白い箱を片手に下げて、警察本庁の廊下を歩く女性が1人。

その場にいるには不似合いといえば不似合いなその女性は、しかし誰の視線を気にするでもなく、不思議そうな視線を向けてくる刑事たちの横を颯爽と通り過ぎる。

そして『捜査一課』と札の下げられた部屋の前に立つと、懐から取り出したカードキーを通して、何の躊躇いもなく部屋の中に足を踏み入れた。

 

自然

 

「こんにちは〜」

その日は珍しく、が捜査一課に姿を現した。

いつもならば『捜査一課・特別室』に篭り、めったな事では部屋の外には出てこない。

それ故に彼女を知っているものもそう多くはなかった。―――名前は知っていても、それが顔と一致しないのだ。

けれどそんな中でも、捜査一課ではごく稀にの姿を見ることが出来る。

それは彼女がとりあえず所属している課であるからなのか、それとも別の理由があるからなのか。

それはさておき、ともかくも出現自体がレアであるではあるが、捜査一課では彼女の顔を知らない者はいなかった。

今日も今日とて、捜査一課には数える程しか人の姿はなかったけれど、その僅かな人間は唐突に現れたの姿を目にして引き締めていた表情を少しばかり強張らせる。

どういう理由があるのかは解らなかったが、は捜査一課ではあまり歓迎されていないらしい。

「・・・?」

そんな彼女を視界に認めて、近づいてくる人間はほとんどいない。

いるとすれば捜査一課・管理官である室井か、それとも・・・。

「久しぶり、新城」

訝しげに自分を見ながら近づいてくる新城賢太郎に、はにこやかな笑みを向けた。

「どうした?珍しいな、お前が捜査一課に来るなんて・・・」

「ちょっと暇が出来たから、誰かにお茶の相手をしてもらおうと思って」

そう言って目の前に差し出された白い箱は、最近が気に入っているケーキ屋のモノ。

飽きっぽいが、それでも今までよりは割り合い長く利用している店でもある。

ここのチョコレートケーキが絶品なのよね・・・と以前嬉しそうに話していたことは、新城の記憶にもまだ新しい。

「また、ケーキか・・・」

呆れ混じりに呟いた新城の言葉に、はにっこりと微笑んだ。

「何か問題でも?」

「いつもいつも会えばケーキばかり・・・。その内太るぞ」

何の遠慮もなく告げられた『女性の禁句』に、はより一層笑みを深くする。

そんなを目に映して、新城はかすかに顔を強張らせた。―――こういう表情をする時のは、決して友好的とはいえないということを身を持って知っていたからだ。

案の定、口元は笑みの形を作っているのに目は笑っていない事に新城は漸く気付いた。

「別に私が太かろうと細かろうと、貴方に迷惑かけるわけでもないと思うんだけど」

「いや、確かにそうなんだが・・・」

「ああ、それとも心配してくれているのかな?新城管理官は自分に関係がない人間の体調にも気を配っておられるとか?それはそれはずいぶんと立派なことで。貴方の部下になる刑事は幸せ者ですね」

