聞仲を背に乗せた黒麒麟は、切り立った崖の上に降り立った。

いや、降り立ったというよりは落ちた・・・という方が正しいだろう。

普賢の攻撃さえ防ぐ事のできる彼の体も、聞仲を庇って浴びた王天君の紅い雨には勝てず、仙人界一硬いと言われている宝貝合金よりも頑丈な甲殻は既にボロボロになっていた。

『申し訳ございません。私がお仕えできるのは・・・ここまでの・・・ようです』

地面に横たわる黒麒麟を見つめ、聞仲は搾り出すように呟く。

「苦労をかけた・・・」

その言葉に返事はなかった。

もう動く事のない忠実な霊獣の傍らに立つ。

もう自分に残されたものはないのだと、聞仲はぼんやりと思った。

 

背中合わせの2人

 

いつからだったろう?

以前の聞仲には、孤独である事が苦痛ではなかった。

寧ろ1人でいる事を好んでいたと言ってもいい。―――それがいつの間にか、1人の寂しさに気付いてしまった。

そう、それは飛虎と出会ってからだ。

飛虎は聞仲から孤独を奪い、それとは別のものを与えたのだ。

ふらつく身体をなんとか支えながら、聞仲は歩いていた。

当てもなく、目的すらなく・・・―――ただ歩き続けた。

「聞仲・・・」

不意に声をかけられ顔を上げると、目の前に太公望が立っている。

いつもの彼らしくなく、真剣な眼差しで。

「最後の戦いだ。禁鞭をとれ!」

そう告げる太公望に向けて、聞仲はかすかに口角を上げた。

初めて見た時は、まだあんなにも頼りなかったというのに。

「太公望よ。私は以前お前にこう言ったことがあったな。『理想を語るには、それに見合う実力が必要だ』と・・・」

言われるままに禁鞭を取り、それを太公望目掛け振りかざす。

「万が一にもこの私を倒せたら、語る資格を与えてやろう!!」

「疾っ!!」

唸りを上げて襲い掛かってくる禁鞭に向かい、太公望は打神鞭を振った。

いくつもの風が襲い掛かる禁鞭の鞭を打ち落とし、聞仲へと襲い掛かる。

「聞仲!おぬしも殷も老いたのだ!!いま人間界に必要なのは、若き風であろう!!おぬしは消えよ!!!」

「そこが夢想だと言うのだ!そのような幼く浅い思想を持ったお前に・・・人間界は渡せぬ!!」

力強いその声に答えるように、禁鞭の鞭は勢いを増して太公望を吹き飛ばした。

『太公望!!』

少し離れたところで戦いを見守っていた四不象が心配そうに駆け寄ると、瓦礫の中から傷だらけの太公望がゆっくりと這い出てくる。

『太公望、無茶すんじゃねぇぜ!オメーは今ほとんど体力が残っちゃいねぇんだ!!』

「それは向こうも同じよ・・・」

四不象にそう返事を返した太公望は、聞仲へと目を向けた。

攻撃は当たっていないはずなのに、激しく咳き込んでいる。―――立っているのがやっとのようにさえ思えた。

「わしは何としても・・・いかなる手を使ってでもあやつを乗り越えねばならぬのだ!」

そんな聞仲を見据えて、太公望は再び打神鞭を構える。

「行くぞ!聞仲!!」

「来い、太公望!!」

再び、2人の宝貝から攻撃が放たれた。

太公望の起こした風の刃は聞仲を吹き飛ばし、聞仲の禁鞭は太公望を地面に叩きつける。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

太公望が一際大きく吠え、打神鞭からはさらに強い風が巻き起こった。

向かってくる太公望に視線を向けて、聞仲は苦笑する。

目の前がぼんやりとする。―――もう目前に迫っているだろう太公望の姿さえ、はっきりとは見えなかった。

力なく振るった禁鞭の鞭は、太公望に掠りもせずに地面に叩きつけられる。

「・・・聞仲?」

その攻撃でようやく聞仲の異変に気付いた太公望は、次の瞬間迷いもせずに打神鞭を投げ捨てて。

そのまま素手で、聞仲に殴りかかった。

何が起こったのかを一瞬で理解した聞仲は、倒れないよう踏ん張りそのまま太公望に蹴りを入れる。

お互い視線を合わせ、ニヤリと不敵に笑みを浮かべて。

2人はそのまま夢中で相手に殴りかかっていった。

『滅茶苦茶だな・・・』

「・・・本当にね」

その光景を呆然と見ていた四不象は、返って来た思わぬ返事に背後を振り返った。

そこにはに乗り、同じように戦いを見守っているの姿。

「宝貝技術を競い合うような仙界大戦の最後の戦いが、ただの殴り合いなんてね」

そう呟いて、笑う。―――呆れたような・・・泣き出しそうなそんな笑顔で。

『だが・・・・・・歴史を決める戦いなんざ、こんなものなのかもな』

四不象の言葉に、はかすかに頷いた。

 

 

どれほどの時間が過ぎただろうか?

