その日、は珍しく町に出ていた。

あまりの食客の多さに腹を据えかね試衛館を出て行ったふでと、そんなふでについて行った周斎の元に、実家から送られてきたという品を届けに行ったつね。

そして同じように、周斎とふでの世話をする為に出向いている源三郎。

そんな2人に代わって、今日はが買物に出かけたのだ。

これは、そんな折の出来事。

 

そして歯車は廻り始める

 

「嬢ちゃんじゃねぇか!?」

不意に背後から声を掛けられて、は思わず振り返った。

言っておくならば、ここは町中であり、所謂『お嬢さん』と分類される人物は少なくない。

それでもが振り返ったのは、掛けられた声に聞き覚えがあった事と、一度聞いたら忘れる事などない独特な言葉遣いからだった。

「久しぶりじゃのう!」

振り返ったに嬉しそうな笑みを向ける男に、見覚えがあった。

今から5年ほど前に、たった一度だけ会った人物。

けれど普段からあまり人付き合いが広い方ではなく、且つ至極印象的だったその男の事をはしっかりと覚えていた。

彼に貰った風車は、総司に貰った風車と共に、今もの部屋に飾られている。

「坂本さん」

の口から出た自分の名前に、竜馬は更に笑みを深める。

「なんじゃ!わしの事覚えとってくれたのか!?」

駆け足での前に立ち、ガシガシと頭を撫でる竜馬。―――それはこっちの言葉だと思ったが、しかしがそれを口にすることはなかった。

一通りの頭を撫でると、竜馬は少しだけ身を屈めての顔を覗き込む。

「なんじゃ。ちょっとばかし大人の顔つきになったか?」

その言葉に、は少しばかり眉を顰める。

前に会ったのは、何時の事だと思っているのか?

5年も経てば、誰だって成長する。―――それがのような成長期にいる者なら当然の事だ。

そんなの考えに気付いたのか、竜馬は軽く笑うと再びの頭を撫でた。

いつまで経っても扱いは小さな子供に対してのようなものだが、そうされる事は別段嫌だとは思わない。

たった一度会っただけだというのに、妙に懐かしさを感じる。

「悪い悪い!そうじゃ、詫びの代わりにそこで茶でも飲まんか?奢ってやるきに」

そう言って指されたのは、すぐ側にある一軒の茶店。

団子が美味しいと評判のその店は、しかし忙しい時間帯を過ぎているのか客の姿もまばらだった。

「ほら、さっさといくぜよ!」

まだ承諾していないというのに、強引に腕を引っ張られ茶店へと連行される

自分の腕を掴む竜馬の手が、けれど痛みを感じさせないようにと配慮して力加減されている事に気づき、は表情を緩める。

買物を引き受けた以上は、あまり長居するわけにもいかないのだけれど。

少しだけなら良いかと頭の片隅で思いながら、は竜馬に連れられて茶店へと向かった。

 

 

