空に浮かぶ大地、桃源郷。

なんとも怪しい申公豹の助言に添ってこの場所を訪れた太公望は、しかし目的である太上老君の情報を欠片も掴めないまま。

この地にいるはずの太上老君を捜すべく、働かざる者食うべからずという桃源郷の法にのっとり、太公望は太上老君を見つけるまでの間の糧を得るため仕方なく邑姜から与えられた羊毛狩りの仕事をする事にしたのだけれど。

「労働とはなんとも楽しいものよのぅ!ワーハハハ!!」

最初は嫌々やっていたにもかかわらず、バリカンを片手に心底楽しそうな様子で羊たちを相手に仕事に精を出す太公望。

三ヵ月前とは比べ物にならないほど健康的な様を見せる太公望を離れたところから見つめていた邑姜は、呆れにも似たため息をひとつ吐き出して。

「・・・そろそろ、かな」

誰に言うでもなくポツリと呟いて、邑姜はその一歩を踏み出した。

 

鏡花水月

羌族の村〜

 

小高い崖の上。

そこからあわや転落しそうになっていた子羊を救い出した太公望は、フルフルと小さく震えるその小さな身体を抱きしめ安心させるように優しく微笑む。

それは傍から見れば、なんとも穏やかな光景だった。

しかし、そんな太公望の背後に近づくひとつの影。

「太公望さん」

静かに名前を呼ばれた太公望は、ピタリと動きを止めて背後の気配の動向を窺った。

「あなた、太上老君という人物を探しておられましたね?」

「太上老君・・・?―――ああ、そういえばそうだったのぅ」

唐突に切り出された話題に、けれど太公望は少しも動じない。

それどころか、むしろ忘れていました的な様子さえ見せる彼に、けれど声をかけた少女・・・―――邑姜は声色を変える事無くキッパリと言い放った。

「私は居場所を知っています。多分」

「・・・ふ〜ん」

「私の養父なんですが・・・。彼の持つ雰囲気はどう見ても堅気のものではありません。不思議な人・・・―――あなたに少し似た感じがするんです」

その邑姜の言葉に、太公望は気付かれないほど小さく身じろぎした。

確かに以前も言っていた。―――太上老君は、少しだけ太公望に似ていると。

そんな邑姜の話に、これまで無関心を装っていた太公望は小さく息を吐き出して。

「やはり、おぬしは知っておったか。だから色々わしを試したのだな?」

思えばここに来た当初からそうだった。

桃源郷に入る際の出来事も、ここに来てからの生活も。

何かあるのだろうとは思っていたが、まさしく自分の予感は外れてはいなかったのだと太公望は確信した。

「ええ、桃源郷への侵入者はマメにチェックせよと養父の言いつけでしたので。―――養父は何故かこの桃源郷を不可侵のものにしておきたいらしいから」

そう言って、邑姜は手に収まるほどの小さな機械を取り出した。

