目に映った光景が、あまりに突然すぎて。

あまりに現実離れしていて。

私は、それが信じられなかった。

 

けない理由

 

静まり返った廊下が、とても悲しかった。

大帝国劇場内は、いつもとは違い静まり返っている。―――その理由は、明白だったけれど。

米田司令に報告をする為、私は大帝国劇場にいた。

いつもならば花組の隊員や風組の隊員に見つからないようにと気をつけているけれど、今はそれも必要ない気がした。―――みんな自分の部屋にこもって、出ては来ないのだから。

支配人室の前に立って、深く深呼吸をすると控えめにノックをした。

「・・・誰だ?」

です」

短く名乗ると中から「入れ」という返事が聞こえて、私は言われるがまま支配人室に足を踏み入れる。

そこにいつも出迎えてくれる人の姿はない。

ぼんやりと机の上の写真立てを見詰めている司令の前に立ち、深く一礼した。

「申し訳ありませんでした」

一言謝罪の言葉を告げると、司令は表情を変えずに私に視線を移す。

「何でお前が謝るんだ?」

「・・・・・・」

「お前が謝る必要なんてねぇだろう?」

問い掛けるように声を掛けられ、私は何も言えずに唇を噛んだ。

葵叉丹が新たな火種を起し、再び戦いは幕を開け。

彼の目的が魔神器だという事が解ったその後、私は米田司令直々にある任務を受けた。

大帝国劇場の地下に安置されてある魔神器の輸送。

本来ならば輸送は風組の仕事ではあるけれど、物が物だけに月組が・・・そして私がその命を受けた。―――守るには大帝国劇場が一番安全な場所だったけれど、今はそうではなかったから、一時的に他の場所に極秘で輸送するようにと。

任務を受けて、私はすぐに大帝国劇場に向かった。

そんな私の前に、まるですべてを見透かしているとでも言うように降魔が立ちはだかったのは、大帝国劇場が鹿という降魔に襲われていたのと同時だった。

人の身で降魔と戦うのは、そう簡単な事ではない。

光武ですら苦戦したのだから、私がそんなに簡単に降魔を撃退できる筈もなかった。

それでも何とか強行突破し、大帝国劇場に辿り着いた私が見たものは。

赤い・・・大きな月を背に、とても綺麗で残酷な笑みを浮かべる見知らぬ女性。

かつては藤枝あやめと呼ばれていた人。

「・・・任務を遂行出来ませんでしたから」

声が喉に詰まって上手く言葉が出てこない。―――それでも何とかそう返事を返せば、米田司令は困ったように微かに笑った。

「だが・・・お前はサボってたわけじゃねぇ。お前は必死に戦ってた、違うか?」

「それでも、任務を遂行出来なかった事実は変わりません」

キッパリと言い切ると、司令は更に困ったような笑みを深くする。

もしも・・・もしも私がもっと早く大帝国劇場に辿り着いていて。

もしも魔神器を持ち出す事が出来ていれば、今は変わっていただろうか?

そう考えて自嘲する。―――何かに強い影響を与えられるほど私に力なんてない事は、私自身が一番解っているはずなのに。

それでも考えてしまう。

もっと出来る事があったんじゃないかと。

「オメェは真面目すぎる。もう少し気を楽にしても良いんじゃねぇか?」

「性分ですから」

そう返すと、米田司令は溜息を吐き出し、緩めていた表情を引き締める。

「この後の事は追って指示する。当面は引き続き葵叉丹の動向を探れ」

「了解しました。それでは・・・失礼致します」

来た時と同じように深く頭を下げて、こちらをジッと見詰める米田司令に背を向けた。

「腕の怪我、ちゃんと治療しろよ」

部屋を出る際に掛けられた声に、私は言葉を返すことが出来なかった。

 

 

私にとって、あやめさんは恩人のようなものだった。

「ちょっとごめんなさい」

私がまだ故郷にいた頃。―――自分を取り巻く全てが嫌で、人気のない場所を捜してぼんやりとしていた時のことだった。

唐突に声を掛けられ振り返ると、この場にはそぐわない雰囲気をした女性が立っていた。

深緑の軍服を着た、とても綺麗な人。―――それがあやめさんだった。

「なんでしょう?」

「この辺りに、道場があると聞いたのですが・・・ご存知ですか?」

道場?