「ここで何してるの?・・・してるんですか?」

とりあえず席について注文をした後、珍しくの方から口火を切った。

掛けられた質問と言い直された言葉遣いに竜馬は苦笑を漏らす。―――無理をして敬語を使う必要はないと促して、竜馬は机に肘を突いた。

「何って・・・まぁ、いろいろじゃ」

全く答えになっていない返事に、しかしは素直に頷く。

5年前に会った時は、これから土佐に帰るのだと言っていた。

は直接会っていないが、勇が4代目を襲名した際の宴会で会った時は、『土佐勤皇党』という組織に加わったと言っていたらしい。―――それが2年前の話。

「今も土佐勤皇党?・・・とかいうの、やってるのか?」

小さく首を傾げるに、竜馬は乾いた笑いを浮かべる。

土佐勤皇党が何をする組織なのか、明らかに理解していない

そうは言っても、竜馬とて説明されるまではその名前の意味をよく理解してはいなかったのだから、そんなを笑ったりは出来ないけれど。

「土佐勤皇党か・・・。懐かしいにゃー」

遠くを見るような目で呟く竜馬に、も何気なくそちらを眺める。―――そこにあるのは店の壁だけで、吊り下げられているお品書きが目に映った。

饅頭も美味しそうだとどうでも良い事を考えながら竜馬に視線を戻すと、当の竜馬は既に先ほどの会話など忘れたかのような面持ちでお茶をすすっている。

「・・・・・・?」

宙ぶらりんなままの会話にが首を傾げた頃、竜馬は妙に晴れ晴れとした表情を浮かべてあっさりと言い切った。

「やめたきに」

「・・・やめたのか?」

「そうじゃ。綺麗さっぱりな」

明るい笑顔を向けられて、そうなのかと納得したように頷く。―――そもそもにとっては、竜馬が何の組織なのかも解らないそこを止めたと言っても別に驚くような事ではない。

どう見ても飽きっぽそうな竜馬が、未だにそこにいると言われた方が不思議に思ったかもしれない。

「今は勝先生の所に世話になっとる」

唐突に告げられた近況報告に、は再び首を傾げる。

『勝先生』と言われても、それが誰の事なのか解らない。―――『先生』と呼ばれるくらいなのだから、とてもえらい人なのだろうという事は解った。

「勝先生は凄いぞ?いろんな事に詳しい!!」

パッと顔を輝かせて、勝先生という人物について語る竜馬をは眺める。

注文した団子が運ばれ、それを口に運びながらも、竜馬の話は終わる事はなかった。

長い話な上に、あまり世の事に詳しくないには何の事を言っているのかはよく解らなかったけれど、元来人の話を聞く事が苦にならないは無言で竜馬の話に耳を傾ける。

時折相槌を打てば、竜馬の話は更に熱を帯びた。―――山南の言葉を借りるならば、は大層聞き上手なのだ。

それなりに長い時間、竜馬が話すのをただ聞いていた

膳の上の団子は、既に姿を消している。―――そんな頃になって、漸く竜馬は思い出したかのようにに問いかけた。

「そういや・・・近藤さんは元気にしちょるか?」

勝の事を語っていた時と同じように目を輝かせる竜馬に、は同じように笑みを浮かべてコクリと頷く。

それに嬉しそうに微笑んだ竜馬は、団子が刺さっていた串を軽く振りながら、更に質問を続ける。

「今はどないしちょる?」

「・・・えっと」

竜馬の質問に、どう答えるべきかとは思考を巡らせた。

どんどんと増えていった食客たちのことを話す必要はないだろうか?―――それも勇に関係があるとはいえ、それを竜馬に話しても仕方がないだろう。

4代目を襲名した事は?

それなら既に竜馬は知っている。

なら、子供が生まれたことを話すべきだろうか?

勇とつねの間に生まれた女子は、この世に誕生して既に数ヶ月。

最初は赤黒い猿のような風貌だったにも関わらず、最近は肌の色も白くなり、丸みを帯びてずいぶんと可愛らしくなった。

そこまで考えて、けれど自分があまり口の立つ方ではないことを思い出す。

長々と浮かんだ近況に、しかしそれを上手く竜馬に伝えられるか疑問が浮かぶ。

その結果。

「・・・講武所で、教授方?・・・をやることになった」

一番新しい情報を、簡潔に伝える。

話が来たのはずいぶんと前の事だが、本格的に勤め出したのは今日が初めてだ。

今朝方、平助を連れて家を出る勇を思い出して、は1人で納得したように頷く。

「ほう!教授方になったか!?それはえらい出世したもんじゃのう」

まるで自分のことのように無邪気に喜ぶ竜馬に、も嬉しくなって笑顔を浮かべた。

勇が人に認められるのは・・・それが偉い人たち相手ならば、だって嬉しい。

それがどういう意味なのかは解らなくても、嬉しいことに違いないのだ。

「良かったのう」

心からの祝辞に、は笑顔のまま頷いた。

そんなをしげしげと見詰めて・・・―――竜馬は感動にも似た思いを抱いた。

最初に会った頃は、あんなにも子供の顔をしていたというのに。

たった5年、されど5年か。

会わなかった期間で、は目を見張るほど成長した。

着ている物は男物で、着飾ったりなど一切していないというのに、それでも目を引く綺麗な容姿。

元々綺麗な娘だとは思っていたが、それがこの5年でこんな風に成長するとは。

竜馬は更にに興味を抱いた。

をどうこうしようというわけではない。―――ただ漠然とした、興味。

「それで?おまんはどうしちょる?」

勇の話から自分へと切り替えられ、その意味が解らずは首を傾げる。

どうしてる・・・とは、どういう意味なのだろう?

今現在は、竜馬と話をしている。―――が、彼が聞きたいのはそういうことではないだろう。

そう思い、竜馬と出会ってから今までの自分を思い出す。

「・・・・・・」

思い出したが、今の自分は昔と大して変わっていない気がした。

試衛館道場で暮らし、そこで剣術の稽古をする。

最近では食客たちといろんな話をしたり、たまにどこかに出かけたりはするが、根本的な事は何も変わっていない。

今も昔も、はただ試衛館にいるだけだ。

それを不満に思ったことなど、たったの一度もない。―――試衛館での暮らしは楽しく、にとってはこの上もなく幸せなものだ。

けれど・・・このままで良いのだろうかと、そんな考えが唐突にの頭に浮かんだ。

このまま・・・ずっと試衛館の中にいて。

そこは苦しみも辛い事も何もない。

そんな風に、ずっと勇たちに守られているだけで良いのだろうか?