起動させれば、桃源郷に入る際に遭遇した呂望という少年が映し出される。

それを認めて、太公望はしてやられた感を感じながらも小さくため息を吐き出し自らを治めると、億劫そうにゆっくりと立ち上がった。

「どれ、しょうがないのぅ。会ってやる、連れて行くがよい!」

見るからに上から目線ではあるものの、邑姜は特に気にした様子もなく手にした機械をしまいつつゆるりと踵を返した。

「彼はここではなく下界にいます。すぐに降りる準備をなさってください」

「下界!?」

そう告げて歩き出した邑姜の耳に、太公望の驚きに満ちた声が届く。

それに何事かと振り返れば、当の太公望は先ほど助けた子羊を両手で抱きしめ、避難の混じった眼差しで邑姜を睨み付けた。

「いやだ!この羊たちを置いてゆけというのか!わしには出来ぬ!わしは死ぬまでここでこの子達の世話をする!!」

「バッカじゃないの?」

太公望の訴えを一刀両断で切り捨てて、言葉と共に一撃で太公望を再起不能にすると、動かなくなった彼の身体を引きずりながら自宅を目指す。

そうしてピクリとも動かない太公望を引きずって戻ってきた邑姜を見て驚く四不象に下界に下りる旨を伝えると、そのまま太公望を放置してある一室へと向かった。

「・・・さん」

おざなりなノックの後、扉を開ければそこには優雅に寛ぐの姿。

けれど邑姜の姿を確認した彼女は、僅かに頬を引き攣らせながら読んでいた本をパタンと音を立てて閉じた。

「あら、邑姜。こんな時間にどうしたの?」

「・・・なにしていらっしゃるんですか?」

「ああ、これは別にサボっているわけじゃないのよ。ちょっとした休憩よ、休憩」

「その割には、ちっとも書類が減っていないみたいですけど」

「そうかしら?」

どうやらすっとぼける事に決めたらしいは、先ほどの引き攣った笑みを余裕のそれへと変えて、まっすぐに邑姜を見つめ返す。

太公望の方は別人のように労働に目覚めてはいたが、どうやらこちらは変わらないらしい。

それがらしいといえばそれまでなのだけれど。

そう結論を下して、邑姜は小さくため息を吐き出すと、視線だけで背後を振り返った。

さん、これから太公望さんを連れて老子のところへ向かいます。準備をしてください」

「あれ、もう?もうちょっとゆっくりしてもいいんじゃない?」

「下界に下りる準備を!」

まったくやる気の見えないの声色に焦れたようにそう言い放ち、邑姜は長老にご挨拶をしてきますと言い残して部屋を去る。

彼女はこの桃源郷の裁判長なのだ。―――自分たち以上にここを去る為の準備が必要なのだろう。

そんな彼女を見送ったは、深く深くため息を吐き出して。

「・・・生身のあの人に会うのは、いつ振りかしら?」

小さく呟かれた言葉は、残念な事に誰の耳に届く事もなかった。

 

 