殴り合いをしていた2人の手が止まった。

ふらつく身体を支えきれず膝をついたのは・・・聞仲の方だった。

「飛虎が死んだ時・・・気が付いた」

激しく咳き込みながら、ポツリと呟く。

「私が取り戻したかったのは殷ではなく・・・、飛虎のいるかつての殷だったのだ」

騒がしくて、けれど穏やかな日々。

いつも自分の頭にあった殷の光景を思い出しながら、聞仲は小さく笑った。

失った時が・・・戻ると信じて。

「・・・聞仲」

何も言えずにただ彼の名前を呟く太公望に笑みを向け、聞仲は最後の気力を振り絞ってゆっくりと立ち上がった。

「太公望よ、人間界はお前にやろう。お前の言う『仙道のいない人間界』を作ってみるがいい。―――だが、私はお前の手にはかからない」

言いながらゆっくりと後ろへ足を踏みだすと、カラカラと小石が谷に落ちていく音が響いた。

「お前ともっと早く会っていたなら・・・私ももっと違う道が見えていたのだろうな」

崖の前に立ち、真剣な眼差しを向けてくる太公望をまっすぐに見つめ返す。

「さらばだ、太公望!」

その言葉を合図に、聞仲は崖下に身を躍らせた。

落ちていく彼の目に、空の上からこちらを見ているの姿が映る。

普段の彼女からは想像できないほどの、泣き出しそうな表情を見て聞仲は苦笑した。

一拍の後、谷底から勢い良く魂魄が飛んで。

聞仲の魂魄が空に舞い上がる瞬間、それを見送るは小さく微笑んだ。

『・・・泣くな』

そう聞仲の声が聞こえた気がした。

 

 

『おい、太公望!太公望っ!!』

聞仲の魂魄が見えなくなるまでぼんやりと見送っていたは、どこか焦りを含んだ四不象の声に我に返った。

見れば聞仲との戦いで重度の怪我を負った太公望が、倒れて気を失っている。

慌てて傍に降り立ち容態を見て、は安堵の息を吐いた。

怪我の具合は酷いが、命に別状はなさそうである。

「・・・ほんと、無茶ばかりするんだから」

そうポツリと呟いたは、太公望の身体にやんわりと手を当てた。

そうして不思議そうにそれを眺めている四不象に顔を向けると、人差し指を口に当てて笑う。

「これから見るものは、絶対に内緒よ?」

言うが早いか・・・―――四不象が頷くより早く、淡い光が太公望を包み込んだ。

 

 

