三大仙人の1人・太上老君を捜す為、周を出発した太公望とは、特に当てもなくブラブラと辺りを飛び回っていた。

「それでご主人。まずは何処に行くっスか?」

「そうだのう・・・」

四不象の問い掛けに、太公望は呑気な口調で返事を返す。

ポリポリと頬を掻きながらぼんやりと辺りを見回す太公望に、四不象は嫌な予感をひしひしと感じながら、恐る恐る声をかけた。

「もしかして、太上老君って人が何処にいるか・・・」

「知らん」

即答で返って来た返事に、四不象は言葉もなくがっくりと項垂れた。

 

花水月

〜霧深い大地〜

 

意気揚々と旅立ったのも束の間、一行は八方塞りに陥っていた。

肝心の太上老君の居場所が解らない。

頼みの綱だった元始天尊も、ここ何百年かは姿を見ていないらしく、更に彼の千里眼でも姿を補足することが不可能な状態らしいのだ。

「どうするんスか?」

「どうすると言われてものう・・・」

肝心の太公望がこれでは、四不象が溜息をついても仕方がないだろう。

太公望は当てにならないと、四不象はもう1人の同行者に白羽の矢を立てた。

さんは?さんは、太上老君が何処にいるか知らないっスか?」

縋る思いで尋ねるも、の背で呑気に昼寝中。

辛うじて四不象の声が届いていたのか、面倒臭そうにあくびをひとつしてから、ゆっくりと身を起こして言った。

「元始天尊が知らないのに、私が知ってると思うの?」

告げられた無情な一言に、重い重いため息が四不象の口から漏れる。

「困ったのう・・・」

「そうね、困ったわね」

全くやる気を感じさせない口ぶりで、太公望とが呟く。

そんな2人を前にして、四不象はどうして自分だけがこんなに真剣なのだろうかと理不尽な思いを抱いた。

「そうさのう・・・。の千里眼で太上老君を捜す事は出来んか?」

チラリとに視線を向けながら、太公望はそれを提案してみる・・・が。

『俺様を使おうなんて、ずいぶんと大きく出たもんだな、太公望』

「うむ。出来んようだな」

鋭い視線で一睨みされ、あっさりと諦めた。

太公望との仲はすこぶる悪い。―――どちらかというとが一方的に太公望を嫌っているようだが、どちらにせよ2人の関係に変わりはない。

どうしてが太公望を嫌っているのか、四不象は不思議に思っているけれど、あまりにもの雰囲気が怖くて未だ聞けずにいた。

「それで・・・これからどうするっスか?」

太公望との遣り取りを傍観しながら、四不象は改めてその疑問を口にした。

いつまでもブラブラと当てもなく彷徨っているわけにはいかない。―――そんな事をしていても、太上老君が見つかるわけがないのだから。

それには同意見な様子の太公望は、少しだけ考え込むように唸り、ポンと四不象の頭を優しく撫でた。

「とにかく手がかりを捜そう」

「手がかりっスか?」

「うむ。適当な村に下りて『仙人を見なかったか?』と聞きまくるしかあるまい」

「えー!!この広い国で、砂漠の中の米粒を捜すような事をするっスか!?」

抗議の声を上げる四不象に、太公望は気楽な様子で笑う。

「なに、運が良ければ見つかるよ」

あまりにも楽観したような太公望のセリフに、四不象は恨めしげな視線を向けた。

実際に飛び回るのは誰だと思ってるのかと言いたくなって、けれどそれが自分の役割なのだと承知している四不象はすんでのところで口を噤む。

周は広い。

周だけでなく、その周りの国・殷を含んだ土地は、どれほどの広さがあると思っているのか。

そこでたった1人の仙人を見つけなくてはならないのだ。―――しかも手がかりナシで。

無謀なことのように思えた。

けれどそれ以外手がないのも事実で・・・―――だからこそ太公望のその提案を受け入れざるを得ないのだ。

「なんとまぁ、相も変わらず呑気な人ですねぇ・・・」

聞こえて来た言葉に、四不象は全くだと相槌を打ちそうになった。―――が、すんでのところでそれを押し留める。

一体今のセリフは、誰が発した言葉なのだろうか?

