あまり知られてはいないが、本庁捜査一課には、そこに付属する特別な班がある。

『本庁捜査一課・特別班』

何の捻りもなく面白味もない名前のその班に所属するのは、僅か一名のみ。

たった1人だけのその班は、本庁内部にひっそりと存在していた。

 

鳥籠の

 

カツカツと、綺麗に磨かれた廊下を早足で歩く男が1人。

本庁捜査一課管理官・室井慎次は、いつも通りの険しい表情を浮かべながら、何事かと振り返る刑事たちには目もくれずに、ある場所を目指す。

「・・・・・・」

漸く目当ての場所に辿り着いたのか、ピタリと足を止めると小さくため息を1つ。

壁の色と同色の白いドアを睨みつけるように視線を向けて、またもやため息を吐き出すと、意を決したかのような面持ちでドアをノックする。―――が、一向に返事は返ってこない。

もう一度ノックするも、やはり返事が返ってこないことに苛立ち、堅く閉ざされたドアのノブに手を掛けた。

「・・・入るぞ」

一応は声を掛けて、何の躊躇いもなくドアを押し開ける。

まず目に映ったのは、窓際に設置されてあるデスク。―――その上には数台のパソコンが置かれてあり、いつもならば常に稼動しているそれは、今は沈黙を守っている。

視線を左側に向けると、デスクと並ぶようにして数個のロッカーが。

そして部屋の中央には、まるで居座る・・・といった形容が出来そうなほど大きなソファーセットが置いてある。

それほど広くはない部屋。―――けれど1人で使うには十分すぎるほどの広さだ。

その広くも狭くもない部屋を見回すと、ソファーの陰に目的の人物を見つけることが出来た。

スラリとした身体は大きなソファーにすっぽりと納まり、腰の辺りまで伸びた艶やかな黒髪は無造作に散っている。

その寝顔はいつもからは想像できないほどあどけない。―――いつもこんな風に大人しいならばこちらも楽なのにと、室井はひっそりとそんな事を思う。

「おい、起きろ」

軽く身体を揺さぶってみるが、女性は一向に起きる気配さえない。

「おい!起きろと言っている!!」

少し苛立ったように室井が声を荒げれば、その女性は小さく身じろぎした後ゆっくりと目を開いた。

黒曜石のような深い色の目が、眉間に皺を寄せた室井の姿を映し出す。

「・・・室井さん?」

「いい加減に起きろ。今を何時だと思っている」

未だ寝ぼけた様子で室井の名を呼ぶ女性に向かい少し強めの口調でそう言えば、女性はゆっくりと瞬きを繰り返した後、気だるそうに身を起こした。

「今・・・何時?」

「午後2時だ」

「・・・・・・2時ぃ?」

時計を確認して、疲れたように言葉を吐き出す。

「私・・・寝たの11時なんですけど・・・」

もちろん、午前の事だ。

少し気を抜けばくっついてしまいそうな重い瞼をこすりながら、大きなあくびをする。

年頃の娘にしては、なんて色気のない仕草だろうか。

くしゃくしゃになった髪をかき回す女性を見据えて、室井はそんな事を思った。

この女性こそが、この部屋の主であり『捜査一課・特別班』の唯一の班員でもある。

名前を、という。

まだ23歳という若さでありながらも、その才能から上層部にも一目置かれる存在。

『日本の宝』と言われるほどの頭脳を持っているらしく、その力をいかんなく発揮し、キャリア組でもその存在を知らしめていた。

『捜査一課・特別班』とは、そんなの為に上層部がわざわざ作った班なのだ。

では何故、わざわざそんな班を作ったのかと言うと・・・。

はっきり言ってしまえば、お世辞にもは組織の中に身を置く事に向いていない。

自らの力だけを信じ、単独行動を好む。―――規律など気にも止めない、破天荒ぶり。

当然ながら上層部はのそんな行動に頭を悩ませた。

規律を重んじ、何よりも上下関係を好む警察において、は異彩を放っている。

本来なら懲罰モノ・・・最悪の場合は懲戒解雇もおかしくない彼女が、それでもどうして本庁のキャリアでいられるのかと言えば、それは彼女の才能が惜しいからに他ならない。

何千人に1人いるかいないか・・・使いようによっては、この上なく頼もしいその力は手放すには惜しい。

一説には情報収集を得意とするによって、上層部の連中は弱みを握られているのだとか実しやかに囁かれているが、真相は定かではない。

ともかくも、扱いには困るが手放すには惜しいを何とか活用するべく、上層部は『捜査一課・特別班』なるものを設立したのだ。

よく言えば『の力を最大限に引き出す為』、悪く言えば『隔離』である。

しかしにとっては、妥当だと言える環境でもあった。

彼女はここで、独自の情報網を使って様々な情報を集めデータを纏める。

心理学の博士号も取得しているらしく、プロファイリングチームの責任者という立場にもあるが、大抵彼女はこの部屋にいた。

朝・出勤してから夜・帰宅するその長い時間を、彼女は1人この部屋で過ごしている。

この部屋に訪れる者は決して多くない。―――室井はそんな多くない内の1人だった。

「またここに泊まったのか?」

掛けていた毛布を畳んでいるに呆れたように声を掛ければ、気が付いたら朝だったのよとあっさりと返される。

予想済みとはいえ、返ってきた答えに室井はさらに眉間に皺を寄せた。

「それで?毎日忙しい室井さんは、わざわざここに何しに来たの?」

掛けられた言葉に、少々刺が混じっている事に気付いた。―――どうやら起こされた事が気に食わなかったらしい。

「頼んでいた資料を受け取りに来た」

それに全く取り合わず、室井は淡々と用件を告げる。

「・・・・・・」

「頼んでいた資料だ。出来ていないのか?」

「いや・・・出来てはいるけど・・・・・・」

の突き刺さるような視線を受けて、室井はさらに皺を寄せた。

一体なんだと言うのだろうか?

