呂望という少年に案内され、桃源郷に足を踏み入れた太公望たちは、言われるがまま桃源郷唯一の村だという場所を目指して歩き出した。

しばらく歩くと村らしき建物群が目に映り、その建物の中でも一番大きな屋敷に2人と2匹は向かう。―――村に着いたら長老を訪ねろというのが、呂望の言だ。

「ごめんくださいっスー!!」

屋敷の戸口で四不象がそう声を上げれば、1人の人物が顔を見せた。

大きな・・・顔を覆い尽くすほどの、動物を象ったマスクのようなものを被ったその人物は、にこやかな対応で来客を長老の部屋へと案内する。―――それに何も言わずについて行った太公望たちは、通された部屋にいた1人の老人を見て確信した。

放たれる高貴なオーラ。

威圧感さえも感じさせるほどの雰囲気。

間違いないと確信して、太公望は長老に向かいキッパリとした口調で問い掛けた。

「貴方が太上老君ですね?」

 

鏡花水月

〜あの人は何処

 

「・・・で、これからどうする訳?」

がっくりと肩を落とした太公望に向かい、は素っ気無い口調で呟いた。

貴方が太上老君ですね?―――そう問い掛けた太公望に対し、村の長老は『誰それ?』と場の緊張感など何処吹く風で返事を返した。

「どうすると言われてものう・・・。本当にこやつは太上老君ではないのか?」

「全然違う。似ても似つかないわね」

窺うように問う太公望に対し、はあっさりとそう答える。

そういえばは太上老君を知っているのだということを思い出した太公望は、今更ながらに太上老君がどういう人物なのかを聞いてみることにした。

素直に教えてくれるかは最早賭けに近かったが、それでも現状から見てそれ以外に有効な手はない。

「太上老君とはどのような奴なのだ?」

「どのようなって・・・、例えば?」

「背格好とか、性格とかいろいろだな」

「性格ねぇ・・・」

太公望の問い掛けに、は考え込む仕草を見せる。―――どうやら珍しく答える気がありそうだ。

その間も、ほったらかしにされている長老の存在が気にはなったが、わざわざ反応を返してやる気にもなれない。

「そうね・・・。うん、ちょっとあんたに似てるかな」

考え込んでいたが、太公望に視線を送りながらそう答える。

「・・・わしにか?」

「そう。あんたに」

太上老君は自分に似ている?

そう考えた瞬間、道先案内人だと名乗った呂望という少年の姿が脳裏に浮かんだ。

「まさか・・・さっきのあやつが?」

「だから、違うって」

訝しげに呟く太公望にヒラヒラと手を振り否定すると、は小さく息を吐き出し近くにあった椅子に腰を下ろした。

「似てるのは外見じゃないわよ」

「・・・ということは性格がか?例えばどういうところが・・・」

「それは実際に会って確かめなさい」

更に質問しようとすると、いつも通りあっさりと交わされる。

やはりやる気の見えない態度で近くの本棚から一冊の本を手に取ったは、そう言ってまるで追い払うような仕草で手を払った。

「ほらほら、行って来い」

「むぅ・・・、おぬしは行かんのか?」

「私が捜す必要がある訳?太上老君に会いたいのはあんたの方でしょう?」

「それはそうだが・・・」

反論しようとするが、は既に本に視線を落としていて太公望の方を見ようともしない。

やはりどんなことが起ころうとも、根本的な性格は変わらないらしい。

珍しく太上老君を捜す旅に同行してくれたと思いきや、おそらくは太上老君を知っているだろうにも関わらず、は容易に手を貸そうとはしない。

いつも突き放したような態度で、状況を見ているだけだ。

それでもちゃんと自分のことを見守ってくれている事を、太公望は知っていた。

窮地に陥れば、何処からともなく現れ助けてくれる。

修行時代、何度となく(スパルタ修行で)命を落としそうになった太公望を、なんの前触れもなく現れ助けたのは他ならぬだ。―――命を落としそうな状況に陥れたのもなのだが。