この近辺に道場は家だけしかない。―――きっとこの人が言っているのは、家の道場のことなんだろう。

それはすぐに解ったけれど、肝心のどうしてこの人が家の道場を捜しているのかが解らなかった。

軍人がわざわざこんな田舎に習いにくるほど、家の道場が有名だとも思えない。

私は相当訝しげな顔をしていたんだろう。―――にっこりと笑顔を浮かべたその人は、私に向かってある意味衝撃的な言葉を投げかけた。

「そこの道場の娘さんに、少しお話があって・・・」

「・・・私に?」

「あら?もしかして貴女がさん?」

少しだけ吃驚したような表情を浮かべたその人は、すぐさま笑顔を浮かべる。

「私は藤枝あやめ。よろしくね、

初対面にも関わらず親しげに声を掛けられて、私は思わず言葉を失った。

けれど向けられた笑顔がとても綺麗で。

あやめさんから放たれる雰囲気が、とても居心地が良かったから・・・―――だから私は自分でも内心驚いたけれど、「よろしくお願いします」と言葉を返していた。

 

 

あやめさんから告げられた話は、突拍子もない事のように思えた。

すべてが常識からは考えられないような話ばかりで、正直騙されてるんじゃないかとさえ思えた。―――それでも最終的にあやめさんの話を信じたのは、彼女がとても真剣な目をしていたからだ。

やっぱりというか・・・当然ながら、祖父も両親も私の帝都行きを反対した。

女がでしゃばるんじゃないというのが祖父の言い分でもあったし、その時には既に私の婚礼の話も浮上していたから。

隣町の剣術道場の息子に家の道場を継がせる。―――それは私と結婚してこそ成し得ることだったのだから。

「不満はないの?」

あやめさんは私にそう問うた。

不満がないはずはない。―――それはきっと、あやめさんにもお見通しだったんだろう。

けれど私にはすべてを捨てて身ひとつで家を飛び出せるほどの勇気もなかったし、それが出来るほど世間知らずでもなかった。

この時代、何も持たない女が1人で生きていけるほど甘くない事は言われなくとも解っている。

「私と一緒に来て頂戴。そこには貴女にしか出来ない事があるの」

そう言って差し伸べられた手を、私に払いのけられる筈がなかった。

私にしか出来ない事がある。

今まで誰にも必要とされなかった私が、初めて人に求められている。

私はすべてを捨てて、あやめさんの手を取った。

そのまま逃げるように帝都へやってきて、光武に乗る為の訓練を受ける事になって。

けれど結果的に、私は光武に乗るには不適合と判断された。

私の祖母譲りの強い霊力はとても不安定らしく、調子の良い時はまるで自分の手足のように光武を自在に動かす事が出来たけれど、調子の悪い時は腕一本も動かす事が出来ない。

そんな曖昧な力を、一戦力として数える事は難しかった。

今から思えば、その不安定さは私の心の不安定さを表していたのだろう。

月組に配属され、加山さんと出会ってからは、自分でも驚くほど上手く霊力をコントロールできるようになっていたのだから。

それでもその時は霊力のコントロールなんて出来なくて、私は保留という形で予備戦力という位置に定められた。

やっぱり私に出来る事なんて何もないんだと・・・必要とされる事なんてないんだと思い始め、このまま放り出されるんじゃないかとさえ思い始めていたそんな時、あやめさんは初めて会った時と変わらない笑顔で私に言った。

「貴女に、月組をあげる」と。

花組と同じ時期に設立された、隠密部隊・月組。

それを、私にあげると。

「貴女にしか出来ない事があると言った筈よ。それは花組でなくとも変わらない」

「・・・あやめさん」

「頑張って、

温かい心と激励の言葉に、私は自然と頬を緩めた。

私は私に出来る事を精一杯やろうと、この時誓った。

 

 

