「ねぇねぇ、ちゃん。聞いた?」

「聞いたって、何が?」

「兼正のとこ、とうとう引っ越してきたらしいわよ」

ちょうど店に遊びに来ていたおばさんの言葉に、はきょとんと目を丸くした。

 

消えない不安

 

8月11日、木曜、大安。

相も変わらず一向に客の来ない店内で、店番の為にカウンターに座りぼんやりと外を眺めていたは、誰も見ていないのをいい事に小さく欠伸を漏らした。

納棺師という職に就いているものの、小さな村では早々葬式などあるはずもなく、普段はこうして構えた小さな店で線香や蝋燭などの仏具を販売している。―――ちなみに彼女の自宅はこの店の二階にあった。

売れ行きはお世辞にもいいとは言えず。

それでも彼女が生活に困らないのは、ひとえに寺のおかげに他ならない。

一応寺と契約しているカタチになっている為、葬式があろうとなかろうと給料は出してくれるのだ。

勿論それを甘んじて受けるなど出来るはずもなく、週に2・3日は寺の手伝いに出向いてはいるけれど、やはり早々仕事があるはずもなくこうして店番をしている事も多かった。

本当に、寺サマサマである。

これも幼い頃からの顔なじみであるが故。

勿論子供の頃はそんな思惑を抱いていたわけではないけれど。

そうしては今日も、静かな店内で1人、大好きな読書に耽るのだ。

「・・・はぁ」

けれど今日に至っては大好きな読書に集中する事も出来ず、早々に諦めたは人通りの少ない表をぼんやりと眺めながら小さくため息を吐き出した。

原因は解っている。

それは、少し前に店に遊びに来たおばさんの言葉に違いない。

『兼正のとこ、とうとう引っ越してきたらしいわよ』

兼正、というのはこの外場村独特の地名のようなものだ。

かつてこの辺りの土地は寺の所有物であり、ここに木地屋が入って村を拓いた。

故に村人は、寺から土地を借りている状態なのだ。

それを兼正が一括して借り受け村人に分け、そして村の医師として尾崎が呼ばれた。

それ以来、兼正が住んでいた辺りの土地を、村人たちは兼正と呼んでいる。

そんな場所に古い洋館が建ったのは、今から少し前の事だ。

村には不釣合いなそれは、当然のごとく村人たちの関心を集めた。

けれどその洋館の主は一向に引っ越してくる気配がなく、村の中にありながらも直接は関係なく、けれど奇妙な存在感を放ちそこに在り続けたのだ。

そんな洋館に、漸く住人が引っ越してきたらしい。

当然のごとく村はその話題一色に染まり、村人たちは洋館を遠巻きに眺めながら熱心に噂話をしているのだ。

そんな噂話を興味なさげに耳にしながらも、は小さく息をつく。

数日前まではあれほど騒がれていた山入の出来事を、今話す人はほとんどいない。

死は忘れ去られていくものだ。

それは人によって時間もまばらだけれど、人は死を忘れる事で生きていく。

死を理解し、受け入れ、それは日常と共に少しづつ薄れていく。

悲しみは決して消えなくとも、心の表面にあったそれは少しづつ心の奥の方へ収まっていくのだ。

残酷なようだけれど、それが現実だ。―――いつまでも死を引きずったまま生きていけるほど、人は強くない。

それは解っているけれど、それでもなんだか釈然とせず、はもう1度ため息を吐き出した。

あの衝撃的な山入の出来事からまだ数日だというのに、既に3人の死は村人たちの頭から消えようとしている。

勿論あの現場を見たにとっては早々忘れられる出来事ではなかったけれど、やはりとてあの時のショックから立ち直っている事を思うと、村人をとやかく言えた立場ではないのだろう。