、四不象と邑姜。

そして四不象からロープで吊るされるようにして運搬される太公望は、道中で進軍する西岐軍や修行に精を出す仲間たちを眺めながらその場所へと向かっていく。

そうして数時間後に漸く辿り着いたそこは、太公望にとっては懐かしささえ感じられる場所だった。

平原に並ぶテント。

自由気ままに歩き回る羊たち。

この光景を、太公望は知っている。

「邑姜よ、ここは羌族の村ではないのか?」

かつての・・・まだ人であった頃の太公望にとてもなじみのある光景。

今でも思い出すことの出来る、懐かしい場所。

「殷の羌族狩りからなんとか逃げ延びた人たちが作った村です。養父もその一員なんですよ」

静かな声で伝えられた言葉に、太公望は辺りを見回しながら頷く。

殷の羌族狩りは、今でも鮮明に覚えている。―――何せ太公望もその被害者のひとりなのだから。

そんなどこか感傷的な気分で辺りを見回していた太公望は、しかしふと違和感に気付いて訝しげに眉を寄せた。

「む?なんだ?あそこにだけ羊が固まっておるが・・・」

視線の先には、不自然なほど群がる羊たち。

何かあるのだろうかと言外に含む太公望の言葉に、邑姜は呆れた眼差しでそちらを見やった。

「あれは老子の寝床です」

「・・・老子?」

「養父の事です。彼はいつも羊の上で寝ているんですよ。今回も、もう2年ぐらいは眠り続けています。―――起きないとは思いますが、一応呼んでみますか?」

「う・・・うむ」

2年?と思わず問いかけたかったが、あまりにも真面目な顔で言われると聞き返しにくいのも事実だった。

何かの冗談なのだろうかとも思うけれど、彼女の表情からはそれらは読み取れない。

そうこうしている内に、邑姜は躊躇いなく羊たちの群れへと近づいて。

「老子、お客様です!老子!!」

何度声を荒げても、辺りには羊の鳴き声が響くばかり。

それに諦めたようにため息を吐き出した邑姜は、状況を見守る太公望へと振り返って。

「・・・さん」

その後ろに無言で立つへとそう声をかけるも、当の本人はやれやれとばかりに肩を竦めるばかり。

その仕草にやはりかと結論を下した邑姜は、何事かと視線を自分との間を行き来させる太公望に向かいキッパリと言い放った。

「やはり無駄です、起きません」

どうやら冗談ではないらしい。

漸くそれを察した太公望は、改めて老子と呼ばれた男を・・・―――その男が纏っている防護スーツのようなものへと視線を移して呆れたように呟いた。

「なんだ、こやつ?」

「この人は・・・他に類を見ないほどの怠け者なのです」

「な、怠け者?」

その問いかけに、邑姜はコクリと頷く。

「羌族は決して少数の民族ではありません。この大陸に広く点在しています。その中で、老子は東の外れの小さな村にいたと伝説に聞きます」

そこで人々が彼の存在に気付いた時には、既に眠っていたのだという。

何も食べる事無く、ひたすら。ひたすら。

「言い伝えでは、3年に1度だけ起きるそうです」

「なんじゃ、そりゃ?」

まさしくなんじゃそりゃ?というコメントが一番的確だろうと、係わり合いにならないように少し離れて状況を見ていたは欠伸交じりにそう思った。

「ちなみにこの怠けの最終形態である怠惰スーツは、冷暖房完備で快適な眠りを約束しています。当然外からのショックにも強く・・・―――何より老子は呼吸するのも面倒な人なので、人工呼吸器すら付いている始末です」

「こ、呼吸まで・・・」

むしろそこまでしてなんで生きているんだというツッコミが喉元まで出掛かって、太公望はなんとかそれを飲み込む。

なんか色々突っ込む方が馬鹿な事のように思えて来た。―――怠けも、ここまで来れば立派なものだと。

そんな中、同じように説明を聞いていた四不象は不思議そうに首を傾げて邑姜を見上げた。

「でもこの人、どうやって邑姜ちゃんを育てたっスか?こんなんじゃ子供を育てられないっスよ」

それどころか、自力で生きているとさえ言えないと思うが・・・という言葉も飲み込んだ太公望は、至極当然の質問の答えを得るべく邑姜へと視線を向ける。

それらを一心に受けて、邑姜はチラリと手元のブレスレットへと視線をやった。

「ええ。正確には彼の立体映像と・・・」

そこで意味深に口を閉ざし、チラリと背後へと視線を送る。

当然ながらそれに気付いた太公望と四不象は、そこに立っていた人物と邑姜とを交互に見やり訝しげに眉を寄せた。

「・・・さん?」

「そうです。私を育ててくれたのは、老子の立体映像と・・・―――さんです」

「ええぇぇぇぇええ!?」

さらりと何でもない事のように告げられた邑姜の言葉に、太公望と四不象は揃って驚きの声を上げる。―――いつもと一緒にいるはずのも、声は上げなかったものの驚いたように目を瞠っていた。