「やっぱりここにいたのか・・・」

背後から聞こえた声に、私はゆっくりと首だけで振り返った。

「・・・加山さん」

「何処にも姿が見えないから捜したぞぉ?」

少しおどけた口調で呟いて、加山さんは当然のように私の隣に腰を下ろした。

そしておもむろに持っていた救急箱を開けて、私の腕に手を伸ばす。

「ちゃんと治療しろって、米田司令に言われたんじゃなかったか?」

「・・・大した怪我じゃありませんから」

「どこがだよ。まだ血が止まってないじゃないか」

少しだけ怒りを含ませた声色で、加山さんは有無を言わさず私の服の袖を捲り上げた。

降魔の爪に抉られた腕は、深く引き裂かれている。

腕を持っていかれなかっただけ、自分を誉めてあげたい。

黒い服では血は目立たなかったけれど、腕を伝う血はおびただしいほどの量で、私の腕の怪我を見て眉を顰めた加山さんは、そのまま何も言わずに治療を開始する。

自分でするからと言おうとして・・・だけど加山さんの手がとても心地良かったから、私は甘えて治療してもらう事にした。

「もうちょっと、自分を大事にしてやれよ」

ぼやくような加山さんのセリフに、小さく笑みを零す。

それに加山さんの眉間の皺が更に深くなったけれど、気付かないフリをした。

こんな表情をする加山さんは、とてもらしくないと思う。

丁寧に包帯を巻かれて、すべての治療が終了すると、加山さんは私と同じように夜空に浮かぶ赤い月を見上げた。

まるで血の色を思わせる赤い月。―――不気味で、けれどとても綺麗な。

「・・・泣かないのか?」

唐突に問い掛けられ、私はそれに笑みを浮かべる事で流した。

の奴がさ、ボロボロに泣いてんだよ。いつも無駄に明るいアイツが・・・」

加山さんの言葉に、その光景が手に取るように想像できた。

自分の感情にとても素直な。―――それは嬉しい時も悲しい時も変わらない。

そんな彼女が、時にとても羨ましく思う時がある。

「・・・泣けないのか?」

更に重ねられた質問に、私はのろのろと顔を加山さんに向けた。

同じように注がれる真剣な眼差しに、私は俯く事でそれを避ける。

幼い頃から、私は厳しい要求を突きつけられてきた。

他人に弱みを見せるな。

人の前ではいつも毅然と、堂々たる振る舞いをしろ。

付け入る隙を、与えるな。

そう言われ続け、そしてそれを実行してきた。

そんな私が、人に容易に感情を見せる事が出来なくなるのにそう時間は掛からなかった。

祖父にも、両親にも気を許せない。

他人を相手になんて、以っての他だ。

それを苦しいと思わずにいられるほど、私は強くない。

だけど祖父の要求を無視出来るほど、私はまだ希望を捨ててはいなかった。

彼らの望む私になれば、きっといつか必要としてもらえるとそう信じて。

「加山さん」

「・・・ん?」

「私・・・とても苦しいんです」

泣く事が出来れば、この苦しみは少しでも薄くなるだろうか?

ボロボロに泣いて・・・自分を忘れるほど泣き叫べば、胸の中に渦巻く不安や悲しみや苦しみは、なくなってくれるだろうか?

涙と一緒に、流れていってくれるだろうか?

。すべてをお前が抱え込む事はない」

耳に届いた言葉に、思わず顔を上げる。

「自分を追い込むな。そうやって・・・何もかも我慢しなくたって良い」

向けられる真剣な眼差しと、優しい声。

かつて私に向けられた、あの人の言葉が甦る。

『自分1人ですべてを抱え込まなくても良いの。逃げ場がなくなるほど、自分を追い詰めないで』

懐かしい声。

「・・・加山さ」

「何の為に俺が・・・俺たちがいるんだ?」

『必要以上の我慢なんて要らない。貴女が感じている苦しみを、ほんの少しで良いから私に分けて頂戴』

温かい言葉。

「俺じゃあ頼りないかもしれないが・・・もっと頼ってくれ」

『その為に・・・』

「その為に、俺がいるんだから」

忘れられない、温かい人。

思い出す、あやめさんと過ごした日々。

どうして加山さんは、あやめさんと同じ言葉を私にくれるのだろう?

こんな私を、どうしてこんなにも必要としてくれる?

私は泣かない。

泣けなくなってしまった筈なのに・・・それなのにどうして視界が滲んでるの?

どうしてこんなにも、嬉しいと思うんだろう。

「・・・加山さん」

「なんだ?」

即答で返って来た返事に、私は何かが赦された気持ちがして、隣に座る加山さんの肩に自分の頭をちょこんと押し付けた。

「少しだけ・・・肩を貸してください」

泣き顔なんて見せられない。

これだけは譲れない。―――こんな弱い私の顔を、加山さんには見られたくない。

有無を言わせぬ態度でそう呟くと、「言うのが遅い」と苦笑交じりの声が頭上から降ってくる。

そんな声さえ優しくて、更に泣きたい気持ちになった。

 

あやめさん。

貴女に、心からお礼を言います。

私を必要としてくれて、ありがとうございます。

月組という居場所を与えてくれて、ありがとうございます。

加山さんと出会わせてくれて、本当にありがとう。

今はもういない貴女に、心からの感謝を。

 

 

私は、とても大切なモノを手に入れました。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

あやめさんが降魔になっちゃった回の話。

ヒロインがあやめさんにスカウトされ帝撃に来た経緯と、心の葛藤を。

なんか暗いなぁ・・・とか思ったり。

でもこういう話が、実は一番書きやすかったりも・・・。

面白可笑しいギャグが書ける日は来るのでしょうか?(笑)

作成日 2004.8.4

更新日 2007.10.13

 

戻る