切り立った崖の上に1人、は立っていた。

時折吹く強い風は、彼女の長い髪を弄ぶように舞い上がらせる。

それに小さく顔をしかめて、腕の中にある色とりどりの花たちが散らないように、風からその身を遮った。

目に映るのは、未だに何の後処理もされていない瓦礫の地と化した崑崙山・金鰲島跡地。

今は何の命の気配もしない。―――少し前までは、確かにここで生きていたはずなのに。

感じるのはどうしようもないやるせなさと、虚無感。

取り返しのつかない大切なモノを、ここでたくさん失ってしまった。

ふと腕の中の花に目を落とす。

小さな・・・しかし精一杯生きているその命にまるで励まされているようで、は小さく微笑んだ。

「・・・・・・どうか、安らかに」

声と共に花を谷底へ撒いた。

強い風がそれを空高くまで吹き上がらせ、花びらの一枚一枚が優雅にその地に舞う。

それがまるでこの世のものではないと思えるほど、儚く綺麗で・・・。

の頬に、一筋の涙が伝った。

 

運命の

 

仙人界の存亡をかけた戦いが終わったと言っても、それで争いが終わったわけではない。

寧ろこれからが本番だと言うべきか。

一度は殷の目の前まで進軍したというのに、もろもろの事情で周までとんぼ返りを食らわされた周軍は、今再び進軍を開始するべく奔走していた。

楊ゼンはその準備で大忙しだし・・・―――実はそれ以外にも、いろいろと問題は山積みだ。

たとえばそれはいろいろあるが・・・。

 

 

「ちょっと待てや、こらぁー!!」

城の一角で、そんな怒声が響いた。

声の主は武王の弟で崑崙山の道士でもある、雷震子その人。

彼はとてもご立腹な様子で、その矛先はどうやら彼自身の師匠である雲中子に注がれているようだ。

「やい、師匠!よくも俺を除け者にしてくれたなっ!!俺が行った時にはあるべき場所に崑崙はなかった!聞けば移動して金鰲島とドンパチやらかしてたらしいじゃねぇか!?何で俺を待てなかったんだよっ!!!」

