蝉の鳴き声が聞こえる。

短い生をこれでもかと謳歌している蝉を、クーラーの効いた教室から窓越しに眺めていたは、重い重いため息を吐き出した。

もうすぐやってくる夏休みを直前に控え、教室中が賑わいに満ちている。

だというのに、どうして自分は彼らと同じ輪の中に入っていけないのか。―――そんな事は彼女自身が一番よく理解していたけれど。

「ねぇ、。これに参加してみない?」

そんなの前に一枚の紙が突き出され、それと同時に聞き慣れた楽しげな声が聞こえた。

惹かれてのろのろと顔を上げると、声色に違わぬ親友の楽しそうな笑顔。―――出逢ってからまだ間もないというのに、もうずっと昔から一緒にいるような感覚を与えてくれる彼女は、ぼんやりとした視線を送るを見て更に笑みを深めた。

「ね、一緒に行こうよ」

更に言い募られ、のろのろと突き出された紙に手を伸ばせば、そこには『お泊り講習のお知らせ』という文字が。

どうやら彼女がつい先日から通い始めた予備校のイベントらしい。

まだ高校に入学して間もないというのに、もう予備校に通うのだ。―――さすが進学校だと感心すればいいのか・・・。

「・・・でも私、この予備校に通ってないんだけど。ついでに言うと通う気も通う余裕もないんだけど」

「大丈夫よ。料金さえ払えば参加は自由なの。ほら、『体験入学歓迎』って書いてるでしょ?」

素直にそう告げれば、すぐさま返事が返ってくる。―――それに習って視線を用紙の下へと向けると、確かに彼女の言う通りそう書いてあった。

「・・・う〜ん」

それでも即答できず、は難しい顔をして唸り声を上げる。

本音を言うならば、別に参加する事が嫌なわけではない。―――どちらにしたって、成績を下げない為には夏休み中も勉強からは逃れられないのだから。

しかし、果たしてあの男がそれを許してくれるかどうか・・・。

、最近難しい顔してばっかりじゃない。たまには気分転換も必要だと思うけど」

そう告げられ、は弾かれたように奈月の顔を見上げた。―――彼女は彼女なりに、心配してくれているのだろう。

「ね、行こう」

「・・・・・・解った、行く」

勧められるままに用紙を手に取り、は食い入るようにそれを見つめる。

さて、どうやってあの気難しい上司を説得するか。―――そんな事に思考を巡らせながら、は丁寧に折りたたんだそれをカバンの中へと押し込む。

高校生活初めての夏休みの始まりだった。

 

の思い出

 

夏休みに入って一週間後、そのお泊り合宿は決行された。

日程的に随分と早い気もするが、予備校側からの『夏休みに入ったからといって油断するな!』という警告なのだろうか?―――その辺りは、にとってはどうでも良かったけれど。

この合宿に参加するに至って、やはりというか予想通りというか・・・―――流石に一清はいい顔はしなかった。

夏休みという長期の休暇は、普段は出来ない事をする絶好のチャンスでもある。

言葉にはしなくとも、一清の目はそう語っていた。―――彼の瞳は、ことわざ通り口ほどに物を言うのだ。

それでもがこのお泊り合宿に参加できたのは、ひとえに藤野の説得があったからだ。

彼の発言権は、時に一清をも超える。

幼い頃から面倒を見てもらっていた手前、一清も藤野には簡単には逆らえないらしい。

それを今ほどありがたく思った事はなかった。

勿論無条件というわけではなく、合宿から帰れば鬼のようなスケジュールが待っているのだけれど。

「・・・ありがたいのか、ありがたくないのか」

その鬼のようなスケジュールをこなしつつ、学校から出された夏休みの課題をどう処理するか・・・―――それに今から頭が痛くなりつつも、折角の息抜きなのだから楽しまなければ損だと気持ちを切り替えて、は奈月の待つ予備校へと歩調を速める。