いつも自分の前に立ち、余裕綽々な態度で助けられるのに多少なりとも複雑な感情はあるけれど、突き放すその態度さえも太公望の為なのだという事が解れば受け入れざるを得ない。―――そんな日々を経て、多少の事ではへこたれない根性を身に付けたのだから。

「解った、行ってくる。おぬしはここで待っておれ」

「はいはい、行ってらっしゃい。見つけたら教えて頂戴」

諦めて、勝手に何処かへと行かないようにとにそう言い含め、太公望は太上老君を捜すために部屋を出ようとに背を向けた。

本に視線を落としていたは、その後ろ姿をチラリと目に映して。

「見つけられたら、ね」

意味深にそう呟いて、再び本に視線を戻した。

 

 

太公望が太上老君を捜す為に彷徨い続けて、3日が過ぎた。

その間、千里眼で太公望の様子を窺っていたは、呆れたように溜息をつく。

『・・・おい』

敢えて言いたくはなかったのだけれど。

それでも見える太公望の哀れな姿に流石のも同情し、控えめにではあるがいつも通り自分を枕にして昼寝をするに声をかけた。

「ん〜?」

返って来た覇気のない返事に、もう一度溜息を吐いて。

『放っといて良いのかよ?』

「何が?」

『太公望だよ。あいつ餓死寸前だぞ?』

働かざるもの食うべからず。

桃源郷の掟に従い、働かない太公望が食事を取れるはずもなく・・・―――そして目的の太上老君を見つける事も出来ずに、太公望は力なく地面に伏している。

「そんな事私に言われてもねぇ・・・」

やはり覇気のない声色でそう返され、は仙界大戦の折りが太公望の事を心配していた姿を思い出して、あれは演技だったのではないかという疑問さえ抱く。

今のとあの時のが、どうしても同一人物には見えない。

そんなことを思いながらぼんやりとを見詰めていたは、不意にある事に思い当たり小さく首を傾げた。

働かざるもの食うべからずの掟によって、太公望は今餓死寸前の状態にある。

それなのにも関わらず、同じように働いていないはそうではない。

働いている様子など全くないのに、それでも長老の家に戻れば何かと食事が振舞われる。

この差は一体なんだろうか?

それに・・・と、は訝しげに辺りを見回す。

ここ・・・桃源郷は、一体どういう場所なのだろう?

全員が奇妙なマスクを被り、素顔を見せない。

朝起きて仕事をし、夕方になれば家に戻る。―――そんな単調な毎日を、ただ当たり前のように過ごしている。

確かにそれは、人が生きていく上では当たり前の日常なのかもしれない。

ここでなくとも、働かなくては食べていけないのは変わらないのだから。

それでも少なくとも地上の人間たちは、怒ったり泣いたり笑ったりと様々な感情に溢れている。

けれどここの住人たちにはそれがない。―――笑顔を浮かべていても、それはまるで空っぽの人形のようにの目には映った。

奇妙な世界。

現実のようで、そうではないような不思議な感覚。

『ここは一体、どういう場所なんだ?』

答えてくれるかどうかは解らなかったけれど、とりあえずはそう尋ねた。

するとは閉じていた目を薄く開き、そのままの体勢でぼんやりと空を眺める。

「箱庭」

一言。簡潔に返された言葉に、は目を細めた。

「個というものを消した、仮面に覆われた場所。だから争いもなく、誰もが平等」

紡がれる声は静かで、感情が見えない。

それでも棒読みのようなその言葉が、感情を表しているように思えた。

「いろんな人間がいて、だからこそいろんな感情があり考えがある。100人いれば100通りの正義が存在し、また悪もある。心を通わせ合える人たちもいれば、それが叶わない人も。そうした些細な感情のすれ違いが、やがて大きな戦争へと発展していく」

の言葉に、の脳裏に様々な戦争の光景が浮かんだ。

今までと共に見てきた多くの戦争。

その理由なんては知らないし、また興味もない。

けれど同じ事の繰り返しなのだという事は、十分に理解している。

「戦争はなくならない。人が個というものを持っている以上、それは叶わない。どれほど悲劇を繰り返しても、人はそれを止めたりはしない。それを消す方法があるというのならば、それは・・・」

『それは・・・?』

「地上を、すべて桃源郷のようにしてしまえば良い」

無感情な声色に、思わず背筋がゾッとした。

地上すべてを、ここのように?

