賑やかな声が、聴こえる。

 

 

ふわりと、優しい風が頬を撫でた。

惹かれるように読みかけの本から顔を上げれば、目に映ったのは青い青い空。

窓の縁に掛かった白いカーテンが、優しい風に吹かれて翻る。

そんな眩しい光景に僅かに目を細めれば、私が顔を上げた原因でもある賑やかな声がもう1度耳に届いた。

校庭で、昼休みの僅かな時間を惜しむように誰かが遊んでいるんだろう。

まるで部活動のような活気に満ちた声に視線を向ければ、そこには見慣れた姿があった。

「・・・相変わらず、元気ねぇ」

そんな年寄り臭い事を呟きながらも、私の口からは小さな笑みが零れる。

子供の頃から、明るい太陽の下が一番似合う敏夫。

それは高校生になっても変わらない。

身体は大きくなっても、笑顔は幼い頃と変わらないままだ。

「何やってんだよ、敏夫!」

「ウルセェなぁ、ちょっとミスっただけだろうが!」

サッカーをしていたのだろう。―――クラスメイトが蹴ったボールを取り損ねてそう声を掛けられた敏夫は、不機嫌そうに眉を寄せながら慌ててボールを追いかける。

そんな敏夫を、私は読みかけの本を読む事さえも忘れてぼんやりと見つめていた。

私がいる教室とは全然違う、動の世界。

まるで別世界みたいだ。―――窓を1枚隔てただけで、こんなにも違う空気が流れているなんて。

「おら、行くぞ!!」

そう声を上げて、敏夫の蹴ったボールが青い青い空へ溶け込むように飛んでいく。

そうして敏夫もまた、そのボールを追いかけるように校庭へと走り出す。

友達が多い敏夫は、いつもこうやってみんなの輪の中にいた。

私たちの住む村には同じ年頃の子供が少なく、負けん気が強かった敏夫は年上の子供たちに指図されるのを嫌って、人の輪から離れていたけれど。

本来、敏夫はこういう人間だ。

自然と周りに人が集まって、賑やかで、明るくて。

どちらかといえば、何故か周囲から浮いている私とは正反対。

私だって友達はたくさんいるけれど、敏夫とは少し違う気がする。―――どう違うのか、上手く説明は出来ないけれど。

だからだろうか、いつも敏夫を目で追ってしまうのは。

「尾崎くん!!」

そんな風に過去の思い出に浸っていた私の耳に、唐突に可愛らしい女の子の声が響いた。

ふと我に返って改めて窓の外を見やると、そこには敏夫に駆け寄る女の子の姿が。

そうしてなにやら楽しそうに話をする2人を認めて、私の胸がチクリと声を上げた。

老若男女問わず、人気のある敏夫。

彼は何も言わないし、そんな素振りは見せないけれど、きっと女の子に想いを寄せられる事なんて珍しくないんだろう。―――あの、女の子みたいに。

そう思った途端、また私の胸がチクリと声を上げ、私は僅かに眉を寄せた。

「・・・一体、何なのよ」

どうしてこんなもやもやとした気持ちになるんだろう。

別に敏夫が誰と話をしていたって、誰と仲良くしていたって、私には関係ないのに。

子供の頃からずっと一緒に居て、それこそ子供時代のほとんどを一緒に過ごして、喧嘩もたくさんしたし、その数だけ仲直りもした。

まるで手の掛かる弟みたいで、だけど時々すごく頼りになるお兄さんみたいで。

多分今の私の一番近いところにいる内の1人で。

大切な・・・―――だけど、ただの幼馴染だというのに。

なのにどうして、こんな気持ちになるんだろう。

「・・・

もやもやとした想いを抱えて思わず唇を噛み締めた私に、不意に聞き慣れた柔らかい声が掛けられる。

それに救われたような気がして振り返れば、そこには柔らかい笑みを浮かべた静信が立っていた。

「どうしたんだ、変な顔して」

「・・・変な顔は余計よ」

からかう様にそう言う静信をチラリと睨みつけて、私は自然な動作で手元の本へと視線を戻した。

どうしてか、気付かれたくないと思った。

けれどそんな些細な変化でも、静信が見逃すはずがない事も私は知っていたけれど。

「・・・敏夫がいるな」

静かな教室の中で、思ったよりも響いた声に私の心臓が小さく跳ねた。

それに気付いているのかいないのか、静信は特別構えた様子もなく窓の外に向けていた視線を私へと戻して。

「ここから見ているくらいなら、行ってくればいいのに」

「・・・サッカーに、興味ないもの」

それは、本当。

サッカーに興味はない。

ただ私が窓の外を見たのは、賑やかな楽しそうな声が聞こえたから。

そこに、偶然敏夫がいただけの話。―――きっといるだろうとは、思っていたけれど。

「・・・賑やか、だね」

「そうね」

「すごく楽しそうだ」

「・・・そうね」

ポツリポツリと話し出す静信に、本へ視線を落としたまま相槌を打つ。

