村は死によって包囲されている。

 

始まりの

 

じりじりと照りつける太陽。

今年は例年にも増して更に暑さが厳しいような気がすると、燦燦と照りつける太陽を見上げながらは小さく独りごちた。

「・・・、どうかした?」

くらくらするような暑さの中、目を細めながらぼんやりと空を見上げていたは、不意に掛けられた声に視界を巡らせる。

「・・・ううん、何も。―――さ、行きましょうか」

傍らにはこの暑さにも関わらず、きっちりと袈裟を着た幼馴染がいる。

彼の名前は、室井静信。

この小さな外場村唯一の寺の跡取りで、病で動けない父親に代わり、現在寺のすべてを担っていた。

『若御院』と呼ばれる彼は、見た目からは僧侶には見えないけれど。

そんな場違いな事を考えながら、はゆるりと首を振ると静信を促し歩き出した。

人口は僅か1300人ほどの、小さな小さな外場村。

樅を育て、卒塔婆を作って生き残ってきたこの村は、縦に長い三角形をしており、その三方を樅の山に囲まれている。

村外に出る為には、たった1本通っている国道を使う他ない。

死者の為の樹によって、この村は外部から孤絶しているのだ。

そんな村を、僧侶であり作家でもある静信は、ある雑誌でこう評していた。

『村は死によって包囲されている』と。

「それにしても、良かったのかい?僕と一緒に来て・・・」

容赦なく照りつける太陽の熱に僅かに表情を顰めながら、歩く足を止める事無く静信がそう切り出した。

それにチラリと視線を向けたは、小さくため息を吐き出して。

「いいのよ。連絡がつかないんじゃ、しょうがないもの」

「でも、この暑さだ。後藤田さんのお宅で待たせてもらえばよかったのに・・・」

「・・・いいの。―――最後の時間だもの、2人きりの方がいいわ、きっと」

そんなの言葉に、静信は薄く目を細める。

確かに、その通りかもしれない。

一緒にいられる時間は、もう残り少ないのだ。―――ならば、その少ない時間は2人きりの方がいいかもしれない。

素直に納得したらしい静信を横目に、は気付かれないよう小さく笑う。

昔からそうだった。―――彼は妙に素直なところがあるのだ。

はこの外場村で、納棺師として働いている。

とはいっても、葬儀社を経営しているわけではない。

この小さな外場村に葬儀社などありはしないし、そんなものを経営する必要もない。

どこかに不幸があれば、弔組と呼ばれる村のボランティアが総出で葬儀の準備を整えてくれるのだ。

だからがわざわざ葬儀社を経営する必要はないのだ。―――その余裕もないというのも理由の一つではあるが。

だからは、静信の寺に雇われるという形で納棺師として働いていた。―――かつて彼女の両親がそうであったように。

「それにしたって、村迫さんのお宅どうしたのかしら?まったく連絡がつかないなんて・・・」

今朝方、後藤田秀治が亡くなった。

その葬儀の為に呼ばれた静信とが後藤田家に赴き、そこで静信が枕経をしている内にと、は親類である村迫夫妻に訃報を知らせるべく電話を掛けた。

しかしいくら電話を掛けても、一向に繋がらない。

そのまま準備を進めても構わなかったのだけれど、やはり死者の旅立ちは親類に見守られている方がいいというの言葉に、2人はこうして直接村迫家に向かっているのだ。

「三重子おばあさん、高血圧で病院に通ってるって話だし、体調を悪くしていなければいいけど・・・」

「まぁ、旦那さんもいるんだから大丈夫だろう。きっと買い物にでも出てるんじゃないかな?」

「そう・・・ね。そうよね、きっと」

心配を募らせるへ安心させるようにそう告げつつ、静信もまた胸の内に広がる不安に気づかれないよう小さく息を吐いた。。

何度も電話をしているのに、一向に連絡が取れない。

それは不安を抱くには十分すぎるほどの理由だった。

今年の夏は酷く辛い。

体力の少ないお年寄りには厳しいだろうし、それに・・・。

何故だろうか。

理由ははっきりと説明できないけれど、得体の知れない不安が浮かぶ。

もしかするとも薄々それを感じ取っているのかもしれない。―――だから、普段にも増してこんなにも心配を露わにするのかも。

それでも上手く説明できないのは彼女も同じなのだろう。

知らず知らずの内にお互いがお互いを宥めあいながら、2人は村迫家へと向かう足を速めた。

 

