黒い影が、殷に程近い小さな村の上空を飛んでいた。

その影の上には、だるそうに寝転がる1人の少女。

言わずとしれた、である。

『・・・なぁ?』

「ん〜?」

『崑崙出てから結構経つが・・・太公望のところに行かなくていいのか?』

お世辞にも太公望に好意を抱いているとは言えないが、それでも崑崙を出てからかなりの時間が経っているという事実に、そう提案してみるが。

「・・・気が乗らない」

あっさりとそう告げられ、の珍しいおせっかいは呆気なく無に帰した。

 

道端に咲く

 

「あ〜、暇・・・」

たまたま見かけた小さな村のすぐ近く、小高い丘の上に彼女らはいた。

見晴らしの良い場所と、吹き抜ける風の心地良さに、がしばらくの間そこを昼寝場所に選んだのだ。

『暇なら西岐に行けばいいだろう?元々そのつもりで崑崙を出たんだし・・・』

「何言ってんの?私は自分の意志で崑崙から降りたわけじゃないわよ。あのジジィに無理やり追い出されたのよ」

冷たい口調でそう述べるに、は何も言えずにため息を零した―――確かにのいう事に一理あると思ったからだ。

そしてにチラリと視線を向けて・・・そのままゆっくりと目を閉じた。

とて、好き好んで西岐に行きたいわけではない。

別にこのままと当てのない旅をしても一向に構わないのだ―――寧ろこのままの方がいいと言っても構わない。

太公望のところに行けば、の注意は彼に移ってしまうだろう。

それならばこのままでいい。

このままならば、は自分のことだけを考えてくれるだろうから。

が目を閉じた事を確認して、も同じように目を閉じる。

強くもなく弱くもないやんわりとした風が、身体を包み込むように吹き抜けていく。

嫌いなものはたくさんあるが、好きなものはこれといってない。

そんな中で、しかし風だけはにとっていつの時代も飽きる事無く好きなものの1つだった。

「あ〜あ・・・暇だねぇ・・・」

再びそんなことを呟くが、にとってはそんな時間も決して嫌いではない。

口癖のように飛び出てくるセリフなのだけれど、それを呟く事によって自分が今暇なのだと実感している節があった。

さわさわと鳴る草の音を聞きながら、しばらくの間はここでのんびりしようかな〜なんて考えが頭を過ぎる。

そんな時―――すぐ近くで草を踏む音が聞こえて、面倒臭そうにそちらを見た。

「おねぇちゃん・・・もしかして仙人様?」

そこらへんに生える木の影から、1人の子供がひょっこりと顔を覗かせていた。

一体いつの間にこんな傍まで近づいてきていたのだろうか?

いつもなら他人が近づけばすぐに気付けるというのに、こんなに近くにいる子供の気配には全然気付けなかった。

それはもしかしたら、今目の前にいる子供が何の警戒心もなく、殺気もなく・・・ただあるがままの自然体でいたからなのかもしれない。

「おねぇちゃん、仙人様なんでしょう!?」

何にも答えないに一向に構わず、子供は嬉しそうに笑顔を浮かべながら、先ほどの言葉をもう一度繰り返した。

しかしはそれにも何の反応も示さない―――ただが鬱陶しげに顔を上げただけだ。

それでも子供は怯む様子もなく、嬉しそうに声を上げながらの傍まで駆け寄って来た。

「うわぁ、この子って霊獣って言うんでしょ!?触ってみても良い?」

一応確認するが、こちらが返事を返す前にもう既にの柔らかな毛皮に手を伸ばしている。

は威嚇するか、それとも唸り声を上げるか迷ったが、こんな子供相手に牽制しても無駄だと判断したのか大人しくされるがままになっている。

「うわぁ、可愛い!」

どう見ても霊獣の中では凶悪そうな部類に入るを前に、『可愛い』とのたまう子供に呆れつつも、それを無言で眺めていた。

コロコロと変わる表情―――生き生きとした目に、無邪気な笑顔。

「ねぇ、おねぇちゃん!また会いに来てもいい?」

しっかりと目を見据えて話す子供に、彼女はあからさまなため息を吐いて。

「いつまでもここにいるつもりはないわ」

「じゃあ、また明日来る!明日はまだいるでしょ!?」

の冷たい対応にもめげずに、子供はにっこりと笑う。

問答無用に懐いてくる子供に呆気に取られて。

それは諦めの境地だったのかもしれないが、それでも彼女はため息混じりに小さく頷いた。

 

 

