壁も、天井も、白に覆われた部屋の中。

そこにポツリと存在するベットに、1人の少女がいた。

「漸く退院出来るそうだな」

不意に聞こえた少年の声に、少女はゆっくりとした動作で振り返る。―――長く艶やかな黒い髪が、その動きでサラリと揺れる。

「そう、漸くね」

「大人しくしていれば、もっと早くに退院出来たのだろうが」

呟いた言葉に、更に返って来た刺を含んだ言葉。

それに何も言わずに苦笑で返すと、少女はぼんやりと窓の外を見た。

「あれから、結構経っちゃったなぁ・・・」

捜してくれたかなぁ?と1人ごちる少女を目に、少年は深い溜息を零す。

そんな少年など気にした様子なく、少女は楽しげにお気に入りの唄を口ずさんだ。

 

つけた。

 

あの夜から。

寂れた公園でという少女と会った日から、既に半年の月日が流れていた。

同じ学校だという事と、同じ2年だという事以外は何も解らない少女。

生徒数が半端ではないマンモス校・明稜で、何科なのかも解らない少女1人を捜すのはそう簡単ではなかった。

そして、半屋はまだを見つける事が出来ていない。

それほど真面目に学校に通っていない半屋には、知っている人物の方が少ないくらいなのだ。―――捜そうにも、その手段が思いつかない。

手始めに自分が所属する工業科を何気なく捜してみたが、やはりというか何と言うかの姿は影も形も見当たらなかった。

元々、工業科には女子の数が圧倒的に少ない。

いくら真面目に学校に通っていないとはいえ、そんな数少ない女子が今まで目に止まらない筈はなかった。

次に半屋がした事は、当てもなくブラブラと学校内を歩き回る事だった。

他の科に知り合いはいない。

いや、いるにはいるが・・・―――出来れば・・・というか絶対に、借りは作りたくない相手ばかりなのだ。

ここで人付き合いの良い人物ならば、何の躊躇いもなく普通にの存在を聞く事が出来るのだが、生憎と半屋はそういうタイプではない。

そして聞こうと声をかけようものなら・・・きっと相手は全速力で逃げるだろう。

その上、半屋が女子を探していたと噂にでもなれば・・・後は考えたくもなかった。

きっとあの唯我独尊的な自己中生徒会長の明稜帝が、首を突っ込んでくるに違いない。

もろもろの事情から、半屋が出来る事は少なかった。

別にそれほどムキになって捜す必要はないと、半屋は自分に言い聞かせる。

が誰だろうと、この先会うことがなかろうとも、自分には関係がないのだと。

けれどそう考えれば考えるほど、半屋の中にイライラが降り積もってきた。

それはあの日、あの夜に感じたイライラと良く似ている気がした。

「・・・ちっ」

思わず舌打ちをする。―――廊下をすれ違った男子が、ビクリと身体を震わせたけれど、そんな事はどうでも良かった。

早く出て来い、とそんな事を思う。

捜せと言われたのだから、言った本人がのこのこと自分の前に出てくるなんて事はないだろうとは思うが、それでもそう思わずにはいられない。

もう、限界だった。

誰かを捜してウロウロ歩き回るのも。

どうでも良いと思う度に頭の中を流れる、あの唄にも。

ちらつくの姿にも。

それを思い出す度に胸の中に湧き上がる、不可解な気持ちにも。

「くそっ!」

どうにもイライラが我慢できずに、近くにあったゴミ箱を蹴り上げる。

大きな音を立てて転がったゴミ箱と、散らばったゴミを苛立ちながらも眺めていると、不意に耳にあの唄が届いた。

もうどんなだったのかも忘れかけてしまった。―――けれど耳について離れない、あの唄が。

咄嗟に振り返る。

聞こえてくる唄声は、お世辞にも上手いとは言えない。

声も少女のものではなく、正反対の低い男の声。