「ど、どういう事だ!?」

「そうっスよ!さんが邑姜ちゃんの育ての親だなんて!!」

揃って向けられる質問に、は面倒臭そうな面持ちでチラリと邑姜を睨んだ。

こうなる事が解っていたから言わなかったのに・・・と無言で訴えるが、当の彼女はどこ吹く風とばかりにこちらを見て微笑んでいる。

そこに確信犯的な雰囲気を感じ取ったは、諦めたようにため息を吐き出した。

「・・・そうよ、邑姜は私が育てたのよ」

「ろくに料理も出来んのにか!?」

「やかましい」

さらりと失礼な発言をかました太公望を一刀両断し、はやれやれとばかりに肩を竦めると、自然な様子で老子の怠惰スーツへと近づきその頑丈な装甲を軽く蹴り上げた。

「老子に押し付けられたのよ。子供を拾ったはいいけど、自分は寝ていたいもんだからってね」

それを邑姜の前で言うのはいかがなものかと思ったけれど、本人は意外と気にしてはいないらしい。―――変わらぬ無表情でと老子の怠惰スーツを見つめている。

「そういえば、おぬし10年くらい前からちょこちょこ姿を消す事があったが・・・」

「そ、この子のところに来てたのよ。流石に幼い子供をいつも1人にしておくわけにはいかなかったからね」

「確かに正論だが、おぬしがそう言うとなんとなく違和感が・・・」

「やかましい」

そのの言葉に、話を聞いていたもまた「なるほど・・・」と小さく呟いた。

最近ではそうでもなくなったが、以前はちょこちょこと姿を消す事が多かった

自分を置いて何処へ行っているのかと思っていたが、まさか子供の面倒を見ていたとは。

「それにしてもよく引き受けたもんだ。おぬしはそういうのは好まんと思っとったが」

「仕方ないでしょう?放っておくわけにもいかないんだし」

確かにそれはそうなのだけれど、それでもならばその役目をあっさりと誰かに・・・―――例えば自分とかに押し付けても可笑しくはないのだが。

そこまで考えて、太公望は何故そうされなかったのかに至った。

邑姜を拾ったのが、太上老君だったからだろう。

と老子がどういう間柄なのかは今現在では解るはずもないが、と邑姜の言いようと関わりから浅い付き合いではないようだから。

「それはともかく、あんたは老子に会いに来たんでしょう?―――邑姜!」

「解っています」

の呼びかけに、邑姜はブレスレットに手を伸ばす。

「先ほども言いましたが、私を育てたのはさんと彼の立体映像です。今がレム睡眠なら交信可能なのですが・・・」

「立体映像?」

太公望の疑問もそのままに、邑姜はブレスレットのボタンを躊躇いなく押す。

すると怠惰スーツの上に微かなノイズが現れ、そうして次の瞬間には画像の荒い半透明の青年が浮かび上がっていた。

見た目は随分と若いその青年が、おそらく太上老君なのだろう。―――最も、仙道の外見ほど当てにならないものはないけれど。

宙に浮かび上がったその青年を前に、太公望がどう声をかけようかと思案したその時だった。

「ああ、めんどくさい。考えたくない。何だい、邑姜?脳を働かせるのだってカロリーを消費するんだよ?」

のんびりとした声色で、加えて欠伸交じりにそうのたまった青年を前に、思考を巡らせていた太公望は盛大に頬を引きつらせた。

そんな太公望を他所に、彼の立体映像を出現させた張本人である邑姜は、表情ひとつ変えずに老子と向かい合って。

「お客様です、老子。太公望さんとスープーちゃんです」

「よろしくっス!」

邑姜の紹介に、四不象は明るく挨拶をする。

それにふいに表情を真面目なそれに変えた太上老君は、ジッと視線を2人へと向けて。

「2人のことは解っている」

「ぬおー!びっくりしたぁ!!」

しかし次の瞬間、すぐ側にいた羊の口から発せられた言葉に、2人はビクリと身体を跳ねさせ驚きの声を上げた。

「自分の口で話すのは面倒だから、彼らの口を借りる事にするよ」

「おぬし!いい加減にせぇよ!!」

あまりの怠けものっぷりに、流石の太公望も堪忍袋の尾が切れた。

自分だって流石にここまで酷くはない。

けれど老子はそんな太公望の怒りもなんのその、マイペースそのもので話の先を促した。

「崑崙の道士・太公望とその霊獣・四不象。さぁ、用件を言え」

「うう、何故羊と話せにゃならんのだ」

太公望の言葉も最もである。―――それが相手に通じるかはともかくとして。

それはともかく、これ以上言い争っていてもこちらが疲れるだけだと判断した太公望は、仕方がないとばかりに要求通り口を開いた。

「おぬし、妲己より強いか?」

ふいに真剣な面持ちで問いかけた太公望に、老子もまた表情を真剣なものへと変えて。

そうして、キッパリと一言。

「彼女には決して負けない」

頼もしいような、少し怖いようなそんな面持ちでその言葉を受け取った2人は、思わずごくりと唾を飲み込む。

「なぜなら戦わないから!」

「ぬぅ〜」

しかし続けられた言葉に、太公望は頬を引きつらせながら唸り声を上げた。

なんだその子供みたいな言い分は!と抗議して、果たしてこの男に通じるだろうか?