それを解っていながらも、どうにもすっきりとしない思いを抱きつつ、は今日何度目かのため息を吐き出した。

「最近は話題に事欠かないわよね・・・」

誰に言うでもなくポツリと呟き、カウンターから身を起こしてグッと伸びをすると、もう1度小さく欠伸を漏らして。

最初は、村中の地蔵が壊されていたという噂だった。

誰がそんな事をしたのか未だにはっきりとはしないけれど、静かな村では十分なほどショッキングな出来事といえる。

その次は、あの山入の出来事。

とどめに兼正の住人が越してきたという噂話。

本当に、これまでの静かな外場村にとっては異例の事だと思える。―――もちろん、誰が悪いわけでもないのだけれど。

それでもふと、なにか言い知れないもやもやが胸の内から消えないのだ。

不安と呼ぶにはあまりにも未熟すぎるその感情は、少しづつ・・・けれど確実に胸の中でわだかまっている。

まだ何かあるのではないかと、根拠もないのにそんな思いが忍び寄ってくる。

「・・・縁起でもない」

小さく呟いて、そんな考えを振り払うようにフルフルと頭を振る。

山入のような、あんな出来事などもうごめんだ。

確かに静かだという事だけが売りのような小さな村だけれど、この村での暮らしに不満を抱いた事はない。

このままでいいのだ。

このまま、狭く静かな世界で、小さな幸せを感じながらのんびりと生きていく事が出来れば。

「・・・さてと。する事もないし、お寺にお手伝いにでも行こうかな」

気を取り直すように殊更明るい声色でそう呟いて、は椅子から立ち上がる。

けれど数時間後、彼女のささやかな願いが打ち破られる事など、今のには知る由もなかった。

 

 

「あ、ちゃん!」

寺の手伝いに赴き、境内の掃除をしていたは、突然掛かった声にグルリと視界を巡らせた。

視界に駐在の高見が慌てたようにこちらに向かい駆けてくる姿が目に映る。

あまりの慌てように、一体どうしたのかとが小さく首を傾げる間にも高見はすごいスピードで駆け寄り、の前に立つと荒い息のまま口を開いた。

「清水さんのところの娘さん、見かけませんでした!?」

「清水さんのところって・・・恵ちゃんの事?」

「ええ、そうです!!」

突然の問いに目を丸くするを他所に、高見は切羽詰った様子で力強く頷く。

それに更に訝しげに眉を寄せながらも、はユルユルと首を横に振った。

「いえ、見かけませんでしたけど・・・」

そう答えるや否や、高見は目に見えてがっくりと肩を落とし、そうですか・・・と力なく応える。

その様子に何かあったのだろうかと察したは、持っていた箒の柄を知らず知らずにギュッと握り締めながら恐る恐る口を開いた。

「恵ちゃんがどうしたの?」

家を出る時に心の奥に押し込めた小さな不安の種が、僅かに芽を出したような気がして落ち着かない。

そんなを他所に、高見は困ったように眉を寄せると深刻そうな声色で呟いた。

「実は、行方不明なんですよ」

「行方不明って、恵ちゃんが?」

「ええ。兼正のところの坂を上って行ったのを見たって聞いたので、いま山を捜索する為に人を集めているんです。それで、もしかすると他にも目撃者がいないかと思いまして」

行方不明とは穏やかではない。

そもそも、これまで村でそんな事件が起こった事などほとんどないのだ。

彼がこれほどにまで慌てるのも理解できる。

「・・・?」

予想外の展開にどうしたものかと思考を巡らせていたは、不意に掛かった声にハッと我に返り振り返った。

そこには不思議そうな顔をした静信が、小さく首を傾げたまま立っている。

どうやら休憩しないかと声を掛けに来てくれたらしい。

は静信の姿を見てホッと安堵の息を吐くと、しかし表情に不安の色を浮かべながら口を開いた。

「静信、恵ちゃんが行方不明らしいの。あなたは恵ちゃん、見なかった?」

「恵ちゃんって、清水さんのところの・・・?」

「ええ。兼正の坂を上って行ったのを最後に行方が解らなくなってるんですって」

もしかすると山の中に迷い込んでしまったのかもしれない。

幼い頃からの遊び場のような山でも、夜ともなれば視界も悪く方向感覚も鈍ってしまう。

そんな中で、まだ年若い少女が1人で彷徨うなど、どれほど心細いだろうか。

それに・・・と、はつい先日、目の前の高見から聞いたばかりの話を思い出す。

最近、野犬が増えているのだという。

もしも恵が、山入の3人を襲ったような野犬に出くわしてしまったとしたら?

1人の少女が到底太刀打ちできるようなものではない。

自分の考えにサッと表情を強張らせたは、何かを訴えるように静信へと視線を移した。

それに気付いた静信は難しい顔で考え込み、そうして視線を高見へと移して静かに口を開く。

「兼正の坂を上っていったのなら、兼正が何か知ってるんじゃないんですか?」

思わぬ静信の言葉に、はハッと目を瞠った。

そういえば恵は、随分とあの洋館の事を気にしていたようだ。

普段からそれほど頻繁に交流があったわけではないけれど、時々会って話をするくらいには交流がある。―――その時そんな話をしていた事をは思い出した。

もしかすると、恵は引っ越してきたという兼正の住人を見に行ったのではないだろうか?

