、ちょっといいか?」

お兄ちゃんがバスケ部に乗り込んだり、お兄ちゃんがバスケ部で大暴れしたり、かと思えば返り討ちにあったり、安西先生の登場であっさり素直になったりした日。―――神妙な顔をしたお兄ちゃんが、ひょっこりと私の部屋に顔を出した。

体育館の異変に様子を見に来た先生たちをなんとか誤魔化したり、怪我をしたバスケ部員たちを病院に連れて行ったりして帰宅も遅く、思わぬ1日に疲れていた私としては問答無用で断りたかったけれど、あんまりにもお兄ちゃんが真剣な顔をしてるもんだから、思わずコクリと頷いてしまった。

まぁ、私が体育館に行ったのは、騒動も佳境に入った頃だったしね。―――他の人たちに比べれば、疲れの度合いはそんなに酷くはないけれど。

「・・・どうしたの、お兄ちゃん。似合わない真剣な顔して」

「似合わないは余計だ」

だって似合わないもん。

まぁ、だからっていっつもへらへら笑ってるわけでもないけど。

そんな私の返答に一瞬眉を顰めたお兄ちゃんは、しかし気を取り直したように私へハサミを差し出して。

「俺の髪の毛を切ってくれ」

何の前触れもなく、私に向かいそう告げた。

 

 

「・・・なんて言ったの、お兄ちゃん?」

「だから、俺の髪の毛を切ってくれって言ったんだよ」

だから、なんで?

何の前置きもなくそんな事言われれば、誰だって不思議に思うと思うんだけど。

そう告げれば、お兄ちゃんはその時漸くその考えに思い至ったのか、コホンと1つ咳払いをしてから、気まずいのか視線を逸らしながら口を開いた。

「ケジメを、つけようと思って」

「・・・何のケジメ?」

「だから!今までの俺じゃなく、新しく始める為にだな・・・!!」

要は形から入ろうって事?

まぁ、解りやすいといえば解りやすいけど・・・―――それに加えて、あの長髪じゃバスケするには向かないだろうけど。

「・・・お兄ちゃんの決意は解ったけどさ。なんで私なの?普通に床屋なり美容院なり行けばいいじゃない」

「今からだとやってないだろ?」

「別に今すぐじゃなくてもいいんじゃないの?」

「明日だと、学校サボる事になっちまうだろ?」

今まで散々不良してきた人が、どの面下げてそんな事を言うんだろう。

別に隠すつもりもなかったから当然かもしれないけれど、やっぱり私の表情からそんな思いを読み取ったお兄ちゃんが、更に気まずそうにもごもごと呟く。

「明日だと・・・」

「明日だと?」

「・・・・・・」

「・・・さっさと言わないと、私お風呂に入るよ?」

口ごもった挙句に黙り込んでしまったお兄ちゃんを見返して、呆れたようにそう告げる。

大体、今更私に取り繕ったってどうしようもないじゃない。

お兄ちゃんのかっこ悪いトコなんていっぱい見てきてるんだからさ。―――まぁ、私が見てきたのはかっこ悪いとこばっかりじゃないけど。

お兄ちゃんに言えば絶対に調子に乗りそうな事を心の中だけで呟くと、さっきの私の言葉にお兄ちゃんが慌てた様子で口を開いた。

「・・・明日だと、朝練に出れなくなるだろ?」

「・・・・・・」

え、それだけ?

それだけの理由で、まったくの素人の私に髪の毛切ってくれなんて言ってるの?本気で?

まぁ、別に私は特別不器用ってわけじゃないけど、それだってプロの足元にも及ばない腕前な事は間違いないと思うんだけど。

呆気に取られた私を他所に、お兄ちゃんは何かを吹っ切ったように言葉を続けた。

「それに、切ってもらうならお前がいいと思ったんだよ。―――今までずっと俺を見てきた、お前がな」

「・・・お兄ちゃん」

まさか、お兄ちゃんがそんな風に思ってるなんて知らなかった。

どちらかというと、私がお兄ちゃんの傍にいたっていうよりは、お兄ちゃんが私の傍にいたっていう方が正確だと思うけど。

いい加減、妹離れもさせなくちゃね。

「・・・解った。そこまで言うなら、私がお兄ちゃんの髪の毛を切ってあげる」

それでも正直お兄ちゃんの言葉は嬉しかったから、私はしっかりと頷いてお兄ちゃんからハサミを受け取った。

そうして受け取ったハサミをそのまま机に置いて、私はお兄ちゃんを連れて部屋を出る。

「お、おい。どこ行くんだ?」

「リビング。私の部屋で切ったら掃除が大変だから」

リビングならいいのか、とかいう突っ込みが微かに聞こえたような気がするけど、あっさり聞こえなかったフリをする。

だってそんなの、答えるまでもないでしょ?