そういえば・・・と、その光景を影ながら見ていたは今さらながらに思う。

確かにあの熾烈な戦いの中、雷震子の姿はなかった。

周軍の護衛に彼をつけた為なのだが、どうやらその後彼も崑崙山に向かったようだ。

それにしても、あれだけ大騒ぎをしていたというのに・・・いくら移動したとはいえ、どうして見つけられないのか?―――は少しだけ感心する。

外野のそんな心情はこの際置いておいて、怒り狂う雷震子とは対照的に文句を言われているにも関わらず雲中子は少しだけ首を傾げていて。

そんな雲中子に、雷震子の怒りのボルテージは上がる一方。

それだというのに、雲中子はあんまりといえばあんまりなその言葉を雷震子に告げた。

「・・・君、誰だっけ?」

「・・・オイ」

その言葉を聞いたは、思わずそう突っ込んだ。

確かに今の雷震子の姿は以前とかなり違っている。

背中に生えている翼もその数を増やしているし、その他にも様々な付属品がセットされているようだ。

だからといっても・・・自分の弟子だろう、とは思う。

十二仙たちの弟子に注がれる親馬鹿ならぬ師匠馬鹿な過保護もどうかと思うが、これもこれでいかがなものか。

案の定、その一言で雷震子の堪忍袋は簡単に破裂した。

「テメェが俺をこんな風にしたんだろうがーっ!!」

その怒鳴り声とともに、雲中子を始めその辺りにいた罪無き人を巻き添えに、雷震子の翼から発せられた強烈な雷はその威力を発揮する。

「みんな元気ねぇ」

今見たことをその一言で強制終了したは、ふと地上に視線を落とし、そこでさっきの光景を同じように目撃していた武吉を発見した。

「あら、武吉?こんな所で何してるの?」

軽いノリで地上に降り立ったは、嬉しそうにニコニコ笑っている武吉の頭を思わず撫でた。―――何となく、彼を相手にしていると毒気が抜かれてしまうのだ。

「ボクはパトロールをしているんです。さんもご一緒にどうですか?」

そう提案され、しばらく考え込んでいただったが。

「・・・そうね。たまにはいいかも」

意外にもあっさりと承諾すると、にしばらくの休息を与えて武吉と共に歩き出した。

「そういえば他のみんなはどうしてるの?」

歩きながら武吉に近況を尋ねると、彼は嬉々と説明をしてくれた。

十天君と戦った時に負った傷が元で、ナタクは未だ修理中。

彼の兄弟でもある金タク・木タクは、元の居住地に帰っていったそうだ。

韋護は相変わらず昼寝をしているらしい。

蝉玉も相変わらず、逃げ出そうとする土行孫をしっかりと捕獲して、その腕には小さな生き物を抱いて幸せそう・・・。

「あの子、蝉玉さんと土行孫さんのお子さんだそうですよ」

何の疑いも持たず、彼女たちを見る武吉に、は思わずツッコミさえも忘れてため息を漏らす。

行方不明になっていた十二仙の1人・道行天尊の行方が、たった今知れた。

和気藹々と話をしながら歩いていた2人は、同時に足を止めた。

城の一角に、御簾で覆われた小さな建物がある。

そこからは白い煙と、かすかなお香の香り。

そして中からは、激しく咳き込む音と女性の心配する声が・・・。

「竜吉公主さん、大丈夫でしょうか?」

心配そうな声色でそれを見る武吉に、はやんわりと微笑みかけた。

竜吉公主は仙人界でも珍しい、純潔の仙女。

仙人と仙人の間に子供が生まれる確率はとても低く、だからこそ生まれた時から強大な力を持っている。

けれど難点ももちろんあって・・・。

仙人界の清廉な空気の中で生まれ育った純血の仙女にとって、人間界の空気は毒以外の何物でもない。

だからこうして人間界にいる以上は、香をたいた浄室から出ることはできないのだ。

けれどそれだけでどうにかなるほど人間界の空気は澄んではいなくて。

崑崙山を失った以上、竜吉公主の行く末は・・・想像するまでもない。

何とかしてやりたいが、何とかできるほどそれは簡単な問題ではなく。

せめて一日でも長く、彼女の体力と気力がもつように。

「・・・大丈夫よ。公主は・・・心が強い人だから」

希望を込めて、はそう呟いた。

 

 

