「うわ、寒っ!」

あまりの寒さにはそう1人ごちて、思わず身を竦めた。

 

ラッ

 

吹きつける刺すような冷たい風を一身に受けて、無駄な抵抗だとは自覚しつつもコートの前を掻き閉める。

寒いのは当たり前だ。―――何せ今は冬なのだから。

吐き出した息は白く、けれどそれはあっという間に空気に溶けていく。

それをぼんやりと眺めながら、は深く溜息を吐いた。

普段は本庁にある自分の為に宛がわれた『捜査一課特別室』に篭っているが、どうして外出しているのかといえば、先日手に入れたある情報に基づく自己確認の為だ。

その先日手に入れたある情報というのは、室井に関する事。

あの室井が口にした、所轄の刑事の名前・・・―――青島俊作。

その青島には興味を抱いたのだ。

それ即ち、好奇心とも言う。

未だ空き地に囲まれた湾岸署までの道は、とても寂しい。

周りに建物がないから、風の通りも良かった。―――目的地までの見通しは良いが、それ故にこの寒さなのだとしたら感謝など出来ようもない。

元々寒いのは嫌いではないが、普段から空調設備の整った部屋の中で過ごしているにとって、この急激な温度変化は辛いものがある。

あまりの寒さに耐えかねて、は側にあった自販機に駆け寄った。

コートのポケットから小銭を出して、温かい午後の紅茶ミルクティーを購入する。

「あ〜、温かい」

唸るように呟いて、缶を握り締めた。

熱いくらいのそれは、けれど冷えた身体には何よりもありがたい。

「さてと、これからどうしようかな?」

近くのガードレールに腰掛けて、ぼんやりと空を見上げる。

青島がどんな人物なのか見てみたいと、は思っていた。

そしてあわよくば軽く会話などしてみたいと。

その願いは大した苦労も無く叶える事が出来るだろう。―――あまりの存在が刑事たちの間に知られていないとはいえ、身分を証明すればすぐにでも呼び出すなりして青島と会わせてくれるだろう事は想像に難くない。

