カバンを持って校門から出てきたを見つめて、滝川は満足そうに微笑んだ。

「よ〜し、逃げずに出てきたな。えらい、えらい」

「だから逃げないって言ったじゃない。この期に及んで嘘なんてつかないよ」

そう言ってそっぽを向いたを前に、込み上げてきそうな笑みを押し殺す。

不本意そうに振舞ってはいるが・・・―――否、もしかすると本当に不本意なのかもしれないが、それでも決して嫌がってはいないのだと彼女の態度が物語っている。

本当に嫌なら、きっと彼女は何食わぬ顔でこの場を去るだろう。

人懐っこく見えても、彼女の本質はそれだけではない。―――それをあの短い時間の中で、滝川は察していた。

「・・・で、これからどーするの?」

先ほどまでぶつぶつと文句を言っていたが、唐突にそう切り出した。

意外と物事の切り替えが早い。―――もしかすると、多くの視線を集めるこの場から一刻も早く立ち去りたいだけなのかもしれないが。

「う〜ん、そうだな。お前、どっか行きたいトコあるか?」

「私ぃ?う〜ん、急に言われてもなぁ。行きたいとこって言っても・・・」

ガードレールから腰を上げてそう問い掛けると、は困ったように眉を寄せて空を見上げる。

今時の女子高生なら遊ぶところなどいくらも知っていそうなものだが、からは明確な指定はない。―――それは遊ぶところを知らないからなのか、それとも自分よりも年上の滝川を思っての事なのか・・・。

どちらにしても、いつまでもここに居座るわけにもいかない。

とりあえず移動だけでもするかと口を開きかけた滝川は、その瞬間鳴り響いた車のクラクションに思わず口を噤む。

何事かと視界を巡らせれば、いつの間にかすぐ傍には黒塗りの高級車が止まっていた。

 

約束のその

 

一般市民の日常において、黒塗りの高級車を目にする事は滅多にない。

テレビや映画の中で見た事はあっても、現実に目の前で見るのは初めてだ。―――思っていた通り、ものすごい威圧感だと滝川は頭の隅でそう思う。

ところで問題は、何故その黒塗りの高級車が目の前に止まっているのかという事。

もしかして誰かの迎えなのだろうか。―――まぁ、ここは私立の学校なのでないとは言い切れないけれど・・・。

そんな事をぼんやりと考えていた滝川は、しかしすぐに自分には関係がない事だと思い直し、途切れた会話を修復させるべくへと視線を戻した・・・のだけれど。

「・・・どうした、?」

何故はこんなにも焦った表情を浮かべているのだろうか?

滝川がそう思うのとほぼ同時に、勢い良く服の袖が引っ張られた。―――何事かと目を丸くする暇もなく、今度は強い力で頭を押さえつけられる。

「ぼーさん、隠れて!ほら、早く!もっと目立たないように!!」

「ちょ!おい、待てって!隠れるったってこんな何にもないところでどうやって隠れ・・・っていうか頭を押さえるな!痛い痛い!!つーかこの行動自体かなり目立ってるって!!」

ぐいぐいと遠慮なく自分の頭を押さえつけるに必死に抵抗しながら目線を上に上げると、先ほどよりも更に焦った様子で視線を黒塗りの高級車へと向けている。

何がなんだか解らない状況の中、カチャリと軽い音を立てて高級車の運転席が開けられ、そこから品の良さそうな初老の男性が姿を現した。

「おや?何をしてるんですか、さん?」

にっこりと微笑む初老の男性に問い掛けられ、滝川の頭を押さえつけていたの手が止まる。―――そのチャンスを逃さず頭を上げた滝川は、男性の視線が自分に向けられるのに気付いて思わず愛想笑いを貼り付けた。

「・・・こちらの方は?」

物腰は柔らかいくせに、尋問されているような気がするのは気のせいなのか。

じっと向けられる男性の視線に促されるように、滝川は軽く会釈をして。

「あ・・・と、滝川法生と申します」

反射的に名前を名乗ると、男性は納得したように1つ頷く。

「ああ、貴方が滝川さんですか。先日の調査の時にはさんが大変お世話になったようで・・・。―――申し遅れました。私は家でさんのお世話をさせていただいている、藤野と申します」