「この声はまさかっ!!」

太公望が素早く振り返る。―――四不象も恐る恐る振り返った。

「・・・フフフ」

不気味な笑い声と共に、目に映る人影。

側にある大きな岩の陰から、身体を半分だけ見せた状態でこちらの様子を窺う奇抜な格好をした青年を前に、太公望と四不象は揃って溜息を漏らす。

そんな2人を尻目に、が呆れたような口調で呟いた。

「いい加減、あんたも暇なのね」

「何を言ってるんですか。私は貴方たちの為にこうして出向いてあげているのですよ」

「頼んでないし」

キッパリと言い切って、あくびをもう1つ。

の態度は、誰を前にしても変わることはないようだ。

「申公豹!また何しに来たのだ!!」

話が逸れてしまいそうだと察した太公望は、慌てて申公豹に向かいそう叫ぶ。

このまま放っておいては、済し崩しに付き纏われかねない。

そんな太公望の心境を察しているのか、はたまた気に止めるほどのことでもないのか、申公豹ははっきりと解るほど口角を上げ、更に笑みを深くした。

「これは忠告です。太上老君を捜すのはおよしなさい」

「なにっ!?」

「あの人は誰にも協力なんてしませんよ」

あっさりと言い放たれた言葉に、太公望は窺うように申公豹の顔を凝視する。

それと同じセリフを、少し前ににも言われていた。

太上老君は誰にも協力なんてしない。

どこか悟りきった表情で告げたの姿が、脳裏に甦る。

チラリとに視線を向ければ、気のない様子で2人を眺めながら一言。

「だから言ったじゃない」

当然とばかりに告げられたその言葉に、少しばかり眉間に皺を寄せた。

「あの人は仙人界を捨て、一個の人間として人間の中に埋没している。いわば世捨て人ならぬ、世捨て仙人。超越した者の行きつく先にイってしまった人なのです」

「ああ、そんな感じ」

相槌を打つを無視して、太公望は鋭い目で申公豹を睨みつけた。

「おぬし、何が言いたい!何故わしにそれを言う!?そして何故それほどまでに太上老君に詳しいのだ!?」

心に渦巻くあやふやなものを叩きつけるように叫んだ。

それは申公豹に対してだけではない。―――同じようににも向けられた言葉。

あまりにも知らない部分が多すぎる。

自分のすべては知られているというのに、自分はの事を大して知らない。

足掻いて、迷って、そして漸く手にしたモノを、しかしは何食わぬ顔でそれを手にしているのだ。

生きて来た長さが違うという事は、十分に承知している。

けれど・・・どこまで行っても、追いつけない。

どんなに足掻いても隣に立つ事さえ出来ない現状は、太公望に言い様のない重圧を与える。

眉を顰めて叫ぶ太公望に、申公豹はニヤリと口角を上げた。

「そこまで説明する義理はありません。ただ友として忠告しているにすぎませんよ」

「誰が友だ、誰が!」

「うわぁ・・・。太公望、あんた友達は選んだ方がいいんじゃない?」

「だから、違うと言うとろうに!!」

同じように向けられると申公豹の言葉に、太公望は思わず脱力しつつも否定した。

そうして小さく笑みを零す。

何度同じような思いを抱いたのだろうか?