 

村迫家は、寺がある北山の近くにある山入と呼ばれる地域にあった。

人口の多くない外場村の中でも山入は更に住んでいる人が少なく、村の中でも静かな空気が流れている。

「村迫さん、こんにちはー!」

玄関の前に立ち、は大きな声で住人へ声を掛ける。

けれど一向に返事がない事を訝しく思いながら、と静信は顔を見合わせた。

そもそものどかで平和な小さな村で、鍵を掛ける習慣はあまりない。

入ろうと思えば戸を開けて入る事も出来るのだけれど・・・。

「返事がないな・・・」

たとえ自由に家の中に入る事が出来るのだとしても、不用意に人の家に踏み込むわけにはいかない。

鍵を掛けないのは村人への信頼の証でもある。

たとえそれが見知った人間であっても、留守中に他人が家の中にいるのを見てあまりいい気分はしないだろう。

「裏に回ってみよう。そこからなら部屋の中の様子を見る事が出来る」

それでも1度沸き起こった不安は消える事はなく、もしかすると家の中で倒れて動けないのではないかと心配したは、静信の言葉にコクリと頷いて彼と共に家の裏へと回った。

「村迫さん、いらっしゃいませんか?村迫さ・・・」

先に立って歩いていた静信の言葉が、途中で途切れる。

それにどうしたのかと訝しげに首を傾げながらも彼の背後から顔を出したは、目に映った光景を理解できずに呆然とその場に立ち尽くした。

蝉の声が、やけに大きく耳に響く。

きっちりと閉められた縁側の戸の向こう。

少し曇ったガラスの向こう側に広がるのは、見た事もないような悲惨な現実。

一拍後、それを理解したは思わず口元に手を当てて一歩後退さった。

「み、三重子おばあさん・・・」

掠れた声がノドを通って周囲の空気を微かに震わせる。

畳の上に倒れて、ピクリとも動かない身体。

それだけなら、きっとこんなにも取り乱したりはしないだろう。

その向こうに、何が見えた?

「・・・ひ、秀正さん・・・?」

疑問系になってしまうのも仕方がなかった。

倒れて動かない村迫三重子の向こう側にいた秀正は、既に人の形を失っていたのだから。

目に焼きついた光景に思わずその場にへたり込みながら、は必死に込み上げてくるものを堪えるように口元を強く手で押さえた。

これまでたくさんの遺体と関わってきたけれど、こんなにも悲惨な遺体を見たのは初めてだった。

、立って!」

途端にグイと腕を引かれ顔を上げると、厳しい面持ちをした静信が家の中から視線をへと移し、強い声色でそう告げる。

「・・・静信」

「まずは警察に連絡だ。隣の大川さんのところで電話を借りよう。さぁ、早く」

「・・・う、うん」

明らかな戸惑いを隠せないを強引に立たせて、静信は急かすように彼女の背中を押した。

彼とて動揺していないわけではないけれど、警察に連絡をするのが先決だ。

それに・・・―――これほどショックを受けているを、この場から連れ出してやりたいとも思っていた。

彼女は本来冷静な人間だ。

少し時間を置けば、冷静さを取り戻すだろう。―――その為には、まずこの場から離れなければ。

そんな静信の思いなど気付く余裕もなく、はただ手を引かれるままに隣の大川家を目指す。

そこに何が待っているのか、知る由もないまま。

「大川さん!大川さん、寺の者です!少し電話を貸して頂きたいのですが・・・!!」

まるで逃げるように大川家に辿り着いた2人は、こちらもきっちりと閉められた玄関を乱暴に叩きながら声を上げる。

けれど先ほどの村迫家と同じように、一向に返事は返って来ない。

その事実に不審を抱いた静信は、しばし考えを巡らせた後、掴んでいたの腕を放しながら口を開いた。

「ちょっと様子を見てくる。はここで待っていてくれ」

「私も行くわ!」

「でも・・・」

「大丈夫。もう、大丈夫だから・・・」

心配げな眼差しを向ける静信へと引き攣った笑みを向けて、はしっかりとした足取りで立つとまっすぐ前を見据えた。

まだ手は微かに震えていたけれど、先ほどよりは冷静さを取り戻したを認めて、静信は諦めたようにため息を吐き出す。―――意外に頑固な彼女に、説得は無駄だと解っていたからだ。

「・・・解った」

だからこそ静信は小さくそう呟いて、を先導するように歩き出した。

その背中を見つめながら、もまた意を決したように足を踏み出す。

よくよく考えれば、可笑しいと思うべきだったのだ。

村迫家の様子を見るからに、三重子はまだしも、秀正の命が失われたのは昨日や今日ではない。

だというのに、隣に住む大川は何も疑問を抱かなかったのだろうか?

