一体、何がどうなっているのか。

ふと瞬きした瞬間に消えたと元始天尊の姿に、一体どうしたのかと慌てて立ち上がった太公望は、しかし次の瞬間響いた声に弾かれたように振り返った。

「これが、あなたがずっと知りたいと思っていた彼女の過去ですよ、太公望」

振り返った先に立っていたのは、不本意ながらも見知った顔。

派手なピエロの格好をして自分を一方的にライバル扱いをする、絶対に係わり合いにはなりたくないベスト3には入るだろう男は、猫のような目でまっすぐに太公望を見つめながらそう告げた。

 

鏡花水月

された真実〜

 

「なっ!何故おぬしがここに・・・!!」

「神出鬼没が私の信条ですから」

太公望の動揺も彼にとっては大した事ではないのか、興味なさげにそう告げると、グルリと周囲を見回して。

「・・・ここは彼女の故郷だそうです。最も、遥か昔に滅んでしまいましたがね」

の・・・」

そうだろうとは思っていたが、しっかりとした答えを得た事によって、太公望はその事実を躊躇いなく受け入れる事が出来た。

ここがの故郷だというのならば、先ほど見た光景も彼女の過去そのものなのだろう。

「ここはどういう場所なのだ?不思議な事が多すぎて、正直わしには理解が追いつかん」

普段ならば絶対にしないだろう素直な問いに、申公豹は僅かに口角を上げる。

それは勿論そうだろう、と心の中で独りごちて。

「私も詳しくは知りませんが、この国の王族には不思議な力があったと言います。貴方もご覧になったでしょう?」

そう言われて、1番に脳裏を過ぎったのが少年の怪我を治しただろうの姿だ。

何をしたのかは解らないが、あれほど大怪我を負っていた少年が一瞬の内に元気になった光景は、ある種異様ともいえる。

そんな太公望の心中を読み取ったのか、申公豹は神妙な顔でひとつ頷いた。

「そうです。この国の王族には代々、治癒の力が受け継がれているようです」

「・・・治癒?」

「その代によって能力の強さも受け継ぐ人数もまちまちのようですが・・・―――の代はその力が彼女1人に集中してしまったようですね。兄弟や親類に至るまで、その力を受け継いだ者は彼女以外にはいなかった」

だからこそ巫女姫と崇めたてられていたのだと、申公豹はそう告げる。

その言葉に、太公望はなるほどと納得した。

確かにあれだけの怪我を一瞬で治す事が出来れば、神のように崇めたてられても不思議ではない。

しかし不思議な力で傷を治すなど、俄かには信じがたい話でもあった。

本来、人にはそんな力はない。

仙人にだってそんなマネは出来ないのだ。

この目で見たとしても、夢でも見ているのではないかとそう思ってしまう。―――実際に、今自分は夢の中にいるのだし。

けれど申公豹はそんな太公望を見て、素っ気無く言い放つのだ。

「貴方もその恩恵を受けた事があるでしょう?」と。

それが何を指しているのかが解らず、太公望は訝しげに首を傾げる。

しかしふと思い当たる事があったのか、大きく目を見開き申公豹を見つめれば彼は静かにひとつ頷いた。

あれは聞仲との戦いの後。

意識を取り戻した後、自分の傷の浅さに不思議に思ったものだ。

その原因が、だったとしたら?