そして解っていた。―――何度こんな思いを抱いても、それが解決されるわけがないことを。

急がなくとも、いつかは話してくれる。

不思議と、今はそう思えるようになった。

が変わったからなのか、それとも自分が変わったからなのか・・・―――それは解らなかったけれど。

太公望は深く息を吐き出すと、気を取り直して申公豹と向き直った。

「ちなみに・・・おぬしもしや、太上老君が何処にいるか知っておるとか?」

窺うように尋ねると、申公豹は人の悪い笑みを口元に浮かべる。

「居場所・・・教えて欲しいですか?」

意地の悪い笑みに、太公望はムッと口を尖らせた。

「やっぱおぬしの知恵は借りぬ。行くぞ、スープー!」

あっさりと身を翻して、申公豹に背を向ける。―――すると背後で慌てたような気配がした。

「お、お待ちなさい!適当に捜したって見つかりっこありませんよ!さぁ、お聞きなさい!聞くのです!!」

申公豹の焦った声に、太公望は先ほどとは正反対にニヤリと笑う。

あまり関わりが深いとはいえないが、付き合いの期間はそれほど短くはない。―――解りやすいその性格を、太公望はしっかりと把握している。

「構ってほしいんスね」

それは太公望だけではなく四不象も同じだったようだ。

ポツリと呟かれたその言葉は、何よりも的を得ていた。

仕方ないという態度を全面に出して、申公豹が追いついてくるのを待つ。

そして太公望の前に回りこんだ申公豹は、無言である方向を指差した。

「丁度ここから南南西へとまっすぐ進みなさい。さすれば太上老君の住まう、伝説の隠れ里に行き着くでしょう」

指差された方向へ視線を向けて、太公望はニヤリと口角を上げる。

「かたじけないな」

一応はと丁寧に礼を述べて、すぐさま四不象に命じて言われた方向へと進路を向けた。

再び意気揚々と出発した太公望の背中をぼんやりと眺めながら、は訝しげな視線を申公豹へ注ぐ。

「何を企んでいるのかしら?」

「企むだなんて人聞きの悪い。ただの人助けですよ」

「・・・人助け、ね」

納得がいかないと隠す事無く態度に表して、ポツリと呟く。

「それよりも・・・私の方も、同じ質問をしても構いませんか?」

「・・・・・・?」

「貴女は太上老君の居場所を知っているはずです。どうして太公望に教えてあげないのですか?あなたも彼とともに太上老君の元へ向かっているのでしょう?」

幾つも重ねられた質問に、は無言で眉間に皺を寄せる。

悪戯っぽく自分を見詰める申公豹に、は小さく溜息を零した。

ほんの少しの、不快感を抱く。

質問の内容にではない。―――その答えを知っていて、それでも問うてくる申公豹自身にだ。

「知られるのが怖いですか?」

「・・・・・・」

「解りませんね。貴女が太公望に知られたくないと思っていた過去は、王天君に関してのことなのでしょう?今回の事はそれほどまでに隠し通す程の話ではないと思いますが・・・」