そうして予備校の前に止められていた貸切のバスに乗って、予備校が確保したという保養所のようなところへと向かった。

どうやら今回のお泊り合宿は、奈月が通う予備校だけで行われるのではないらしい。

名の知れた大きな予備校だけあって、各地に展開されているらしい。―――そこに通う生徒たちと合同での合宿だと、バスに乗っている間に奈月から説明された。

そうしてバスで進む事、数時間。

漸く合宿所に到着した面々は、長時間の旅を終えた開放感からか、次々とバスを飛び出していった。

「うー・・・っん!!」

それに流されるようにバスから降りて、固まった身体を伸ばすべく大きく伸びをする。

目の前に広がるのは、街中では滅多に見られないほどのたくさんの自然。

心なしか、空気が美味しい気がする。―――山に近いだけあって、真夏だというのに暑さも和らいでいる気がした。

「いやー、なんか健康的だよね。ザ、夏休み!みたいな」

小さく独りごちて、これから始まる自由な数日間を思い描き、の口元に柔らかな笑みが浮かぶ。

そうしてがやがやとたくさんの人で賑わう中バスに戻り、預けていた荷物を受け取ったは、さてこれからどうするのかとゆっくりと辺りを見回した。

当たり前だが、体験入学という立場のにとって、この場で知っている顔は友人の奈月しかいない。

さて、彼女は一体どこへ行ったのか・・・―――そう思案しながら視界を巡らせたに気付いてか、バスから離れた場所に立っていた奈月が大きな声で彼女の名を呼んだ。

!こっち、こっち!!」

「・・・え?」

遠くで手を振る奈月に気付き、呼ばれるままに荷物を手に歩き出そうとしたは、突如背中から上がった声に思わず振り返った。

そこには見知らぬ男の子がこちらを見て立っている。―――おそらくは同じくらいの歳だろうが、生憎とに見覚えはない。

しかしその男の子は、他でもないへとじっと視線を送っている。

それに不思議そうに首を傾げて・・・―――けれど無視してそのまま立ち去る事も出来ずにどうしようかと突っ立っていたは、すぐさま我に返った男の子に微笑みを向けられ思わず目を丸くした。

「ああ、ごめん。ずっと見ていたから困っちゃったでしょう」

「ええ。まぁ、人並には・・・」

突然話しかけられて戸惑いながらもそう答えると、その男の子は目を丸くした後楽しそうに笑った。―――どうやらの受け答えが、つぼにはまったらしい。

そうして一通り笑ったその男の子は、改めてと向き合い・・・そうして人好きする笑みを浮かべるとスッと右手を差し出した。

「初めまして、僕は安原修といいます」

「・・・はぁ。あ、です」

「あ、やっぱり」

突然の自己紹介に面を食らいながらも名前を名乗り返すと、安原と名乗った男の子はパッと笑顔を浮かべて納得したように頷いた。

その意味するところが解らず、は訝しげに首を傾げる。

「・・・やっぱり?」

「さっき、って名前で呼ばれてたでしょう?どこかで聞いた事のある名前だと思ったんです。―――この間の全国模試で、トップ10に入ってた人だ」

自分に関係のない人の名前までよく覚えてるな・・・と思わず感心したは、しかし不意に脳裏に甦った男の子の名前に思わず口を開いた。

「私も覚えてる。安原修って、私のすぐ上に書いてあった名前。すごい僅差だなって思ったから・・・」

「僕も同じですよ」

にっこりと人の良い笑顔を浮かべて頷く安原を見返して、は思わず苦笑した。

自分だって、自分にまったく関係のない人の名前を覚えていたのだ。―――彼の事をとやかくは言えないだろう。

しかしまさかこんなところで、自分の名前を知る人に会うとは思っていなかった。

そんなの思いを読んだのか、安原も微笑みながら小さく首を傾げて。

「まさかこんなところで、こんな形で顔を合わせるとは思ってなかったから。―――短い間だけど、合宿中はよろしく」

「こちらこそ」

改めて差し出された手を握り返して、は楽しそうに笑いながら挨拶を返す。

まったくの部外者という立場柄、合宿に参加する事に多少戸惑いはあったけれど・・・―――けれどどうやら楽しくなりそうな予感を感じ取り、は安原と目を見合わせてくすぐったそうに笑った。

 

 

「随分楽しそうですねぇ・・・」

昼食を取っていたは、唐突に掛けられた声に顔を上げた。

そこにはこの講習で意気投合した安原が、ニコニコ笑顔を浮かべながら立っている。―――人が良さそうに見えるのに、意外と一筋縄ではいかない人物だという事は、短い間ながらももう既に学んでいる。

