パソコンの画面に映る経歴書を、は興味深げに眺めていた。

「・・・ふむ」

小さく1つ頷いて、顔写真を拡大する。

そこに映っていたのは、別段取り立てて特徴のある顔ではない。―――ただ少しばかり意思の強そうな目が、印象的と言えば印象的か。

はデスクに肘をついて、複雑そうな面持ちで小さくため息を零す。

「・・・青島俊作か」

ため息混じりに呟かれたその名前は、誰に聞き咎められることもなかった。

 

電話越しの

 

それは先日の事。

鳴り出した携帯に手を伸ばして、着信履歴を確認したは小さく首を傾げた。

『室井慎次』

携帯に表示されているのは、とても見覚えのある名前だ。

脳裏に室井の仏頂面が難なく浮かんで来る。

「・・・珍しいこともあるもんだ」

手の中で騒ぐ携帯を見下ろしながら、は誰に言うでもなく呟いた。

室井から電話がかかってくる事は滅多にない。

ゼロではないが、それこそ何かの用事がなければそれを望むのが馬鹿らしくなるほどの頻度ではある。

自身も携帯は連絡手段の1つとしてしか見ていない節があり、他愛無いおしゃべりに数時間を費やした事など記憶の中にはなかった。

何か事件でもあったのだろうか?

ふとそんな考えが頭の中を過ぎり、そんな考え故に更に疑問は増える。

室井は仕事とはいえ、あまりに頼ろうとしない。

それは室井のプライドの問題なのか、それとも見た目からは想像できないほど多忙なを気遣ってなのかは解らないが、室井がに仕事を頼む時は、よっぽど人手が足りない時かでなければ難しい仕事か、そのどちらかだ。