けれどその唄が、に通じているのは確かだと、半屋は廊下に溢れる生徒の波を掻き分けながら唄が聞こえてくる方へと進んだ。

そして・・・絶句する。

「ふんふんふ〜ん、ふふ〜ん」

その唄を口ずさんでいたのは、自分が最も関わり合いたくないと思っていた男だった。

「・・・てめぇ」

「ん?なんだ?この俺様に何か用か?」

ニヤリと嫌な笑みを浮かべて半屋を見る、明稜帝・梧桐勢十郎。

その浮かんだ笑みにふつふつと湧いてくる怒りを何とか抑えて、半屋は梧桐を鋭く睨みつけた。

「てめぇが何でその唄を知ってやがる?」

「俺が唄を唄っていて何が悪いというんだ?相変わらず馬鹿の言う事は理解できんなぁ」

からかうような仕草で、ヤレヤレとあからさまに溜息を吐く梧桐。

「答えろ!!」

梧桐に、今にも飛び掛らんばかりに半屋が怒鳴る。

そんな半屋の態度に、この上ないほど楽しそうな笑顔を浮かべた梧桐は、挑戦的な表情で半屋を見返し・・・。

「何でも何も・・・に教えてもらったからに決まってるだろう?」

あっさりと告げられた言葉に、半屋は驚きを隠せずに目を見開く。

「てめぇ・・・あいつの事知ってんのか?」

「もちろんだ。は・・・・・・おっと、これ以上は教えられんなぁ」

あからさまにからかっているのが見て取れる梧桐の態度に、半屋は一瞬にして頭に血が上った。

無性にイライラした。

冗談じゃなかった。

何で俺が、あんな一回会っただけの女の事で、こんなにイライラしなきゃなんねぇんだよ!

の飄々とした笑みが脳裏に甦る。

『知りたかったら、私を見つけてよ』

何でその言葉が、こんなにも頭から離れないのか。

どうしてこんなにも、会いたいと思ってしまうのか。

自分らしくないと、今日までに何度も思った事を再び思う。

「ふざけんな!!」

発した言葉が何に対して向けられたものなのかは、半屋にも解らなかった。

目の前の梧桐に対してなのか。

それとも、この場にはいないに向けられたものなのか。

もしかすると、未だにを見つける事すら出来ない自分自身に対してなのかもしれない。

すべてを吐き出すように声を張り上げる。―――それと同時に、強く握った拳を梧桐に向けて打ち出した。

梧桐もやはり薄笑いを浮かべて、そんな半屋を迎え討とうする。

廊下に生徒たちの悲鳴が響いた。―――その時。

バシィ!と景気の良い音を響かせて、何かが自分の拳を受け止めたことに半屋は気付いた。

目の前の梧桐も同じように拳を止められ、驚いたような表情を浮かべている。

半屋は自分の拳を受け止めている細い腕を辿って、視線を巡らせた。

心臓が踊る。―――淡い期待が、頭の中を駆け抜けた。

「何やってるの?」

感情の篭らない冷めた声色で、そう問うてくる。

それに答えたのは、半屋ではなく梧桐だった。

「お前こそ、こんな所で何をやっている?」

呆れを含んだ声色で、視線を向ける梧桐。―――「退院はまだだろう?」と話す梧桐の言葉に追及したかったけれど、残念ながら半屋にはそんな余裕はなかった。

「抜け出して来たの。いい加減、退屈だし・・・」

なんでもない事のように呟くその人物に、梧桐が「だから退院が遅れるんだ」と呟くのを無視して、半屋が呆然と口を開く。

・・・?」

そんな半屋に視線を向けて、その人物・・・―――は綺麗な笑みを浮かべた。

「久しぶりだね、半屋工くん」

半年振りに会うは、半年前と同じように唐突に半屋の前に現れた。

 

 

「まずは君に謝っておかないとね」

場所を移して・・・―――何だかんだと言ってついてくる梧桐を追い返したと共に、半屋がいつもサボる時に使う人通りの少ない場所へと移動した後、唐突にがそんな事を口にした。