にっこりと笑みを浮かべ、口を挟む隙もないほど一気にまくしたてるに、新城は思わずこめかみを抑える。

それを冷ややかな視線で見ていたは、フゥと小さく息を吐いてから先ほどよりは幾分和らいだ口調で不機嫌そうに呟いた。

「なによ。別に良いじゃない、甘いモノが好きでも」

その僅かに和らいだ空気に気付き、新城はジロリとを睨みつけて。

「悪いとは言っていない。それよりもちゃんと食事は取ってるのか?まさかケーキだけで済ませているなんて事はないだろうな?」

反撃とばかりに、今度は新城がに向かってそうまくしたてた。

それを少しばかり眉間に皺を寄せて聞いていたは、「また始まった」と心の中で呟きながら苦笑を浮かべる。

新城賢太郎という男は、冷たい雰囲気を漂わせる外見とは裏腹に心配性だ。

それも何故か限定ではあるのだけれど、そんな事は普段捜査一課に姿を現さないの知った事ではない。

それ故に、の中で新城は『にわか保護者』と位置付けられている。

延々と続きそうな説教にウンザリして、は困ったように部屋の中を見回した。

そしてそこにいるハズの人間の姿が見えないことに気付いて、微かに首を傾げる。

「ねぇ、新城。室井さんは?」

突然話を打ち切られた新城は僅かに眉を顰めたが、それもいつもの事だと自分を見上げていると視線を合わせた。

「室井さんに何か用があって来たのか?」

「ううん、別に」

あっさりとそう返されて拍子抜けした新城は、軽くため息を零す。

ならば何故、はここに来たんだろうと少しばかり不思議に思う。

が親しくしている人間は、自分を含めて僅かしかいないことを新城は認識している。

それはが女性でありながらキャリア組と呼ばれるエリート集団に属しているからなのか、それとも警察組織内でも異彩の存在であるからなのか。

自身は意外と付き合いやすい人物であると新城は思っている。―――まぁそれも、知り合ったから思うことなのだが。

知り合う以前は、他の人間と同じように苦手意識のようなモノを抱いていた事を、新城も否定するつもりはなかった。

「そっか。室井さん、いないんだ」

おかしいなと、は内心首を傾げる。

最近では大きな事件は起こっていない。―――この間まで指揮を取っていた捜査本部も、つい先日犯人逮捕という形で幕を下ろした事をは知っている。

だから今日は捜査一課で事後処理をしているだろうと予想して、わざわざ珍しく出向いた次第だというのに。

それに聞きたいこともあったんだけど・・・と、これまた心の中でひっそりと呟く。

「まぁ、いいか」

いないのなら仕方がない。

あっさりとそう結論を出して、は未だに自分の前から姿を消さない新城を見上げた。

この男は暇なのだろうか?

仮にも捜査一課の管理官だというのに、こうしていつまでも自分の相手をしているとは。

「しょうがないから、新城にお茶の相手してもらおうかな?」

「仕方がないとはなんだ。俺も早々暇ではないんだぞ」

「じゃあ、別に良いよ。仕事頑張ってね」

簡単に引き下がるに、新城は不機嫌そうに表情を歪める。

という人間は、こんな風に何かに執着するということがない。

おそらく新城の事も、いてもいなくてもどちらでも構わないとでも思っているのだろう。

そう思い、新城は更に表情を歪める。

「じゃあ、お邪魔さま」

クルリと踵を返して捜査一課を出て行こうとするの肩を思わず掴んで、新城は無言のまま彼女が手に持つケーキの箱を奪い取る。

訝しげな表情で振り返ったから視線を逸らして。

「ちょうど小腹が減っていたんだ」

「・・・素直じゃないね、新城」

かけられた言葉に一瞬ドキリとするものの、次の言葉に再び重いため息を付いた。

「そんなにケーキが食べたいなら、最初から素直にそう言えば良いのに・・・」

こいつは何も解っていないと、新城は心の中で密かに毒づいた。

 

 

「ねぇ、新城はどれ食べる?」

ほとんど使われていない捜査一課のデスクの一部を陣取って、即興のお茶会が開かれる。

もちろんお皿などが用意している筈もなく、そのままかぶりつくという行為に新城は微かに眉を顰めたが、そう言えば言ったで『これだからお坊ちゃんは・・・』と呆れた風に言われるのがオチだと思い、すんでのところで言葉を飲み込んだ。―――確かも良い所のお嬢さんだった筈だと、以前見た経歴書の内容を思い出すが、そんな言い分がに通じるとは思えなかった。

「別にどれでも構わん。―――それよりも

「なに?」

既に箱から目当てのケーキを取り出し、頬張っているを目に映しながら、新城は前から聞きたいと思っていた疑問を口にした。

「何故、室井さんは『さん』付けで呼ぶのに、私は呼び捨てなんだ?」

「・・・何いまさら」

新城の質問を、はあっさりと切って捨てる。

の言い分も最もな事だった。

と新城が出会ってから、それほど日が浅いわけではない。―――出会ってから今日までの間、その呼び方はずっと同じだ。

今さら聞くような事ではないと、は思っていた。

しかし新城にしてみれば、以前から聞こうとしてはいたがきっかけが掴めなかった疑問でもある。

別に呼び捨てにされること自体に異論があるわけではない。

それほど親しい位置にいるのだと暗に示してくれているようなものだと、新城は少しばかり嬉しくもあった。―――にそんな気があるのかは別として。

しかしやはり疑問を抱く。

新城の目から見ても、と一番親しいのは室井だったからだ。

が自分から会いに行くのは、室井にだけ。

室井は間違いなく、の特別な位置にいる。

どういう経緯で2人が出会ったのかは新城も知らなかったけれど、お互いがお互いを深く信頼しているように彼の目には映った。

そんな室井に対しては『さん』と付けるというのに、何故自分は呼び捨てなのだろうか?