住人の少ないこの山入だからこそ、気付かない可能性は少ないように思えた。

「大川さん。いらっしゃいませんか?―――・・・っ!!」

先に立って住人へと声を掛けながら歩いていた静信の歩みが止まった。

瞬間息を飲んだ彼に思わず身体を強張らせながらも、は恐る恐る縁側の戸のガラス部分から中を覗きこむ。

「・・・義五郎さん!!」

まるで悲鳴のような声で、が住人の名を呼んだ。

2度目だからだろうか、それとも僅かにも予想していたからなのか、今度は座り込むような事はなかったけれど、やはり足の震えは止めようもない。

部屋中に散らばった手足。

至る所に飛び散った血痕。

既に息絶えて数日は経過しているだろうと思われる義五郎は、ただ濁った目でジッと宙を見つめている。

「・・・

まるで固まってしまったかのようにその場に立ち尽くし動けないへ向かい、思ったよりも冷静な声色で静信は口を開いた。

「どこかの家で電話を借りて警察を呼んできてくれないか?ここからは少し距離があるけれど・・・」

「・・・静信は?」

「僕はここに残るよ。誰かが尋ねてこないとも限らないからね」

出来る事ならば、彼らの遺体を大勢の目に晒したくはない。

そういう意味を込めてそう告げれば、しばし言葉を失っていたは僅かに視線を泳がせた後コクリとひとつ頷いた。

「すぐ、戻るから」

「ああ、頼むよ」

言葉と共に向けられた小さな笑みを見返して、は踵を返すと勢い良く駆け出した。

本当なら自分が残ると言いたかったけれど、明らかに冷静さを欠いている自分よりは静信の方が適任だろう。

それを見越してそう提案しただろう静信の優しさに深く感謝しながら、は今自分に出来る事をやろうと足を止める事無く坂道を駆け下りる。

そうして漸く見つけた民家に走るスピードを緩める事無く飛び込むと、驚いた表情で出迎えてくれた住人に向かい声を上げた。

「で、電話を貸して!」

「どうしたんだい、ちゃん。そんなに慌てて・・・」

「ごめんなさい。説明は後でするから、とりあえず電話を・・・!」

心配そうなおばさんに悪いと思いながらもそう告げれば、よく解らないまでもおばさんは快く電話を貸してくれた。

そうして早鐘のように打つ心臓を押さえながら、は受話器を握り締める。

震える指は、けれど本人の意思とは関係なく動いていく。―――そして・・・。

『はい、尾崎』

「敏夫!!」

数コールの後耳に届いた聞き慣れた声に、はあらん限りの声で彼の名を呼んだ。

 

 