珠にそれほど難しくない仕事を頼んでくる時などは大抵も忙しくない時なので、やはり気遣ってくれていると考えるのが妥当だろう。

どちらにしても出てみれば解ると、鳴り止む様子のない携帯を見下ろしながら思ったは、折りたたみ式の携帯を開けると通話ボタンを押した。

「もしもし」

か?』

電話越しに聞こえる、室井の声。―――聞くのはずいぶん久しぶりだと、その時になって漸く思い出した。

「そうよ。私の携帯なんだから私以外の誰が出るのよ。それともお掛け間違いですか?」

室井の電話の第一声は、いつも相手の確認からだ。

いつも通りの確認と、そして自分の口から出てくる可愛げのない言葉に、は知らず知らずの内に苦笑を浮かべていた。

こういう時に可愛い反応ができれば良いのだろうとは思うけれど、やはりいつも思うようにはいかない。―――多分何年経っても変わることはないだろう。

「どうしたの?何かあった?」

電話越しに無言になった室井に、幾分和らいだ口調で問い掛ける。

室井は先ほどのことを名前で呼んだ。―――仕事人間である室井は、仕事中ならばの事を苗字で呼ぶ。

名前で呼んだからには、今は仕事中ではないのだろう。

『いや、特に何かあったわけではない』

「へぇ、用事もないのに電話してくるなんて珍しいね」

『そうか?・・・・・・そうだな』

別には室井を責めるためにそういう言い方をしたわけではない。―――本当にただ純粋な感想を述べただけである。

しかし室井の方はそうは思わなかったようで、少しばかりバツの悪そうな声色で、ただ肯定の言葉を零した。

実際、本当に珍しい事だった。

何の用件もなく電話がかかってくるなど、今まで一度だってなかったからだ。

これで付き合っていると言っても、誰も信じてくれそうにない。

再び無言になってしまった室井に、は困ったように視線を泳がせる。

室井はお世辞にもお喋りとは言えない。―――も会話が苦手という訳ではないが、今まで何の目的もなく長電話をしたことがないため、何を話して良いのか解らない。

目の前にいればそんな事もないというのに・・・こういう時相手の顔が見えないというのは気まずいものだとはぼんやりと思った。

「最近はどう?相変わらず忙しいんでしょ?」

困り果てた末に、は仕事の話を持ち出した。―――他に良い話題が見つからなかった上の苦肉の策だ。

『ああ。今日も面倒な事件が起こってな・・・』

「ふ〜ん・・・、どんな?」

『警察に復讐を企てる男の事件だ』

言われてすぐに、はその事件に思い当たった。

刑事に馬鹿にされたと、復讐に燃える男の犯行。

そう言えば・・・と稼動中のパソコンを操作し、情報を引き出す。

湾岸署の刑事を狙って、爆弾付きのマッサージチェアが送り届けられた事件の報告が先ほど入っていたのを確認する。

爆弾処理班が出動し、無事に爆弾を解除し終え未遂に終わった事件。

「そういえば・・・この間、室井さんが担当した『会社役員絞殺事件』も湾岸署でだったよね」

ふと思い出した以前の事件に、思わず呟いて1人で納得する。

『ああ。そこで変な刑事に会った』

特に返答を期待していたわけではなかったが、予想に反して室井の返事が返ってきた。

「変な刑事って?」

『青島という刑事だ。元はサラリーマンだったらしく、つい先日刑事になったばかりなんだそうだ』

「・・・・・・ふ〜ん」

小さな箱から聞こえる室井の声に、は意味ありげに相槌を打った。

珍しい・・・と、今日何度目かの思いを反芻する。

室井が誰か一個人の事を話すのは珍しい事だった。

いつも事件を通してしか人を見ない。―――それは捜査一課の刑事に対しても変わらない。

『・・・どうかしたか?』

「ううん、別になにも」

そんなの様子を察したのか・・・少し訝しげな声で聞き返されて、はなんでもないというように軽い口調でそれを否定した。

たった少しの変化。

室井が多くいる刑事の1人を認識した。

ほんの些細な事ではあるが、今まで多くの刑事としてしか見ていなかった人たちを1人の人間として認識したのだ。

それは一般としてはごく当たり前のことなのかもしれないが、ある意味閉鎖された警察という空間においては珍しい事だ。―――特に本庁の管理官としては。

本庁捜査一課の・・・自分の部下ならばともかく、所轄の刑事たちを大抵の管理官は『駒』としてしか見ていない。

室井は他の管理官と比べてそこまではっきりと意識しているわけではないようだったが、自分と関わりがないという点ではそれほど変わりはない。

室井が所轄の刑事に関心を抱いた。―――それほどまでに印象的な刑事だったのだろうか?

その所轄の刑事に、も少しばかり興味を掻き立てられた。

それと同時に、ほんの少し不安も感じている。

訪れた微かな変化が、これからの室井にどう影響するのか。

また要らぬ荷物を抱え込んでしまわない事を祈りつつ、電話越しに響く室井の声に微笑みを浮かべながら耳を傾けた。

 

 

『仕事終わったんなら、電話なんてしてないでさっさと帰って休んだら?』

耳に響く呆れた声色に、室井は微かに表情を緩めた。

口調はお世辞にも丁寧とは言いがたいが、その裏にある自分の身体の心配をするの気持ちに気付いたからだ。

出会ってから最初の頃は、もちろんそれに気付ける筈もなかった。

は自分の心を見せる事はしなかったし、そんなの言葉の裏に気付けるほど室井は察しの良い男ではなかったからだ。

「ああ、そうだな」

最近の室井に休みらしい休みはない。―――もちろんそれはも知っているだろう。

身体は疲れている。

それでもに電話をかけたのは、彼女の声が聞きたかったからだ。

仕事の忙しさにかまけて、最近はロクに会えていない。―――それどころか、こうして声を聞くのも久しぶりの事だった。

「そういえば・・・」

ふと先日聞いた噂を思い出して、室井は無意識に口を開いた。

すぐにしまったと口を閉ざすが、性能の良い携帯はしっかりと室井の呟きをの下へ届けていたようで。

『どうかした?』

「いや・・・」

すぐに返って来た訝しげな声に慌てて否定するが、そんな事で誤魔化されてくれるほどは優しい人間ではない。―――察しの良いはすぐに室井の微かな変化に気付き、更に言葉を続ける。

『そんな『いかにも何か隠してます』みたいな口調で否定されても、説得力ないんだけど』

どことなく呆れた口調に、室井は微かにため息を吐いた。

もう一度『なんでもない』とでも言えば、おそらくは引き下がってくれるだろう。

そんな言葉に騙されてはくれないだろうが、は相手が隠したがっていることを無理やり聞き出そうとする人間ではない。

一瞬どうしようかと思案するが、ここで誤魔化しても室井の中にある微かな不安が消えるわけではないのだ。

面と向かっては聞きづらいが、こうして電話をしているのも良いタイミングだ。―――いっそのことあっさりと聞いてしまえば良いかと室井は考え直した。

「この間・・・」

『・・・うん』

「新城くんと食事に行ったそうだな」

言うと同時に、手の中の携帯を力強く握り締める。―――外は寒いというのに、手の平にはじっとりと汗をかいていた。

『うん、行ったわよ』

あっさりと返って来た返事に、心臓が跳ねるのを自覚した。

電話から聞こえて来たの言葉を反芻する。―――行ったと言ったのか?