丁寧に頭を下げられ、滝川も釣られて頭を下げる。

「私のお世話っていうか、主に一清・・・当主のお世話ね。うちの当主、色々手が掛かる人だから」

頭を下げる滝川の横で、がボソリと小さく呟く。―――まぁ、が世話になっている事も確かだけれど。

「・・・それで、さんはこんなところで何を?」

一通りの挨拶が終わったのか、藤野は滝川へ向けていた視線をへと向けてそう口を開く。

しかしも負けてはいない。―――先ほどの動揺などどこ吹く風で、平然とした表情を浮かべて藤野を見返した。

「それよりも藤野さんこそなんでこんなところにいるの?学校までは来ないでってあれだけお願いしたのに・・・」

さんがなかなか来られないからですよ。何かあったのかと思いまして・・・」

何かって、一体学校で何があるというんだ・・・とも思ったが、あえて口にはしない。

藤野に口で勝てたためしはないのだ。―――わざわざ勝負を吹っかけるまでもない。

「あー・・・と。友達に休んでた分の授業のノートコピーさせてもらってたから。連絡入れるの忘れてた」

時計を見れば、もう5時前。

いつもよりも30分近く遅れている上に連絡をしなかったが全面的に悪いのだから、これ以上文句は言えないが・・・。

それに加えて、今日はこれから用事もある。

うっかり冗談だと思っていた滝川との『デート』だ。―――さて、どうやって藤野を言いくるめて家に帰すか・・・は頭を悩ませる。

本当は、彼に見つかる前にここを立ち去るつもりだったのだけれど・・・今更言っても仕方がない。

素直にすべてを白状するという選択肢はなかった。―――自分から絶好のからかいネタを提供する気はにはない。

しかし相手は藤野。

彼は自分よりも一枚も二枚も上手だった。―――どう言い繕おうかと頭を悩ませると所在無げに立ち尽くす滝川を見比べて、やんわりと微笑んだ。

「・・・これからデートですか?」

「はぁ!?」

率直に告げられた言葉に、考えを巡らせていたは思わず声を上げる。

もしかして何処かで話を聞いていたのではないかとさえ思う。―――まぁ、いくらなんでもそれはないだろうが。

「・・・えぇ〜と」

自分の隣で言い淀むをチラリと横目で窺って、滝川はしばし視線を泳がせた後、それを藤野へと向ける。

心なしか、彼の視線が突き刺さるような気がした。

デートと言ってしまうのは容易い。―――が、それがにどういう影響を及ぼすのか解らない以上、下手な発言も憚られる。

何せはその筋では有名人なのだ。

たとえ顔が知られてなかろうと、本人にその気がなかろうと、それは変わらない。

もしかするとが持つ月華という名を目当てに近づく者もいるのかもしれない。―――藤野から送られる視線を受けつつ、滝川はそう推測した。

しかしその直後、藤野から向けられていた鋭い視線が柔らかなものになった事に気付いて、滝川は思わず目を丸くする。

「・・・そうですか、デートですか。良いですねぇ、若い人は。さんもたまには歳相応に遊んでいらっしゃい。―――ご当主には私から上手い事言っておきますから」

「・・・え、なに、その急な物分りのよさ。逆に怖いんですけど」

まるで急かされるようにそう言われ、は盛大に頬を引き攣らせた。

相変わらず読めない人だとそう思う。―――思えば自分の周りはこんな人たちばかりだ。

さんは疑り深いですねぇ・・・」

「誰がそうさせてると思ってんの?人のいい顔して、藤野さんには何度騙された事か!」

どうやら思うところは多々あるらしい。―――聞いてみたいような、聞かない方がいいような・・・。

まぁ、それでも保護者の許可が出たのはありがたい。

今時保護者の許可付きでのデートというのもどうかと思うが、反対されなかっただけマシだろう。―――実際のところ、デートと言い切ってしまえるものかどうかはともかくとして。

