衣を助けてくれたりはしないけれど。

「それよりも、麻衣の要望通りちゃ〜んとお土産買ってきたから。最近渋谷に出来たケーキ屋さんのやつ。美味しいって評判だし、一回食べてみたいと思ってたんだよね」

ニコニコ笑顔を浮かべながら、既にケーキの箱を開封しようとしているを見つめ、麻衣はただ頬を引き攣らせる。

確かに、暇だから遊びに行ってもいい?というの電話に『お土産も忘れないでね!』とは言ったけれど・・・―――まさかこんなにも絶妙なタイミングで現れるとは。

しかし言ってしまった言葉は取り消せない。

の耳に入ってしまった言葉を消す事が出来ない以上、これ以上悩んでも仕方がないと思い直し、麻衣はほんの少し重く感じる足取りでソファーへと向かった。

「麻衣、お茶淹れて、お茶。やっぱおやつにはお茶がないと」

「・・・ああ、うん」

「愛とミルクたっぷりでお願いね」

輝くような笑顔で付け加えられた一言に、麻衣は盛大に頬を引き攣らせる。

この話題はいつまで後を引くのだろうかと想像しつつ、それが長くは続かない事を心の底から願いながら、麻衣は言われるままにキッチンへと戻った。

そうしてお茶を淹れてソファーに戻ってきた頃、は既に箱を広げており、いくつもあるケーキの中身を物色している。

先ほどまで落ち込んでいた麻衣も、その芸術品のように綺麗に飾り付けられたケーキを見つめて目を輝かせた。

やはり渋谷で人気を誇る洋菓子店である。―――見た目も申し分ない。

「麻衣はどれ食べる〜?」

「選んでいいの?」

「もちろん、どれでも好きなの食べて。なんなら2・3個食べても構わないよ」

残しておいても仕方ないしね・・・と言葉を続けて、は麻衣の入れた愛とミルクたっぷりの紅茶を口に含む。

はどれにする?」

「あー、私はどれでもいいや。どれも私の好みのやつだから」

そう言ってケーキの箱を差し出すに、先ほどの事も忘れて麻衣はケーキの箱へと視線を落とした。―――それと同時に軽い鈴の音を立てて、事務所のドアが軽やかに開く。

「・・・いらっしゃいませ〜!!」

慌てて視線をドアへと移し、そうして反射的に声を掛けた麻衣は、しかしそこに立つ意外な人物に目を丸くした。

「こんにちは」

「真砂子!うわ〜、久しぶり!あ、そうだ。これからとお茶するところだったんだけど、真砂子もどう・・・」

「ナルいらっしゃいます?」

麻衣の歓迎の言葉を遮って、真砂子はにこやかに問い掛ける。

いきなりそれかい・・・と一瞬で笑みを引き攣らせつつ、麻衣は沈黙を守る所長室をチラリと横目で見やった。

「・・・ナルは所長室だけど」

「呼んでいただけます?」

「・・・・・・あいにく、所長は仕事中ですので」

「あら?」

こうなれば何としても阻止したい麻衣の言葉に大げさなほど驚いて見せて、真砂子は再びにっこりと微笑むと悠然と言い放った。

「あたくし、今日は仕事の依頼に参りましたのよ」

「・・・げっ」

優雅にお茶を飲んでいたが、年頃の娘とは思えない呻き声を漏らす。

もしかすると最悪なタイミングで来ちゃったのかもしれない。―――は依然とにこやかに笑む真砂子を見やってため息を吐き出した。

 

 

「・・・それで、どういったご依頼ですか?」

一応特殊な職種だとはいえ、ここSPRだとて接客業の1つに入りそうなものなのだけれど・・・―――いまどきの接客業は笑顔を惜しみなく提供するというのに、目の前の青年は人の迷惑も顧みず不機嫌オーラをそこら中に撒き散らしながらそう話を促した。