家の中で待っていなさいというおばさんの好意に、けれど外の空気を吸っていたいからと首を横に振ったは、ジャリと砂を踏む音に気付きゆっくりと顔を上げた。

太陽の光の下では眩しいほどの白衣。

トレードマークの煙草を口に咥えたその姿に、は知らず知らずの内にホッと息を吐く。

「・・・敏夫」

「なにやってんだ、お前は」

家の軒先で膝を抱えながら座り込むを認めて、尾崎敏夫は呆れたように眉を上げた。

そうして青い顔をしながら自分を見上げるの傍らにしゃがみこみ、まるで子供にするかのように彼女の頭を軽く叩いて。

「警察は呼んどいた。静信は・・・?」

「大川さんの家に・・・。警察が来るまで待ってるって」

「そうか」

いつもからは考えられないほど弱々しいの声にひとつ相槌を打った敏夫は、ゆっくりと立ち上がるとフウとタバコの煙を吐き出した。

混乱したの説明は途切れ途切れで解り辛かったけれど、それでも大体の事は察する事が出来た。

そして普段から冷静な彼女がこれほどまでにパニックになるのだから、村迫夫妻と大川義五郎はおそらくは相当酷い状態なのだろう。

そうでなければ、あんな状態で自分に電話をしてきたりはしないだろう。

警察を呼ぶ為にここまで来たらしいが咄嗟に敏夫へ電話を掛けたところを見ると、かなり混乱していたようだ。

それも今は大分落ち着きを見せてはいるが、やはりまだ顔色は悪い。

まぁ医者の自分はさておき、普通に暮らしていて酷い遺体を見る機会などそうはないだろうから・・・。―――が納棺師である事を差し引いたとしても、だ。

ともかくも、自分が呼んだ警察もそろそろ大川家に着く頃だろう。

呼んだ手前、自分も同席する方がいい。

こんな状態のを置いていくのは心配だが、こんなにも顔色が悪い彼女を連れて行くわけにはいかない。

まぁ、こういうのは精神的なものだし、しばらくすれば落ち着いてくるだろうと判断して、敏夫はもう一度煙草の煙を吐き出すと、未だ座り込んだままのを見下ろして口を開いた。

「じゃあ、俺はちょっと行ってくる。すぐに静信と迎えに来てやるから、お前は大人しくここで待ってろ」

「待って、私も行くわよ!」

クルリと踵を返した敏夫に、はサッと立ち上がると強引に敏夫の白衣を引っ張った。

それに呆れた表情を浮かべながらも振り返った敏夫は、深いため息を吐き出して。

「行くって、お前・・・。そんな青い顔して、どの口がんな事言うんだよ」

「この口が、よ。何と言われようと私も行くわ。静信にすぐ戻るからって約束したもの」

強い眼差しを向けながらキッパリとそう言い切ったを認めて、敏夫はもう1度ため息を吐き出す。

責任感が強いのは結構な事だが、もう少し自分の事も考える必要もあるだろう。

明らかに顔色を悪くして言うようなセリフではない。

「おいおい、無理するなよ」

そんな思いを込めてそう呟けば、その言葉が癇に障ったのか、はムッと眉を顰めてプイとそっぽを向く。

「多少の無理くらいはするわよ」

「あのなぁ・・・」

「だって、私は納棺師だもの。私には彼らを送り出すための支度をする役目があるわ。目を背けてるだけじゃダメだもの」

説得は簡単ではないと解っていながらも口を開こうとした敏夫を遮って、はまたもやキッパリとそう言い放つ。

それに驚いたのは敏夫だった。

「お前、本気でやる気か・・・?」

敏夫自身はまだ3人の遺体を直接目で見たわけではないが、遺体の傷みは相当激しいに違いない。

けれど明らかに自分の手で納棺をする気を見せるに、敏夫は思わず額を押さえた。

気が強いというか、負けず嫌いというか。

こうなったを止める事は容易ではない。―――けれど未だに敏夫の白衣から手が離される様子がないところを見ると、やはり平気なわけではないのだろう。

さて、どうやって説得するか。

そう敏夫が頭を働かせ始めたその時、敏夫の言葉にピクリと眉を上げたは乱暴な仕草で敏夫の胸倉をつかみ上げて。

「ええ、そうよ。ビビッてテンパって警察じゃなくて敏夫に連絡したのは私だけど、それが何か?」

にっこり、と。

いつも浮かべているものとは違う凄みのある笑顔を浮かべながら早口でそう言い放ったに、敏夫は頬を引きつらせつつ深い深いため息を吐く。

開き直った奴ほど性質の悪い奴はいない。

なぜならば、開き直っているが故に人の言葉など聞かないからである。

こうなったからには、連れて行かないわけにはいかないだろう。―――置いていったとしても、勝手に付いてくるに違いない。

納棺の方は静信と2人で説得するにしても、ここは素直に頷いておく他ない。

何よりも、今ここでグダグダと押し問答をしている時間はないのだ。

「・・・解った、お前も一緒に来い」

「当然よ。私だって第一発見者なんだから」

とうとう折れた敏夫ににっこりと笑顔を浮かべたは、鷹揚に頷きながらも颯爽と歩き出した。

「さ、敏夫。ぐずぐずしてないでさっさと行くわよ」

「・・・お前が言うか」

それでも押し問答をしている内に、彼女の顔色が良くなってきたのは確かで。

立場が逆転したように先導するを呆れた眼差しで見つめて、敏夫はやれやれと肩を竦めると白衣を翻して後を追った。

 