も同じ事を思ったらしい。

ともかく多少不本意そうな表情を浮かべつつも、藤野に促されるままに滝川と並んで歩き出す。―――と、は数歩歩いたところで立ち止まり、恐る恐る振り返った。

「・・・ちなみに、一清にはなんて言って誤魔化すつもりなの?」

「それはもちろん、さんは滝川さんとおっしゃる方とデートに行きました、と」

にこやかな笑顔で手を振りつつそう答える藤野に、は思いっきり頬を引き攣らせて。

「それって誤魔化すって言わないでしょー!!」

下校途中の生徒たちが思わず振り返るほど大きな声で、はそう怒鳴り声を上げた。

 

 

ともかくも、騒ぐを何とか宥めて再び歩き出した滝川は、苦笑を浮かべながら隣を歩くを見下ろした。

「いい加減機嫌直せって。いつまでも膨れてたってしょうがないでしょーが」

「・・・ぼーさんは一清を知らないからそんな事が言えるの。一清のからかいがどれだけ性質悪いか・・・―――想像しただけで怒りが・・・!!」

本当に想像しただけで怒りが湧いてきたのか、拳を握り締める手が震えている。

そんなを見つめながら、滝川は再び苦笑を漏らす。

そんなにも自分との『デート』は不本意なのだろうか。―――付いてきている時点でそれはないと思っていたが、ここまで反応されると流石に不安になる。

しかしにそのつもりはないのだろう。

やはり切り替えの早いは嫌な事は考えない事にしたのか、大きく深呼吸をした後不意に滝川の顔を覗き込んだ。

「それで、これからどこ行くの?駅に向かってるんだよね?」

「まぁ、駅前に行きゃなんかあるでしょ。ここら辺って学生向けの店とか多いし・・・」

「・・・それってぼーさん楽しいの?」

「もちろん、が一緒ですからね〜」

不思議そうに問い掛けるに軽い調子で答えれば、はきょとんと目を丸くした後、居心地悪そうに視線を逸らす。

今までにない反応に、滝川は「・・・おや?」と眉を上げた。

調査中には見れなかった、女の子らしい反応だ。―――その戸惑い方がらしいといえばらしくて、滝川は小さく笑みを零す。

「ま、気の重い事はとりあえず置いといて、今日は遊びまくろうぜ」

そう言って軽くの頭を叩けば、いつもの調子を取り戻したのか、もまた元気良く返事を返す。

「・・・よ〜し。今日という今日は、たまりにたまったストレス発散するぞ〜!!」

「よっしゃ!それじゃ、まずは・・・ゲーセンでも行きますか」

「行こう行こう。ぼーさん、プリクラ撮ろう、プリクラ!友達がぼーさん見て騒いでたから、この機会に自慢してやる!」

そう言ってスイッチが入ったのかぐいぐいと自分の腕を引っ張って歩き出すに合わせて、滝川も歩調を速める。

そのままゲームセンターに突入し、まずは公言どおりプリクラを取った後、格闘ゲームやらレーシングマシーンで一通り対決し、UFOキャッチャーでぬいぐるみを取ろうと奮戦する。

何でも器用にこなしそうなが何度もチャレンジして取れなかったぬいぐるみを取ってやると、喜ぶ前に悔しがる。―――意外に負けず嫌いのようだ、との新たな一面を知って笑みが込み上げた。