確かにそれで戦争はなくなるだろう。―――けれど出来上がった世界は・・・。

「けれど・・・そんな世界に、どれほどの価値があると思う?」

自嘲を含んだ笑みと共に、そんな問いが投げかけられた。

「己というものを無くし、上辺だけの平和がある空虚な世界に、一体どれだけの価値が?空っぽの人たちで埋め尽くされた世界は、どれほど空しいものなんだろうね」

『・・・・・・』

「ここに来ると、いつもそんな事を思う。だからこそ、人が愛しくも思える」

先ほどとは打って変わった穏やかな声色に、はからかうような笑みを浮かべた。

『お前にしちゃ、珍しいな。人を気にかけるなんざ・・・』

「だってそうでなきゃ、見てて面白くないでしょう?」

いつもの調子に戻ったの言葉に、は声を上げて笑った。

やはりはこうでなければ。

殊勝な態度を取られては対応に困る。―――いつもの皮肉めいた笑みを浮かべるに、は心の中だけでそう呟く。

再び戻った穏やかな雰囲気に、ザッと草を踏む音が割り込んできた。

何気なくそちらに視線を向けると、そこには桃源郷の住人が。

獣のマスクを被った・・・おそらくは少女だと思える人物は、ゆっくりとした足取りで2人に近づくと、無言でを見下ろした。

「太公望を捕らえました」

良く通る声でサラリと告げられた言葉に、は楽しそうに口角を上げた。

「罪状は?」

「窃盗です」

簡潔に返された答えに、は小さく笑みを零す。

まるでこうなる事を予想していたというような態度に、は訝しげに少女を見る。

そんなの様子に気付いたのか、少女はチラリと視線を向けると小さく会釈をした。

『こいつは?』

「この子は邑姜。ここ・・・桃源郷の裁判長よ」

『・・・裁判長?』

の驚きが可笑しいのか、は更に笑みを深くする。

「さてと。仕方ないから同行するわ」

「そうしてください。貴女にもいつまでもブラブラとされていては困ります」

「相変わらず冷たいね、邑姜」

からかうように声を掛け、はのんびりとした動作で立ち上がる。

先を歩き出した邑姜の後を付いて行くを眺めながら、は口を開いた。

『あの子とは、どういう関係だ?』

「関係?そうね・・・難しい質問ね」

ブラブラと手を揺らしながら答えるに、何処が難しいのかと反論しようとして、けれどは諦めて口を噤んだ。

最初から答えてくれるなどという期待は、抱いていなかったのだから。

 

 