子供―――ケイというその子供は、言葉通り毎日に会いに来た。

いつしかその光景に違和感はなくなり、昼寝をするの隣で同じようにに寝そべっている光景も見られるようになった。

ケイの両親は少し前の戦争で亡くなったらしく、今は孤児院のようなところで世話になっているらしい。

働かざるもの食うべからず―――という方針らしく、彼も朝晩と家畜の世話をしているとはケイから聞いた。

昼間は特にこれといって仕事はないらしく、こうしての元へやってきては、一方的に今日あったことを話したりする。

最初は鬱陶しがっていたたちも、今となってはそれほど気にならないのが現状だ。

「でね!その時えーちゃんが・・・」

「・・・ケイ」

一心不乱に友達の話をするケイに、は思わず声を掛けた。

「・・・どうしたの?」

「その腕・・・」

の視線は、ケイの細い腕に注がれていた。

このご時世、食べる物もそう多くはないからか・・・ケイの腕は一般から見ても細く見える―――そのケイの細い腕に、大きな痣のようなものがあった。

「あ、これ?さっき転んじゃって・・・」

それは明らかに転んで出来た傷ではない。

既に青黒く変色しているそれは、見た目にも痛々しくて。

けれどケイはなんでもないとでも言うように笑う―――それがどこか無理をしているように見えて、はため息を零した。

ふと周りを見回して、少し離れたところに生えてある葉を取りそれをケイの腕に当てる。

はがれないよう(奇跡的に)持っていたハンカチを巻きつけ固定した。

『へぇ・・・案外優しいとこあるじゃねぇか・・・』

からかうように呟くをさらりと無視して。

不思議そうに首を傾げているケイに向かい、はさらに言葉を続けた。

『その葉はな、痣に効くんだよ。当てとけばすぐに治るさ』

「へぇ〜・・・」

感心したように声を上げるケイは、自分の腕に巻かれたハンカチから視線を上げると、の顔を下から見上げてにっこりと笑った。

「ありがとう、おねぇちゃん!」

「・・・・・・別に」

言葉少なに返事を返せば、ケイはさらに嬉しそうに笑った。

何がそんなに嬉しいのか?―――には心底分からなかったが、それでもケイが嬉しそうに包帯を眺めるのを見て、少しだけ表情を緩めた。

それに本人は、全く気付いていなかったけれど。

 

 

「・・・・・・ほう」

その光景を見ている人物がもう一人いた。

遥か上空―――崑崙山と呼ばれる大きな岩の塊の中心部に建つ、大きな建物の中にいた元始天尊は、己の千里眼を使いその光景を眺めている。

およそらしからぬその行動に、薄く目を細めて。

他人に・・・しかもつい最近知り合ったばかりの子供に、そんな態度を見せるとは思っても見なかった。

それは普段のを見ているものならば、誰もが思うことだろう。

その微笑ましい光景に小さく笑みを零していると、不意に彼がいる大広間に誰かの足音が響いた。

「崑崙十二仙・普賢真人、ただいま参りました。何か御用ですか?」

一見しただけでは男か女か分からないその青年に、元始天尊はやんわりと微笑みかけた。

「おお、普賢。わざわざ済まなかったな」

「・・・いえ」

「実はおぬしに頼みたい事があってのう・・・」

「頼みたい事・・・ですか?」

元始天尊の言葉に、普賢は小さく首を傾げる。

十二仙である自分をわざわざ呼んでまで頼みたい事とは、一体なんだろうか?

今仙人界は激動の時を迎えていると言ってもおかしくないが、それでも十二仙が出て行くのはまだまだ時期的に見ても早いように思える。

そんな普賢の心情を見抜いたのか―――元始天尊は軽い調子で口を開いた。

「実はな・・・のことなのだ」

「・・・の?」

普賢はもちろん、のことを知っている。

いろいろな意味で、彼女はそれなりに有名だからだ。

それだけではなく、普賢は同期であり親友でもある太公望を通じて、よくと会っていたり・・・まぁ、それなりに関わりのある人物だった。

を太公望の元に送り出してかなり経つが・・・いまだにあやつは西岐に向かう様子がない。ちょっと行ってけしかけて来てくれんか?」

「僕が・・・ですか?」

普賢の言い分としては、自分が行ったところでが素直に応じてくれるとは思えない。

けれど元始天尊は、いつもの飄々とした態度で。

「おぬしが一番の適任者じゃ」

ただ一言、そう告げる。

そこまで言われて・・・そして相手は崑崙を統べる立場にあるモノなのだ―――簡単に言えば上司と言っても構わない。

そんな相手に頼み事をされて、断れるわけがない。

「・・・分かりました。僕に説得できるかどうか分かりませんけど、頑張ります」

不安はもちろんあったが、それでも普賢は元始天尊にそう言葉を返した。

何だかんだ言っても、に会えるということは彼にとって決して嫌な事ではない。

寧ろ今は気軽に崑崙山をでる事が出来ない普賢にとっては、願ってもない事だ。

すぐにでも行ってくるとそう言葉を残し、普賢は颯爽と広間を後にした。

 