そうして一通り騒いだ後、駅前の大きなショッピングモールに足を向けた2人は、その中に入っている若者向けの店をぶらぶらと回り始める。

放課後のショッピングモールは、流石に学生の姿が多い。

自覚しているのかいないのか、人の目を集めるの隣を歩きながら、滝川は小さく苦笑を漏らした。―――今、の隣にいる自分は、一体どういう風に見られているのだろうか。

「・・・あ」

無駄に明るい照明で照らされた店内をぶらぶらと歩いていたが、突然小さく声を上げて立ち止まる。

どうしたのだろうかと同じように立ち止まって彼女の視線の先へと目を向けると、そこには様々なデザインのアクセサリーが置いてあった。

「・・・へぇ〜、女の子ってのはこういうの好きだよな〜」

ほんのり笑みを浮かべてアクセサリーを手にとって見つめるの隣で、滝川も適当に覗き込みながら呟く。

「そうかもね〜。だって可愛いし。ほら、これなんかすごく可愛い」

そう言って差し出されたのは、ピンク色の花があしらわれた華奢なブレスレット。

「ふ〜ん、こういうタイプが好きなのか」

差し出されたブレスレットを受け取り、それを光に翳す。―――キラキラと光を放つそれは、確かにに似合いそうだけれど。

もっとシンプルなものが好みなのかと思っていた滝川としては、ほんの少し驚きを隠せない。

「可愛いものも好きだよ。まぁ、シンプルなものも好きだけど・・・」

滝川の感想にそう返して、は取り戻したブレスレットを陳列棚に戻す。―――それを見ていた滝川は、不思議そうに小さく首を傾げた。

「なんだよ、買わねーの?随分気に入ってたみたいなのに・・・」

「だって、買ったって付けられないからね〜」

そう言って上げたの左腕には、もう既に淡い緑色の石で出来たブレスレットがつけられている。

普段の生活に支障をきたさないために、外す事は出来ない。―――それはブレスレットだけではなく、ピアスも同様で。

あまりジャラジャラと何個もつければ、それはそれで悪趣味だ。

こちらが外せない以上、どんなに気に入ったものでも付けられないのだから、買うだけ悔しい思いをするだけだ。

なんでもない様子で再び陳列棚に視線を落とすを見下ろして、滝川は僅かに眉を顰める。

が大人っぽく見えていた理由の1つは、彼女の身につけるアクセサリーが原因なのかもしれない。

女子高生が付けるにはシンプルすぎるそれは、上手く彼女を大人っぽく見せているのだろう。―――まぁ、原因はそれだけではないだろうが。

そういう面で見れば、も色々と制約のある生活を送っているのかもしれない。

自分の付けたいアクセサリーさえつけられないのだから・・・。―――それだけで生活に支障がないのなら、ラッキーな方かもしれないけれど。

「あ、ぼーさん!これこれ。これなんてぼーさんに似合うんじゃない?」

明るい表情で手招きするを見つめて、滝川は苦笑を浮かべると促されるままに彼女へと歩み寄った。

なんでもない風に振舞いたいのなら、それに付き合うのもいい。

どうせ自分がどれほど案じたって結果は変わらないのだ。―――それならばが気に病まない方がいいに決まっている。

そう思いながら手招きするの元へと歩き出した滝川は、ふと柱に貼ってある一枚のポスターに気付いて視線をそちらへ向けた。

今いるショッピングモールの屋上で行われている、期間限定のイベントのポスターだ。

「・・・へぇ〜、こんなのやってんのか」

自分を呼ぶを忘れてポスターに見入る滝川。

大きい字で『オバケ屋敷』と書かれたそれを見て、ニヤリと口角を上げる。

夏にはまだ遠い今のこの時期にこんなイベントが行われているとは思わなかったが、意外に面白いかもしれない。―――そういえばオバケ屋敷に行ったのなんていつ振りかと考えを巡らせつつ、ポスターに向けていた視線をへと移した。

「おーい、。これ行ってみない?面白そうだぞ」

「嫌!ぜ〜ったい、嫌!!」

じっとポスターに見入る滝川を訝しく思ったのか、いつの間にか彼の傍にいたが、力いっぱいそう言って首を横に振る。

折角仕事が終わったばかりだと言うのに、どうして自ら進んでこんな場所に行かなくてはならないのか。

絶対に嫌だ!死んでもごめんだ!と力いっぱい否定するを見下ろして、滝川はニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。