それに平然としているのは真砂子のみで、受付役の麻衣と何故か同席する羽目になったは揃って頬を引き攣らせる。

何で私、こんな空気の中でお茶なんか飲まなきゃいけないんだろう。

そもそもは勉強と仕事の両立に煮詰まり、ちょっとした息抜きの為にここへ来たはずだった。―――なのに更に疲れる羽目になるなど思いもしなかったけれど。

「え〜っと・・・ああ、そう。私、リンさんにお茶でも・・・」

何とかこの重苦しい空気と、そして真砂子が持ってきた依頼から逃れようと腰を浮かしかけたは、しかし直後向けられたナルの鋭い視線にその動きを止める。

「・・・、座れ」

キッパリとした口調で、まるで親の敵を見るような眼差しでそう言い放たれ、は珍しく素直にナルの言葉に従い再び腰を下ろした。―――今ここで無視などしようものなら、本当に呪われそうな気がしたからだ。

そうして一応は落ち着いたように見える場を読み取って、真砂子はその依頼とやらの内容の説明を始める。

「実は知り合いのテレビ局の方が、本当の依頼主なんですの」

そう前置きをして、真砂子は静かな口調で話し出す。

「ドラマの撮影をある公園でしているのですけれど・・・妙な事件、というか現象のせいで撮影が進まなくて困ってるそうですの」

「妙な現象・・・?」

「ええ」

ナルの社交辞令とほんの少しの興味が混じった問い掛けに、真砂子は神妙な顔で頷いて見せて。

「突然、水が降ってくるそうなのですわ」

「・・・水?」

真面目な顔をしている真砂子を見つめて、は首を傾げる。

「雨じゃないの?」

「いいえ、その方がおっしゃるには・・・」

麻衣の素朴な疑問に首を振り、その本当の依頼主とやらの証言を話し出す。

何の前触れもなく、突然、まるで水風船が破裂したみたいに頭の上の辺りから降ってくるのだそうだ。

それが撮影スタッフにはなんともなく、被害にあうのはいつもメインの役者。

不思議に思い調べてみると、その公園ではここ半年ほどの間に何件も同じような事が起きているらしい。

「単なる悪戯では・・・?」

「地元の警察でも、そう思って警戒しているそうですの」

ナルの意見に、真砂子はキッパリとそう答える。

確かに半年も同じような事件が続けば、それが大した被害を起こしていなくても警戒はするだろう。

そんな中、今もずっと現象が起き続けているのだから、確かに不思議といえば不思議だ。

「たとえば、何か水の入ったものを投げつけたとしたら、何かしら証拠になるものが残りますでしょ?そういうものがない上、周囲を探しても犯人らしい人も見つからないし・・・」

つまりはお手上げ、ということらしい。

なんだか深刻なんだかそうじゃないんだか、少し馬鹿らしい気がしてしまうのは他人事だからだろうか。

「近くにいるとは限りませんよ」

「あたくしもそう申しましたわ」

「撮影場所を変えるか、撮影自体を中止する事をお勧めしますね」

「そうもいかないらしいんですの。脚本上の問題や主演アイドルのプロダクションとの兼ね合いもあるらしくて」

「僕の知った事じゃない」

ポンポンと飛び交う会話を他人事のように聞き流していたは、ナルのキッパリとした一言に無言で頷いた。

別に真砂子をないがしろにする気もなければ、ナルを擁護するつもりもないけれど、ここにいて巻き込まれる確立が非常に高いとしては、ドラマの脚本や主演アイドルの都合など知ったことじゃない。