「ああ、安原くんもお昼?」

「ええ、隣いいですか?」

食事の乗ったトレーを片手に隣を指差す安原に「どうぞ」と返しながら、は美味しいとも不味いとも言えないカレーを口に運ぶ。

それを見ていた安原が、感心した様子でもう一度同じ言葉を呟いた。

「本当に楽しそうですねぇ」

「・・・さっきもそれ言ってたよね。何が?」

もぐもぐとカレーを頬張りながら問い返すと、安原は自分のトレーをテーブルに置きながらパイプ椅子に腰を下ろしながら言葉を続けた。

「いえ。お泊りとは言っても一応は予備校の講習で、しかも朝から晩までみっちり勉強させられてみんなうんざりした様子なのに、あなたは随分と楽しそうに見えたものだから」

「・・・ああ、なるほど」

頷きつつ、既に温くなった水でカレーを流し込んだは、納得したように呟いて。

「だって、楽しいもん」

「楽しいですか?」

あっさりと返した言葉に、意外だと言わんばかりに安原が目を丸くする。

まぁ多少は・・・息苦しくないとは言わないけれど。―――それでもにとっては、この合宿はそう言い表すに相応しいとも思えた。

「うん、楽しい。勉強は嫌いじゃないし、それに・・・」

「・・・・・・?」

「このお泊り講習は、息抜きみたいなもんだから」

またもやあっさりと言い返すと、安原は更に不思議そうに首を傾げる。

「・・・息抜き、ですか?」

「そ。家にいたらいたで、余計な事に巻き込まれちゃうから」

「・・・余計な事?」

何度目かの問い返しに、は漸くハッと我に返った。―――そうして慌ててチラリと視線を向ければ、安原が不思議そうにこちらを覗きこんでいる。

「・・・安原くん、誘導尋問みたいでズルイ」

「そんなつもりはないんですけど」

「まったく?」

「・・・まったく、とは言いませんけど」

苦笑いと共に漏れた本音に、怒るよりも前には思いっきり噴出した。

もっとも、最初から怒る気など毛頭なかったのだけど・・・―――それでもいやにあっさりと飛び出た本音に、安原の人柄がにじみ出ているような気がした。

一筋縄ではいかないけれど・・・それでも憎めないのだ。

そう実感してもう一度笑みを零すと、はどう説明したものか・・・と思案しながら口を開く。

「う〜ん・・・。うちさ、えーと・・・自営業?みたいな事やってて」

「そこは疑問系なんですか?」

「余計な茶々は入れないで。素直にスルーしてよ」

面白そうに口を挟む安原を軽く睨みつけて、は手に持ったスプーンを所在無げに弄ぶ。―――この話題は、にとってはあまり好ましくはなかったから。

「ま、そんな感じで、家にいると手伝わされちゃったりとか、しゅぎょ・・・じゃなくて、いろいろ勉強とかさせられちゃうから。その家業の」

「へ〜・・・」

「だから、それから逃れられるんなら、一日中勉強くらいむしろ望むところよ。なんなら夏休み中講習して欲しいくらい」

いや、流石にそれは・・・と突っ込みかけて、けれど安原はそれを口に出す事無く飲み込む。―――何故ならば、そう言うの瞳が本気だったからである。

そこまで話しては居心地が悪くなったのか、空になったトレーを手に持ち勢い良く立ち上がると、まだほとんど食事に手をつけていない安原を見下ろして誤魔化すように笑った。

「なんか飲み物買ってくるから、この席取っといてくれる?」

「はい、行ってらっしゃい」

まるで何事もなかったかのように笑いかけると、は困ったような笑みを浮かべてあわてて踵を返した。

そうして人ごみをすり抜けて去っていくの背中を見送って、安原は興味なさげに食事へと視線を落とした。

非常に興味をそそる対象である事に違いはないが、だからといってほぼ初対面に近い立場である自分が、ずかずかと彼女のプライバシーに踏み込んでいくわけにはいかないだろう。