「・・・なにがだ?」

不機嫌さを隠そうともしない半屋の言葉に、は苦笑を浮かべる。

「見つけろとか言っておいて、実は私ここ最近は学校に来てなかったんだよね」

さらさらと肩から零れ落ちる髪を掻き上げて、はあっさりと呟く。

その時漸く、半屋は先ほどの梧桐の言葉を思い出した。

梧桐の言った、退院という言葉を。

「・・・入院してたのか?」

「そうなの。ちょっとね」

「・・・・・・どっか悪いのか?」

ふと気になった事を聞いてみる。―――が、聞いた直後後悔した。

これではまるで、自分がの事を気にしているみたいではないか。

そう思ったけれど、は気にしていないのかクスクスと笑う。

「どこも悪くないよ。健康だけが取り得だしね」

「・・・じゃあ」

何でと言葉を続けようとして、半屋はの腕に残る微かな傷跡に気付いた。

そんな半屋の視線に気付いたのか、は腕をヒラヒラと振って笑う。

「実はさ、ちょっと車に跳ねられちゃって」

事の大きさとは反対に、まるでそこのコンビニの前で転んじゃって・・・といったニュアンスで話す。

「臨死体験なんていう、貴重な体験までしちゃった」

「・・・いつ?」

「初めて半屋君に会った、その帰り道」

の口から飛び出てきた言葉に絶句する。

初めて会った帰り道?

あの・・・公園で会った夜の、その帰り道で?

「お前・・・」

「だから、半屋君がいくら捜してくれてても見つけられるわけがなかったの」

ごめんね?と小さく首を傾げるに、半屋は思わず溜息を零した。

返す言葉が見つからない。

半年も入院していたという事は、きっとの言う『臨死体験』というのもあながち冗談ではないのだろう。

それでもなんでもないかのように笑うに、どうしようもなく惹き付けられて。

腕を伸ばして、の黒い艶やかな髪を一房掴んだ。―――それを強引に・・・けれど痛みを感じないようにと気をつけながら自分の方へ引き寄せる。

そんな事にも気を配る辺り、自分らしくもないと改めて思う。

けれど、それに対しては不思議と苛つきはしなかった。

「・・・捜した」

「うん、知ってる」

あっさりと返って来た言葉に、半屋は眉を顰めた。

「勢十郎が教えてくれた。最近半屋君が校内をウロウロしてるって」

「・・・お前、梧桐とは」

「幼馴染・・・みたいなものだよ」

すべてを言い切る前に返って来た言葉に更に眉を顰める。―――みたいなものとは厳密に言えばどういうことなのかと問い詰めたかったけれど、今はどうでも良い気がした。

髪を引っ張り、更に顔を近づける。

息が掛かるほど近い場所にいるに、囁くように呟く。

「見つけた」

呟くと同時に、顔を近づけた。

全く抵抗を見せないに触れるだけの口づけをして、すぐに顔を離す。

目の前にあるの顔が、フワリと綺麗な笑みを浮かべた。

「見つかっちゃった」

まるで安堵さえ感じさせるその口調に、半屋は髪を掴んでいない方の手をの後頭部に回すと、強い力で引き寄せ強引に唇を奪った。

「・・・ん・・・・・・」

微かに喉の奥で鳴ったの声まで奪うように、半屋は夢中で口付ける。

その時漸く、今まで胸の中を占めていた不可解な気持ちの理由が解った気がした。

 

 

一目惚れだったのだと、は笑う。

半屋がと出会う前に、梧桐と喧嘩を繰り広げる半屋を見て、一目惚れしたのだと。

けれど今まで恋愛などした経験のないは、生まれたばかりの気持ちを持て余していた。

お世辞にも人付き合いが良いとは言えないことも拍車をかけ、ただ何もせずに毎日を過ごしていた矢先、偶然にも半屋とあの公園で会った。

その時は賭けに出た。―――自分が口ずさんでいた唄に興味を持った半屋に、「見つけて」と告げて。

もしも捜してくれたなら、死ぬ気でこの想いを伝えてみようと。

「まあ、その前に死ぬかと思ったけど」

やはり飄々とそんな事を呟くに、半屋は重い溜息を吐き出す。

そんな半屋が、の告白を受けて顔を真っ赤に染め上げるのは数分後の話。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

前回とヒロインの性格が微妙に変わってる気がする。

夜の公園で張り倒した男たちの中に立つヒロインの姿を思い浮かべてた時は、こんな可愛らしい(?)感じじゃなかったのに。

というか、最初は半屋→ヒロインという設定だった筈なのに。

おかしいなぁ・・・?うん、おかしい。どこでこんな風になったんだか。

作成日 2004.7.21

更新日 2008.6.15

 

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