そんな思いを抱きながらも老子を睨み付けた太公望とは反対に、四不象は懇願するように老子を見上げる。

「ろ、老子さん。ボクたちはあなたの力を借りに来たっス。妲己を倒して、いい感じの人間界を作るために・・・」

「妲己を倒す」

「それは、封神計画」

四不象の声を遮って、羊の口を借りた老子の声がゆったりと響いた。

「封神計画」

「それは人間の自立、道標を外れる事」

「桃源郷とは何か?」

「個を消す仮面に覆われた場所」

「だから争いがない。だから平等」

淡々とした声が、あちらこちらから聞こえる。

「申公豹との関係は?」

「老子の初めての話し相手」

「老子は味方になりうるか?」

「否、老子は無為」

辺りにざわざわとした空気が満ちる。

絶え間なく聞こえてくる問いと回答に、太公望は大きく目を見張った。

それは太公望が疑問に思っていた事と、その答え。

老子は自分の心を読んでいるのだと、太公望は確信した。

けれど彼が一番知りたい事は、今も老子の口からは語られないまま。―――偶然なのか、それともわざとなのか。

「流れに、身を委ねよ」

そんな事をふと考えた太公望の耳に、老子の静かな声が響き渡った。

「何事にも流れが存在する。それが見えれば負けはなく勝ちもない」

太公望の想像を超える精神性。

確かに申公豹の言う通りだと太公望は思った。―――老子は確かに何かを超越した存在なのだ。

もしも老子が自分たちに手を貸してくれたら・・・。

そんな太公望の心を読んだのか、老子が僅かに目を細める。

それをまっすぐ見返して、太公望は不思議と静かな心のままに老子へと口を開いた。

「老子、わしの力になってくれんか?」

もしも老子が自分たちに力を貸してくれたなら、自分たちの望む世界を作ることが出来るだろうとそう思った。

人間界に悪影響を及ぼす妲己を倒し、仙道のいない世界を作る。

そんな願いが、一気に現実に近づくような気がした。

まっすぐ見つめる先の老子が、短い沈黙の後ゆっくりと口を開く。

「・・・何か、眠くなってきちゃった」

「あぁ!!」

先ほどの緊迫感に満ちた空気などさらりと無視して、老子は何の脈絡もなくそう言い放った。

それと同時に浮かんでいた立体映像もあっさりと掻き消える。

「こ、こら!寝るでない!!起きろ!!」

慌てて老子の怠惰スーツへ駆け寄りなんとか眠りを妨げようとするけれど、老子はうんともすんとも言わない。

その様子を見ていた邑姜が、相変わらず感情の読めない声色のままあっさりと現実を口にした。

「寝ましたね。多分もう立体映像ですら1ヶ月は出てきません」

あまりにも無慈悲な言葉にとうとう切れたのか、太公望は無言のまま宝貝を握り締めて。

その背後でが小さくため息を吐いたと同時に、太公望の作り出した風が老子の怠惰スーツへと襲い掛かった。

「あっ、ご主人!!」

四不象の制止の声も遅く、宝貝から生み出された風が怠惰スーツを弾き飛ばし、辺りにもうもうとした土煙を起こす。

けれどそれが収まった後、目の前にあった怠惰スーツには傷ひとつなかった。

「なんなのだ、この怠惰スーツは!!」

「宝貝じゃないようっスが、太乙さんのアレみたいに頑丈っスねぇ・・・」

自分たちのよく知る仙人が防御に使っている例の宝貝を思い出し、四不象はどこか遠いところを見つめる。

けれど太公望は四不象のように現実逃避をしている暇などないのだ。

なんとしても太上老君を味方に付け、そして戻らなければ・・・。

けれどそのいい案など思いつかない。―――何せ相手はもう夢の中という手の届かないところへと戻ってしまったのだから。

『流れに身を委ねよ』

そんな焦燥感とイライラを持て余していた太公望は、ふいに先ほどの老子の言葉を思い出し、不貞腐れたようにその場にごろりと寝転がった。

「こうなったら、わしも寝る!!」

「えぇ!?ご主人、何を考えてるっスか!ご主人!!」

突然の太公望の行動に驚きと戸惑いを隠せない四不象がそう声を上げるが、残念な事に太公望もまた素早く夢の世界へ旅立ってしまったようだ。

どんなに声を上げても目を覚ます様子のない己の主人に、それでも四不象は声を掛け続ける。

そんな2人の様子を我関せずとばかりに眺めていたは、呆れたような感心したような面持ちでため息を吐き出した。

「相変わらず、寝つきが良い事で」

 

 

暗い世界に、太公望はいた。

甦るのは、己の過去。

今でも鮮明に思い出せるそれは、彼にとっては決して楽しい思い出ではなかったけれど。

その時に老人が言った言葉を、太公望は今でも覚えている。

『世の中全体を変えない限り、幸せは訪れない』と。

それが、彼のスタート。

己の故郷を失い、仙人として生を受けた初めての・・・。

 