しかしそれにしたって、ああも慌てて話題を変えたいような自営業とは一体何なのだろうか?―――機械的に食事を口に運びながら、ふと思い至った考えに「まさか・・・」と頬を引き攣らせる。

「・・・いや、まさかね」

「何が、『まさか』なの?」

心の中で呟いた言葉を更に口に出すと、すぐさま返事が返ってきた。―――その突然さに驚いて顔を上げると、奈月が楽しそうな表情を隠す事無く自分を見下ろしていた。

「・・・ああ、武藤さん」

「ここ、いいかしら?」

「ええ、もうすぐが戻ってくると思いますよ」

「知ってるわ。だからここに来たの」

サラリと返され、安原は思わず苦笑を浮かべる。―――自分が言えた言葉ではないかもしれないが、彼女も油断ならない人物に違いなかった。

もしかすると、根本的なところで自分と彼女は似ているのかもしれないとそう思える。

「それで、何がまさかなの?」

「・・・え?」

突然問い掛けられ、己の思考に耽っていた安原は面を食らったように顔を上げた。

しかし当の奈月は、本日の昼食だろうラーメンを一口すすった後、口を動かしながら盛大に眉を顰める。

「・・・ヤダ、このラーメン味が薄い」

まるで何事もなかったかのようにそう呟く奈月を見返して。

先ほどの問いは空耳だったのかと思いつつも、決してそうではない事を理解して安原は言葉を選びながら口を開いた。

「・・・実は、さっき彼女に家の事を少し聞いて」

「あの子が話したの?」

すぐさま返ってきた問い掛け。

それに目を丸くして奈月を見返すと、当の彼女も面を食らったように安原を見つめている。

そのあまりの反応に内心首を傾げつつ、誤魔化しても仕方がないと安原は素直に肯定した。

「・・・?ええ、自営業みたいな事をしているって。―――それ以上は話しづらいみたいだったんで、聞きませんでしたけど」

「・・・ああ、そう」

安原の言葉に、奈月は納得したように頷いた。

は安原の事をいやに気に入っているようだが、流石に家の事情をそう簡単に話してしまったりはしないらしい。―――まぁ、それを匂わせる発言をしたという事に関しては驚きだが。

奈月だとて彼女の家の事情は知っているが、それは本当にたまたまの事で、その『たまたま』がなければ今もまだ知らなかったに違いない。

それくらい、は家業を嫌っていたからだ。

「それで・・・あんなにも話しづらいって事は、その・・・人には言えないような家業なのかなと思いまして・・・」

安原の推理に、奈月は心の中で「惜しい!」と声を上げる。―――最も表情に出すようなマネはせず、何食わぬ顔でラーメンをすすっていたけれど。

「もしかすると、あの有名な・・・」

「・・・有名な?」

「ヤの付く職業かな、と思いまして」

飛び出た言葉に、奈月は瞬間的に噴出した。

有名な・・・と言われた時はドキリとしたものだが、流石の安原でもそこまで鋭くはないらしい。―――いや、それは当然の事で、当てられた方が怖いくらいなのだけれど。

それはともかく、安原の口から飛び出た言葉に、奈月は堪えきれずに笑い声を上げた。

「いや、ないない!流石にそれはないから!!」

「・・・そうですよね」

「そうそう。安原くんって、結構想像力豊かよね」

今もまだ笑いながら感心したように告げられ、安原は困ったように微笑む。

「褒め言葉として受け取っておきます」

「ええ、そうして」

まぁ、それはともかくとして・・・―――そう前置きをして、奈月は目尻に浮かんだ涙を拭った。

「別にあの子の家の仕事が人に言えないような危ない仕事ってわけじゃないのよ」

ちょっと特殊だけどね、とは言わないが。

「でも、ほら。家業を好きになれない人っているでしょ?難しい年頃だしね。反発したくなるっていうか、なんていうか」

まぁ、の場合は歳は関係ないだろうが・・・とも言わないが。

そんな奈月の説明に納得するところがあるのか、安原はすっかり冷めてしまった食事を口へ運びながら1つ頷いた。

自分には覚えはないが、確かにそういう事もあるだろう。

しかしそれだけで、夏休みすべてが講習になればいいとまで思うだろうか?