別にそれほどドラマに入れ込んでいるわけでもないのだし・・・―――まぁ、彼女の上司が聞けば、もしかすると二つ返事で引き受けてくれるかもしれないが。

しかしナルの冷たいとも取れる発言を聞いて、は心の隅でホッとした。

真砂子には悪いが、ナルがこの件を引き受けない限り、が巻き込まれる事はない。

別に水が降ってくるくらい命に関わる出来事でもなし、放っておいても害はないだろう。

「あたくしその方にお世話になっていて、なんとかして差し上げたいの。力を貸していただけません?」

しかし真砂子はめげる事なく、にこやかな笑顔のまま更に一押し。

ナルならば間違いなく断るだろうと思えるのに、真砂子のこのどこか余裕に満ちた態度も気になる。

「もちろん、調査料金はその方が払うとおっしゃってますわ。お願いできませんかしら?」

もしかすると、真砂子は・・・。―――がある考えに行き着いたその時、ナルの深く重いため息が聞こえる。

まさか・・・と思いつつ恐る恐る視線を移すと、不機嫌極まりないとばかりに眉を顰めているナルが、しかし諦めたように口を開いた。

「・・・場所はどこです?」

そのある意味衝撃的ともいえる発言に、麻衣の表情が驚きを通り越して宇宙人でも見るような眼差しに変わっていくのを、は現実逃避さながら見つめていた。

確かに驚くのも無理はない。―――今の発言はどう譲っても肯定を示すものなのだから。

そんな麻衣を尻目に、真砂子は勝利者の微笑を浮かべる。

こちらはこちらで盛大な火花が散っているらしい。

こんなことなら、家で大人しく勉強でもしておけばよかった・・・とは1つため息を吐いた。

 

 

「―――ほんで、ここがその公園なわけね。ほんとに霊なんかいんのかよ」

真砂子に連れられるまま公園内に足を踏み入れた滝川が、呆れた様子でそう呟く。

のどかな昼下がりの公園というイメージをそのまま現実にしたような、そんな平和な公園を目の前にすれば、そう言いたくなるのも不思議ではない。

突然連絡を寄越され、仕事だと問答無用で呼び出されて・・・―――そうして訪れた場所がこの公園では、滝川の複雑な心境も仕方がない。

とて同じ気持ちなのだから。

「こんなとこで除霊かますのやだなぁ、俺。絶対ヘンだって」

「あ・・・あははは」

心底嫌そうな滝川の呟きにフォローを入れる事も出来ず、麻衣は乾いた笑みを漏らす。

もし本当にこんなのどかな公園で滝川が除霊を始めたら、申し訳ないとは思うがは他人のフリをさせていただこうと心に決めた。

「真砂子ちゃん、何か感じない?」

「ええ。なんとなく・・・微かに気配を感じますけれど。特に害のあるものはなにも」

「んじゃ、は?」

「全然」

滝川の問い掛けに、はケロリとした表情でキッパリと答えた。

今のは完全防御状態なのだ。―――よっぽど強い力を持つ霊でもない限り、の目に映ることはないだろう。

そして今のに、霊視をする気もまったくなかった。

無理やり連れてこられた事による、ほんの些細な抵抗である。―――それだって真砂子がいるのだから問題はないだろう。

「トコロデ、呼ばれた理由は解ったけどほんとなのかよ、それ」

「らしいですわ。被害に合ったのは、決まってそういうシーンの撮影中だそうですし」

神妙な面持ちで答える真砂子を横目に、麻衣は呆れたようにため息を吐き出して。

「でも信じられないよね。カップルだけを狙った霊現象なんて」

なんでそんな限定付きなのか・・・確かに気にはなるが。

「まさに水を差すって奴ですな」

「あはははは、うまーい」

公園の雰囲気に違わず穏やかな雰囲気をかもし出す滝川と麻衣をチラリと見て、はやれやれとばかりに肩を竦めて見せた。

確かに話を聞くだけならば、だって面白いで済ませるところなのだが、そんな下手なギャグみたいな霊現象など、もっと他所で・・・―――たとえば自分に関係のないところでやって欲しいとそう思う。