彼女が、自分が持つ不思議な力で太公望の傷を治したのだとしたら・・・―――あの時の自分の傷が浅かった理由も納得できる。

それが本当だとするならば、それはすごい事だと太公望は思う。

他人の傷を治す事が出来る。―――それも、あの子供が負ったような深い傷をも。

しかしそれと同時に思うのだ。

それだけの能力がありながら、どうしては今までそれを使わなかったのだろうと。

彼女がその能力を使っていれば、助かった命もたくさんあったはずなのにと。

そんな太公望の思いさえも読み取った申公豹は、呆れたようにため息を吐き出した。

「確かに彼女の能力は素晴らしいものだと思います。他の誰もが持ち得ない力。けれど人の命を救う代償がないとそう思いますか?」

「・・・代償?」

「そうです。彼女の能力の代償は、彼女自身の命です。―――彼女は自分の命を削って、他人の傷を治すのですよ」

思わぬ事実を突きつけられ、太公望は思わず絶句する。

しかしそれと同時に思い出した事もあった。

『馬鹿みたいよね、自分の命を削って他人を助けるなんて』

確かに彼女はそう言った。

『巫女姫は代々短命だ、なんて。そりゃ当然よね、こんな事続けてたら』

そう言って笑ったの顔を思い出し、太公望は強く拳を握り締める。

その言葉は真実なのだろう。―――実際にその力を使った後、彼女は酷く辛そうだった。

「・・・

かつては国だった地に立つ少女が脳裏に甦り、太公望は呆然と彼女の名を呼んだ。

自分の知る彼女とは違う。

何に対しても執着を持つ事無く、どんな状況でものらりくらりと風のように交わしてきたの姿とはまるで正反対だ。―――こんなにも自分の立場に縛られている彼女は。

先ほどまで確かにそこに立っていたの姿を思い浮かべ、そうして既にその面影すらもなくなった荒野を見回した太公望は、小さく息を吐く。

彼女はここで生まれ、ここで生きた。

巫女姫として、この国を統べる者として。

もっとも、彼女が守りたかったこの国は成す統べなく滅んでしまったのだけれど。

そこまで考えて、太公望はふと疑問を抱いた。

滅んでしまった国。

確かに大きな国ではないようだったし、この時代国が滅びる事などそう珍しい事ではないのかもしれない。

けれど太公望が見たこの国は本当に小さなもので、山に囲まれたこの場所は立地的にお世辞にも良い場所とは言えないだろう。

隠れ里のようなものかと、そう思ったくらいなのだから。

ならば何故、この国は滅んでしまったのか。

しかもこれほどまでに徹底的に破壊しつくされたのは何故なのか?―――この地が欲しいのならば、少しでも町の面影を残しておいた方が都合が良さそうなものだというのに。

そんな太公望の疑問に気付いた申公豹は、同じように荒野を見渡してしみじみとした口調で呟いた。

は知っていたんです。自分の能力が、いずれ国を滅ぼすだろうと」

告げられた言葉に、太公望は弾かれたように振り返る。

視線の先では、無表情の申公豹がまっすぐに自分を見つめていた。

「まるで奇跡のようなその力を、誰もが欲しました。その力を狙った他国が攻めて来る事も簡単に想像できた」

誰もが持ち得ない、治癒の力。

確かに奇跡のようなその力は、誰の目から見ても魅力的だったに違いない。

「この国に攻め込んできた人間たちの目的は、です。彼女を捕らえ、その力を得る。子を成し、力を持つ者を増やす。その為にこの国は滅ぼされたのですよ」

淡々とした口調で紡がれる真実に、太公望は大きく目を見開く。

自分を得るというそれだけの為に、自らの国が滅んだ。

それも、最も残酷な方法で。―――それはどれほどの傷を彼女の心に刻んだのだろう。

そして彼女はそれを知っていたのだ。

それがどれほどの絶望なのか、荒野に立っていたを思い出し唇を噛み締める。

そんな太公望の様子もそのままに、申公豹は更に言葉を続けた。

「そしてそれと同時に彼女の元を訪れた者がいた。―――それが、元始天尊です」

「元始天尊様が・・・?」

ふいに、先ほどの光景が脳裏に甦る。

荒野に立つ、と元始天尊。

会話の内容までは理解できなかったものの、確かに2人は顔見知りではあったようだった。

「彼は言いました。には仙人骨がある、だから自分の下へ来いと」

それはかつて太公望もまた、元始天尊に告げられた言葉だ。

そして現在を考えると、道士である彼女の元に元始天尊が訪れた事は不思議な事でもなんでもない。―――先ほどの2人の剣幕を除けば、だが。

「勿論彼女は断りました。だってこの国は彼女在ってのもの。この国のトップがふらふらとどこかへ行ってしまうわけにはいきませんからね」

「・・・まぁ、確かにそうだろうのぅ」

巫女姫と呼ばれたには、この国を守る義務がある。

そしてその責任がある彼女が、仙人になる為だとはいえ易々と国を離れる筈もないだろう。