「・・・なるほど」

それでもそれは個人の感情であり、にはの感情があるのだから一概には言えないと結論付けて、安原は素直にそう頷く。

「だからね、変な心配はしなくて大丈夫」

悪戯っぽく微笑みかけられ、安原は困ったように微笑み返した。

流石に先ほどの自分の考えは突飛過ぎたかもしれないと。

「それに、あのがヤの付く職業の関係者には見えないでしょ?」

「それは確かに」

返された言葉にしっかりと頷いて、安原は今度こそ素直に笑みを零す。

確かに、あんなにも気さくで警戒心の欠片も見えないが、ヤの付く職業の関係者にはとても見えない。

「・・・2人して何笑ってんの?」

缶コーヒーを片手に戻ってきたが不思議そうに首を傾げるのを認めて、安原と奈月は揃ってもう一度笑みを零した。

 

 

「絶対、嫌!」

お泊り講習最後の夜。

地獄のような日々を乗り切った者たちは、漸く開放されるその時を前に大賑わいを見せていた。

それも解らなくはない。―――安原だとて自分で望んで参加したものの、終わりが見えていればホッとするのも確かだ。

そんな中で、誰が言い出したのだろうか。

合宿所の近くに、曰くつきの墓場があるのだと。

どう曰くつきなのかといえば、勿論それは決まっている。

どうやら、そこには出るらしいのだ。―――夏の夜には定番の、幽霊というものが。

そんな話題が出れば、見に行こうという者も当然出る。

そうしていつの間にか、肝試しをやろうという話が持ち上がり、それは参加者全員に飛び火していった。

そんな中で1人、だけが断固として声を上げたのだ。―――絶対に嫌だ、と。

「・・・あれ、もしかして怖いんですか?意外ですね」

本心からそう思い、思わず呟く。

印象としては、一番乗りで参加しそうなタイプだと思えたから余計に。

しかしは安原のその言葉に気まずそうに眉を寄せて。

「別に、怖いとかそういうわけじゃないけど・・・」

「・・・けど?」

「・・・とにかく!嫌なものは嫌なの!私はぜ〜ったいに参加しないからね!!」

安原の追及に視線を泳がせて口ごもった末に、はキッパリとそう言い切って不機嫌そうに部屋を出て行った。

その後姿を呆然と見送る安原の隣で、奈月は肩を揺らして笑っている。―――どうやらこの展開は、彼女には予想済みだったらしい。

「ま、いいじゃない。参加するしないは個人の自由って事で。―――ちなみに私は参加する気満々だけど、安原君はどうする?」

問い掛けられて、安原は困ったように微笑んだ。

別に肝試しが怖いわけではない。

こういうノリが嫌いなわけでも、面倒なわけでもない。―――けれど・・・。

「今回は遠慮しておきます」

にっこりと笑顔を浮かべてそう言った安原に、それすらもお見通しだったのか奈月はにっこりと笑顔を返して1つ頷いた。

 

 

夏の空に輝く、満天の星。

都会では星の光などそう見る事は出来ないが、人里離れた合宿所は天体観測には絶好の場所だった。―――灯りらしい灯りが合宿所から漏れるそれしかないのだから、当然かもしれない。

そんな星空の下、草の生えた地面にそのままゴロリと寝転がったを見つけた安原は、足音を殺して近づくとそっと小さく声を掛けた。

「こんなところで天体観測ですか?」

「うわっ!!」

安原の目論見どおり、彼が来た事に気付いていなかったのだろう。―――大きな悲鳴を上げて飛び起きたの姿を見た安原は、からかうように小さく笑った。

「や、安原くん?」

「はい」

「びっくりしたー。なにか出たのかと思った・・・」

何かとは、一体なんの事なのだろうか?