当てもなく歩きつづけて、と武吉は楽しそうに遊ぶ天化と天祥を見つけた。

天化に肩車をしてもらい嬉しそうに顔を綻ばせる天祥の姿に、もつられて微笑む。

武成王が封神された後、当然ながら天祥には元気がなかった。

壊れてしまうのではないかと思えるほど泣きつづけ、泣く体力がなくなれば死んだように眠り続けた。

それでも天化は天祥を元気付けようと傍から離れず、その甲斐があってか最近では少しづつ天祥も笑顔を取り戻してきている。

しかし、その天化もふとした瞬間に考え込むような表情を見せた。―――その理由を少なからず察したは、小さくため息を吐いて。

「ねぇ、武吉。折角だから街に出てみない?」

心持ち明るい声で、隣にいる武吉に声をかけた。

「・・・へ?街ですか??」

「そう。この間美味しい饅頭屋見つけたの。ほら・・・天化と天祥も誘って、みんなで行ってみない?」

未だにこちらに気付いていない天化と天祥を指さして、はにっこりと笑った。

すると武吉は目を輝かせて、2人の所へ勢いよく駆け出した。

「天化さんたちを呼んできますっ!!」

「ええ、お願い」

一目散に駆け出した武吉の背中を見送って、は背後にある気配に呆れたように声をかけた。

「・・・それで、今度は一体何の用なの、申公豹?」

「おや、バレていましたか」

「バレないわけないでしょうが、そんな堂々と人の背後に立って」

振り返ると、思ったとおりの彼の姿に、は再びため息を吐く。

「・・・それで?今度は何しに来たの?」

「いえ、殷に妲己たちが戻ってきたんです。それを教えてあげようと思いまして・・・」

あんたはいつから情報提供者になった・・・とつっこみたいところを何とか抑える。

この青年の考える事はよく分からない。

妲己側についているというのに、こんな風に情報を伝えに来たり・・・。

いや、彼が物事をより楽しくしようと奔走しているのだという事は分かっているが・・・。

「それと・・・・・・」

「・・・それと?」

意味ありげに言葉を切り、不敵に笑う申公豹に、は小さく眉をしかめた。

話の先を促して、彼が言葉を発するのを待つ。

しばらくして、天化たちが申公豹の姿に気付いた頃、彼はゆっくりと口を開いた。

「その美味しい饅頭というのを、私もご馳走になろうと思いまして・・・」

「・・・は?」

「せっかくですから、私もご一緒します」

『していいですか?』ではなくて、『します』という決定済みなのか。

「申公豹!お前、こんな所でなにしてるさっ!!」

慌ててこちらに駆け寄って来た天化が、宝貝を構えてそう叫ぶ。

そんな天化を特に気にした様子もなく、申公豹はあっさりと告げた。

「ですから、私も美味しい饅頭を頂くためにここに来たんです。さぁ、早く行きましょう」

当たり前のことのように言い切り、困惑する一同に構う事無く歩き始めた申公豹。

その後ろ姿は、疑うまでもなく楽しそうで・・・。

このまま放っておこうかとチラリと思うが、そんなこと出来るわけないだろうことは想像に難くない。

「・・・?」

未だに宝貝を構えたまま、呆然として呟く天化に、は小さく首を振った。

「諦めなさい。あいつには何を言っても通じないから・・・」

不思議そうな顔をしている武吉と天祥に力なく微笑みかけ、一同は先を歩く申公豹の後を追った。

「あーた、妲己に味方してるんだろ!?何でここにいるさっ!!」

「そんなのは私の勝手です。別に私が直接あなたたちに攻撃をしていたわけじゃないんですし、構わないでしょう?」

「そう言う問題じゃないさっ!!」

「・・・頑固な人ですねぇ・・・」

呆れたように呟く申公豹に、は思わず脱力する。

こうなったら、あいつに奢らせてやろう。―――と強く心を決めた。

 

 