心底理解できないとばかりに呟く申公豹に、は微かに笑みを浮かべた。

「それでも何千年も隠し続けてるとさ、口に出し辛くなるものなのよね」

もう遠い昔の話。

それはまだ、が人として生きていた頃の。

鮮明に覚えているわけではない。―――断片的な光景が、ただ残っているだけ。

それでもそれは、自ら話したいと思える内容ではないのも確か。

「・・・で?どうしてあんたは、太公望に太上老君の居場所を教えたりしたの?」

嫌なことを思い出し、それを振り払うかのように話をすりかえる。

それに気付いて笑みを浮かべている申公豹から視線を逸らして、もう豆粒ほどの大きさになった彼方の太公望を見詰める。

「何度も言うようですが、別に何を企んでいるわけでもありません。ただ・・・」

「ただ?」

「太上老君が出て来た方が、何かと面白そうじゃありませんか」

申公豹のらしいといえばらしいその言葉に、は小さく笑みを零す。

だと思った・・・と軽く返して、大きく伸びをすると無言で事の成り行きを見守っていたに、太公望の後を追うようにとお願いする。

「じゃあね、申公豹。今度はどんな登場をしてくれるのか、期待してるわ」

「ええ、ぜひその期待に答えたいと思います」

にこやかに挨拶を交わし、申公豹はその場に・・・―――そしては太公望の後を追う。

そうしての姿も見えなくなった頃、黒点虎が窺うように申公豹を見上げた。

『いいの、申公豹?』

何が?と聞き返したくなるような問い掛けに、しかし聞き返す事などなく申公豹は浮かべた笑みを更に深くする。

「誰が説得しても表舞台に出て来そうにない人ですが・・・太公望なら、あるいは」

『ふぅ〜ん・・・』

ジッと一点を見詰める申公豹に、黒点虎は気のない返事を返す。

「それにまぁ、が姿を見せれば、あの人だって絶対に無視はしないでしょうしね」

あっさりと告げられた言葉に、黒点虎は驚きに目を見開く。

『それってどういう意味?ちゃんと太上老君って何か関係あるの?』

久しぶりに面白い話が聞けそうだと目を輝かせる黒点虎に対し、申公豹は曖昧な笑みを浮かべるばかり。

焦れて更に言葉を続けようとした黒点虎を遮り、申公豹が静かに口を開いた。

「面白くなってくるのは、これからですよ?」

意味深な言葉を呟き、申公豹は黒点虎に視線を向けるとにっこりと微笑んだ。

 

 

申公豹に指し示されるまま、進路を進める太公望と

太公望の予想としては、楊ゼンが殷のメンチ城まで侵攻するのに約半年ほど。

それまでには周軍に合流したいと、太公望は考えていた。

メンチ城の守将の張奎は聞仲の腹心中の腹心だと聞く。―――彼との対決までには太上老君を味方につけ、戻りたいと思う。

しかし・・・延々と進めど、申公豹の言うような隠れ里の姿など影も形もない。

騙されたかと密かにそんな考えを抱き始めた頃、四不象が突如大声を上げた。

「ご主人!我前方に巨大な積乱雲を発見せりっス!!」

声に引かれるままに視線を前方に向ければ、そこには確かにある巨大な積乱雲。

「むぅ、露骨に怪しいのう!よし、突っ込めスープー!!」

「了解っス!!」

勢いをつけて積乱雲に飛び込む太公望と四不象。

それをすぐ側で眺めていたは、ひっそりと溜息を吐く。

『どうした?』

そんなに目ざとく気付いたが、不思議そうな声色で問い掛けた。

「別に・・・ちょっと憂鬱なだけ」

『憂鬱?』

の口から漏れた言葉に、は訝しげに首を傾げた。

憂鬱だとは、一体何のことなのだろうか?

の言葉はあやふや過ぎて、いまいち理解するのが難しい。

そして憂鬱だと言いつつも、表情がそう言ってはいないようにには見えた。

「とにかく、太公望たちの後を追うわよ」

『・・・へいへい』

疑問には一切答えず先を促すに、は溜息混じりの返事を返す。

こんな遣り取りは、もう慣れっこだった。

そして・・・こんな遣り取りに慣れてしまった自分が、妙に悲しいとは感じた。

 

 