 

誰かの声が聞こえたような気がして、太公望はうっすらと目を開けた。

辺りに広がるのは、一面の暗闇。

けれどまるで気泡が浮かび上がるかのように淡い光が辺りに出現し、それはゆっくりと・・・―――けれどしっかりと人の形へと変わっていく。

誰かの、声が聞こえた。

『どうあがいても、結果は同じでしょう?』と。

気がつけば光の中には老子が立っている。

先ほど見た時とは違うその真摯な面持ちに、太公望は虚ろだった思考を覚醒させた。

「妲己を倒し仙道のいない人間界を作っても、人々が幸せになるとは限らない。必ず王なり皇帝なり・・・―――または強大な軍事力を持つ大国が現れて支配し殺し合う」

唐突な老子の言葉に、太公望は彼へと鋭い視線を向ける。

「それはやってみなければ解らぬよ」

「解っているんだよ、私には。そういう未来を私は見たから」

あなたにも見せよう。未来を。

太公望の言葉を一蹴し、そうしてそう言葉を付け加えた老子は、次の瞬間眩いほどの光に包まれていた。

先ほどまで暗闇に支配されていた空間が、真白に塗りつぶされていく。

そうしてその場所に浮かび上がった光景に、太公望は目を細めた。

千年後、三千年後と時を経ても、そこには争いあう人々の姿が映るばかり。

そうして四千年も経てば、そこは何もない荒野と化してしまっていた。

そんな荒野に今、2人は立っている。

「祭りの騒乱の後、最後にはこうして何もなくなるんだ。それでもあなたは足掻くの?」

それは残酷すぎる一言だった。

残酷な光景、絶望の言葉。

けれど太公望はそんな老子を前にして、小さく笑って見せた。

そんな彼を見て、老子は訝しげに眉を寄せる。

「何を笑う?」

「わしには遠い未来の事にまで責任は持てぬし、未来を変えると思えるほど傲慢にはなれぬよ」

ただ自分たちに出来るのは、自分たちが正しく作った世界を後の人々へバトンタッチする事。

人類の歴史が何処へ行き着くか、その結果は自分ではない誰かが見ればいいと太公望は思う。

それは無責任なことだろうか?

けれど太上老君はそんな太公望の言葉に何かを感じ取ったのか、感心したように軽く目を瞠った。

「へぇ、あなたは不老不死である道士だというのに、なかなか興味深い考え方をするね」

どうやら老子の気を引く事に成功したらしい。―――目の前の青年を見てそう感じた太公望は、しかし続けられた言葉に思わず頬を引き攣らせた。

「じゃあ、おやすみ」

「ちょいまち!!」

咄嗟に胸倉を掴んで彼の睡眠を妨害した太公望は、引き攣った表情をそのまま老子へと近づけて。

「おんどりゃあ、わしが苦労してやっとこさ見つけたっちゅーのにそれだけかいっ!!」

「・・・なに、何か欲しいの?」

「協力せぬなら何か役立つものを寄越せ」

「そういうのを、人はカツアゲという・・・」

まさしくその状況そのままの太公望の鬼気迫る面持ちを見返して、老子は疲れ果てたようにため息を吐き出した。―――も厄介な男を連れてきたものだと、心の中で独りごちて。

「・・・じゃ、これあげる」

どうにも引く様子のない太公望の様子に、老子は彼の手から逃れるとなんでもない事のようにそう言った。

その言葉に従うかのように、上空には突如大きな黒い板のようなものが現れる。

「なんだ!?」

「あなたに使えるかどうかわからないけど、私が持ってても使わないからあげるよ。―――スーパー宝貝・太極図を」

細かい文字のような、絵のようなものが描かれたそれを見上げて声を上げた太公望を他所に、太上老君は淡々とした口調で告げた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

どこで切ればいいのか迷います、この辺り。

結局無理やり切ったので中途半端な感じは拭い去れませんが、そもそもこれって連載ですしね。こういうのもありかなと。(開き直ってみたり)

太公望が夢の中に入っちゃうと、途端に主人公の出番がなくなって困ります。(笑)

作成日 2011.5.4

更新日 2011.7.3

 

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