「アレ〜?もしかして怖いのかな、ちゃん」

「・・・なっ!!」

からかうように告げられた言葉に、は不本意だとばかりに目を見開いて。

「怖くないよ、こんなの!ただの作り物でしょ!!」

反射的に言い返した自分の言葉の意味を察した時にはすでに遅し。―――ニヤリと笑む滝川を見上げて、は己の失態を察した。

「そうだよな〜、作り物だもんな。怖いならしょうがないかと思ったけど、怖くないなら行ってみようぜ。暇つぶしに」

確信犯の笑みでそう告げる滝川を睨み上げるも、この場の敗者は既に決まっていた。

ここまで言われて反論できるわけもない。―――今更そんな事を言おうものなら、からかわれるのが目に見えている。

「・・・解ったわよ。行けばいいんでしょ、行けば!!」

ヤケクソとばかりに声を上げて、肩を震わせて笑う滝川の腕を強引に引っ張り、イベントが行われているという屋上へ向かう。

やはりこういうイベント事には目がないのか、たくさんの学生の中に混じってチケットを購入したは、その勢いのまま係員の促しでオバケ屋敷に足を踏み入れる。

そうしてすぐに後悔した。―――目の前に広がる暗闇を前に、盛大に頬を引き攣らせながら立ち尽くす。

「・・・おいおい、大丈夫か?」

流石の滝川ものこの様子に不安になったらしい。

しかしここまで来て引き返す事など出来るはずもない。―――せめてもと、滝川の服の裾を握り締め、意を決して足を踏み出す。

そうしてその直後、暗闇から飛び出してきたオバケの仕掛けに息を飲んだは、まるですべての鬱憤を晴らすかのように腹の底から搾り出すように大きな悲鳴を上げた。

 

 

キーンと耳鳴りがする自身の耳を押さえながら、ぐったりとベンチに座り込んで。

同じくぐったりとした様子で座り込むを横目に見つめて、滝川は乾いた笑みを浮かべた。

まさかここまで怖がるとは思っていなかった。

先日の調査で『怖い』と言いつつも平然とした様子を見せていたと同一人物とはとても思えない。

ここまで怖がると解っていれば、無理やり誘ったりはしなかったのだけれど・・・。

「大丈夫か、?」

「あー・・・まぁ、何とか。気力を使い果たしたっていうか、叫び疲れたっていうか」

確かにあれだけ叫べば疲れもするだろう。―――のあまりの怖がりように、係員のお姉さんさえ目を丸くしていたくらいだ。

所詮は、ショッピングモールの屋上で行われるイベント程度のもの。―――それほど凝った内容でもなかった気がするのだが・・・。

「・・・私、ダメなんだよね。別にオバケ屋敷自体はそんなに苦手って訳でもないんだけど。・・・ああいうところに行くと、今まで見た強烈な霊の姿とか思い出しちゃって」

むしろ二次被害的な部分が大きい。

確かに今までが見た霊の中には、オバケ屋敷など目ではないほどリアルに怖い光景がたくさんある。―――あのちゃちなオバケ屋敷の仕掛けでも、それを思い出してしまう起爆剤くらいにはなるのだ。