 

2人が大川家に戻ると、静信はそこにいた敏夫の姿に驚いたように目を瞠った。

警察を呼びに行ったが、敏夫をも呼び出しているとは思っていなかったからだ。

しかし共に来た敏夫の姿に、静信がホッとしたのも事実だった。―――気を張っていても、彼とて現状にショックを受けていないわけではない。

そして間もなく警察が到着し、普段は静かな山入は急激な賑やかさに染まっていった。

検死に立ち会うという敏夫は家の中へ。

そして静信とは揃って駐在所の警官・高見と他警官によって事情を聞かれる事となった。―――なにせ、彼らは現場の第一発見者である。

「あなた方が第一発見者でしたか」

2人の姿を認めて、高見は痛ましそうな面持ちでそう口を開いた。

外場村は小さな村だ。

その小さな村で日頃から顔を合わせている高見は、おそらくこのような状況を発見した2人の心情を察しているのだろう。

それでも職務は全うしなければならないと、高見は言いづらそうにしながらも言葉を続けた。

「ではお話を伺わせていただきます。寺の若御院・室井静信さんと、納棺師のさん」

「はい」

そんな高見の言葉に戸惑いながらもひとつ頷いた静信は、ゆっくりと息を吐き出しながらここに至る経緯を話し始めた。

今朝方、上外場で後藤田秀司が夏風邪をこじらせて亡くなった事。

それを親族である村迫夫妻に伝えるべく電話を掛けたが、連絡がつかなかった事。

どうしてもというの言葉に直接村迫家を訪ね、2人の遺体を発見した事。

慌てて電話を借りに隣の大川家に行き、そこで大川義五郎の遺体を発見した事。

順を追って説明をすると、高見は手帳を広げてメモを取りつつ口を開いた。

「なるほど。他に人影を見たとかそういう事は?」

「ありません」

キッパリとそう答え、と静信は視線を交わす。

何よりも聞きたい事があったからだ。

その口火を切ったのは、静信だった。

「あの・・・死因は?」

冷静さを取り戻した2人が一番気になっていたのは、まさにそれだった。

人口の少ない小さな村で、短期間に4人の人が亡くなった。

それだけでも大事件だというのに、発見された現場があの惨状では気にならない方がおかしい。

もしかして、と嫌な予感が脳裏を過ぎるが、ずっと一緒に暮らしてきた村人の誰かが・・・などとは考えたくもない。

そんな2人の心情を知って知らずか、高見はペラペラと手帳を捲ると特別危機感抱いているとは思えない様子で口を開いた。

「ああ、検死によると三重子さんは自然死でした」

「・・・自然死」

高見の言葉に、は僅かに眉を寄せながら小さく呟く。

「他のお2人はバラバラな上に腐敗も激しくて詳しくはまだですが・・・―――刃物で切断された形跡もなく欠損もある事から、野犬の仕業ではないかと」

「や、野犬?」

「ええ!最近この辺りでは多いんですよ」

予想外の返答に驚いたように目を瞠る静信を他所に、高見はなんでもないかのようにそう告げる。

それに拍子抜けした2人に気付く事無く、高見はパタリと音を立てて手帳を閉じると、にっこりと笑顔を浮かべて一礼した。

「では、ご協力ありがとうございました」

どうやら事情聴取は終わったらしい。

元々偶然現場を発見しただけの上、死因の検討もついているというのだから、これ以上聞く事もないのだろう。

そうして颯爽とパトカーで去っていく高見たちを見送ったは、強張っていた身体から力を抜いてホッと安堵の息を吐き出した。

自分の抱いた疑惑が杞憂に終わってよかった。

現場の惨状を見ればよかったなどとは言っていられないが、それでも誰かの悪意があったわけではないという事実は彼女に確実な安心をもたらす。

ちょうどその時、背後で砂を踏む音が聞こえて振り返ると、そこにはいつもと同じように煙草を咥えた敏夫が立っていた。―――高見たちが去ったという事は、検死ももう終わったのだろう。