「それでも彼は諦めずに何度も彼女の前に現れた。それこそが国を救う為だとも」

現にこの国を襲った者たちの目的はだったのだ。

彼女がいなければ、この国を攻める理由はない。―――理論的には。

果たして相手がそう結論付けてくれたかは解らないが、それもひとつの可能性ではあったはずだ。

「けれど彼女は断り続けました。自分はこの地で生き、この地で死ぬのだと」

たとえ望まぬ力を持ち、望まぬ地位に就き、命を削って他人を癒し続けるだけだとしても。

それでもはこの地に残る事を決めた。

彼女自身の責を果たす為に。―――やはり自分の知るとは違う彼女の考え方に、太公望は思わず眉を寄せた。

けれどそうしてまで守りたかったはずの国は、しかし想像した通りに滅びたのだ。

それも、考えうる中で1番最悪の形で。

そしてにとって予想外の現実が待っていたのだ、と申公豹は呟く。

「彼女は生き残ってしまったんです。彼女を思う国民が、その全てを使って彼女を守り抜いたから」

想像を絶する激しい戦いだったのだろう。

それはこの地を目にすれば一目瞭然だ。

誰一人生き残りはいない。―――を除いては。

「・・・あやつは、己もこの地で死ぬつもりだったのだな」

そうでしょうねと簡単に返ってきた申公豹の言葉に、思わずきつく目を閉じる。

脳裏の甦るのは、儚い・・・諦めたような微笑みを浮かべるの姿。

この地で生き、この地で死ぬのだと言った

その覚悟は、間違いなく本物だったのだろう。

けれど彼女は生き残った。―――自分が守るべき者たちに守られて。

「彼女の元始天尊に対する思いは、ある意味逆恨みかもしれません。本人もそれは自覚しています。それでも・・・―――彼がを得る為にこの国を見捨てた事実もまた変わりません」

確かに元始天尊もまた、この結末を知っていたのだろう。

けれど手を貸さなかったという事は、それを黙認したも同然だ。

それでも太公望には元始天尊の気持ちも解らなくはない。

仙人は地上に介入するべきではない、と彼自身そう思っている。

その為に今戦っている。―――もしかするとこの光景は、この先見るものと同じものなのかもしれない。

それでも見捨てられたというの心情もわかってしまうから、太公望は言うべき言葉が見つからなかった。

逆恨みだと解っていても、心が納得しない。

この国を救うだけの力を持っていながら何一つ行動しなかった元始天尊の姿は、の目にどう映ったのだろう。

「そんな彼女が、元始天尊に心を許すはずがない。彼から何かを学ぶ事もないでしょう」

言われて、これまで見てきた2人の姿を思い出す。

師弟の関係にあるはずだというのに、どこか余所余所しい2人。

にいたっては、師匠である元始天尊に対して敵意を隠そうともしなかった。

勿論彼女も大人なのだから目に見えて反発したりはしなかったけれど、雰囲気というものは時に隠しようがない事も事実で。

何故なのだろうかと思っていたけれど、まさかそんな経緯があったとは・・・―――勿論、それだけが原因ではないのだろうが。

「そうして無理やりに崑崙山へ連れて来られたは、無為に時間を過ごす事になる。―――彼と出逢うまでは」

ふいに変わった申公豹の声色に、物思いに耽っていた太公望は思わず目を瞠る。

『彼』というキーワード。

それに当てはまるだろう人物を、太公望は1人しか知らない。

「・・・それは、太上老君の事か?」

太公望の問いかけに、申公豹はひとつ頷く。

の本当の師匠は彼ですよ。ずっとずっと長い間、彼女は夢の中で彼と過ごした。―――彼女が仙人として生きていく決意を固めるまで、ずっと」

かつてを思い出すように遠くを見つめながらそう語る申公豹を前に、太公望は何かがストンと綺麗に嵌ったような気がして小さく息を吐く。

が太上老君を知っていたのも。

彼に拾われたという邑姜を育てたのも。

そして崑崙山でもトップに位置するほど強大な力を有しているのも。

全てはそれが理由だったのだ。

おそらくはこの世で1番の実力者であろう太上老君を師に持ち、彼女は類稀な才能を開花させたのだろう。―――元始天尊が足繁く通って勧誘するほどの、その能力を。

よく昼寝をしているのも、それが理由なのかもしれない。

勿論、彼女自身が昼寝好きというのも間違いないだろうが。

全てを聞き終えて、その情報の多さに圧倒されながらも、太公望は淡々と語った申公豹へと視線を向ける。

あとに残ったのは、ひとつの疑問。

「・・・何故、おぬしはわしにそんな話をする?」

わざわざ夢の中まで追いかけてきて、と言外に含んでそう問いかけると、申公豹は楽しげに笑った。

「あなたは知りたがっていると思いまして」

「それだけでか?」

「ええ、勿論。あの人もそう思ったからあなたをこの夢の世界に導いたのでしょう。―――最も、この光景だけでは不足部分が多すぎると思ったからこそ、私がこうして姿を現したのですよ」