当然ながら本の内容なんて頭の中には入ってこなかった。―――ただ、楽しそうな笑い声だけが頭の中に木霊する。

私はどうしてしまったんだろう。

「敏夫はいつも人に囲まれてる気がする」

「・・・そうね。子供の頃はずっと私たちだけだったけど、敏夫は本来そういう人だもの」

本当は、いつも人の中心にいるような人。

だから、この光景は特別不思議なものじゃない。―――特別、気にする事じゃ・・・。

「僕は、そんな敏夫が羨ましかった」

不意に零れた言葉に顔を上げれば、静信は窓の外に視線を向けたまま。

だけどそれを追って窓の外を見る気にはなれなかった。

「静信には、静信の良いところがあるわ」

「・・・そう、かな」

「勿論。私はよく知ってる。静信の良い所も、敏夫の良い所も」

「・・・・・・」

「2人の悪いところもね。静信はもう少し、自分に自信を持った方がいい」

「そう簡単にはいかないよ」

「それも知ってる。―――私もそうだもの」

そう言えば、静信は窓の外に向けていた視線を私へと戻して、照れくさそうな顔で笑う。

向けられた微笑みに不思議と心は落ち着いて、私はホッと息を吐き出した。

静信といると、心が落ち着く。

彼の微笑みを見ると、ホッとする。

それはまるで彼自身みたいに、心に静が戻ってくる。―――もやもやとした何かが、洗われていくような・・・。

!静信!!」

ふいに、私と静信を呼ぶ声が聞こえた。

それに思わず視線を声のした方へと向ければ、さっきまでサッカーをしていたはずの敏夫が校庭から私たちを見つめていた。

瞬間、ドキリと心臓が脈打つ。

射抜くような、鋭い視線。

見慣れたはずのそれは、だけど見知らぬそれのようで。

「・・・どう、したの?」

何故かノド元で引っかかりそうな声をなんとか形にして問いかければ、ジッと私たちを見ていた敏夫は一拍置いた後ニヤリと口角を上げて。

「数学の課題やってくるの忘れたから、後で写させてくれ」

何を言うのかと思えば、それはいつも通りの彼の要求で。

敏夫だって頭がいいんだから、課題くらい自分でやってくればいいのに。

「・・・構わないけど、もうすぐ昼休み終わるわよ」

「今から写しゃ間に合うって!」

そう思うけれど、何故か否定の言葉を飲み込んでいる自分に気付く。

そうして慌てた様子で校舎へと駆け込んでいく敏夫の姿を見送って、私は知らず知らず詰めていた息をゆっくりと吐き出した。

子供の頃からずっと一緒に居て。

良いところも悪いところも知っていて、それは彼らだって同じで。

何も変わらないはずなのに。

敏夫も静信も、比べようがないくらい大切な人に違いないのに。

静信の笑顔は私を落ち着かせてくれるのに、どうして敏夫の笑顔は私を落ち着かせなくするんだろう。

、あんまり敏夫を甘やかさない方がいい」

「・・・うん、解ってる」

静信の忠告にコクリとひとつ頷いて、私は読みかけのまま放置された本をぼんやりと見つめる。

遠くから、バタバタと廊下を走る足音が聞こえる。

この胸のもやもやを。

言葉にするには難しいこの感情を、きっと私は知っている。

その答えは、きっとそう難しいものじゃない。

ただ、それを認めてしまうのは、私にとってはとても難しい事だけれど。

認めてしまえば、確実に何かが壊れてしまうような気がした。

今でも鮮明に思い出せるかつての懐かしい光景。

成長した今でも、それを手放せずにいる。

それに縋り付いて・・・―――私は今も、ずっと立ち止まったまま。

「待たせたな、!じゃ、早速・・・」

勢い良く教室に飛び込んできた敏夫は、昔と変わらない悪戯っ子の笑顔を浮かべて。

そうして大きな態度で手を差し出す敏夫を認めて、私と静信は顔を見合わせて笑った。

 

 

                いつまでもあの頃のように

               何も知らずに笑っていたかった

                                                       (せめて、今だけは)

 


敏夫への恋心を持て余しながら、自覚する事を恐れて目を逸らし続けている主人公。

まぁ、無駄な抵抗に終わってますが。

                                                     作成日 2009.3.14

                                                     更新日 2009.3.27

 

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