「・・・むぅ?」

意識を取り戻した太公望は、ぼんやりとする頭を振りゆっくりと身を起こした。

「おっ、お師匠さま!!よかったー、死んじゃったかと思っちゃいましたよー!!」

直後、背後からとてつもない大きな声が響き、太公望はくらくらとする頭を押さえる。

その大声の主に太公望は恨みがましい視線を向けるが、大声の主がそんなことに気付くはずもなかった。

「・・・武吉。現状を報告してくれ」

文句を言ってもムダだと嫌というほど分かっている太公望は、あえてその事には突っ込まずにそう話を促す。

すると武吉はニコニコと嬉しそうな笑顔を浮かべて。

「太乙真人さんが『もうすぐ金鰲島が落ちる』って言ってました!だからみんなで脱出中なんですっ!!」

武吉の言葉に合わせるように、四不象の横を並んで飛んでいる巨大な影に気付き太公望は思わず目を見開いた。

それは以前戦った魔家四将の1人が使っていた、巨大な魚の形をした宝貝で。

その上には楊ゼンや天化、蝉玉など多くの仙人・道士が乗っている。

「太公望師叔。生存者はみんな脱出に成功しました!」

後を任せておいた楊ゼンは、無事に仲間の救出に成功したらしい。

仙人界が落ちるという事実に動揺している蝉玉がなにやら叫んでいたが、太公望はこの際綺麗に無視することにした。

「最後に辛い後始末をつけてもらいましたね・・・」

申し訳なさそうに呟く楊ゼンに、太公望は沈みかけた空を眺めて。

「強かったのぅ、あやつは・・・」

最後の最後まで自分の生き様を貫いた1人の男を思い浮かべ、太公望は尊敬の念さえ言葉に浮かべてそう1人ごちた。

「だけどお師匠様に酷い怪我がなくてよかったです・・・」

ポツリと安堵の息を吐いてそう呟いた武吉の声に、太公望はふと自分の身体を見る。

所々に傷があった。

しかしその全てが擦り傷やら打ち身やらで、それほど深い傷は負っていないようだ。

それに少しだけ疑問を覚える。―――聞仲との殴り合いで負った傷は、これだけだったか?

禁鞭の鞭の直撃を食らったりしたはずだというのに、それにしては怪我が少ない気がする。

予想以上に聞仲の体力の消耗が激しく、それほど攻撃に威力がなかったのか。―――それとも・・・。

―――と、その時になってようやくある人物の姿がないことに気付き、太公望は小さく首を傾げた。

「・・・はどうした?」

その疑問に、楊ゼンも武吉も首を横に振る。―――つまり、知らないということだ。

確か飛虎が封神されたときには傍にいた。

その後、聞仲との戦いの最中で、太公望は確かに彼女の姿を見た。

その後は・・・・・・?

「ボクがお師匠さまと四不象を見つけたときには、もういませんでしたよ?」

武吉のその言葉に、太公望は四不象へと視線を向ける。

「・・・スープー?」

「・・・さぁ、知らねぇな」

そっけないその言葉に、太公望は再び首を捻った。

は、あの後一体どこへ行ったのだろう?

すぐにでも捜したいが、この状況ではそうはいかない。

今はこれ以上犠牲者を出さないためにも、早くここから離脱しなければ。

「それより楊ゼン。金鰲の妖怪たちはどうなったか知っておるか?少しは生き残っておったであろう」

素早く思考を切り替えて楊ゼンにそう尋ねると、彼は辛そうに俯いて。

「彼らに脱出の術はありません。何せ金鰲島内部はぐちゃぐちゃですから・・・」

楊ゼンの言葉に、太公望も辛そうに俯いた。

聞仲との戦いで崩れ去った金鰲島。―――それに一役買っていたのは、誰であろう崑崙山の仙人たちなのだ。

助けに行こうにも、今からでは間に合わない。

そう言外に漂わせ、深くため息を吐いたその時。

今にも落ちそうな金鰲島の上部部分に、突如大きな亀裂が走った。

そうして轟音と共に金鰲島を突き破って出てきたのは、なんと巨大なロボットのようなもの。

「・・・な、何だあれは・・・」

呆れたように呆然とそれを眺める楊ゼンに、ロボットの手の上に乗せられている多くの妖怪たちの姿が目に入った。

『太公望さま!金鰲島の妖怪仙人たちは私たちが救出しましたわ!!』

ロボットから高らかにそう声が響き、おそらく操縦席だと思われる部分を見てみると、そこには金鰲島で天化たちとはぐれたまま行方知れずとなっていた雲霄三姉妹の姿が。

「ビーナス、クイーン、マドンナ。・・・・・・かたじけない」

ホッと安堵の息を吐いて、太公望は上空を飛ぶ巨大なロボットに礼を告げた。

それからすぐの後、雲霄三姉妹が金鰲島を強行突破したせいなのか、はたまたもう限界に来ていたのか・・・―――金鰲島が地鳴りを立ててゆっくりと落下し、それに押しつぶされるように崑崙山もゆっくりと降下し始めた。

2つの島はすべてを消し去るかのようにもろとも墜落し、巻き起こった土煙が収まる頃にはただの瓦礫の山と化しているのだろう。

こうして仙界大戦は、仙界そのものの消滅によって幕を閉じた。

 

 