いくらなんでも直接尋ねて行ったりはしないだろうが、近くで様子を見るくらいの事はするかもしれない。

そんな彼女を、兼正が見かけている可能性もある。

その後何処へ行ったのかは知らなくとも、何時くらいにどちらの方向へ歩いて行ったかが解るだけでも、十分捜索の手がかりになるだろう。

そんな静信の言葉に、初めてその考えに至ったらしい高見は、なるほどと声を上げて勢い良くお辞儀をすると、踵を返して颯爽と駆け出した。

「ありがとうございます!」

そう言い残して去っていく高見の後姿を見送って・・・―――けれどは今もまだ不安そうに眉を寄せたまま夕闇に包まれ始めた山を見やった。

「・・・やっぱり、私も捜索に加わろうかしら?」

「・・・

「解ってるわよ」

静かな声で窘められ、は諦めたように肩を落とした。

彼女にとって、この村の山は遊び慣れた場所だった。

幼い頃から静信と敏夫、そして幹康と共によく駆け回ったものだ。

だからこそ、夜の森がどれほど危険なのかも知っていた。

小さな崖になっているところもある。

暗い山道で、もしうっかり足を滑らせでもしたら、命を落とさないまでも大怪我を負ってしまうのは避けられないだろう。

そしてには、万が一恵を見つけたとしても抱えて連れて帰る事など出来ない。

これほどの騒ぎになっているという事は、村の男たちの大勢が捜索に加わっているのだろう。―――何も彼女が無茶をする必要はないのだ。

「・・・恵ちゃん、早く見つかるといいけど」

「そうだね」

小さく呟いた言葉に、労わるような静信の声が返ってくる。

今の彼女には、ただそう祈る事しか出来なかった。

 

 

