「こんにちは。はじめまして、申公豹と申します」

何の前触れもなく目の前に現れた怪しげな男は、これまた何の前触れもなく突然自己紹介をし、何故だか友好的な雰囲気で私に右手を差し出した。

「・・・・・・どちら様?」

「ですから、申公豹と申します」

冷たく突き放した私にめげる事もなくもう一度自己紹介をしたその人物は、改めて握手を強請るように更に右手を突き付けてくる。

申公豹、という名前に聞き覚えがまったくないわけではなかった。

あまり他人に興味がない私だって、彼の名前くらいは聞いた事がある。―――道士でありながらもどの仙人にも負けないほどの実力を有している、と。

黙り込んでいる私に焦れたのか、申公豹は更に私へと接近を試み、そうしてニヤリと怪しげに微笑んで小さく首を傾げた。

「貴女は、ですね?最近崑崙山へと来たという・・・あの噂の」

あの噂ってどんな噂だ。

心の中で突っ込みながら、私はしばし考えを巡らせる。

この最強の道士が一体私に何の用があるのか。―――それはこの際考えても解らないだろうが、ここでひとつ踏まえておかなければならない事がある。

果たして、この男に関わるか否か。

そしてその結論は、意外でもなんでもなく即座に出た。

「人違いです」

キッパリとそう言い放ち、クルリと踵を返して歩き出す。

こんな怪しいという字が服を着たような・・・というよりも、その服自体がそもそも怪しいという、どこからどう見ても怪しい以外の何物でもない人物に関わって得する事などないに違いない。―――というよりも関わった時点で毒にしかならなさそうだと確信した。

「ちょ!ちょっと、お待ちなさい!!」

背後から慌てて追いかけてくる気配がしたけれど、私はあえて無視し続ける。

けれど相手は腐っても最強の道士らしい。―――あっという間に前へと回りこまれ、私は足を止めざるを得なくなった。

「まったく、失礼な人ですね。初対面の相手をシカトするなど・・・」

「ごめんなさい。関わり合いになりたくなかったもので・・・」

もう一度キッパリとそう言い放つが、相手は色々な意味で最強だったらしい。―――私の抗議などあっさりと流して、彼・・・申公豹は満足げに微笑んだ。

「ともかくも一度お会いしたいと思っていたのです。あなたは滅多に崑崙から出ないので今まで一度もその機会は得られませんでしたが」

「・・・ああ、そう」

寧ろこんな不審人物が待っているなんて知っていたら、わざわざ崑崙から降りてきたりはしなかったが。

そもそも崑崙の道士ではないこの人物が、どうして崑崙から滅多に出ないという私の存在を知っていたのか。

この人物が先ほど言っていた『噂』とはどういうものなのか。

そしてその噂を流したのが誰で、どういう経緯でこの男の耳へと入り、こうしてストーキングまがいの被害を受けなければならないのか。

そこの辺りが気にならないというわけでもないが、あえてこちらから話を振るのもどうかと思う。

けれど先ほどの事もあり、そう簡単にこの男から逃げ切れるとも思えなかった。

世の中はまったく理不尽な事が多すぎるとそう思う。―――思えば私のこれまでの人生のほとんどは、まさにそんな感じだ。

「・・・それで?私に一体何の御用で?」

逃げ切れないと判断した以上、いつまでもぐだぐだと言い合いをしていても仕方がない。

この男から手っ取り早く逃れる方法は、彼の用を聞く以外にはないだろう。

なんだかとても納得出来ない事ばかりだが、私が何処かで譲らなければもうどうしようもない。―――目の前の男が譲ってくれるとは到底思えなかった。

「おや?さっきまでとは違い、随分と素直なのですね」

私の苦渋の決断に、申公豹はきょとんと目を丸くして首を傾げる。

どうでもいいから、さっさと用件言えよ。

のど元まで出掛かった言葉を何とか無理やり飲み込んで、私は無理やり薄く笑みを浮かべる。―――きっと引き攣っていただろうが、そんな事は私の知るところではない。

というかこっちが嫌々ながらにでも譲ってやったのだから、もう本当にとっとと用件を済ませて帰って欲しい。

折角、どうしてだかまるで私を監視するように窺っている元始天尊を巻いて崑崙山を抜け出して来たというのに、これでは久しぶりの息抜きすら出来ない。

崑崙山で元始天尊と顔を突き合わせているか、それとも下界に下りてこの男からのストーキングを受けるか・・・―――もしかすると素直に昼寝でもしていた方が賢かったのかもしれない。

「・・・で。ご用件は?」

もう問答無用でこの男を張り倒して行きたい心境にも駆られたが、腐っても最強の道士である申公豹を張り倒すのはそう簡単にはいかないだろう。

それをするのもかなりの面倒だ。―――それに目の前の男は、張り倒しても張り倒しても甦ってきそうで余計に嫌だ。

私の無言の訴えに気付いたのか、申公豹は小さくため息を吐き出してにっこりと笑む。

「まぁ、いいでしょう。それでは本題に入りましょうか」

ため息を吐きたいのは寧ろ私の方だとか、その一段上から見下ろすような口調に腹が立つとかはこの際綺麗さっぱり流す事にしよう。―――それでこの男から逃れられるのなら、安いものだ・・・多分。

身の内から今にもあふれ出しそうな理不尽さと戦いながら、漸く事が進む事に安堵の息を吐いたのも束の間、目の前の怪しげな男はとんでもない爆弾を投下した。

「一度貴女と勝負をしたいと思います。ええ、それはもう全力で」

何の気負いもなくさらりとそう言い放った申公豹に、私の表情は盛大に引き攣った。

仮にも最強の道士と言われるこの男と、道士になってからまだ30年足らずの私が、全力で勝負?

冗談も顔と服装だけにして欲しいとは思うが、あいにくと冗談を言っているような顔ではない。―――いや、その出で立ちすべてが冗談のようだが。

「・・・は?」

「道士になってまだ30年足らずで、崑崙でトップに近い実力をつけたと聞いています。とても興味深い」

満足げな笑みを浮かべて何度も頷く男を前に、私は拳を握り締める。

アンタにとって興味深いかどうかなんて聞いてないし、そもそも損害しかなさそうな勝負にどうして私が乗らなければならないのか。

それでも・・・どうしても私と勝負したいというのなら・・・いいでしょう、乗ってやりましょう、その勝負。

ただし・・・。

私は強く握り締めた拳を目の前のストーキングピエロに渾身の力を込めて振り下ろし、望み通り申公豹を張り倒す。

これが、私と申公豹の出会いだった。

 

 

ちなみにこの後も散々付き纏われ、そうこうしている内にいつの間にか慣れてしまったという事実は、やっぱり世の中は理不尽な事がいっぱいだと私の中で処理された。

 

喧嘩は買取不可となっております

(喧嘩じゃありません。勝負ですよ、勝負)

 


封神演義。

主人公と申公豹の、衝撃的?な出会い。