 

穏やかな時は、そう長く続かなかった。

ある日は、今いる場所から少し離れたところにある大きめな町に珍しい薬草があることを知り、を駆ってその町に向かった。

薬草を購入した際、既に真上に差し掛かった太陽を眺め、ケイは今ごろあそこにいるのだろうかとふと思う。

すぐにそんなことは自分に関係ないことだと思い直すが、それでも無意識のうちにいつもの丘へ向かい空を駆けていた。

そして気付いた―――見覚えのある場所から、いくつもの黒煙が昇っているのを。

ジャリ・・・という燃えた木のカスを踏む音が、嫌に耳障りに聞こえる。

村は既に、朝方の面影を残してはいなかった。

火を放たれたのか、木で出来た家はほぼ全焼していて、見る影もない。

それに加えて、既に命の炎が消えた村人たちの遺体がそこら中に転がっていた。

決して珍しい光景ではない。

踏み荒らされた跡と、戦いの跡を残す外壁―――そして折れた旗を見れば、それが殷軍である事が確認できる。

殷軍の奴隷狩りは、珍しくない。

そう、珍しくないのだ―――今まで数え切れないほどの、滅ぼされた村や町を見てきた。

今回はたまたまそれが身近で起きただけ・・・ただそれだけだ。

何を見るともなく、村の中をぼんやりと歩く。

そして見つけた。

村の中では比較的大きな建物の前に横たわる、見知った子供を。

その表情には既に感情という物はない―――以前はあれほど生気を感じさせていたというのに、それさえもない。

「・・・・・・ケイ」

ゆっくりとした動作でしゃがみ、もう動かないその身体に触れてみる。

ひんやりと冷たい身体―――自分が腕に巻いたハンカチは、取れかけていた。

「・・・?」

不意に背後から声をかけられ振り返ると、そこには普賢が呆然と佇んでいる。

「・・・普賢?」

「えっと・・・元始天尊様に頼まれて・・・を説得に来たんだ」

無言のまま、しかし強く説明を求めるの眼差しに、普賢は迷った末にそう説明した。

「・・・そう」

ただそれだけを返し、再びケイに視線を戻す。

「・・・呆気ないものね」

「・・・・・・そうだね」

力なく呟くに、普賢はただ肯定の言葉を返した。

この町の惨状がまるで嘘のように静まり返ったその場に、の自嘲ぎみな笑みが響いた。

「・・・馬鹿みたい」

の口から漏れたその言葉に、普賢も同じように笑みを零して。

「・・・なにが?」

静かな口調でそう問い返しても、は無言のまま。

彼女が普賢のその問いに、答えることはなかった。

 

 

きっと自分が死ねば、自分の魂魄は封神台へ向かい飛ぶのだろうとは思う。

けれどケイが死んでも、その魂魄は飛ぶ事はない。

時代に必要とされる者。

時代を動かす力を持つ者。

高貴な家柄に生まれた者や、その志を持つ者。

そんな人物は、それほど多くはない。

人の多くは、ケイと同じように・・・誰に知られるでもなくひっそりと消えていく。

けれど、自分はそれほど良い人間なのだろうかとは考える。

そして考えの行き着く先は、必ずしもそうではないと思った。

やりたいこともなく、目的も希望もなく―――ただ生き続けている自分よりも、毎日を一生懸命生きていたケイの方が、何倍も立派なのではないかと・・・。

例え人の目に止まることはなくとも。

ひっそりと・・・けれど懸命に咲き続けた花は、誰かの心の中にいつまでも残るのだろう。

馬鹿みたいだと思った―――そんなことさえ、今まで考えた事のなかった自分が。

『ありがとう、おねぇちゃん!』

脳裏に浮かんだケイの笑顔が、の中にいつまで残っているのか・・・それは分からないけれど。

ポケットから取り出した・・・つい先ほど購入したばかりの薬草を、ケイの身体の上に放り投げて。

「・・・じゃあね、ケイ」

最後の言葉を投げかけて、踵を返すとはその場から去って行った。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

うわっ!暗っ!!(自分で書いといて)

最初に考えてたのよりも、段々と訳の分からない方向へ進んでいってしまったこの話。

の人に対する態度とか、そういうのを書きたかっただけなのですが・・・。

そして普賢が出てきた意味がまるでない(うわぁ、ダメじゃん!)

作成日 2004.4.15

更新日 2007.9.13

 

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