あれから、どれだけの月日が流れたのだろう。

 

 

ベルフォルマ家に仕えていたが、止むを得ない事情で解雇されてからもう数年。

新しく生きていく道を見つけなければならなかったにとって、しかし世間はそう甘いものではなかった。

孤児の施設にお世話になるにはは大きくなりすぎていたし、またどこか働きに出るにははまだ少し幼くて。

1年近く勤めていた間に貰っていた給料のほとんどは手をつけていなかった為、なんとかそれで毎日を凌いでいた。

そうして毎日仕事を探して町を歩いていたは、ある日1枚の従業員募集の張り紙を見つける。

お給料もいい。

住むところも提供してもらえるようだ。

今のにとってはこれ以上ないほどの物件。―――ただひとつ、問題があるとすれば。

「駄目だ、駄目だ。帰んな、お嬢ちゃん!」

あっさりと門前払いを食らい、分かっていた事ながらもはがっくりと肩を落とす。

何が問題かと問われれば、その職業が問題だった。

鍛冶屋。

言うまでもなく、男社会。

加えてこれ以上ないほど力仕事であるそれに、女性・・・―――しかもまだ子供であるを雇ってくれるはずもなかった。

それでもは諦めなかった。

何度追い返されても、何度だって食い下がった。

お給料はいい。

住むところだって提供してもらえる。

そんな仕事は、何もここだけではない。

多少倍率は上がるものの、他にもそういった仕事はある。

の場合は、あのベルフォルマ家でメイドとして働いていた実績もあるのだ。―――下級貴族のお屋敷でなら、もしかすると雇ってくれるかもしれない。

それでもは鍛冶屋に拘っていた。

その理由を聞かれても、きっとは答えられないだろう。―――ただ無意識が、それに執着していたのだ。

そうして数ヶ月に及ぶ攻防の末、漸くの根性を認めてくれた親方はを雇い、そうしては待望の鍛冶屋で職を得たのだ。

毎日くたくたになるまで働いた。

怒られることも辛いこともたくさんあったけれど、不思議と辞めたいとは思わなかった。

辛くても、毎日が楽しかった。

そうしてあっという間に数年が過ぎ、親方に鍛冶師としての才能を見出されたは、今や女であるなどと言わせないほどの技術を手に入れ、そうして充実した毎日を過ごしていたのだ。