そうは思ったけれど、あえて追求する事無く安原は静かにの隣に腰を下ろした。

「安原くん。肝試しに参加しないの?」

「ええ。どちらかといえば、得意な方じゃありませんから」

「・・・へぇ、意外。安原くんってどんな出来事前にしても動じなさそうに見えるから」

「あはは。褒め言葉として受け取っておきますね」

笑い声と共に軽くそう流して、安原はついと視線を空へと向ける。

こんな星空など、プラネタリウムでしか見た事がない。―――初めて目にするだろう現実のそれは、やはり作り物よりも遥かに美しかった。

そんな感想を抱きながら空を見上げていた安原は、不意にが妙に静かな事に気付いて視線をそちらへと向ける。

「・・・どうしたんですか?」

「いや、肝試しの事。もうちょっと上手く断れば良かったなって思って。ほら、場の雰囲気とかあるでしょ?だから、ちょっと反省してたの」

言葉通り、ちょっと落ち込んでいる様子のを認めて、安原は小さく笑みを零す。

「そんな事気にする必要はないのに・・・。―――彼らは彼らで大いに盛り上がってましたし」

「でも、安原くんは気にしてくれたんでしょ?」

まっすぐに視線を向けられて、困ったように笑う。―――どうやら彼女にはすべてお見通しらしい。

だからといってそれを素直に認めてしまえば、が気に病む事は目に見えている。

それが解っていたから、安原は極めて明るい声で口を開いた。

「僕は霊感とかそういうのはないから、行っても幽霊なんて見れなかったでしょうしね」

しかしそんな安原の言葉に、は表情を明るくさせるどころか自嘲気味に微笑む。

「・・・幽霊なんて、見えない方がいいよ」

そうしてポツリと漏れた呟きに、意外だと言わんばかりに目を丸くした。

「・・・へぇ」

「・・・なに?」

「いえ。は幽霊の存在を信じてるんだなって、ちょっと意外だったから」

「・・・どうしてそう思ったの?」

「今の言葉、どう考えても『見える人』の言葉だったと思うけど」

さらりと告げられて、は苦々しい表情を浮かべる。

安原修という人間は、頭の回転も速いし知識も豊富だから会話をしていて楽しいが、こういう時にやっかいだ。―――言葉にしない事まで、察してしまうから。

「安原くんは・・・」

「なんですか?」

「否定しないんだ。幽霊なんかいないって」

普通に考えれば、幽霊なんて存在は酷く曖昧で不確かで・・・―――だからこそ人の目には胡散臭く映るものだ。

自分の目には見えないものがそこにいると言われても、疑わしいものだという事はには十分に解っている。

だからこそ意外だったのだ。―――安原がいともあっさりとそう口にする事が。

そんなの考えを読んだのか、安原はやんわりと微笑んで。

「自分の目に見えないものって、意外とたくさんあったりするものでしょう?それが幽霊だったからって、頭から否定する理由もないと思って」

「・・・へぇ、安原くんって大物」

「あはは。―――まぁ、幽霊が胡散臭いって事は否定しませんけど」

照れたように笑って、安原は何事もなかったかのように夜空を見上げる。

それに習って空を見上げたは、小さく小さく微笑んだ。

「・・・ありがとう、安原くん」

色々思うところがないわけではなかったけれど、その言葉に救われたのも確かだった。

そして、自分の許容量の狭さを実感した事も。

だからといってすべてが変わるわけではないけれど、心が軽くなったのも確かだったから。

「・・・何か言いました?」

聞こえていなかったのか、安原が不思議そうな面持ちで振り返る。

それを見返して、はニヤリと口角を上げた。

「うん。安原くんの後ろに、何か黒い影があるな〜と思って」

「えっ!!」

指を指してそういうに、安原は身体を強張らせたかと思うと瞬時に振り返った。―――その動作が普段の彼からは想像できず、は声を上げて笑う。

「・・・

「ごめんって!」

笑みを殺す事も出来ず、目尻に浮かんだ涙を拭いながら笑い続けていたは、しかしすぐさま向けられている安原の視線に気付いてさっと姿勢を正した。

「いや、ほんとにすいません。だからそんな冷たい目で見ないでください」

「夏といえども流石に冷えてきましたね。そろそろ戻りましょうか」

「ほんと、反省してます。だからそんな冷たい目で見ないでよ!!」

根を上げて謝罪を口にするを前に、安原は悠然と微笑みつつ立ち上がる。

そうしてさっさと歩き出した安原を追いかけるように、も慌てて立ち上がった。

「ちょっとした冗談じゃない。もー、安原くんって意外と頭固い・・・」

「もうすぐ肝試しに行った人たちが戻ってきますよ。そしたら彼らの恐怖体験をじっくり聞きましょうね」

「・・・いや、ほんとごめんなさい」

笑顔で振り返る安原に、は完全に敗北を認めて素直に頭を下げた。

それを目の端に認めて、安原は勝利者の笑みをその口元に浮かべて。

合宿所から聞こえてくる賑やかな声に負けないくらい賑やかに、2人は言い合いをしながら道を辿る。

合宿最後の夜は、そんな賑やかな雰囲気と共にゆっくりと更けていった。

 