「キミもずいぶんと無茶をするようになったね」

不意に響いたその声に、はゆっくりと辺りを見回した。

そしてそこにいた予想通りのその人物に向かい、やんわりと微笑みかける。

「キミがわざわざあんな事しなくても、支障はなかったんじゃないの?」

その言葉に、は少しだけ考えるそぶりを見せて。

「・・・心配してくれたの?」

からかうようにそう返すと、その人物は苦笑した。

「この戦いは、もうすぐ佳境を迎える。物語はもう、終幕に向けて動き出した。この物語の結末が・・・貴方には見えてるんでしょう?」

はゆっくりとその人物に近づくと、一定の距離を保ちピタリと立ち止まった。

「近いうちに、貴方に会いに行きます。その時は、生身で話をしたいものだわ」

困ったように笑うその人物に向かいにっこりと微笑んで、は静かに目を閉じる。

それと同時にの身体は霧のように空気に溶けていき、瞬きの間にその姿は見えなくなった。。

その人物は、先ほどまでが立っていたその場所に視線を向けて。

「会いたいのは山々だけど・・・―――ちょっと面倒臭いなぁ」

苦笑交じりにそう呟くと、踵を返してその場を去った。

 

 

自分以外の人の気配を感じ取り、は意識を取り戻した。

背中を預けるの柔らかい毛が頬に心地よく、このままもう一度眠ってしまいたい衝動にかられるが、そうもいってられないだろうと自分を叱咤し、ゆっくりと目を開く。

「こんな所で寝ていると、風邪を引きますよ」

柔らかい声とともにの眼前に現れたのは、ピエロの格好をした見知った青年で。

ぼんやりとその青年を眺めていたは、パチパチと数回瞬きをしてからため息まじりに呟いた。

「目覚め一番にあんたのアップは堪えるわ、申公豹」

「失礼な・・・。こうしてわざわざ出向いてあげている私に向かって言う言葉がそれですか?」

打てば響く。―――といったその返事に、思わず笑みが零れた。

そんなを同じく笑顔で見ていた申公豹は、の頭を数回軽く叩き呆れたように呟く。

「貴方もずいぶんと無茶な事をしますね。貴方がわざわざあんな事しなくても平気だったんじゃないんですか・・・?」

申公豹の口から出たその言葉に、は堪えきれずに勢い良く吹き出した。

肩を震わせ涙を浮かべながらクスクスと笑うに、申公豹は不審そうな視線を向ける。

その視線を受けて、は何とか笑いを堪えて息も絶え絶えに口を開いた。

「いや・・・、さっき同じことを言われたな、と思って」

告げられたその言葉に、申公豹は軽く眉を寄せため息を吐く。

「またひと時の逢瀬を楽しんでいたんですか・・・?全く・・・あなたたちは、不精というか何と言うか・・・」

呆れたようにそうぼやく申公豹に苦笑しつつ、はゆっくりと身体を起こした。

ズキリ・・・と頭が痛む。

それだけではなく身体がだるい。―――まるで鎧でも着ているかのように身体が重い。

そんなを見かねて、申公豹は懐からそれを取り出し彼女の手に押し付けた。

手の平サイズの小さな瓶に入った錠剤。―――『仙桃エキス』というラベルが張ってある。

それを太陽にかざして、ぼんやりと眺める。

「これって、あんまり効かないのよねぇ・・・」

「贅沢を言うんじゃありません。ないよりはマシでしょう」

ぴしゃりとそう切り返され、は再び苦笑を浮かべた。

確かにそうだ。―――と思い直し、蓋をあけて錠剤を数個口の中に放り込む。

コロコロと口の中で甘い塊を転がしながら、は申公豹に目をやった。

「ありがとう、申公豹。いつも悪いわね」

「本当ですよ。もう少し自重してください」

容赦ない返事に、しかしは心の中が温かくなるのを感じた。

こうして心配してもらえるのは、とても幸せなことだ。

自分のことを心配してくれる。―――その人がいるだけで、自分が1人ではないということが強く認識できる。

そのことには心の中でもう一度礼を言ってから、緩慢な動作で立ち上がった。

仙桃エキスのおかげか先ほどよりは身体も幾分かマシになっていて、何とか自力で動く事ができるまでに回復している。

「・・・どこに行くんですか?」

歩き出したの背中を見つめ、申公豹が首を傾げる。

そんな彼の方へチラリと視線を向けると、はやんわりと微笑んだ。

「・・・太公望のところよ」

きっぱりとそう告げて、は再び足を踏み出した。

 

 