ふと何かの物音が聞こえ、太公望は目を覚ました。

目に映ったのは、真っ白な天井。

それをぼんやりと見上げていた太公望の耳に、再び物音が届いて何気なくそちらに顔を向けた。

「ああ、気が付いた?」

ベットの側の椅子に座っていたが、太公望に気付いて声を掛ける。―――ああ、さっきの物音はが本のページを捲った音なのだとぼんやりとした頭で思った。

「あんた桃泥棒したんだって?いい加減、そのフラフラした生き方やめたら?」

「おぬしに言われたくないわ」

即答で返って来たセリフに、はクスクスと笑う。

「それだけの元気があれば、問題ないわね」

パタリと読んでいた本を閉じて、それで軽く太公望の頭を叩いた。

「ここは?」

「邑姜の家よ。一応助けてくれたんだから、礼ぐらい言っときなさい」

「・・・邑姜?」

聞き覚えのない名前に、太公望は小さく首を傾げた。―――それと同時に、部屋のドアが勢い良く開かれる。

「顔を洗ったら外に出なさい。貴方にも働いてもらいます」

冷たい声色で告げられた言葉に、しかし太公望は小さく鼻を鳴らして笑った。

「フン。顔を見せぬような輩の言うことなど聞けぬな!」

少しもいつもの態度を崩さない太公望に、四不象が批難の声を上げる。

しかし邑姜は気にした様子なく、至極あっさりと太公望の言葉に習うように被っていたマスクを外した。

「では、働かないのなら死刑に戻る事をお忘れなく」

今まで一度もマスクを取った人間を見たことがなかった太公望は、呆気に取られて邑姜を見詰める。

そんな太公望の視線を物ともせず、表情を動かす事無く邑姜は部屋を出て行った。

「なんなのだ、あやつは・・・」

ポツリと呟きを漏らした太公望に、バサリと何かが被せられる。

慌ててそれを退けると、よく見ればそれは自分の服で。

「良いから、さっさとそれ着て働きに行きなさい」

立った状態で自分を見下ろすを見上げる。

「おぬしは働かんのか?」

「面倒臭い。あんたが働けば十分でしょう?」

「何を言うか!おぬしだけ楽しようなんてズルイぞ!!」

「姉弟子を養うくらいの甲斐性を見せなさいよ」

有無を言わさぬ口調で返され、太公望は疲れたように溜息を吐き出した。

どうしてはいつもこうなんだと、今更といえば今更な事を考える。

「ほら、行って来い」

強引に背中を押されて部屋を追い出される。

文句の1つも言いたかったが、言ったら言ったでどんな言葉が返って来るかが簡単に想像できて、空しくなって止めた。

太公望を部屋から追い出したは、椅子を窓際に移動させてそこから外の様子を眺める。

邑姜によって羊毛狩りの仕事を斡旋され、半ばヤケクソ気味に仕事に取り掛かる太公望を見て、は穏やかな笑みを浮かべた。

さん」

唐突に声を掛けられ振り返ると、そこにはいつの間に来たのか邑姜が立っていて。

ツカツカと淀みのない足取りで近づくと、持っていた紙の束を座っているの手の上に強引に押し付けた。

「・・・これは?」

「貴女の仕事です」

あっさりと返され、微かに眉間に皺を寄せる。

そんなを見て、邑姜は今まで少しも動かさなかった表情を微かに緩めた。

「働かざるもの食うべからずですよ、さん」

告げられた言葉に苦笑する。

ハイハイ・・・と諦めたように呟いて立ち上がると、邑姜の頭をポンポンと軽く叩いた。

「変わりがないようで安心したわ」

「普通、会って最初に聞きませんか?」

恨めしげに言い返され、けれど自分の目に映る邑姜の表情が、太公望たちに接するのとは違う幼いものに見えて、はやんわりと微笑んだ。

「見れば解るもの」

もう一度邑姜の頭を撫でて、重いくらいの紙束を抱えなおすと、片手をヒラヒラと振って部屋を出る。

そんなの背中を眺めていた邑姜は、小さく微笑んだ。

変わらないのは貴女の方だと、心の中で呟く。

「執務室はそっちじゃありませんよ。こちらの部屋に移動させましたから」

廊下を歩くの背中にそう声を掛けて、邑姜は正反対の方向を指差す。

「先に言ってよ」

軽く返された文句に、声には出さずに笑って。

自分の後ろから響く足音を聞きながら、邑姜は執務室に向かい歩き出した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

本当にどうでもいい事ですけど、うちの太公望はどうしてこんなにヘタレなんでしょうか?(今更)

これは最早、太公望夢ではなく邑姜夢。

封神夢の中で、実は一番絡みが多いのはなんじゃないかと思ったり。

作成日 2004.8.2

更新日 2011.5.8

 

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