霧のようにたちこめる雲の中を進むと、最初に目に飛び込んで来たのは・・・。

「道路標識っスね・・・」

律儀にも建てられた標識には、隠れ里の名称とそこに辿り着くまでの距離が書かれてある。

「はて、桃源郷?これはまた、えらく親切な伝説の秘境だのう・・・」

「信号まであるっス」

四不象はそこらに立つ標識や信号を見て、感心したように呟く。

それを同じように見ていたは、こんなところに信号機なんか立てて一体何の役に立つのよ・・・と常々思っていた突っ込みを心の中でひっそりとする。

「で、でも・・・これはこれで仙人界並みに高度な文明っス!」

興奮したように声を荒げる四不象に、は本当に文明の無駄遣いだと改めて思う。

まぁそれも自分には関係がない事だからと1人勝手に完結させて、先を進む太公望の後を追いかける。

「むぅ・・・何か見えてきたぞ!」

視界を遮るほどの霧の向こうに、大きな影が見えた。

それは近づくにつれ、どんどんと大きさを増していく。

「な、何スか、これ!!」

「で、デカイっ!!」

目の前に現れたのは、どうして外からは見えないのかと思えるほど大きな土地。

テーブル上の巨大な山の上には、見た事もないような植物が多数生えている。

ここは大昔に下界と離れ、独自の生態系を作り上げた土地なのではないかと太公望は予測する。―――だとすれば、一体いつからこれはここにあるというのだろうか。

降り立って、すっかり霧の晴れたその地を眺める。

そびえる高い山と、晴れ渡った青空。

そこはかつての仙人界のようで、ほんの少し懐かしさを覚える。

「・・・あれ?」

不意にジャリを踏む音と共に、不思議そうな少年の声がその場に響く。

「珍しいな・・・もしかしてお客様?」

間違いなく自分たちにかけられているその言葉に、太公望は声のした方へ必死に目を凝らした。―――ガサガサと葉を揺らし、人影がこちらに歩み寄る。

「「・・・あ」」

現れた人物に、太公望と四不象が同時に声を上げた。

は信じられないものを見るかのように、目を見開いている。

だけが、その場で余裕の笑みを浮かべていた。

「ようこそ、桃源郷へ。俺はお客様案内係の呂望と申します」

姿を見せた少年が、にこやかな笑顔を浮かべてそう言った。

「・・・呂望?」

呆然と少年の名乗った名前を呟く。

それはかつての自分の名前。

目の前に立つのは、鏡で映したかのようなそっくりな姿。

「ご主人がもう1人いるっス!!」

驚きを含んだ四不象の声に反論する事さえ忘れて、太公望はただ目の前の少年を見詰め続けた。

 

 