一方その頃、太公望は中庭に設けられた茶席で、姫発・周公旦と対峙していた。

「・・・・・・は?」

太公望の告げた言葉に、2人は二の句が告げないといった風で、それでもようやくそう言葉を返す。

そして周公旦は痛む頭を抑えて、必死にその言葉を理解しようと頭を働かせた。

「た・・・太公望。あなたはいま、何とおっしゃった・・・?」

「だからー、わしはこれから旅に出るので、また何ヶ月か帰らぬと・・・」

「太公望!」

太公望の言葉を遮って、周公旦が彼の名前を呼んだ。

それと同時に、どこから出してきたのか。―――ハリセンを強く握ると、それを躊躇いなく太公望の頭に振り下ろした。

いつものパシーンというような軽い音ではなく、バシリバシリとハリセンが壊れてしまうのではないかと思うほど激しい音に、彼がどれほど怒っているかが分かる。

隣にいた姫発は思わず恐怖に顔を歪ませた。

「何をする、周公旦!!」

「何日も何日もお空の上で不毛な戦いを繰り広げ、その上さらに城をあけると?あなたは周の軍師というポストについているのですよっ!!」

太公望の非難の声など聞く耳持たず、周公旦は思いのたけを全て吐き出した。

「そうだぜ、太公望。オメーは道士だけど、周にとっても重要な人物でもあるんだ!」

周公旦の言葉をフォローするように、少しだけ口調を和らげて言う姫発。

「う〜む、だがのう・・・」

どう説明したものか。―――と思案し始めた太公望に、その光景を黙って見守っていた元始天尊が口を挟む。

「これから殷を攻めようというこの重要な時期に、城をあけてまでの用事とは・・・。おぬし、もしやあのお方の所へ・・・?」

ふと思い当たった考えに、元始天尊は小さく首を傾げ。

それに力強く頷いた太公望は、きっぱりと告げた。

「ええ、三大仙人の1人、『太上老君』を捜すつもりです!」

「・・・太上・・・老君?」

姫発と周公旦は、聞きなれないその名前に顔を見合わせた。

太上老君。―――格は崑崙の教主・元始天尊と金鰲の教主・通天教主と同じ。

そしてその実力は、妲己・申公豹・にも匹敵するという噂だ。

妲己や申公豹と同様に、スーパー宝貝も持っているらしい。

「これから妲己と戦う上で、生き残った我々の戦力不足は否めぬ!だからわしは妲己より強い太上老君を手に入れたい。これ以上味方を失わぬためにも・・・」

太公望の言葉に、その場が静まり返った。

正直なところを言えば、妲己と戦うならがいれば実力的には問題ない。

しかしこの間彼女自身も言っていた。―――『彼らも自分の大切な人なのだ』『申公豹や妲己と戦っても、彼らを殺せるかは分からない』と。

戦う上でそんな甘い言い訳など通用しないが、それでも太公望はできることならに戦わせたくないと、そう思ったのだ。

だからこそ、手に入れたい。―――太上老君を。

「太上老君か・・・」

その場に下りた沈黙を破ったのは、元始天尊の呟くような声。

そちらに視線を向けると、どこか困惑したような表情の師匠を太公望は見た。

「あの方は通天教主やわしと共に三大仙人の1人に数えられてはおるが・・・その実力は天と地ほどの差があると言ってよい。ひと目見ればそう解るほどの神々しいオーラの持ち主じゃ」

元始天尊はもちろん会ったことがあるのだろう。

昔を思い出し、彼を語る元始天尊に、太公望は静かに話し掛けた。

「・・・どこにおります?」

ゆっくりと振り返った元始天尊と目が合い、太公望は思わず期待に鼓動を早まらせる。

しかし返って来た言葉は、なんとも期待はずれな言葉で・・・。

「さぁのう・・・。もう何百年とあの方には会っておらぬのじゃ。今ではわしの千里眼でもその姿は補足できぬ・・・」

「そう・・・ですか・・・」

やっぱりそう簡単には見つけることができないか・・・と、ため息を漏らす。

何せ相手は伝説上の人物も同然なのだ。

有名すぎるほど有名なのにも関わらず、歴史上にもほとんど姿を表した事がない。

そもそも生きているのかさえ、解らないのだ。

さて、これからどうするか・・・と太公望が思案し始めた時、それを見ていた元始天尊が迷った末に口を開いた。

「あの方を捜しに行くのならば・・・を連れて行くといい」

「・・・は?」

その意味ありげな言葉に、思わず首を傾げる。

は・・・太上老君を知っているのですか?」

「それはわからぬ。だがあやつは思わぬ人脈があり、そして様々な知識を持っている。未だに謎の部分も多く、そして意外性もある。もしかして・・・と思ってな」

なんとも曖昧な・・・とも思ったが、確かにその通りだと納得するところもある。

太公望は小さく苦笑して元始天尊に頭を下げると、呆れたような表情を浮かべている姫発と周公旦にも挨拶をして、その場を去った。

 

 