何が悲しくて、こんな寒空の中、わざわざ怪奇現象になど遭遇しなければならないのか。

だんだんと霊能者体質が備わってきているようで、はそんな不吉な考えを振り払うように勢い良く首を横に振った。

自分はまっとうな、平凡で平和な高校生活を送るのだ。―――そんな漫画や小説みたいな学園生活などまっぴらごめんだ。

「まだ霊現象と決まったわけじゃない」

それぞれがそれぞれの感想を抱く中、酷くご機嫌斜めのナルが不機嫌そうな声色でそう言った。

ナルも不本意ながらここへ連れ出された内の1人である。

そんなに嫌なら断れば良いのに・・・とも思うが、まぁナルにもそれなりの事情があるのだろうと、大して興味もないはあっさりとそう流した。

「それをこれから調査するってんだろ?」

暢気に笑っていた滝川は、漸くナルの不機嫌さに気付いたらしい。―――宥めるようにそう言った滝川に、しかしナルが表情を緩める事はない。

さてこの不機嫌少年をどうするか・・・と滝川が頭を悩ませたその時、元凶とも言える真砂子がしたり顔で頷いた。

「問題はそこですわ。特定の条件下でしか起こらない現象ですもの。引き起こすにはちょっとした作戦が必要ですわね」

「作戦〜!?」

「簡単な事ですわよ。オトリを用意すればいいんですもの」

にっこりと綺麗な笑みを浮かべて提案する真砂子に、は女の恐ろしさを見た。

真砂子の考えている事は手に取るように解る。―――だからこそ、もそのための対策を立て、それを実行に移したのだけれど。

呆気に取られたような表情を浮かべる麻衣を他所に、真砂子はさくさくと話を進めていく。

「あたくしたちなら、ちょうど3組のオトリが出来ますわね」

「僕はごめんです。何か他の・・・」

そう言って自分の周りを見回して・・・満足そうに笑った真砂子は、にっこりとナルへと視線を向けた。

「ね、ナル?」

天使のような悪魔のような笑みを浮かべて同意を求める真砂子に、ナルはバツが悪そうに顔を顰める。

すっかり真砂子のペースに落ちているらしい。

同じくナルに想いを寄せる麻衣の事が気にかかったが、『恋愛は戦いだ!』を持論とする友人を持っているは、恋愛って大変なのねとまるっきり他人事のようにあさっての方向を見る。―――ようするに、人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて・・・的な厄介事に巻き込まれたくないだけなのだけれど。

そんな真砂子の提案に、麻衣は一体何を思ったのか、目を輝かせて賛成を示す。

この状況で真砂子がナルを譲るつもりなどないだろう事は明白だというのに・・・―――そこが麻衣の可愛いところであり、また甘いところでもあるのだが。

そうして思惑通り、ナルを連れ去った真砂子。

残された4人はそれなりの苦悩の末に2組に分かれ、それぞれがオトリとなるべく適当に空いたベンチへと向かった。

そしてはベンチに座って、道行く人たちをぼんやりと眺める。

公園を通り過ぎていく人々の視線の先には、オトリその1を務める真砂子とナルが。

確かに見た目は上出来というよりも美男美女でお似合いだが、生憎と恋人同士といえるだけの雰囲気がそこにはない。―――まぁ、ナルにそれを求めるのも無謀かもしれないが。

そうして視線を横へとずらせば、そこにはぶっちょう面をした麻衣と我関せず日向ぼっこをする滝川が。

どうみてもこの2人も恋人同士には見えない。

兄妹と言った方がしっくり来るかもしれない。―――確かに、仲は良さそうではあるけれど。

そこまで考えを巡らせたは、漸く現実逃避から戻ってくる気になったのか、チラリと横目で隣に座る人物を見やる。

不機嫌なのかどうなのかさえ判断が難しい無表情のまま、どこへともなく視線を飛ばし無言を貫いている黒尽くめの男。―――SPRでは機材チェックを担当している、自他共に認める無愛想な男、リン。

