人生って、つくづく何が起こるか解らないものだと思う。

「・・・オメー、こんなところで何やってんだ?」

道の端っこに座り込んで、通り過ぎていく人たちをぼんやりと眺めていた私の視界を遮るように立った少年は、無遠慮に私を見下ろしながら特別興味があるわけでもなさそうな微妙な面持ちでそう言った。

「3日前からここに座り込んでんだろ。何やってんだ?ヒマなのか?」

妙な奴には関わらない、という信条を貫いて軽く無視を試みたものの、少年は怯む事無くそう問い掛ける。

私だって好き好んでこんなところに座り込んでるわけじゃないんだ。

人間観察なんて言い訳使ったところでそれが成り立つかどうかなんて事も知らないけれど、それでも今の私にとってはそれ以外に出来る事もない。―――断っておくけれど、彼が言うように暇なわけでは決してなくて。

それでも私にとっては、ここに座っている事にまったくの意味がないわけでもなくて。

続けて無視を決め込んでも諦める様子のまったく見えない少年にため息を吐き出して、私は座り込んだまま、立って私を見下ろす少年を見上げて口を開いた。

「私、最期を待ってるの」

記憶にある限り3日ぶりに出した声は、心なしか掠れて耳に響いた。

私の言葉に少年は軽く眉を上げて、そうして訝しげに首を傾げる。

「・・・さいごぉ?」

「そう、最期」

キッパリと言い切って、私は少年から視線を逸らして乾いた地面を睨み付けた。

本当に、人生って何が起こるか解らないものだ。

けれど、私はいつかこうなるだろう事を知っていた。

もともと裕福ではなかった実家。

だというのに無駄に多い兄弟。

典型的な大家族だ。―――そしてその行き着く先は、きっとどこも似たようなものなんだろう。

こんなご時勢、家計は火の車で、毎日を暮らしていく事だってままならない。

お金になる物なら何だって売りさばかなければ、生きてなんていけない。

それは物だけじゃなくて、人間だって立派な商品だ。

まだまだ年頃というわけではないけれど、兄弟の中では一番上であり女であった私は、その流れに乗って両親の手により遊郭に身売りされた。

勿論まだ客を取れるような年齢じゃないから下働きとしてだけれど、あと何年かすればそこに働く女たちと同じような仕事をさせられるのは目に見えている。

だから、私は。

私は、そこから逃げ出したのだ。

私に一体どれほどの値が付けられたのかは知らないけれど、どうせ大した金額でもないのだろう。

そもそも私の意志があっての売買ではないのだから、それに私が従う義理はないはずだ。

育ててもらった恩?―――そんなもの、これからの私が辿る一生を解っていて売りつけた両親に対して抱けるはずもない。

もしかするとこんな私だからこそ、兄弟の中から身売りの第一候補に選ばれたのかもしれない。―――自分で言うのもなんだけれど、私は決して可愛い子供ではなかった。

「何で最期ってやつを待ってんだ?こんなとこで座り込んでるだけなんだったら、好きなとこ行って好きな事すりゃいいじゃねーか」

人を説得しているとは到底思えないほど投げやりな様子でそう言う少年の足先を視界の端に映しながら、私はそれらから逃れる為に顔に掛かる髪の毛で視界を覆った。

「行きたいところも、やりたい事もないから」

もう帰る場所なんて私にはないし、帰りたいと思う場所もない。

やりたい事があるわけでもないし、やらなければならない事もない。

たとえ私がここで最期を迎えても、哀しむ人も嘆く人も・・・喜ぶ人さえもいない。

「このまま生き続ける事に、意味が見出せないから」

だから、私はここで最期を待つ。

「解んねーなぁ。生きる事に理由なんていんのか?」

ポツリポツリとそう言った私に向かって、その少年は呆れたようにそう呟いた。

その言葉に弾かれたように顔を上げれば、少年は気だるそうな瞳で私を一瞥し、そうして何も言わずに踵を返して歩き出す。

そう、そのまま振り向かずに、自分が帰るべき場所へ向かってくれるのを願っていた。

もう構わないでと・・・誰も私に気付かないでと。

この小さな世界の端っこで、私はただ私の最期の時を待つ。

それが今の私のささやかな願いだった。―――それなのに・・・。

「・・・よぉ」

次の日も、その少年は私の前に現れた。

昨日立ち去った時と何一つ変わらない様子で。

まるで当然のように、私を見て、手を上げて、挨拶を交わす。

「・・・何しに来たの?」

「べっつに〜。ただの散歩だよ、散歩」

私の問い掛けに軽い調子で答えて、そうしてしばらくの間なにをするでもなく私の傍にいて、そうして何処かへと帰っていく。