「あー・・・なんつーか、悪かったな」

「別にいいよ。実際ぼーさん引っ張ってったの、私だし」

言いだしっぺは確かに滝川だし悪乗りした面もあるが、ムキになって意地を張ったのはのほうなのだ。―――そんな状況で相手を責める事など出来るはずもない。

しかしあまりのの疲労困憊の様子に罪悪感を感じたのか、ベンチから立ち上がった滝川が心配そうにの顔を覗き込みながら口を開いた。

「俺、なんか冷たい飲み物でも買ってくるわ。―――ここ、動くんじゃねーぞ」

「心配しなくてもそんな気力ないよ」

今もまだがっくりと肩を落としながらそう呟くと、滝川は苦笑を浮かべて「すぐに戻ってくる」とだけ言い残して人ごみの中へ消えて行った。

それを見送って、は大きくため息を吐き出す。

正直、これほどうろたえるとは自身も思っていなかった。

今話題の人がオバケの役をするようなところならともかく、ちゃちな仕掛けのオバケ屋敷なら大丈夫だろうと思っていたのだが。

もしかすると変な風にトラウマになりつつあるのかもしれない。

ちくしょう、全部一清のせいだ。―――心の中でそう苦々しく思い、飄々とした上司の顔を思い浮かべて、どうしてくれようと眉を寄せる。

「それにしたって、ぼーさんに悪い事しちゃったな」

ポツリと呟いて、滝川の消えたその場所を見つめてもう一度ため息を吐く。

お礼、という名の『デート』と称されたお出かけ。

このお出かけが滝川にどう利益があるのかは解らないが、それでもわざわざ学校で出待ちまでしていた彼とこうして出掛け、こんな迷惑まで掛けてしまった。

これではお礼どころの話ではない。

滝川の事だから、気にするなと言っても気にしないわけがないだろう。―――その証拠に、彼は今飲み物を買いに行ってくれているのだから。

「・・・あ〜あ。何で私ってば、こう・・・」

自分の不甲斐なさに思わずため息が零れる。―――だからといって、良いフォローが思い当たるわけでもないのだけれど。

「あの〜、すいませ〜ん」

そんな事をぼんやりと考え込んでいたは、不意に掛けられた声に顔を上げた。

目の前には、いつの間にか2人の青年が立っている。

「ちょっと道教えてもらいたいんだけど、いいかな?」

一体何の用だと首を傾げたを見やり、その片方の青年がにこやかな笑みを浮かべながら口を開いた。

「別にいいですけど・・・」

「この店なんだけど、知ってる?この近くだって聞いてきたんだけど・・・」

「ああ、この店なら・・・」

偶然知っている店だった事もあり、は快くその頼みに応じた。

学校の近くにあるクラブ。―――勿論は行った事はないけれど、友達から話は聞いた事があった。

丁寧に道を教えてやると、相槌を打っていた青年は最後にありがとうと礼を告げて。

しかしすぐに立ち去ると思っていた青年たちは、説明が終わった後もその場を動こうとはしない。―――今度はなんだと訝しげに顔を見上げたに、青年はもう一度にこやかな笑みを向けた。

「もし良かったら一緒に行かない?これも何かの縁だと思って・・・」

一体どんな縁だ、と密かに突っ込みを入れながら、眉根を寄せて青年を見上げる。

もしかしてこれは、俗に言うナンパというやつだろうか?

これまでの自分を振り返ってみてそういう体験がない為判断が難しいが、こういう展開は確かにナンパに分類されるはず。

これまでは周りの友人たちが密かにそういった輩を退けてくれていた事を知らないは、初めての体験に困ったように視線を泳がせた。

こういった時はどう対応すれば良いのか。

勿論付いて行く気はまったくないのだが、どう断れば丸く収まるのか解らない。

「行こうよ、ね?」

更に返事を急かす青年の言葉に、が戸惑いの表情を浮かべたその時。

「はいは〜い、ごめんよ〜」

待ち人の軽い声と共に目の前に差し出された缶ジュースにが目を丸くするのと同時に、これまた待ち人の大きな身体が自分の前に立ちはだかる。

「・・・ぼーさん?」

「悪いけど、この子俺の連れだから」

いつもと変わらない明るい声で滝川がそう告げると、2人の青年が慌てて駆けていく足音が聞こえた。

何であんなに慌ててるのかと首を傾げると、深くため息を吐いた滝川がゆっくりと振り返る。

ちゃん。な〜におとなしくナンパされてんの?」

「いや、あんなの初めてだったし。どう断ろうかなと思ってたら・・・」

なんとなく自分の分が悪い事を察してしどろもどろにそう告げると、滝川はもう一度深くため息を吐き出した。

そうして何かを振り切るように顔を上げると、持っていた缶ジュースを差し出して。

「ほら、これ飲んだら帰るぞ」

「え、もう?」

「もう、って・・・。もうすぐ8時だからな。流石にこれ以上連れまわすわけにもいかんでしょーが」

呆れたようにそう言われて腕時計を見ると、確かに滝川の言う通り、時計の針は8時前。

学校を出たのが5時過ぎだったというのに・・・―――いつの間にこんなに時間が経っていたのだろうかとは内心驚く。

差し出される缶ジュースを受け取って、はチラリと滝川の顔を見上げた。

「・・・ありがと、ぼーさん」

それがジュースに対してなのか、それともナンパを追っ払った事についてなのか、それは解らなかったけれど。

「どーいたしまして」

緩く笑みを浮かべて、滝川は軽くの頭に手を置いた。

 

 