「う〜む・・・。あやつ、一体どこに行きおった・・・?」

の姿を探して城中を歩き回っていた太公望は、目的の人物が一向に見当たらないことに少しの苛立ちを感じていた。

あやつはいつもそうだ・・・と、太公望は思う。

いつもは呑気に昼寝などしているくせに、肝心な時にはあちらこちらとウロウロして所在がわからない。

どれだけ捜しても、名前を呼んでも、彼女は姿を現さないのだ。

もうこのまま見つけられないのではないか・・・と思うことが、今まで何度もあった。

そう、彼女はまるで風のよう。

何に捕われる事無く、ただ吹かれるがままに生きる。

1人でも生きることができるから、1人でどこへでも行けるのだ。

もしかして・・・もうここにはいないのではないか?―――そんな考えさえ頭の中に浮かび上がってくる。

焦りと、どうしようもない不安が胸の中に湧き上がってくる。

「・・・ーっ!!」

「うわぁ!!」

思わず力の限りそう名前を叫ぶと、後ろから驚いたような悲鳴が聞こえ、慌てて後ろを振り返る。

するとそこには、驚いたような・・・恨めしそうな目をした楊ゼンの姿が。

「・・・いきなり大声を出してどうしたんですか?びっくりするじゃないですか!」

「あ・・・ああ、すまぬな。いや・・・いくら探してもの奴の姿が見えんから・・・。それにしても楊ゼン、こんな所で何をしておるのだ?」

気まずさに慌てて話をすり替えようと口を開くと、楊ゼンが思い出したようにポンと手を叩いた。

「とりあえず今日の分の仕事は終わったんで少し散歩をしていたんですが、実はですね。ここに盗人が入ったらしいんですよ」

「・・・盗人?」

あまり穏やかな話ではない。―――盗人と言うからには、やはり何か盗まれたのだろう。

「それで何を盗まれたのだ?犯人はわかっておるのか?」

「いえ、犯人はまだ・・・。でも盗まれたものがなんともおかしなものでして・・・」

「・・・おかしなもの?」

「はい。盗まれたのは、何と花なんですよ」

「花ぁ!?」

思わず声を上げる。―――わざわざ城にまで盗みに入って、持って行くのがよりにもよって花なのか?