「検死に立ち合ってきた。まだ鼻が利かん」

フガフガと鼻を動かしながら眉を寄せる敏夫を認めて、は僅かに表情を歪めた。

は家の中に入ってはいないので感じなかったが、あの惨状を見るに現場は相当酷い状態だったのだろう。

想像する事しか出来なかったが、それを体験してみたいとは思わなかった。―――もちろん、仕事を遂行する気は失っていなかったが。

そんな敏夫の姿に、けれどホッとしたように表情を緩めた静信は、先ほどまでとは違い少しだけ気の抜けた声色で口を開いた。

「敏夫・・・。ここ数日で4人も亡くなったから、何か事件かと思ったよ。でも自然死と聞いて少し安心した」

「・・・この暑さだ、老人には堪える」

差すような太陽の光を見上げ、敏夫は僅かに目を細める。

都会に比べれば大分マシだろうが、だからといってこの暑さが楽なものであるわけではない。

今年の夏は例年よりも厳しい気がする。

敏夫の言葉に同じように太陽を見上げたは、流れる汗を拭いながら小さくため息を吐き出した。

先ほどまでは気にする余裕もなかった暑さが、安心と共に突如襲ってきたような気分になる。

しかしそんなを横目に、敏夫は先ほどよりも僅かに声色を低くして。

「だが、どう見ても爺さん2人より婆さんは後に死んでるよな」

告げられた言葉に、思わず息を飲む。

瞬間固まってしまった身体に僅かに視線を泳がせれば、同じように硬直した静信が戸惑うように呟いた。

「・・・という事は」

その先を聞きたくないと思いながらも、それでも口にした言葉に応えるように、敏夫は吸い込んだ煙草の煙を盛大に吐き出した。

「面白いだろう?つまり三重子ばあさんは、ここ何日か死体と暮らしてた事になるんだ」

死体と・・・?

思考を停止した脳に飛び込んできた衝撃的な言葉に、背筋にゾクリと悪寒が走る。

そう、不自然な兆候はあったのだ。

村迫家で2人の遺体を発見し、隣の大川家に電話を借りに行った時。

住民の少ないこの山入で、隣に住んでいるというのに何も気付かないのは不自然だと、まさにそう思ったというのに。

どうしてそこに考えが至らなかったのだろう。

野犬に襲われたという村迫秀正。

その時点で三重子もまた息絶えていたならば、彼女だけが無事である説明が付かない。

間違いなく、彼女もまた夫と同じ末路を辿っていたはずだ。

そうではなかったという事は、その時まだ三重子は生きていたのだろう。

しかしそれではどうにも腑に落ちない。

ならば何故、三重子は誰に何も告げる事をしなかったのだろう?

自然死していて気がつかなかったというのならともかく、あんな状態の秀正に気付かないわけがない。

そしてその場で数日を過ごすなど、常軌を逸している。

それに・・・―――ふと浮かんだ疑問に、は眉を寄せる。

最近野犬が多いと高見は言っていたけれど、果たして野犬が家の中まで侵入してくるものなのだろうか?

玄関も、そして縁側の戸も、きっちりと閉められていたというのに?

「それって・・・どういう事?」

「さぁな」

恐る恐る問い掛けるも、敏夫は気のない様子で煙草の煙を吐き出す。

その薄く空気に溶けるように消えてゆく煙をぼんやりと目で追いながら、は村迫家を振り返り目を細めた。

もしかすると、誰かに助けを求めたくても出来ない状態だったのかもしれない。

あの現場を見て、ショックを受けて倒れてしまったのかも。

動く事も出来ず、ただ夫の変わり果てた姿を見て彼女は息を引き取ったのだろうか?

もしそうだとするならば、なんて残酷な結末なのだろう。

最後の最後で彼女が抱いた絶望は、一体どれほどのものだったのだろうか。

「・・・静信」

漸く本来の静けさを取り戻した山入で静かに佇む家を見つめながら名を呼んだに、静信は視線だけでどうしたのかと問いかける。

そんな彼へと視線を向けて、は痛ましそうに目を伏せた。

「3人を弔ってあげて。せめて・・・安らかに眠れるように」

「・・・ああ」

彼女の心からの願いに、静信は静かにひとつ頷く。

 

蝉の鳴き声が、まるで何事もなかったかのように、静かな山入の地に耳に痛いほど響き渡っていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

しょっぱなからえらい長さになってしまった屍鬼夢。

シリーズ主人公で原作沿い。

出来る限り、普通の感覚を持った主人公で展開出来たらなぁと。

作成日 2009.4.5

更新日 2010.8.15

 

戻る