けれどそれはが本当に望むことではなかった。

は一刑事として、一刑事である青島と会ってみたかったのだ。

「今から行って・・・いるかな、青島くん」

時刻は昼過ぎ。―――所轄の刑事たちは(所轄だけではないだろうが)忙しく動き回っている事だろう。

この際時間は関係ないかもしれない。

それこそ所轄の刑事たちは、寝る間も惜しんで犯罪と向き合っているのだから。

持っていた缶を開けて、紅茶を一口飲む。―――冷たい空気にさらされて、中身は買った時とは違いぬるくなってしまっている。

それに小さく眉を顰めて、はもう一度溜息を零した。

「とりあえず、行ってみるか」

呟いて立ち上がると、湾岸署に向かい歩き出す。

とて暇ではないのだ。―――今日とて急ぎの仕事だけは終わらせて、何とか抜け出してきた。

帰れば残った仕事が彼女を待っている。

湾岸署に行けば行ったで、いろいろ面倒な事があるんだろうな・・・などと他人事のように思いながら、は思わず苦笑した。

更に溜息が零れそうになった時、不意に背後で怒声が聞こえては反射的に振り返った。

見ればこちらに向かい必死の形相で走ってくる1人の男。

そしてその後ろから男を追かけてくる、緑のコートを着た青年。

「・・・え〜と」

呑気にも向かってくる男をぼんやりと眺めて、のんびりとした口調で呟く。

見たところ、どうやら男は引ったくり犯の模様。

男には似つかわしくない女物のバックを右手に、そして左手には小ぶりのナイフを持っている。

心情的には関わりたくない。―――厄介な事には間違いなさそうだからだ。

けれど一応刑事という職業についている手前、見て見ぬフリをするのも躊躇われた。

「君!早く逃げて!!」

後ろから追ってくる緑のコートの青年が、に向かい声を上げた。

「・・・仕方ないなぁ」

刑事だろうか?とそんな事を思いながら、言われるがまま端によって道を空ける。

そんなの横を走り過ぎようとした引ったくり犯と思われる男にチラリと視線を向けると、絶妙なタイミングでサッと足を差し出した。

引ったくり犯は勿論それを避ける事が出来る筈も無く、見事と拍手したくなるほどの盛大さでその場に転がった。

「ぐわぁ!!」

声を上げる引ったくり犯には構わず、は素早い動きで男の左手を踏みつけると、痛みのあまり手から離れた小ぶりのナイフを拾い上げる。

「へぇ・・・いい玩具持ってるじゃない」

クルクルと手の中で弄び、冷たい視線で犯人を見下ろしたは、次の瞬間人の悪い笑みを浮かべてそれを犯人に向かい振り下ろした。

「うわああぁぁ!」

「ちょっ!?」

犯人の悲鳴と追ってきた青年の声が重なる。

「・・・なんてね。刃物は危険だからこんな風に人に向けちゃダメなのよ。―――解った?」

振り下ろしたナイフを寸でのところで止めて、は更に口角を上げた。

そのままナイフの刃の部分を持って、柄の部分を青年に向け差し出す。

「はい」

「・・・・・・どうも」

「ああ、指紋は付いてない筈よ。手袋してるから」

呆然と立ち尽くす青年に向けて、はヒラヒラと手を振りながらにっこりと笑う。

それに曖昧に頷き返した青年は、恐る恐ると言った様子でに声をかける。

「あの・・・もしかして君、刑事だったり?」

その問い掛けに、どこか『違ってて欲しいな』といったニュアンスが含まれているような気がしたけれど、は敢えて気にしないことにした。

「そうよ」

青年の心境などお構いなしにあっさりと肯定を返した後、漸く踏みつけていた犯人の左手から足を退けた。

「私は。まぁ・・・しがない一刑事ですよ。貴方は?」

おどけた口調で自己紹介をする。―――こんな所で本庁に勤めてますなんて無駄な事を、が言うわけも無い。

そんなに呆気に取られたように呆然としていた青年は、差し出されたの手を握り返して、気を取り直したように笑顔を浮かべて言った。

「俺は青島俊作。都知事と同じ名前の青島。覚えやすいでしょ?」

人懐こい笑みを浮かべた青年・・・―――青島を、はポカンと口を開けて見返す。

「・・・青島?」

「そう。・・・って、俺の事知ってんの?」

不思議そうに首を傾げた青島に向かい、は極上の笑みを浮かべた。

「全然」

 

 

盛大に転び、によって脅しまで掛けられた引ったくり犯には、最早逃げる気力など残っていないらしい。

青島によって手錠を掛けられる引ったくり犯を眺めていたは、思わぬ出来事に己の運の良さに感心さえ抱いていた。

会おうと思っていた・・・そして容易には会えないだろうと思っていた人物と、こんな路上で遭遇できたのだから、がそんな思いを抱いたとしても不思議ではない。

「・・・ラッキー」

「何がラッキーなの?」

「こっちの話」

の呟きを聞きつけた青島が、再び不思議そうな表情を向けるのを軽く流して、は残っていた紅茶を一気に飲み干すとゴミ箱に投げ入れた。

さて、これからどうしようか?