 

そしてお泊り合宿最終日。

合宿所の前には数台のバスが並んでいた。

同じ系列の予備校ではあるものの、各グループによって帰る場所も違う。

そんな中で早々に自分の荷物をバスへと押し込んだ安原は、このどこかにいるだろうの姿を探して人ごみの中を歩いていた。

自分ととでは、住んでいる地域が違う。―――街でばったりなどという偶然は、どう考えても期待できないだろう。

元々は出会う事すらなかったかもしれないのだ。

だからといって、ここでサヨナラと割り切ってしまう気にはなれなかった。

随分興味深い人間だとそう思う。―――だから、なおさら。

そんな考えを巡らせながら歩いていた安原は、一台のバスの前で漸く目当ての姿を見つける事が出来た。

!」

名前を呼んで駆け寄ると、寝不足なのだろうが不機嫌そうな面持ちで振り返る。

「・・・あー、安原くん。昨日はどうも」

「いいえ。随分と楽しい夜を過ごしたみたいですね」

「ええ、それはもう!安原くんのおかげでね!!」

どうやらあの後、同室の女子たちに散々肝試しの話を聞かされたらしい。―――まぁ、安原が聞かせてやってくれと言ったのが原因だろうが。

「それはそうと、どうしたの?もうすぐバス出発するんじゃないの?」

「ええ。だから、急いでこれを渡しておこうと思って」

言われて差し出された紙を素直に受け取って、は不思議そうな表情を浮かべる。

これは一体なんなのだろうと思う前に、相当急いでいるのか安原はクルリと踵を返した。

「え、安原くん!?」

「じゃあ、帰り道気をつけて」

声を掛けるに構う事無くそう告げて、安原はあっという間に人ごみの中に消えて行った。

本当にバスの出発の時間が迫っていたらしい。

そう思いながらも、は困ったようにため息を吐き出した。

合宿が終わる前に、連絡先くらい聞いておこうと思っていたのだけれど・・・―――生憎と昨夜はそれどころではなく、とうとう機会を逃してしまった。

「・・・いい友達になれると思ったんだけどな」

小さく呟いて、そうしてふと手渡された紙の存在を思い出し、は何なのだろうとそれを開いた。

「・・・あ」

「あらら。これって安原くんの連絡先?―――ってばやるわね〜」

突如後ろから掛かった声に慌てて振り返れば、既に荷物を積み終わったらしい奈月がニヤニヤと笑みを浮かべて立っていた。

「・・・奈月」

「良かったわね、。安原くんの連絡先がゲットできて」

「奈月が言うと、なんか素直に喜べないんですけど」

憮然とした面持ちで呟いて、は手渡された紙をポケットに押し込むと、荷物をバスのトランクへと放り込んでから急いでバスに乗り込んだ。

そうして奈月が追いついてくる前に座席に座り、眠ったふりをする。―――これ以上からかわれるのはごめんだ。

「ね、。いろいろあったけど、結構楽しかったわね」

隣に座った奈月が、眠ったふりを続けるへとそう声を掛ける。

その声が酷く優しかったから、は目を閉じたままやんわりと微笑んで。

「・・・うん。楽しかった」

いい気分転換になったと思う。

それが勉強合宿だという事に、思うところがないわけではないけれど・・・。―――まぁ、学生としては褒められたものかもしれない。

そうしてゆっくりと目を開けたと奈月が顔を合わせて笑いあうと同時に、バスが緩やかに走り出す。

目的地は、彼女たちの日常と現実へ。

けれど今は、それも悪くない気がした。

 

 

家に帰ってきた安原は、出迎えた親との会話もそこそこに、すぐさま自室に戻るとその足で机へと向かう。

そこにあるパソコンに手を伸ばして電源を入れると、小さな機械音を立てて起動するそれをじっと見つめた。

たちはもう家に帰り着いている頃だろうか?