「しかも運の悪い事に、その花を育てているのは周公旦殿なんです。さっき彼に会ったんですが、それはもう・・・恐ろしいほどの形相で・・・」

楊ゼンが思わず身震いするくらいなのだ・・・よっぽど恐ろしい顔をしていたのだろう。

「それで僕も犯人捜索を強制的に命じられちゃったんです。はぁー、こっちは疲れてるって言うのに・・・」

「そ・・・それはとんだ災難だのう・・・」

太公望は心から楊ゼンに同情した。

もし一歩間違えれば自分がそうなっていたかもしれないのだ。―――そう考えると恐ろしい。

「それじゃあ僕は犯人を捜さなくてはいけないので・・・。もし怪しい人を見かけたら教えてくださいね」

見るからに肩を落として去っていく楊ゼンを、なんともいえない表情で見送った太公望は、再びを捜すために踵を返した。―――その時。

「師叔!」

花泥棒を捜しに行ったはずの楊ゼンから声をかけられ、不思議に思って振り返る。

楊ゼンは少し離れた場所から太公望を見ており、その表情は少しだけ微笑んでいるよう。

「・・・どうかしたのか?」

小さく首を傾げてそう問い返すと、楊ゼンは目で見て解るほどにっこりと笑みを浮かべて。

さんなら、離れの方の屋根の上で昼寝をしていましたよ。さっき会ったんで、まだそこにいると思います」

「・・・離れ?」

そう言えばまだそっちは見に行っていない。

普段のは、あまりそちらの方で昼寝をしたりしないからだ。

「かたじけない!」

再び花泥棒の捜索に向かった楊ゼンの背中にそう声をかけて、急いで離れへと向かう。

そして、問題の離れに・・・―――はいた。

普段と何ら変わりなく、屋根の上でのんびりと昼寝をしている。―――その傍らには、何故かの姿はない。

太公望は急いで建物の中に入ると、手近な窓から身を乗り出し屋根の上に這い登った。

「はぁ、はぁ、・・・やっと見つけたぞ・・・」

肩で息をしながら隣まで近づくと、はうっすらと目を開けて一言。

「あんた・・・運動不足じゃないの?」

「ほっとけっ!それよりも、おぬしなんで今日はここにおる!いつも通り昼寝をするならいつも通りの場所でせい!」

「私がどこで昼寝しようと勝手でしょう?」

「捜すこっちの身にもならんかいっ!!」

太公望の言葉に、「そんなの私の知ったことか・・・」と軽い調子で返事をし、はゆっくりと起き上がると大きく伸びをした。

「今日はこっちの方が日当たりが良かったのよ。・・・・・・それで?」

「・・・それでとは?」

「あんた・・・私の事捜してたんでしょ?何か用事があったんじゃないの?」

呆れた視線を向けられ、太公望は「ああ!」とたった今思い出したかのように手を叩いた。

実際には忘れていたわけではないのだが、なんとなく・・・そう、何となくだ。

「あのな・・・・・・」

「あっ、そうだ!」

どう話し始めようか・・・と思案しながら口を開いた太公望の言葉を遮って、は思い出したかのように声を上げた。

「・・・どうした?」

「忘れるところだった。はい、これ・・・」

渡されたのは、白い包み。―――大きさは手の平サイズで、妙に柔らかい。

開けてもいいか?と視線で問い掛けると、大きく頷きが返って来たので、少しだけドキドキしながらその包みを開けた。

「・・・おお!」

包みの中には白い饅頭が3つ。―――ふわふわで、触るとまだ少し温かい。

「これはどうしたのだ?」

「今日ね、武吉と天化と天祥と・・・申公豹と・・・饅頭屋に行ったのよ。そこのお土産」

何故に申公豹!?と思ったが、の表情が「聞くな」と言っていたのであえて聞かないことにした。

折角なので1つだけ食べてみる。―――ほんのりした餡子の甘さが、口の中に広がった。

「・・・美味い」

「でしょう?この間見つけたのよね、このお店。今度連れてってあげるわ」

どことなく満足そうに微笑んだに、太公望も思わず笑みがもれる。

「それで?話遮っちゃったけど、何で私を捜してたの?」

いつもよりもご機嫌なに、太公望はついつい忘れていたことを思い出す。

口の中の饅頭を飲み込んで、なんとなく手の中にある包みに視線を落として口を開いた。

「・・・おぬし、太上老君を知っておるか?」

突拍子もない質問に、は思わず目を丸くした。

しげしげと太公望の顔を見返して。

「そりゃ、知ってるわよ。三大仙人の太上老君でしょう?」

「ああ。実はわしは太上老君を捜そうと思っておる」

「・・・太上老君を?」

「そうだ。これ以上失わぬためにも・・・彼を味方に引き入れたい」

きっぱりとそう言いきった太公望に、は小さくため息を漏らした。

それから視線を地上に戻して、下で鬼ごっこをしている武吉と天祥を眺める。

「・・・無理だと思うけど」

しばらくの沈黙の後、はポツリとそう返した。

「何故だ?」

「何故って・・・力を貸す気があるなら、もっと最初から出てきてるはずだし。あの人は率先して動くタイプの人じゃないし・・・」

「おぬし、太上老君を知っておるのか!?」

の思わぬ言葉に、太公望は身を乗り出した。

それを他人事のように見返して、

「だから知ってるってさっき言ったじゃない」

そうあっさりと言い切った。

「・・・ただ知っているというだけじゃなくて、知り合いなのか?と聞いておるのだぞ?」

「そうよ、だから知ってるって・・・三大仙人の太上老君。会った事もあるし・・・」

「会った事があるのか!?」

「あんたね・・・私を一体何歳だと思ってるの?」

そう返され、思わず動きが止まる。

そう言えば外見では到底分からないが、は少なくとも3000年は生きているらしいのだ。

そう考えれば、が太上老君と知り合いでもおかしくはない。