確かには青島に会って見たいと思ってはいたが、だからと言って具体的に会ってどうするかを決めていたわけではない。

室井が何を思って青島に関心を抱いたのかを知りたいとは思うが、それをどう確かめれば良いか・・・良い案がすぐには思い浮かばない。

「え〜っと・・・さん・・・で良い?」

でいいわよ」

犯人に手錠を掛け終えたあと、青島は犯人を立ち上がらせてと向き合う。

「どうもありがとね。お陰で楽に犯人捕まえられちゃったし」

「別にお礼を言われるほどのことはしてないよ」

ただ転ばせただけだし・・・と付け足すと、それでも助かったよと青島は人懐こい笑顔を浮かべる。

ちゃんって婦警さんじゃないよね?制服着てないし・・・」

「うん。私は一応刑事なの」

掛けられる質問に、にこやかな笑顔を浮かべて答える。

「あ、俺この先にある湾岸署の刑事。ちゃんは・・・湾岸署じゃないよね?」

見たことないし・・・と続ける青島に、は更に笑みを深くした。

「うん、違う」

「んじゃ、ここで何してんの?」

「ちょっと野暮用で・・・」

まさか本人に向かって、貴方に会いに来ましたとは流石に言えない。

「何処の署なの?」

「う〜ん・・・この近く・・・かな?」

青島の質問に曖昧な返事を返す。―――同じ東京都なのだから、近くでも嘘ではないだろう。

「勝どき署?」

更に続く質問に、はにっこりと微笑んだ。

その微笑みを青島はどうやら肯定と受け取ったらしい。

俺たちのライバルか・・・なんてぼやきながら、身じろぎする犯人の腕を掴み直す。

「ねぇ・・・」

「ん?」

「青島君は、刑事やってて楽しい?」

唐突なの質問に、青島は目を丸くする。

質問としては突拍子もない上に、答えにくいものだ。

「楽しいって言うか・・・まぁ、遣り甲斐はあるよね」

同意を求めるように答える青島を、はなるほどと眺めて頷く。

生き生きとした目。

希望に溢れた表情。

それらは、本庁の刑事には見られないものだ。

それは新米刑事故か・・・それとも。

「うん、なるほど・・・」

訝しげな表情を浮かべる青島を放って、は納得したように一人で頷く。

室井が青島に関心を抱いた理由が、ほんの少し解った気がした。

「・・・どうしたの?」

遠慮がちに声をかけてきた青島に、やはり何も言わずに笑みを返すと、視線を引ったくり犯に向けて呟く。

「それよりも・・・早くそいつを連れてった方がいいんじゃないの?」

顎で指された引ったくり犯は、に憎々しげな視線を送っている。

「ああ、そうだった」

今まさに思い出したと言わんばかりの青島の言葉に苦笑する。

そしてそんな青島から、一枚のカードを差し出された。

「・・・・・・?」

「俺の携帯とメールのアドレスが書いてある。気が向いたら連絡してよ」

軽い口調と共に差し出されたカードを受け取って、は小さく肩を竦めて見せる。

「ベタなナンパだね」

「誤解しないでって!そう言う意味じゃないんだから・・・」

じゃあどういう意味なのかと問い返したかったけれど、その屈託のない笑顔はどこか警戒心を溶かす威力があるようで、はそのまま言葉を飲み込むと素直にカードをポケットに突っ込んだ。

そしておもむろに取り出した紙の切れ端に、自分の携帯番号とアドレスを走り書きして青島へと手渡す。

「ナンパとしては三流もいいとこだけど、今回は乗ってあげるよ」

そうからかい口調で呟いて、青島から受け取ったカードをヒラヒラと振って見せた。

「じゃあ、またね」

そのまま青島に背を向けて、駅に向かい歩き出す。

チラリと振り返ると、青島は引ったくり犯を引っ張って湾岸署の方へと歩き出していた。

が抱いた、青島に対する認識。

単純そうだけれど、頭の回転は悪くない。

親しみやすい態度は、きっと世渡り上手なのだと思わせる。

臨機応変さに優れていて、所轄の刑事としてはなかなか優秀なのかもしれない。

それに対して、室井を思い出す。

頭は良く回転も速いが、不器用で人付き合いが苦手であり世渡り下手。

突発的な出来事には多少弱く、臨機応変さは望めない。

融通が利かない頑固者だと、は室井を思い出して1人で苦笑する。

なんとも正反対の2人だ。

絶対に気が合いそうに無いだろうと思えるのに、それでも今のところは何とか上手くやっているらしい。

「室井さんも、青島君の影響を受けてちょっとは世渡り上手になってくれないとね」

政治やら欲望やらが渦巻く警視庁で、上に上り詰めようと頑張る室井。

今のままでは、それが何時になるかは到底想像もつかない。

ほんの少しの願いを込めて、はそう1人ごちた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

青島との出会い編。

なんかヒロインがえらい極悪っぽい感じになっちゃって・・・どうしたんでしょう?

こんなヒロインで良いのか、室井。(笑)

作成日 2004.7.25

更新日 2009.3.20

 

 

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