自分は何もおかしな事は言っていない筈だ。

訝しげに自分を見るに、そう思いながらも内心少しだけ動揺する。―――と、その動揺を見透かしたかのように、はにっこりと笑みを浮かべた。

「なぁんだ、そういうことね・・・」

1人納得したように呟くに、室井は小さく首を傾げる。

「・・・なんだ?」

「いやいや・・・、室井さんの分かり辛い愛を感じたまでですよ」

「・・・・・・は?」

どこか茶化したような口調で、突然訳の分からない事を言い出すに、室井は思わず間の抜けた声を上げた。

そんな室井に構わず、軽い足取りでデスクに向かったは、引出しから一枚のフロッピーディスクを取り出し、それを室井の前に差し出す。

「これが、頼まれていた資料を纏めたものです」

「あ、ああ・・・忙しいのにすまないな」

の考えが読めず(今まで読めた試しはないが)少し引き気味でフロッピーを受け取る室井に、さらに笑みを深くして。

「これくらい、いつでもどうぞ。捜査本部を3つも抱えて大変お忙しい室井さん直々に受け取りに来てくださったおかげで、一週間ぶりに顔が見れたことですし?」

どうして自分が捜査本部を3つ抱えている事を、ずっとこの部屋にいたが知っているのだろうか?

ふとそんな考えが脳裏を過ぎったが、それもいつもの事だと深く考えない事にする。

それよりも・・・。

フロッピーを手に持ったまま、室井はクスクスと笑うを見て思わず視線を逸らした。

バレている。―――自分がここに来た、一番の目的が。

「そんなに私に会いたかったの?」

「なっ!?」

瞬時に顔を真っ赤に染める室井を見て、は堪えきれずにお腹を抱えて爆笑した。

この幾つか年上の男は、本当に不器用だとは思う。―――けれど、だからこそ嬉しかったりもするのだ。

「〜〜〜〜〜失礼するっ!!」

「ああ、室井さん」

真っ赤な顔をしたまま逃げるように背を向けた室井に、は穏やかな口調で彼を呼び止める。

それに律儀に振り返る室井を見て、再び込み上げてきた笑いを何とか堪えると、にっこりと笑みを浮かべて。

「実はケーキを買ってあるの。一緒にお茶でもどう?」

「・・・・・・」

「疲れたときは甘いモノが一番だそうだよ?」

「・・・俺は甘いモノは好きではない」

「知ってるけど、1人で食べるのもつまらないデショ?折角来たんだから付き合ってよ」

部屋の端に置いてある小さな冷蔵庫からケーキの箱を取り出し、それを室井に見えるように目の前まで上げると、室井は小さくため息を零しつつも大人しくソファーに腰を下ろす。

予想通りのその行動に、は満足気に微笑んだ。

 

 

「それじゃあ、捜査頑張って」

「・・・ああ」

「わざわざこの私が情報集めてあげたんだから、しっかりと犯人捕まえてよ?」

「分かっている」

ささやかなティータイムを終えて、室井は慌ただしくも立ち上がった。

背中に掛けられる声に簡単に返事を返し、ふと何気なく振り返る。

「・・・どうかした?」

「いや・・・」

不思議そうに首を傾げるに、室井は小さく首を横に振った。

自分が出て行けば、はまたこの部屋で1人・・・パソコンと向かい合うのだろう。

それこそ寝る間を惜しんで。

がどうしてそこまでするのか、室井には分からなかった。

にとっては、警察組織の事などどうでも良いのだろう。―――彼女はここにいなくとも・・・例え違う仕事を選んだとしても構わないと思っているのではないかと室井は思う。

それならば、どうしては警察にいるのか?

こんな寂しい部屋で、1人黙々と仕事をする。―――それをしてまで、どうして彼女は警察に居続けるのか?

室井には、の心は分からなかったけれど。

「また・・・来る」

「いつでもどうぞ」

言いにくそうにそう呟けば、にっこりと笑顔で返される。

室井はこんな瞬間が、嫌いではなかった。

ここに来れば、いつだってに会うことが出来た。

この閉ざされた・・・ほとんど人の訪れない寂しい場所で。

そこにいるを、心配に思う事も多いけれど。

けれど会えば必ず笑顔を浮かべる。

にっこりと嬉しそうに・・・そして照れくさそうに。

「じゃあな。睡眠は十分に取れよ」

「人を叩き起こした人の言うセリフじゃないね」

返ってくる言葉は、皮肉めいたものばかりだけれど。

室井は愛しい恋人の頭を軽く叩くと、来た時とは打って変わった静かな足取りで、仕事に戻るべく歩き出した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

一応、恋人設定です(笑)

最後の『恋人』って言葉がなかったら、絶対に分からないですね(きっぱり)

なんだかすごい設定のヒロインですが、まぁ・・・今に始まった事じゃないか。

室井さんがなんだかとっても別人ですが、その辺はご勘弁ください。

一応続きモノだったりします・・・ので、よろしければまたお付き合いください。

作成日 2004.5.16

更新日 2007.10.21

 

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