太公望は1人、ぼんやりと景色を眺めていた。

目の前に広がるのは、荒れ果てた大地。―――それは夕日に赤く照らされ、信じられないほど綺麗に見えて・・・・・・だからこそ無性に悲しかった。

涙で視界が滲み、それはとどまる事無くどんどんと溢れ出してくる。

もう我慢する事はないのだ。

ここには自分以外誰もいない。―――もう人目を気にすることもない。

しかしそれさえもが悲しくて、ただ何もかもがやるせなくて。

何気なく俯いた先に、光るものがあった。

ソッとそれに手を伸ばしてみる。

それは思ったよりも手に軽い。―――青い色をしたガラスの破片。

空ろのまま見つめ、何を思ったかゆっくりとそれを首元押し付けた。―――その時・・・。

「ずいぶんと面白そうなこと考えてるじゃない」

涼やかな声が辺り一帯に響いた。

反射的に声の主を捜してあたりを見回した太公望は、少し離れた場所に立つ人影を見つけた。

だ。―――見間違うはずもない、どんな時でもその姿を探していたのだから。

夕日を背に立っているのでどんな表情をしているかまでは分からないが、言葉とは裏腹にその声色は怒りに満ちている。

「何をしようとしてたの?・・・それで」

静かな口調でそう言って、は太公望が握り締めるようにして持っていた青いガラスの破片に視線を向けた。

「・・・わしは・・・、もう・・・・・・嫌なのだ」

ポツリと呟く。

それは妙な現実感を伴って、太公望の心の中に染み込んでいった。

そう、もう嫌なのだ。

自分の行いでたくさんの人が死んでいくのが。

大切な人を、これ以上失ってしまうのが・・・。

「・・・甘ったれたこといってるんじゃないわよ」

しかしそんな想いも、の一言であっさりと切り捨てられた。

その言葉に太公望はを見るが、やはり表情は見えない。

「そんなこと、最初から分かっていたはずでしょう」

「・・・・・・」

「封神計画で、どれほどの犠牲者が出るのか・・・最初から分かっていたはずだわ」

聞こえてくるの声に、太公望は強く拳を握り締めた。

「やめようと思えばやめられたはずよ。封神計画に疑問を感じて元始天尊の元に行った時でも・・・。そもそも、封神計画を始める前にでも。それでも封神計画を続けたのは、それだけの覚悟があったからじゃないの?」

「分かっておるっ!!」

容赦なく投げかけられる言葉に、太公望は耐え切れずそう声を張り上げた。

太公望のこんな声は、今まで聞いたことがなかった。

悲痛な・・・やりきれなさの混じったその声に、は目を細める。

「おぬしは・・・何故そうもあっさりと割り切れる?あれだけの・・・あれだけたくさんの仲間を失って、何故平気でおれるのだ・・・」

はゆっくりと足を踏み出した。

悲しみに表情を歪ませる太公望の方へ、一歩一歩足を進めて。

「私が平気だと・・・どうしてそう思うの?」

歩みを止めず、口を開いた。

平気なはずはない。

それこそ太公望よりもずっと長い時間を、共に過ごしてきたのだ。

いくら人との関わりを避けていたでも、十二仙とはそれなりの交流があって。

大切に思っていた。―――それを口や態度に出した事は、一度もなかったけれど。

「人には、それぞれの悲しみ方がある。前に姫発にそう言ったのは、貴方でしょう?」

姫昌を亡くして悲しみに暮れていた姫発にそう告げたのは、他ならない太公望だ。

は太公望の前まで歩いてくると、静かに彼を見下ろした。

今まで見えなかった彼女の表情は、太公望と同じく悲しみに歪んでいる。

それをぼんやりと眺めている太公望に向かい、は静かな口調で告げた。

「そんなに死にたいなら・・・私があんたを殺してあげる」

その声が震えているように聞こえたのは、気のせいなのだろうか?