「ほんとに家まで送ってかなくていいのか?」

「いーの、いーの。ちゃんと連絡して、藤野さんに駅まで迎えに来てもらうから」

駅の改札で切符を振って笑うを見つめて、滝川もまた笑みを浮かべる。

会いに来る口実でしかなかったデートは終わった。―――それは口実でありながら、とても楽しい時間ではあったのだけれど。

それでもちゃんと携帯の番号も聞き出せたし、調査の時よりも親しくもなれた。―――今度からは学校の前で出待ちなどしなくても、会おうと思えばいつだって会えるだろう。

それでもこういった別れの時間が物悲しく感じる事に変わりはなかったけれど。

「じゃーね、ぼーさん。今日はありがとう」

出待ちをしていた自分を見た瞬間のあの不本意そうな表情とは違う明るい表情を浮かべるを見返して、滝川も満足そうに笑む。

そうして手を振って改札へと向かうの背中を見送っていた滝川は、どうしようかと悩んだ末に、既に改札機を通ったへと声を掛けた。

訝しげに振り返るの元へと歩み寄り、ポケットに突っ込んでいた手を引き出す。―――そうしてその手に握られていた小さな紙の袋を手渡して、やんわりと微笑んだ。

「・・・なに、これ?」

「まぁ、無駄になるだろーけど。―――今日の礼だ」

「・・・お礼?」

訝しげに首を傾げるの頭を軽く叩いて、更なる問い掛けを避けるように踵を返す。

「んじゃ、またな」

後ろ手に手を振って別の改札へと向かう滝川の背中をぼんやりと見送って、は自分の手元に残された紙袋に視線を落とした。

「・・・お礼って、なに?」

訳が解らず眉根を寄せ、しかし促されるように紙袋を開けたは、中から転がり出てきた物に思わず目を見開いた。

ピンク色の花があしらわれた華奢なブレスレット。

が気に入ったと言って・・・けれど購入を見送った物。

一体いつの間に買ったんだと感心しながら、それを光に翳してみる。

キラキラと光を反射するそれは、やっぱりとても綺麗で・・・。

「このお出かけ自体がお礼なんじゃなかったっけ?お礼のお礼って・・・」

小さく呟きながらも、何故だか込み上げてくる笑みを押さえられず、は嬉しそうに微笑みながらポケットから携帯電話を取り出す。

よく解らない人だと、そう思う。

一体何を考えているのか、まったく解らない。―――わざわざ学校の前で出待ちをしてまで、あの他愛無い約束を守ろうとするその行動も。

けれど、今日という日が楽しかったのも事実で。

「・・・変な人」

堪えきれない笑みを零しながら、は携帯電話を開いた。

 

 

電車特有の微かな揺れに揺られながら、滝川は欠伸をかみ殺す。

どうして電車の揺れというのは、眠気を増幅させるのだろう。―――そんなどうでもいい事を考えながら別れ際のの表情を思い出し小さく笑う。

あれを見た後、彼女は一体どんな表情をしたのだろうか。

見届けたい気持ちもあったが、折角のお礼を返されるかもしれないと思うとそれは出来なかった。―――我ながら情けないとは思うが。

「・・・ん?」

ガタン、ガタン、という小さな音を縫って携帯が鳴る。

一体誰からだと携帯電話を取り出せば、そこには今日入力したばかりのの名前。

慌てて携帯を開くと、着信音が途切れた。―――どうやら着信ではなくメールだったらしい。

きっと先ほどのお礼に関する内容なのだろうと思うと、僅かに心臓が早く打つ。

それでもほんの少しの期待と共にメールを開けば、そこには短い文が1つ。

「・・・ははっ!お礼のお礼、か」

小さく笑い声を上げた滝川を、隣に座っていたおじさんが訝しげに見やる。

それに慌てて表情を取り繕った滝川は、それでも嬉しそうにもう一度携帯に視線を落とした。

『ブレスレットありがとう。お礼、何か考えといてよね』

たったそれだけ。

けれどそれは『次』を連想させるには十分なもので。

じっと携帯を見つめていた滝川は、照れくささに不本意そうな表情を浮かべるを思い浮かべる。―――きっとその想像は、外れてはいないだろうと確信にも似た想いを抱きながら。

そうして滝川は、苦笑とも喜びとも取れる笑みを浮かべて返信ボタンを押した。

 

 

 

◆どうでもいい戯言◆

はい!・・・というわけで、記念すべき1万ヒット代理リクしてくださった望月さま、ありがとうございます。

リク内容は、『ぼーさんと固定主人公のデート話』という事で。

これが一章の最後での意味深なデート発言の実態です。(これが?)

なんだか色々詰め込みすぎた感ありの、しかもちょっと古臭い展開な気もしますが。

こんなものでよろしければ、望月さまのみお持ち帰りどうぞ。(持って帰ってどうしろと)

作成日 2007.11.14

更新日 2007.11.16

 

戻る