『どういうことだ?』

訝しげに向けられた問いに、は答えず笑みを深くした。

太公望は突然現れた少年に向かい、警戒心を露わに質問を繰り返している。

太上老君の使いか、それとも彼自身が太上老君なのかと。

そんな事あるはずがないというのに・・・―――それも太上老君という人物を知らなければ、仕方のないことなのかもしれないけれど。

当然といえば当然、太公望の質問に不思議そうにする呂望は、それでもにこやかな笑顔を崩さずに、動揺する太公望たちを案内すると先を促した。

それに渋々といった感じではあるが、太公望は先を歩く呂望に付いて行く。

ここで取り残されてしまうのは、得策ではないと考えたからだ。

「ここはとても迷いやすいんだ。僕を見失わないように気をつけて。迷ったら決して目的地には辿り着けなくなるからね」

念を押す呂望は、慣れた様子で足を進める。

「なんか・・・天国みたいな所っスねぇ」

目の前に広がるのは、草原と高い岩山。―――再び出てきた霧は、前を歩く呂望の姿以外を掻き消していく。

「凄い霧よのう・・・」

困惑したように呟き、無駄だと知りつつも辺りを見回した太公望は、霧の影に人影を見つけた。

少しづつ風に流されていく霧に、その人物の姿がはっきりと見えてくる。

そこにいたのは・・・。

「普賢!?」

「ご主人、何やってるっスか?望くんが行っちゃうっスよ?」

思わず飛び出しそうになった太公望の耳に、四不象の呑気な声が届く。

それに気を取られた一瞬の間に、目の前にいた普賢の姿は消えていた。

見間違いかと思い、太公望は気を取り直して再び歩き出す。

しばらく歩いた頃、ふと見上げた岩山の上に懐かしい姿を見つけた。

「・・・姫昌?」

名前を呟くと、姫昌は小さく穏やかに笑う。

「スープー!ちょっくらあそこまで乗せてくれ!!」

慌てて声をかけてスープーを呼び止めると、慌てて岩山の上を見た。

「寄り道っスかぁ?」

怪訝そうに返って来た四不象の言葉に、あそこに姫昌が・・・と言葉を続けたが、既にそこに姫昌の姿はない。

「姫昌さんは亡くなったっス。働きすぎてボケたっスか、ご主人?」

呆れたように返されて、太公望は今何が起こっているのかを冷静に考えてみる。

そしてふと思いついた。

四不象には、普賢の姿も姫昌の姿も見えてはいないのだと。

再び歩き出すと、すぐに違う人物の姿が見えてきた。―――楽しそうに笑いあう、飛虎と聞仲の姿。

通り過ぎた人々。

幸せだった昔。

それは人を引きつける、とても強い想いの形。

は後ろを歩く太公望をチラリと視線だけで窺った。

困惑したような・・・それでいてどこか悲しそうな表情。

誰だって、迷う。

後悔だってする。―――それがどうしようもない事なのだと解っていても、それをあっさりと割り切れるほど人は強くない。

「やぁ、!元気だったかい!?」

不意に聞こえて来た声に、は困ったように苦笑した。

まさか自分まで・・・と自嘲気味に笑う。―――ここに来て、こんな幻を見る事など一度としてなかったというのに。

「ええ、とても元気よ・・・趙公明」

傍らに立つ、憎たらしいほど自信満々の笑みを浮かべた男にそう返事を返す。

解っている。―――ここにいる趙公明は、本物ではない。

自分の心が作り出した、記憶で形成された人。

それでもこうして姿を見る事が出来た事に喜びを感じるのは、情けないけれど自分もやはり甘いのだと・・・はそんな事を思う。

にっこりと微笑みを向ければ、趙公明も同じように笑って姿を消した。

立ち止まるわけにはいかない。

道を逸れる事も。

太公望の側にいると、そう誓ったのだから。

「さぁ、僕の役目はここまでだ」

そう言って立ち止まった呂望に、はハッと我に返る。

どこか真剣な眼差しでこちらに向かってくる太公望に、小さく笑いかける。

「何か見えた?」

「おぬし・・・」

驚いたように目を見開いた太公望は、しかし何も言わずに。

ただ笑みを浮かべてに視線を返す。

「ここをまっすぐ行けば長老の家がある。まずはそこを尋ねてみて」

そう言って先を指差した呂望は、さようならと挨拶を交わして元来た道を戻っていく。

それを慌てて呼び止めようとした太公望は、目の前の光景に絶句した。

一本に伸びた細い道。―――その遥か下には、地上が見えている。

「こんなに細い道だったっスか!ご主人、寄り道してたら落ちてたっスよ!!」

四不象の声が、ぼんやりと太公望の耳に響く。

再び霧に紛れて見えなくなっていく呂望の後ろ姿を見送りながら、太公望は隣に佇むへと視線を移した。

自分は、試されていたのだろうか?

試されていたのだとすれば、一体何を?

そんな疑問を胸に、無言でを見詰める。

しかしはその疑問に答える事などなく、やんわりと綺麗な笑みを浮かべた。

「さぁ、行こう」

あっさりとした言葉と共に先を歩き出したの背中を見詰めながら、太公望は微かに溜息を零した。

そして再び歩き出す。

決して立ち止まらずに。

すべての終わりの時を迎えるまで。

きっとその時には・・・。

「待て、。待てというのに!!」

先を進むを追いかける。

今はまだ、これで我慢する事にしよう。

何だかんだ言いつつも側にいてくれるのならば。

いつか全てが明らかになる、その日まで。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

太上老君を巡る冒険に出発!

しょっぱなから主人公出番少ないです。

そして先が丸見えな展開ですみません。(平謝)

太上老君シリーズの総称・鏡花水月の意味は、以下の通り。

鏡に映った花、水に映る月。

美しいが、ただ見えるだけで捉える事が出来ない。

実体がなく、掴み所がないものの例え。

桃源郷のことにも、主人公の事にも当てはまりそうだと思いまして・・・。

作成日 2004.7.31

更新日 2009.11.15

 

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