太公望はの顔を見上げ、ほんの少しだけ微笑んだ。

「やめておくよ。おぬしの手にかかれば、封神台に行くよりも先に魂魄が消滅してしまいそうだからのう」

冗談交じりにそう言って、手に持っていた青いガラスの破片を谷底へと放り投げる。

それは光を反射しながら乾いた音を立てて暗い谷底へ落下し、やがて姿を消した。

何を言うでもなくただそれを見送っていたは、あっという間に見えなくなったそれを見送って。

「・・・それが賢明かもね」

視線を太公望に向けて小さく微笑んだ。

そしてそのまま、自身の背中を太公望の背中に預けるようにして座り込む。

「こんな風に2人きりになるのって・・・すごく久しぶりのような気がする」

何気なく呟かれたの言葉に、太公望は苦笑気味に頷いた。

確かにそうだ。

最近は楊ゼンや天化・ナタクがいつも傍にいたし、封神計画が始まる以前も傍には必ずがいた。

よくよく考えれば、こんな風に2人きりになったことなんて数えるほどしかない。

そんなことをつらつらと考えていた太公望は、がかすかに身じろぎしたのを感じて背中越しにチラリとに視線を向けた。

は膝を抱くように俯いて、じっと何かに耐えているように見えた。

「・・・ごめんね、太公望」

不意にかけられたその言葉の意味が分からず、太公望は小さく首を傾げる。

そんな太公望に構わず、は言葉を続ける。―――寧ろ、返事など望んでいないようだ。

「私は・・・物凄く他力本願だった。太公望側に付くって決めた時から、聞仲とも、王奕・・・王天君とも敵対するだろうことはわかってたのに・・・、なのにそれを避けてた。あんたの事を一方的に責められない。寧ろ私自身、覚悟が足りなかったの」

初めて聞いた、彼女の弱音。

本当は自分よりも彼女の方が辛いのかもしれないと、太公望は思った。

自分の大切な人は、守ることができる。―――難しいことだけれど、それをするための努力をする事ができる。

しかしは、どうあっても戦わなければならない時があるのだ。

どっちが勝っても、どっちが負けても、大切な人を失ってしまう。

それはどんな気持ちなのだろうか?―――彼女は今まで、どんな思いでこの戦いを見てきたのだろう?

「戦いが始まって・・・どんどん命が失われていって・・・、だけど私は見てることしかしなかった。もしかしたら誰かが・・・何とかしてくれるかも、なんて思ってたのかもしれない。すごく・・・卑怯だった、私」

搾り出すようなその声に、太公望は思わず抱きしめてやりたい衝動にかられたが、寸でのところで思いとどまる。

今、は顔を見られたくないだろうと思ったからだ。

彼女はいつも、何かを抱え込んでいるよう。

それが何なのか、は何も話そうとしないので窺い知れないけれど。

それが今まで生きてきた年月の隔たりなのかと思うと、少し悔しいけれど。

だけどそんなことは今さら言っても仕方のないことで。

いま自分が出来る事は、ただ話を聞いてやることだと思ったから・・・太公望は黙っての言葉に耳を傾けた。

「もし、申公豹や妲己と本気で戦う事になっても・・・私は彼らを殺せないかもしれない。彼らも、私の大切な人に違いないから。・・・それでも私は、太公望・・・貴方の傍にいたいと思うの。すごく虫のいい話だけど、傍にいたい」

何よりも大切に想うのは、この背中に感じる温かい体温。

言葉では言い尽くせないほどの、胸に溢れる気持ち。

「私は貴方に救われた。私を暗闇から引き上げてくれたのは、他でもない貴方なの。とても・・・何よりも大切だと思える」

何もかもを失って・・・希望すらも失って。

失うくらいなら、大切な人なんていらないと思った。

1人で生きていれば、誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられる事もない。―――誰かを恨む事も。

孤独は心をどんどんと蝕んでいったけれど、それでも再び失う気持ちを味わうのなら1人の方がいいと、そう思っていた。

そんな閉じきったの心の中に、まるで滑り込むように入ってきた太公望。

彼はまるで光のようだ。―――冷え切った身体を温める、温かい光。

そんな風に思えたことが嬉しかった。

まだそんな風に思えたことが、どんなに救いになったか。

「こんな気持ちをくれて、ありがとう・・・望」

めったに呼ばれることのない名前に、太公望は驚きを隠せず目を見開いた。

背中から伝わるの体温がやけに温かく感じられて、太公望は無性に泣きたくなった。

この温かさを、絶対に失わないように。

自分に背中を預けてくれる、この大切な人を守りきれるように。

頬を伝った一筋の涙を乱暴に拭いながら、太公望は改めて心に誓った。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

仙桃エキスは、原料が仙桃なのでやっぱり甘いかと思いました。(現実逃避)

予定よりもかなり長くなりましたが、ようやく仙界大戦編終了でございます。

久々に太公望との絡みをかけて、嬉しい限りです。

実は一番書きたかったのがこの話で、寧ろこの話を書きたいがために連載を始めたと言っても過言ではありません。

いや、じゃあ短編で書けば良かったのかもしれませんが。(笑)

次は念願の『彼』の捜索に行きたいと思います。

主人公の謎も(と言ってもたいしたものじゃありませんが)そろそろ明かして行こうと。

作成日 2004.1.13

更新日 2009.7.11

 

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