そしてまた、次の日もやってくるのだ。―――昨日別れた時と同じように。

一体何が目的なのかは解らない。

どうしてここに来るのか、何の為にここに来るのか。―――いつもぼんやりとした瞳でのらりくらりと言葉を濁す少年の真意が、私にはどうしても読み取る事が出来なかった。

そして彼はいつも問い掛けるのだ。

『テメーの生きる意味ってなんだ?』と。

私はいつもその質問に答える事が出来ない。―――その答えは、私の方こそ教えて欲しかった。

ただ生きるだけならば、それは決して不可能ではないのだろう。

たとえば私が売り飛ばされた遊郭。―――そこにいれば、衣食住は保障される。

勿論そこでの仕事から逃れる事は出来ないだろうが、ただ生きる事だけを考えるのなら身を売る事もひとつの手段だと言えた。

勿論そこで働く女性たちが悪いわけではないし、私のように売り飛ばされた人もいたりと事情もそれぞれなんだろう。

ただ、私には解らなかったのだ。―――己の身を削ってまで、生き続ける必要があるのかどうか。

「そろそろ生きる意味って奴、見つかったか〜?」

今日も彼は私に同じ事を聞く。

そして私は考える。―――私の生きる意味って、なんなのかと。

「あなたの生きる意味って、なに?」

「さぁな?んな、難しい事考えた事ねーよ」

少しだけ視線を上げて問い掛けると、少年はそっぽを向きながら興味がなさそうに答える。

しかしふとこちらへと視線を戻したその子は、私を上から見下ろしながら・・・少しだけ柔らかい表情でこう言ったのだ。

「どうしてもその意味って奴が欲しいんなら、これから探してみりゃいいじゃねーか」

少しだけ口角を上げて。

それは、挑発にも似た・・・。

「・・・これから?」

「見つかるかもしんねーだろ、生きてりゃ」

「・・・・・・」

彼の言葉が、胸の中にじわりじわりと染み込んでいく。

意味があるから生きるのではなく、生きて意味を探すのだと。

それは、私が考えもしなかった答えだった。

「来いよ。その生きる意味って奴を教えてくれるかは知らねーけど、なんか色々教えてくれる人なら知ってるぞ。―――お前の事話したら、一回会ってみてーってさ」

そう言って差し出された手を、私はぼんやりと見詰めていた。

この手を取ったら、私はどうなるんだろう?

この手を取って、誰かの温もりを感じて。―――そうしてまたいつか、親と同じように捨てられてしまうのだろうか。

そう、何をどう言い繕ったところで、結局のところ、私は親に捨てられたのだ。

「・・・わた、し」

怖い、そう・・・とても怖かった。

親に捨てられた。

そんな事が問題なんじゃない。―――問題なのはそんな事ではなくて。

実の親からも捨てられるような私が、誰かに必要とされる事なんて本当にあるの?

もう一度温もりを知って、そしてその手を離されたら・・・私はどうしたらいいんだろう。

きっと今度こそ耐えられない。

「・・・ほら」

身動きひとつしない私に向かって、少年は更に手を突き出した。

どうしてそんな事が出来るんだろう。

差し出した手が、振り払われる事も考えないで。

どうして見も知らぬ私に、手を伸ばせるのだろう。

「あなた・・・名前、なんて言うの?」

身体が震える。

それが恐怖なのか、不安なのか、それとも喜びなのかは私自身にも解らなかったけれど。

「銀時だ、坂田銀時。―――テメーは?」

まっすぐに向けられる眼差しに、私は何故だか泣きたいような笑いたいような不思議な気持ちを抱いた。

太陽の光を受けて、彼の白い髪の毛が優しく輝く。

「・・・

生きる理由なんて・・・その意味なんて、今もまだよく解らないけれど。

これからどうなるのかも解らないし、差し出された手が離れていかないなんて保障もない。

それでも、私は・・・。

「私は・・・

そうして私は、差し出されたその手に自分の手を伸ばした。

 

 

その後、坂田銀時と名乗る正体不明の少年に連れられて向かった先で、私はこれからの私の人生に深く関わる事になる1人の男性と出会う。

そして彼の元で日々を暮らし、多くを学び、多くの物を得、そしてまた多くの物を失う事になるのだけれど。

そんな事、今の私には知る由もなかった。

 

 

       愛も、痛みも、嬉しいことも悲しいことも

                      皆あの人が教えてくれた

                                              (そうして私は、今日もまだ生き続けている)

 


過去の出会いと、始まり。