いつも事務所の部屋に閉じこもって仕事をしている彼が、どうしてこんなところにいるのか・・・―――それは数時間前に遡る。

真砂子の仕事の依頼の内容を聞き、それがカップルだけを狙った怪現象なのだと知ったは、ふと己の置かれている立場を振り返った。

一応除霊担当として滝川を無理やり呼び出す事に決めたのはいい。

だが、この男2人女3人のバランスの悪さはどうすれば良いのか。

別にがこのまま帰れば事は簡単に済むのだけれど、生憎とナルがそうさせてはくれそうにない。―――どうあっても、を道連れにする気のようだ。

そこでは、その場に居たもう1人の男性に目をつけたのだ。

目に見えるほど嫌そうな表情を浮かべて拒否するリンを半ば強引に連行し、そうしてリンと組む事に不安がる麻衣を思って自らがパートナーになった。―――もともとリンを無理やり連れてきたのはなのだから、そこは別に構わないのだけれど。

さて、この重いどころか沈みそうな空気をどう払拭するべきか。

「あー・・・いい天気だよね。かなり寒いけど」

「・・・・・・」

「そういえば公園に来るのってすごく久しぶり。リンさんは?」

「・・・・・・」

「霊現象って起きるのかな?」

「・・・・・・」

無視かよ!

心の中だけでそう叫び、こっそり隠れて拳を握り締める。

会話は人と人の大切なコミュニケーションだというのに・・・―――だとて、好きでこんな寒々しい場所にいるわけではないというのに。

「・・・リンさ〜ん、そろそろ機嫌直そうよ。もう来ちゃったんだから、今更文句言ったってしょうがないでしょ」

「私を無理やり連れてきた貴女が言う台詞とは思えませんね」

「でも、私を無理やりここへ連れてきたのは貴方の上司だよ。ちょ〜っとくらい責任取って付き合ってくれてもいいんじゃない?」

まっすぐ前を見つめながらの攻防戦に、人々の視線が突き刺さる。

確かに自分たちも恋人同士には見えないだろう。―――オトリ3組ともこれでは、オトリとしての意味もない気がするが。

さて、相手はどんな反応を返してくるか。

普段から我関せずを貫くリンの反応をわくわくしながら窺っていると、リンが重いため息を吐き出したのが解った。―――どうやら漸く諦めたらしい。

これでこそ大人というべきか。

伊達に唯我独尊的なナルのパートナーを務めているだけはある。―――そこらへんに関しては、としても自信があるのだけれど。

「それよりも、さん。何か感じたりは・・・?」

「えー、別になにも」

「・・・そうですか。気分が悪くなったりは?」

もしかして、心配してくれているのだろうか。

確かに夏頃行った仕事先では、これでもかというほど倒れた記憶は今もまだ鮮明に残っている。

あの時の会話で、はリンの真意を知った。

それはとても悲しくて、そして悔しくて、だけどどうしようもないもどかしさもあったけれど・・・―――それでもリンは自分で言った通り、少しづつへの態度を改めてくれている。