そして今日も仕事を終え、は自宅へと足を進める。

これまでずっと親方の家にお世話になっていたのだが、最近漸く1人暮らしを始めた。

それもにとっては嬉しかった。―――ちゃんと自分の足で生きている事を実感できる。

「・・・あー、今日も疲れた」

疲れた身体をグッと伸ばして、誰に言うでもなくそう独りごちる。

確かに身体は疲労を訴えていたけれど、それもまた心地良い疲労感だった。―――今日の自分の仕事は、とても満足のいくものだったから。

辺りはもうすっかり暗い。

それでもまだ開いている店もあるだろう。―――今日の夕飯の調達の為にも、ちょっと寄り道をしようか。

そう思い、が歩いていた路地から表通りに出ようかと足の向きを変えたその時だった。

「待て!!」

路地の向こうから、男の怒鳴り声が聞こえる。

それに何事かと思わず振り返ったは、その瞬間腹部に強烈な衝撃を感じ、思わず一歩後ずさった。

「・・・っ」

反射的に腹部を押さえ、表情を歪めながら視線を下へと向ける。

一体何がぶつかったのか・・・?―――そんなの視線の先には、彼女にぶつかった衝撃でその場にへたり込んでいる1人の子供の姿があった。

「だ、大丈夫・・・?」

まさか自分に体当たりをかましたものが子供だとは思わず、は慌てて子供へと手を伸ばしたのだけれど。

「ちっ!あのガキ、何処行きやがった!!」

またもや聞こえてきた男の怒声。

それは心なしか先ほどよりも近い。

そんな男の声に、の足元にへたり込んでいた子供がビクリと身体を揺らした。

「・・・あなた、追われてるの?」

幾分訝しげな声色で問いかければ、子供は弾かれたように顔を上げる。

その怯えたような表情を見て、は考える前に動いていた。

ばたばたと数人の足音がこちらに向かってくる。

それを確認して、は何の躊躇いもなく足音がする方へと足を向けた。

「きゃっ!」

角を曲がってきた男と接触しそうになったは、思わず小さな悲鳴を上げる。

男たちも流石にふらつくをそのまま放ってはおけないのか、思わず足を止めてへたり込みそうになっていた彼女の体を支えた。

「悪い、大丈夫か?」

「ええ、ありがとうございます」

1人の男に助けられ転倒を免れたは、小さく微笑みながらお礼を言うと不思議そうに首を傾げる。

「あの、どうかしたんですか?」

他の数人の男たちが怒声を上げながら走り去っていくのを見送って、はこの場に残る男へと問いかける。

すると男は苦々しい表情を浮かべてひとつ頷いた。

「ああ、泥棒だよ。まだ小さいガキなんだけどね」

「泥棒・・・。一体何を盗まれたんですか?」

「食料だよ。―――ま、食料を盗まなきゃならない子供には同情するが、こっちも商売だからな」

「・・・そう、ですか」

何かを考え込むようにそう頷いたには気付かず、男はもう1度悪かったねと声をかけると、先に行った男たちを追うようにその場を去っていた。

それを見送って・・・―――はここよりも更に暗がりになっている場所へと視線を向け、小さくため息を吐き出した。

「もう大丈夫みたいよ」

念の為に声を潜めてそう話かけゴミ箱の陰を覗き込めば、怯えたような子供の視線とかち合う。

盗まなければ食べられないほど、生活に困窮している子供。

それはかつての自分を見ているようで、は困ったように眉を寄せる。―――まぁかつてのはここまで生命力に溢れてはいなかったけれど。

「・・・あなた、名前は?」

今もまだ暗がりから姿を現そうとしない子供へ小さく微笑みかけ、そう問いかける。

残念ながら、返事は返ってこなかった。―――ただ強い警戒を宿した眼差しを向けて、の動向を窺っている。

「私はよ。この町で鍛冶師として働いているの」

それでもはそんな子供の様子など気にした素振りも見せず、まるで独り言のようにそう呟く。

「あなたは1人?実は私も1人なの。これからもずっと、そうだろうと思ってたんだけど」

そこで言葉を切って、子供へと視線を向ける。

かつての自分のような子供。

それが理由ではない。―――それが理由ではないけれど。

「だから・・・もしよかったら、私の家に来ない?」

の言葉に、子供はその大きな瞳を更に見開く。

かつての自分を目の前の子供に見ているわけではないのだ。

今よりもずっと子供だった自分は、自分の手で生きる事を放棄していた。―――ハルトマンに拾われなければ、今は生きてはいなかっただろう。

けれど目の前の子供は違う。

この不条理で厳しい世界の中で、小さな身体ひとつで、必死に生きようとしている。

そのパワーを、は素直にすごいと思った。

だから。

「ね、私と一緒に行きましょ?」

だから、助けてあげたいと思ったのだ。

かつて自分が助けてもらったように、目の前の子供もまた。

全ての子供を助けられるわけではないなら、せめて目の前にいるこの子はと。

子供へと手を差し出し、そこに手が重ねられるのをジッと待つ。

子供は酷く躊躇っているようだった。―――それもまた、当然の事なのだけれど。

「・・・一緒に、生きていきましょ?」

更に子供へと手を伸ばして、はそう呟く。

本音を言えば、それが1番の理由だったのかもしれない。―――ただ、1人が寂しかっただけなのかも。

の言葉に、躊躇っていた子供がゆっくりと手を伸ばす。

「あなた、名前は?」

「・・・エルマーナ」

今度こそ返ってきた答えに、は満足そうに微笑んで。

 

重ねられた手は、思っていたよりも小さく、思っていたよりもずっと温かかった。

 

 

青褪めた表情の裏に


彼女との出会い。

新たな道を踏み出した彼女と、必死に生きる彼女と。

作成日 2011.3.13

更新日 2011.10.1

 

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