微かに期待を抱いている自分自身に気付いて、新城は微かに苦笑した。―――室井よりも自分が一番に近いと、彼女の口から告げられる事を期待している。

「そっちだって、私のこと呼び捨てじゃない」

「私はお前がそうだから、そうしているんだ」

キッパリと言い切って、の次の言葉を待つ。

どういう返答が返ってくるのか思案するが、の言動や行動は時に予想の範疇を越えていて、新城には正確に予測できない。

「う〜ん・・・別にこれと言って理由はないんだけど・・・」

「・・・けど?」

「敢えて言うなら・・・」

「言うなら?」

言葉尻を取って話を促す新城に僅かに眉を上げたは、彼を見据えて事も無げにさらりと言った。

「そういうキャラなんだよね、新城って」

出て来た単語に、新城は思わずこめかみを抑えた。

期待通りの返答が来るとは思ってはいなかったが、しかしこれはあんまりだ。

急速に気分が落ち込んでいく新城を知ってか知らずか、は更に言葉を続ける。

「意外と打たれ弱いし、時々やる事成す事空回るし、どことなく雰囲気がやられキャラっぽいんだよね」

「・・・・・・悪かったな」

やっとの思いで、それだけを何とか言い返す。

もうそれ以上は聞きたくないと内心でぼやくと、「でも・・・」とは呟き、顔を上げた新城の目に綺麗に微笑むの笑顔が映った。

「親しみやすいって言うの?私って結構、そういう人嫌いじゃないんだよね」

「・・・・・・」

「気を使わなくても良いし」

「・・・・・・そうか」

急速に沈んでいった気分が、急速に浮上してくるのを自覚した。

単純だな・・・と自嘲するが、それも別段嫌な気分ではない。

こういったの笑顔を拝める人間は、滅多にいないだろう。

それが自分だけではない事が癪に障るが、今はそれでも良いかと新城は思う。

「・・・

「今度は何?」

既に二個目のケーキに手を伸ばしつつあるに、新城は珍しく笑みを浮かべた。

「最近はロクな食事を取っていないんだろう?一緒に食事でもどうだ?」

「悪いけど、いつになるか解らない約束はしない主義でね」

今まで何度かドタキャンを食らった経験のあるは、あっさりと新城の申し出を断ったが、それで諦めるような新城でもなかった。

「今夜ならば問題ないだろう。今の所予定は入っていない」

「今の所はね」

事件はいつ起こるか解らない。

縁起でもないが、数分後に大事件が飛び込んで来ないとも限らないのだ。

のあまり乗りの良いとは言えない返答に、新城はかすかに渋い顔をする。

それに気付いたは、仕方がないとばかりに軽く肩を竦めて。

「まぁ、たまには恋人のいない寂しい新城に付き合ってやりますか」

「悪かったな。お前だって同じようなものだろう?」

「あれ?彼氏いないって言ったっけ、私」

「・・・・・・いるのか?」

「想像にお任せします」

いつもそうだ。

いつもはこんな風に話をはぐらかす。

お陰で新城は、のプライベートをほとんど知らない。

「まぁ、いい。何を食べるか決めておけよ」

「了解。新城のおごりだよね?」

「ああ」

「よし。んじゃ、どこにしようかな?」

おそらくは頭の中でどの店にしようか考えているんだろう。―――普段とは少し違う幼い表情に、新城は思わず苦笑した。

そのまま席を立って、あれやこれやと悩むに声をかけてから、新城は仕事に戻るべくその場を去った。

今日の夜までに、溜まっている仕事を終わらせる必要が出来たと。

そんな新城を見送って、は二個目のケーキの欠片を口の中に放り込んだ。

そして・・・。

「結局、新城の奴ケーキ食べていかなかったな」

箱の中に残る様々なケーキを目に映しながら、はポツリと呟いた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

『踊る』第二弾。

今回の主役は新城さんで。

結構好きな人だったりします。―――扱いは酷いですが(笑)

新城さんに密かに想いを寄せられてください。

ちなみに新城さんは、室井さんとヒロインが付き合っている事を知りません。

作成日 2004.6.3

更新日 2007.12.11

 

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