おせっかいをするくらいなら最後まで自分でやってほしいものですとそう付け加えて、申公豹はクルリと踵を返した。

その突然の行動に慌てて声を上げた太公望を他所に、申公豹は振り返る事無く後ろ手にひらひらと手を振った。

「私の用は済みました。いつまでもこんな辛気臭いところにいる理由はありませんからね」

辛気臭いって・・・と思わず突っ込みかけた太公望は、しかし目に映る光景に思わず納得する。

彼の表現はともかくとして、ずっと居たい場所だとは思えない。

そう結論を下した太公望に、しかし去っていくのだと思われていた申公豹が唐突に足を止めた。

そのまま振り返る事無く、普段の彼とは違う真剣な声色で口を開く。

「今この場で見た事は、すべて忘れなさい」と。

言葉の意味が解らず思わず首を傾げる太公望を他所に、申公豹はやれやれと呆れた様子を隠す事無く肩を竦めてゆっくりと振り返った。

その時の彼の真剣な眼差しを、きっと忘れる事はないだろう。

「彼女の能力は、本来人間には過ぎた代物です。争いと混乱と、そして欲望を生む火種になりかねない」

それは言われずとも解っていた。

この国が滅びた原因は、それなのだ。―――彼女の能力を手に入れる、その為だけに滅ぼされた国。

「そして忘れてはいけません。彼女が力を使えば使った分だけ、彼女の負担になる。いくら仙人といえども、不老不死ではないのですから」

申公豹は知っている。

力を使った後のが、どんな様子だったのか。

長い付き合いとはいえ、彼女がその能力を使った場面に出くわした事はそう多くない。

けれどそのどの場面でも、彼女は酷く辛そうだった。

決して人に弱みを見せないはずの彼女が、立ち上がることさえままならなかったのだ。

その力を使い続ければどうなるのか、言われずとも簡単に想像がつく。

「あなたに忠告します。を大切に思うのなら、彼女の能力の事は忘れなさい」

「そう思うのなら、何故わしにそれを教えたのだ!」

まっすぐに告げられた言葉に、太公望は思わず声を荒げた。

どうせ忘れろというのならば、何故それを教えるのか。

知らなければ、一生彼女に頼る事はないかもしれないというのに。

けれどそんな太公望に冷えた視線を投げ掛けた申公豹は、ひょいと肩を竦めて。

「あなたにそれを教えたのは私ではなく、老子ですよ。まぁ、彼の気持ちを代弁することは簡単ですが」

そう言って、申公豹は再びクルリと踵を返す。

「彼女の側に居続けるつもりならば、あなたは真実を知るべきです。そして彼女がその力を使わざるを得なくなったその時、何をおいても彼女を止めなければいけません。―――彼女を選ぶのならば」

意味深な言葉を残し、申公豹は今度こそ太公望の前から姿を消した。

がその力を使わざるを得なくなったその時、何をおいても彼女を止めなければならない。

たとえ他の誰を見捨てる事になったとしても。

たった1人、を選ぶのならば。

「・・・

掠れた声で彼女の名を呼んで、太公望はその場に座り込む。

そんな場面に出くわしたとして、果たして自分は毅然とした態度でそれを実行できるだろうか。

を大切に思っている。

誰よりも、ずっと彼女を見てきたのだ。―――彼女を諦めるなんてもっての他だし、失うなんて考えた事もない。

だって彼女は誰よりも強かった。

どんな相手だって彼女が遅れを取る事はなかった。―――だから太公望はいつだって安心していられた。

それが今、こんな難題を突きつけられる事になるなんて。

「・・・わしは」

そんな現実に出くわした時、自分はに助けを求めずにいられるだろうか。

知らなければ、どんなに楽だったろう?

けれど知りたいと望んだのもまた、自分自身なのだ。

のろのろと顔上げた太公望の目に、瓦礫越しの青い空が映る。

『・・・しっかりしなさい、太公望』

からかうような、そんなの声が聞こえた気がした。

 

 

◆どうでも良い戯言◆

前回の補足編なので、いつもよりもちょっと短めで。(それでも十分長い気もしますが)

主人公の過去と、秘密を暴露。

そして私はやっぱり申公豹の立ち位置を誤解している気がしてなりません。

でも便利ですよね、彼。

だってどんな場面で、どんな不自然に出てきたって、申公豹なら許される気がするんですから。(え、私だけ?)

本当は老子にご登場願う予定だったのですが、やっぱり申公豹の方が自然な気がしませんか?(え、私だけ?)

本当に、重宝してます。困った時の申公豹。(笑)

作成日 2011.5.22

更新日 2012.1.15

 

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