「どないした?」

黙り込んでしまったの顔を覗き込む竜馬と目が合い、は咄嗟に首を横に振った。

湧き出して来た思いは留まる事はなかったけれど、それを人に言うつもりはない。

ただ首を振るに、竜馬は不思議そうに首を傾げる。―――しかし次の瞬間ニヤニヤと何かを企むような笑みを浮かべると、持っていた串をに向けた。

「結婚の予定とかはないのか?」

「・・・・・・結婚?」

掛けられた突拍子もない問いに、は目を丸くして竜馬を見返した。

結婚など、は一度だって考えた事はない。―――そもそも結婚の『け』の字も、勇の口から出たことなどないのだ。

一般的に見れば、は結婚してもおかしくはない歳だ。

いや、もしかしたら遅いくらいなのかもしれない。―――早い人は、まだ少女だと言われる時期に既に嫁入りしている事もある。

この世に生を受けて、漸く20年。

今まで恋愛などした事のないが、しかし唐突に結婚の話は?と聞かれても答えられないのは仕方のないことだった。

「なんじゃ。予定もないのか?」

返事は返って来なかったが、の様子からそう判断した竜馬。

考えた事もなさそうなの様子に思わず苦笑する。―――確かに試衛館の人々は、強引にそういう話を持ち出すような性格はしていない。

それ以上に、溺愛と言っても過言ではないほどを可愛がっている彼らが、そんな話題を口にするとも思えなかった。

「なんなら、わしのとこに嫁にくるか?」

冗談半分、本気半分。

からかい口調で呟いた竜馬の言葉に、は本気で驚いた顔をする。―――しかし一拍の後、それが冗談だと判断したは、不機嫌そうにそっぽを向いた。

「嫌か?」

「坂本さん、嫌い」

「なんじゃ、嫌われてしもたか」

カラカラと笑う竜馬に、はチラリと視線を向けて・・・そして困ったように笑う。

どんなに失礼な事を言われようとも、どうしても憎めない雰囲気が竜馬にはあった。

「冗談じゃ!そんなに怒らんでも良いじゃろ!?」

わざとらしく慌てたように手を振る竜馬に視線を戻して、は少しばかり考えを巡らせて・・・―――そして先ほど見たお品書きを指さす。

「・・・・・・?」

「あれ。お饅頭買ってくれたら、許してあげる」

「・・・しっかりしとるのう」

呆れたようにため息を吐き、そして竜馬は更に笑う。

「姉ちゃん!あの饅頭、包んでくれ!」

店員にそう頼み、すぐさま包まれた饅頭がの元に届いた。

「これでいいがよ」

「ありがとう」

紙で包まれた饅頭を見て笑うに、竜馬は『花より団子』という言葉を思い浮かべる。

目の前の少女もまだ、その言葉の方がよく似合う。

それでもいつかは誰かの元に嫁ぐだろう姿を思い浮かべて、竜馬は少し・・・ほんの少しだけ物悲しい気持ちを抱いた。

自分も試衛館の面々に感化されたのかと、困ったように笑う。

そんな竜馬を見て不思議そうに首を傾げるの頭を乱暴に撫でて。

「よく味わって食えよ」

告げた直後返って来た笑顔に、竜馬は更に笑みを深くした。

 

 

買物を終えて、つねが帰ってくる前に洗濯物を取り入れたは、誰かの来訪に飛び出して行った山南を何事だろうかと見送って。

夕刻になって帰ってきた勇に、今日竜馬と会った事を告げようかと思ったが、何故か落ち込んだ様子の彼にそれを告げることも出来なかった。

不思議に思って平助に聞いてみれば、身分を理由に教授方の話が駄目になったのだと聞かされる。

やっと自分のやるべき事を見つけた勇が、しかし百姓だという理由だけでそれを失ってしまったという事実に、はどうにも説明しがたい感情に襲われた。

道場に向かい、やるせない気持ちを振り払うように、一心に竹刀を振る。

そんなの耳にガタガタと騒がしい音と大きな勇の声が届いて、何事かと音がする玄関へ向かった。

そこには既に人の姿はなく、辛うじて勇が試衛館を飛び出していく後ろ姿だけが目に映る。

不思議に思い、どうしたかと疑問を抱きながら台所に向かうと、そこには今にも泣き出しそうな表情を浮かべたつねが、放心したように座り込んでいた。

「・・・どうした?」

喧嘩でもしたのだろうかと思ったが、この夫婦に限ってそれはないだろうと思い、座り込むつねの傍らにしゃがみこむと、突然強い力で抱きしめられた。

「・・・つねさん?」

呼びかけても返事は返ってこない。―――ただ押し殺した泣き声だけが、の耳元で悲しく響く。

何がなんだか解らなかったけれど、つねが悲しんでいる事は十分に理解したは、無言のままつねの身体を抱き返した。

勇の手に渡った、山南からの一通の手紙。

それは、勇の人生を大きく変えることになる。

そしてそれは、にとっても例外はなく。

『このままで良いのだろうか?』

今まで思いもしなかったそんな考えは、唐突に現実味を帯び始める。

身体に掛かる重さと、つねの温かな身体を強く抱きしめて。

は宥めるように、その背中を叩いた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

方言は気にしないで下さい。(第一声がそれか)

もう、はっきり言ってデタラメです。嘘っぱちです。

坂本竜馬を出したいばかりに、こんな無謀な事をしてしまいました。

最後がなんだかつねさんとラブラブチック。(これで?)

ちなみにヒロインと竜馬が会ったのは、勇と竜馬が会う前です。

作成日 2004.7.9

更新日 2008.5.10

 

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