だとしても、すぐに返事が来るわけでもないだろう。―――もしかすると、返事などないかもしれない。

そう思いつつも立ち上げたパソコンを操作し、メールボックスを開く。

受信中の僅かな時間に心をはやらせながら、一通の未読メールの表示に僅かに心臓が跳ねた。

見知らぬメールアドレス。

それにも構わずそれを開くと、そこには簡単なメッセージと連絡先。―――そうしてここ数日ですっかり見慣れた名前を目にして、安原は思わず笑みを浮かべた。

そんな自分を自覚して苦笑を漏らす。

どうしてこんなに緊張しているのか。―――連絡が来なくても、それで自分の生活が変わるわけではないというのに。

それでもとりあえず、新しい友人の確保には成功したらしい。

「・・・今度、電話でもしてみようかな」

小さくそう漏らして、すぐさまの連絡先を登録した後、安原は大きく息を吐き出して。

そうして静かに、緩やかに、と安原の時間は交わり始めた。

 

 

「・・・な〜んて事もあったよねぇ」

教室の窓から沈む太陽を眺めながら、は小さく独りごちる。

「何がですか?」

「いいえ、なんでも」

そんな呟きが聞こえたのか、同じく教室にいた安原が不思議そうに顔を上げたのを目の端に映しながら、はゆるゆると首を振った。

今思い出すとなんとも言えない苦い感情が湧きあがるものの、あの出会い自体は良い思い出だと今でも言える。

まさか数年後に、彼とこんな事件に巻き込まれるとは思ってもいなかったけれど。

「ほんと、人生って何が起こるか解らないよね」

「ええ、ほんとに。まさか僕の人生で幽霊騒動に遭遇するとは思ってませんでしたよ」

の考えを読んだように、安原はそう呟く。―――勿論彼はの心を読んだのではなく、改めてそう実感したのだろうけれど。

けれど、もしあのお泊り講習に参加していなかったとしたら、今は一体どうなっていたのだろう?

勿論これまでの安原との友人関係は成立しないのだろうが、それでも緑稜高校が渋谷サイキック・リサーチに依頼を申し込んだという事は、遅かれ早かれ顔を合わせる事にはなっていたのだろう。―――そう思うと、あまりの腐れ縁っぷりに、思わず笑みが込み上げた。

「どうしたんですか、さっきから?」

「いいえ、なんでもー」

訝しげに眉を寄せる安原に簡単にそう返して、は緩慢な動作で立ち上がる。

この空間は居心地が良いけれど、いつまでもここでサボっているわけにもいかない。

ナルに見つかってしまえば、冷たい視線と毒舌は免れないだろう。―――自分にとっては楽とは言えない空気の中にいる今は、これ以上の負担は避けたかった。

「んじゃ、私もちょっと行ってくる。麻衣が帰ってきたらそう言っといて」

「了解しました。―――、あまり無理はしないでくださいね」

おそらくは依頼を頼んだという引け目もあるのだろう。―――心配そうに掛けられる言葉に、日ごろ培った顔の筋肉を使ってなんでもないと言わんばかりに微笑んで。

「行ってきま〜す」

今の日常は、不本意な日々ではあるのだけれど。

それでも自分で思うよりも、今の日々も悪くない気がした。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

誰から送られたものか解らないメールは開かないでください。(第一声がそれか)

というわけで、ティーさま。お待たせいたしました。

4万ヒット代理リク、ありがとうございます。

リク内容は、禁じられた遊び第1話で出てきた、予備校のお泊り講習での主人公と安原の出会い。という事で。

高校1年の夏休み設定です。そう考えると、原作の頃には結構2人の付き合いが長いですよね。(他人事みたいに)

いえ、こんな内容ですいません。長い割には、特にこれといった展開がなくて。

でも出会いですからね。やっぱり初対面だと、あまり踏み込んだ内容は無理かなと思いまして。

こんなものでよろしければ、ティー様に限り、お持ち帰りどうぞ。

作成日 2008.3.9

更新日 2008.3.14

 

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