「・・・そうか」

どういうことなのか問い詰めたいが、上手く言葉が出てこない。

何とか当り障りのない返答だけして、室井は細く長く息を吐き出す。

『それがどうかした?』

やはり訝しげな声色のに、彼女が新城と食事に行っても何事もなかったという証明のような気もしたが、だからと言ってそれで納得できるわけではない。

あまり恋愛関係において鋭いとはいえない室井ではあったが、新城の淡い想いには気付いている。―――いつも何事においても鋭いが、新城の想いに気付いていないのは不思議で仕方なかったが、短くもない付き合いの中で『向けられる敵意』には鋭いが『向けられる好意』にはとことん鈍いことは承知済みだ。

『ちょっと室井さん?どうしたのよ』

「いや・・・珍しい組み合わせだと思ってな」

何とかこちらの動揺に気付かれないようにと慎重に言葉を選ぶ室井。

いつもならそんな室井の動揺をあっさりと見破るではあるが、慣れない電話では多少の障害にはなるらしい。―――気付いた様子もなく、更に爆弾を投下した。

『そう?そうでもないと思うけど・・・』

「・・・・・・もしかして、よく新城くんと食事に行くのか?」

『う〜ん・・・そうだね。割り合いよく行く方かな?』

否定して欲しいという願いを込めて聞き返すが、それもあっさり裏切られて。

初めて知る衝撃の事実に、思わず頭を抱える。

先日室井が耳にした、あながち自分には関係がないとはいえない噂。

『新城管理官とは、デキている』

それを聞いた時の驚きは、普段は冷静な室井が思わず書類を取り落とした程だ。

「・・・何故、新城くんと?」

『何でって・・・なんかいつもちょうど時間が合うんだよね。彼も一応管理官なんだから、暇してるわけではないと思うんだけど・・・』

そういえば室井さんとは全然時間が合わないよね。―――続けられた言葉に、更に追い討ちをかけられた気分になる。

別に室井はを疑っているわけではない。

確かには策士ではあるが、意外に性格はキッパリとしている。

もし室井よりも新城を好きになったならば、室井とはキッパリと別れるだろう。

だからそういう意味では、今のところは心配してはいないのだけれど・・・。

室井は別に、自分とが付き合っているという事を知られたいわけではない。

知られれば知られた上での苦労も多くある。―――が、こんな噂を聞く度にバレても良いかと思うのも事実だ。

『ちょっと室井さ〜ん?』

自分の考えに没頭して無言になってしまった室井に、電話の向こうからが大声で呼ぶ声が聞こえた。

「いや、なんでもない。それよりも・・・」

『・・・ん?』

「近い内に・・・食事でも行くか」

少し遠慮がちに呟いた言葉に、の返事は返って来ない。

今まで何度となく約束をし、そして何度となく反故にしてきた。

いつ頃からかは忘れたが、度重なるドタキャンにウンザリしたのか、室井が同じように誘っても『いつになるか解らない約束はしない』と取り合ってもらえなくなってしまった。

今回だって同じだ。―――近い内にと言っても、明確な休みが保証されている訳でもなく、ましてや毎日暇などほとんどない室井がいつと食事に行けるか解らない。

食事どころか、最近はロクに会うことも出来ていないのだ。―――その言葉に信用性など微塵もない。

「・・・?」

相変わらず無言のままのに、室井は躊躇いつつも声をかけた。

するとは、電話越しに考え込むように小さく唸って。

『いいよ、近い内にね』

予想外の返事が返ってくる。

聞き間違いかと、思わず眉間に皺を寄せた室井を知ってか知らずか、は心底おかしいと言いた気にクスクスと笑みを零す。

『まぁ、期待しないで待ってるよ』

言葉とは裏腹にどこか嬉しそうな響きを持つ声に、室井は微かに笑みを浮かべた。

久しぶりの電話から聞こえてくる、久しぶりのの声。

それらは本人すらも気付かないほど、室井の疲れた心を癒している。

そしてそれは、も同様で。

『それじゃ、またね。おやすみ』

「ああ、おやすみ」

軽い挨拶を交わして携帯を切る。

本当は電話などではなく、直接会って声を聞きたいのだけれど。

それでも忙しい2人に僅かな逢瀬を味わわせてくれた電話に視線を落として、満足そうな笑みを浮かべた室井は、淀みない足取りで自宅へと向かい歩き出した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

一応は、青島くんの存在をヒロインが知ることを前提にした話だった筈なんですけど。

なんだか書いてる内に、どんどんと話が逸れていったような?

どうでもいいけど、ヒロイン可愛くないなぁ・・・。

室井さんもどっちかというと奥手っぽいので、なかなか関係が進まない。(汗)

作成日 2004.6.4

更新日 2008.7.7

 

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