村人たち総出の捜索によって、その日の夜中、無事に恵は発見された。

どうやら山を彷徨っていたところ、崖から足を滑らせてしまったらしい。

発見されるまでは意識はなかったものの、発見された後はすぐに自力で立ち上がる事が出来たらしいと聞いて、はホッと胸を撫で下ろした。

山入の3人の死に、兼正の引越し。

今まで静かだった村が、ここ数日の間に類をみないほど騒がしさを増している。

だからだろうか、どこか落ち着かない気分になるのは。

これ以上、まだ何かあるのではないかとそう思ってしまうのは。

静信からの報告にありがとうとお礼を告げて電話を切ったは、しばし考え込むようにジッと受話器を見つめると、小さくため息を吐き出してから再び受話器に手を伸ばした。

考えすぎなのかもしれない。

色々な事が重なってしまっただけの事。―――気にしすぎだと自分自身を諌めながらも、それでも不安を拭い去れず、は慣れた手つきで馴染みの番号を打ち込んだ。

「はい、尾崎」

数回のコール音の後、いつものようにやる気がなさそうな敏夫の声が耳に響く。

実際やる気がないわけではなく、これが彼のスタイルなのだ。

だからこそはホッとして、思わず小さく笑みを零した。

医者である彼がいつも通りだという事は、今のにとってこの上なく安心感を与える。―――もしかするとそれは、相手が敏夫だからなのかもしれないけれど。

「私よ」

「なんだ、こんな時間に誰かと思ったらか」

短くそう告げるだけで、彼には相手が誰なのかが解る。

たったそれだけの事で心が躍ってしまうのだから、自分は相当重症なのだろう。―――そんな事は、今更改めて認識するまでもなかったが。

「どうした、何かあったのか?」

「恵ちゃんの容態がどうなのか気になって・・・」

気分と同じように沈んだ声でそう切り出したに、電話の向こうの敏夫は小さく息をつく。

この見た目以上に心配性な幼馴染は、どうやら心配のあまり自分に電話をかけてきたらしい。

勿論それは敏夫の想定内ではあったけれど、予想通りの彼女の行動に苦笑いとため息が零れてしまう。

こんな風に彼女は抱え込まなくてもいいたくさんのものを抱え、気を揉み奔走するのだ。

もう少し自分の事を考えればいいのにと、敏夫はそんなを見ていつも思うのだが、本人に言ったところで聞き入れられた試しがない。

先日の山入の件にしてもそうだ。

結局はなんとかを強引に説き伏せて納棺は止めさせたものの、彼女は最後の最後まで自分がやると言って引かなかった。

もし敏夫と静信が全力で止めなければ、彼女は己の信念通り3人を手厚く葬ったのだろう。

そしてその後、3人の最後の姿やこれまでの事を忘れる事が出来ず、しかしそれを言葉にしたり表に出したりなどせず、1人で抱え込んで眠れぬ夜を過ごすに違いない。

彼女のそんなところは敏夫も嫌いではないけれど、引止め役をする身としては厄介な事この上なかった。

「・・・お前、恵ちゃんと親しかったのか?」

「少し。ファッションの事とか、色々話をする機会があって、それで・・・」

だからこそ少しの牽制の意味も込めてそう問いかければ、は心配そうな声色でそう答える。

相変わらず、顔の広いこって。

心の中で呆れ混じりに呟きながら、暫く思案した後、敏夫はため息混じりに口を開いた。

「食欲はないようだが、熱もないし虫刺され以外に目立った外傷もない。脈はやや速く血圧は異常に低い。―――ただの貧血だ」

「・・・貧血?」

「ああ、それ以外に異常はない。念の為に血液検査をしているところだが、まぁ念の為だからな」

今回の恵の診断は、今説明した通りただの貧血だ。

症状もすぐに改善するだろうし、そうすればまたいつも通りの生活に戻れる。

そう判断したからこそ、敏夫はに全てを話した。

隠す方が、余計に不安を煽るだろう事は解りきっていたからだ。

「そう、良かった」

心からそう言ったらしいの声に、敏夫もまた小さく笑う。

「そんなに心配なら、見舞いにでも行ってやったらどうだ?話が盛り上がれば、恵ちゃんも気分転換になるだろう」

「そうしたいのは山々なんだけど・・・―――こういう状況だし、私は伺わない方がいいかと思って」

恵の症状を聞いて少しホッとしたのだろう、先ほどよりも少しだけ明るい声で・・・―――けれど少しだけ声を潜めては言った。

は納棺師だ。

それはすなわち、人の死を扱うという事。

それを行う人間が床に伏せている人間の見舞いに行って、みんながみんな喜ぶとは限らない。

勿論の事は知っているし、彼女が心から心配している事が解っていても。

彼女が来たからといって、必ずしも死に繋がるわけではないと解っていても。

それは気分の問題だけれど、はそういった気遣いも忘れない。

だからこそ、は敏夫に連絡を取ったのだ。―――見舞いには行けないから、せめて。

「でも、大丈夫だって聞いて安心したわ」

「そうか」

「恵ちゃんが元気になったら、1度顔を見に行く事にする。この間作ったケーキ、おすそ分けしたら美味しいって言ってくれたから、もう1度焼こうかしら?」

すっかり気分も晴れたらしいの楽しそうな声に、敏夫も知らぬ内に頬を緩ませる。

「それもいいかもな。女の子は甘いものが好きだし。―――今度俺にも持ってきてくれ」

「ふふっ、敏夫はもういい歳した男の人なのにね」

「いい歳は余計だ」

そうしていつも通り軽い応酬を交わして笑いあうと、は最後にありがとうと柔らかい声で告げると電話を切った。

先ほどとは違い軽い気分で受話器を置き、もう1度小さく笑みを零す。

「疲れた時は甘いものが欲しくなるものね」

ポツリと呟いて、誰もいない事は解っているというのに気恥ずかしさに部屋の中を見回すと苦笑を零す。

たったこれだけの事で気分が軽くなってしまう自分が、なんだか酷く可笑しかった。

「恵ちゃんの分と、敏夫の分と・・・あと、静信の分も。―――何を作ろうかしら?」

すっかり気分も晴れ、は楽しい気分でキッチンへと足を向ける。

この後に何が起こるのかを、知る由もないまま。

 

今はまだ笑顔を浮かべたまま、は沈黙を守る電話に背を向けた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

最後が・・・!(いつも言ってる)

屍鬼の連載は飛ばし飛ばしで書こうと思っているんですが、でもあんまり飛ばしすぎると・・・と思って結局はしっかりと書いてしまう自分がなんだか・・・。

とりあえず、最初くらいはね。(笑)

作成日 2010.7.14

更新日 2010.10.17

 

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