それが解るくらい、リンはきっと譲ってくれているのだろう。

無愛想で、無口で、素っ気無くて・・・―――けれど肝心なところで酷く優しい気遣いを見せるこの人物を、は嫌いではなかった。

「ねぇ、リンさん。リンさんには言った事なかったかもしれないけど、私苗字で呼ばれるの好きじゃないから、今度から名前で呼んでね」

「・・・・・・」

「・・・なんで無言」

再び口を閉ざしたリンを横目に、はこっそりとため息を吐く。

やはりそんな簡単にはいかないか・・・と脱力しつつ、けれどそこは何としても受け入れてもらいたいとも思う。

別に名前で呼ぶくらい、大した事じゃないと思うんだけど。

しかし少なからず関わり、リンという人物をそれなりに理解しだしてきたとしては、そう簡単に受け入れられないだろうという事も解っていて。

「・・・う〜ん」

小さく唸り声を上げたを、訝しげに横目で見やるリン。

そんなリンにチラリと視線をやって・・・―――この方法は、できれば使いたくなかったんだけど。

「・・・うっ」

辺りをゆっくりと見回したが、突如口元を抑えて身体を折った。

自分自身を抱えるように何かに耐えるに、あまりに突然の出来事でリンは目を瞠る。

さん、どうかしましたか?」

控えめに問い掛けるも、からは何の反応も返って来ない。

さん?さん!」

更に苦しそうに身を縮込めるの肩に手を置いて、リンは何度も彼女を呼ぶ。

先ほどは何も感じないと言っていたが、もしかすると何か霊からの干渉があったのかもしれない。

少し前の依頼で彼女の感知能力の鋭さは理解済みだ。―――もしこのまま放っておけば、大惨事にもなりかねない。

しかし今もまだ苦しそうに呻くからは、何の反応もないのだ。

霊が憑いているのなら、どうして何の反応も示さないのだろう。

さん、どうしました?何が・・・」

リンの問いかけにも、はただ首を横に振るばかり。

そうしていよいよ本格的に苦しそうに身体を強張らせたに向かい、リンは強く肩を握り口を開いた。

「・・・私が貴女を名前で呼べば満足ですか?」

降ってきた冷たい声に、は恐る恐る顔を上げる。

「・・・ば、バレてた?」

「そうですね。降霊にしては突然すぎましたから」

さらりと何事もなかったかのようにそう告げて、リンは再び視線を正面へと向ける。

最後の手段は、あっさりと失敗に終わったらしい。

それを悟り、は僅かに頬を引き攣らせながら身を起こす。―――まぁ、自分の演技力に自信があったわけではないのだけれど。

「・・・ごめん、リンさん。ちょっと悪ふざけが過ぎた」

それでもやって良い事と悪い事の区別くらいはだって解っている。―――たった今自分がした事が、後者に入る事も。

更にご機嫌を損ねてしまったリンを見やり、それも自分の責任なのだから仕方がないかとため息を吐き出して、は晴れ渡った青空を仰ぎ見た。

「・・・

不意に聞き覚えのある・・・―――けれど聞き間違えとしか思えない声が聞こえて、はその体勢のまま目を瞬かせる。

今、何が聞こえた?

確かにリンの声だった気がするのだけれど・・・―――さっき、彼はなんと言った?

硬直したまま考えを巡らせるの耳に、リンの低い心地良い声が静かに響く。

「今後はあのような悪ふざけはやめていただきたいものですね」

「・・・あ、の?」

「あれだけ愚かな事をしても名前で呼ばれる事が、貴女の望みなんでしょう?」

恐る恐る視線を向ければ、まっすぐと注がれるリンの視線が突き刺さる。

確かにそうだった。

確かに、そうなのだけれど・・・―――まさか聞き入れてもらえるとは思ってもいなかった。

「・・・リンさ」

どうして急にその気になったのだろうと、そう問い掛けようとが口を開きかけたその時、ポツリと頬に水滴が落ち、は訝しく思いながらも顔を上げる。

公園内に盛大な水音が響いたのは、その直後の事だった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

人形の家編ではリン中心だったにも関わらずあまり出番がなかったので、こちらは補完編ということで。

もともとこの事件には関わっていなかった2人なので、組み合わせるのは意外と簡単でした。―――が、それに引き換えリンの動かしづらい事!

最初は主人公の演技にうっかり見事にはまってくれるはずだったのに、いつの間にかすっかり見抜いちゃってますし。(まぁリンがあれくらいの演技で騙されるわけもないとは思いますが)

とりあえず後編は、甘くはならなくてもそれっぽく持っていけたらなぁ・・・と。

作成日 2007.10.6

更新日 2007.12.3

 

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