「それで・・・今どこにいるのかは知っておるのか?」

「それは・・・難しいところねぇ」

どことなく意味深な言い回しに、しかしこういう言い方をする時は教えるつもりはないのだと嫌というほど分かっている太公望は、思わず肩を落とした。

知っているのなら教えてくれればいいのに・・・と思うが、可能性としては知らないかもしれないということもあるのだ。

はこういう微妙な言葉を使って人をからかうのが好きなので、全てをそのまま受け止めるわけにもいかない。

「ともかく、わしは明日から旅に出る。・・・・・・おぬしも一緒に来んか?」

少しだけ窺うようにそう言うと、は顎に手を当てて少しだけ悩んだ後。

「ま、面白そうだし・・・いいか」

案外簡単に決断を下した。

「・・・そうか」

何となくホッとして思わず笑みが零れる。―――と、を見ていた太公望が、瞬時にその動きを止めた。

目線の先は・・・の黒い髪の毛。

「なに、どうかした?」

不審気に表情を歪めるに、太公望は恐る恐る視線を合わす。

「・・・あの・・・な」

「だから何?」

ますます表情を歪めるをしばらく見返していた太公望は、しかし沈黙の後小さく首を横に振った。

「いや、なんでもない・・・」

「・・・なんでもないって、その態度はすごく気になるんだけど?」

「気にするな!」

わしも見なかったことにするから!―――と、心の中で強く叫ぶ。

するとはしばらく怪訝そうにしていたものの、諦めたのか小さく息を吐いて再び地上で鬼ごっこを続ける武吉たちに視線を向けた。

そう、太公望は見た。

の髪の毛に、花びらが一枚絡まっているのを。

もしかしたら偶然なのかもしれない。―――その花びらの色が黄色で、周公旦の育てている花も、確か黄色だったなんてことは。

あんまりにもタイミングが良すぎるが、太公望は偶然で終わらせたかった。

そうでなければ、と周公旦の周りを巻き込んだ毒舌合戦を拝まなければいけなくなるだろうから・・・。

少し強めの風に攫われて、宙を舞う黄色い花びらを眺めながら、太公望は深くため息を吐いた。

 

 

ちょうどそれと同じ頃。

周から遥かに離れている、殷では―――。

「くすくす。わらわに歯向かうお馬鹿さんは、さっさと消えてねん」

妲己が楽しそうに笑みを零しながら、そう言った。

彼女の前には瀕死の状態で地に伏している、九竜島の四聖の姿がある。

そして―――。

空に浮かぶ、明らかに人ではない巨大な影。

「バカな・・・バカな!こいつは・・・化け物か!」

四聖の1人が、巨大な影を呆然と見上げながら呟いた。

それと同時に、4つの魂魄が勢いよく空へ舞い上がる。

「くすくすくす・・・、上出来よん、紂王さま」

飛び去る魂魄を満足そうに見送っていた妲己は、浮かぶ影に向かい小さく微笑んだ。

紂王と呼ばれたその影は、妲己の言葉を合図に少しづつカタチを変えていき・・・。

「・・・・・・妲己」

人の姿になったそれは、空に浮かび上がる妲己を呆然と見上げ、ただその名前を呼ぶ。

「うふふふふ・・・」

後に残ったのは、妲己の笑い声だけだった。

 

 

眩しい朝の光を浴びて、楊ゼンは目を覚ました。

目覚めは良好。―――今日もいい一日になるだろう・・・などと大きく伸びをしたその時。

ベットの上に一枚の紙が置いてある事に気付いて、不思議に思いそれを手に取った。

「『楊ゼンへ。わしはちょっくら出かける。周の国はしばらくおぬしに任せる。いいと思うようにせい。太公望』―――・・・何故に起きてみるとこんな書置きが?」

「・・・というわけで、楊ゼン後は頼んだ!!」

「太公望師叔!?」

窓の外から突然声をかけられ慌てて窓を開けると、そこには四不象に乗った太公望と、に乗ったの姿が。

「お師匠さまぁ!さぁん!行ってらっしゃーい!!」

まだ朝も早いというのに、武吉の元気のいい声が辺りに響く。

苦情が来るぞ・・・と呑気にもそう思っていると、に乗ったがゆっくりとこちらに近づいてくるのに気付いた。

「・・・どうしたんですか?」

「うん・・・実はね、楊ゼンにこれをあげようと思って」

いつもの彼女らしからぬ控えめな言い方に少々不思議に思ったが、それでもわざわざプレゼントをくれるというのだから断る理由もない。

「これって何ですか?」

「・・・これよ」

差し出されたのは、一輪の黄色い花。

小さくて可愛らしいその花は、にとてもよく似合っていた。

「いいんですか?」

「ええ、もちろん」

その瞬間、が人の悪い笑みを浮かべた事など、花に見入っていた楊ゼンは当然気付くはずもなく。

「・・・ありがとうございます」

感激のあまり、楊ゼンはの手を握り締め丁寧にお礼を述べる。

太上老君を捜す旅に出た太公望との後ろ姿を見送って、楊ゼンは満足そうに微笑んだ。

 

 

その後、黄色い花を大切に部屋に飾っていた楊ゼンが花泥棒の罪を着せられ、周公旦と小さな争いを起こすことなど、今の楊ゼンは知る由もなかった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

犯人は主人公です。(言われなくとも分かる)

太上老君を巡る冒険編、スタート!

早くあの人やあの人出したいなぁ・・・、と思っています。

今までがかなりシリアス・・・というか暗い感じだったので、今回からは少し明るめに行きたいと思っています。

思ってはいるんですけどね。(笑)

作成日 2004.1.24

更新日 2009.9.6

 

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