「まぁ、リビングで切るのは解ったが・・・なんでハサミ置いてきたんだ?」

「必要ないから」

「必要ないって・・・」

これから髪の毛を切るのにか?と暗に問い掛けるお兄ちゃんを無視してリビングに入ると、手早く今日の朝刊を床に広げつつ、ソファーでテレビを見ているお母さんへと声を掛けた。

「お母さん、バリカン持ってきて」

「バリカン?そんなの何に使うの?」

「お兄ちゃんの髪の毛を刈り上げるの」

「ちょっと待てー!!」

のほほんと問い掛けるお母さんにそう返せば、ものすごい勢いでお兄ちゃんが声を上げた。

それになんだとばかりに視線を向けると、反対にものすごい形相で睨みつけられる。

「刈り上げるって、お前!俺は髪の毛を『切ってくれ』って言ったんだぞ?『刈り上げてくれ』なんて言った覚えはない!」

「だって、ちまちま切るのも面倒だし。私も早くお風呂入って寝ないと明日の朝練に響くし。でもお兄ちゃんは私にしてほしいっていうから、それならもう手っ取り早く刈り上げちゃおうかなって」

「手っ取り早く終わらせようとしてるんじゃねぇよ!」

私のナイスアイデアは、お兄ちゃんによってあっさりと却下された。

でもさぁ、私の都合も考えてほしいわけよ。

なんたって今日はお兄ちゃんが無茶したせいで、どっと疲れたんだから。―――いや、根に持ってるわけじゃないけど。

「つーか、おふくろ!うきうきしながらバリカン出してんじゃねぇよ!」

「えぇ?実は私も前から使ってみたいと思ってたのよ。通販で一目ぼれして買った割には、使う機会なかったしね」

「むしろ、なんでバリカンを通販で一目ぼれして買ったのかが解んねぇよ」

「でもいろんな機能がついてるのよ、これ。最新の奴なんだから」

最近のお母さんは通販に凝っている。

最新の奴だかなんだか知らないけど、バリカンなんて全部同じようなものなんじゃないの?

その内、1つ買ったらもう1つ付いてきますとか言い出すんだよ、きっと。―――バリカンなんて2つも持ってても仕方ないっつーの。

!お前もなんとか言え!!」

テンションが上がってきたお母さんを前に、お兄ちゃんが私へ助けを求める。

まぁ、お兄ちゃんにお母さんを止められるわけないよね。

でもまぁ、ここで止めても状況はそんなに変わらない気もするんだけど。

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。安西先生、意外と刈り上げ好きそうだし」

「お前、安西先生にどんなイメージ持ってんだよ」

「なんか前にそう言ってた気がする」

「嘘付け!ぜってぇ嘘だろそれ!そんなん聞いたことねぇよ!!」

あーもう、ごちゃごちゃうるさいなぁ。

どうにも収拾がつかなくなってきた気がして、私は本当に面倒くさくなったので新聞を纏める為に置いてあったビニールの紐を手に取るとそれをさっとお母さんに手渡した。

「お母さん、これでお兄ちゃん拘束して。もうさっさと刈り上げちゃおう」

「そうね、そうしましょう。きっと刈り上げが似合うわよ、寿」

「つーか、やめろ!!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐお兄ちゃんを、私とお母さんの2人がかりで取り押さえる。

力的にはお兄ちゃんの方が圧倒的に強いだろうけど、私とお母さんを相手にしたお兄ちゃんは精神的な力関係が弱いから、思ったよりも抵抗は薄かった。

「よし、!今よ!寿の頭を刈り上げるのよ!!」

「了解」

「やめろー!!」

お兄ちゃんの近所迷惑な絶叫が、家中に響き渡る。

「・・・何やってんだ、お前たち?」

恒例の残業で帰宅したお父さんが、そんな私たちを見て不思議そうな顔をしながらそう言った。

 

 

翌日、洗面所で複雑な顔をしながら鏡を覗き込むお兄ちゃんを見つけて、私は背後からそっと近づくと思った以上の出来栄えに口角を上げた。

それに気付いたお兄ちゃんが振り返り、気まずそうな表情を浮かべる。

「意外といい腕してるでしょ、私」

自分でも、この出来栄えはなかなかだと思う。

初めてにしては、かなり上出来だ。

「まぁ、悪くはない・・・な」

照れ隠しからか、そっぽを向いてそう言うお兄ちゃんを見てもう一度笑う。

お兄ちゃんが実際にどう思ってたのかは知らないけど、いくらなんでも流石に刈り上げはしないって。

ちょっとからかうつもりが、あんまりにも面白反応するからついやり過ぎちゃった。

それはきっと、お母さんも一緒だろう。

お母さんは、お兄ちゃんの事が大好きだから。―――その割には愛情表現が強烈だけど。

「なかなかいい男に仕上がってるよ、お兄ちゃん」

「そりゃ、元がいいからな。元が」

「美容師の腕前がいいから、でしょ?」

そう言って軽く背中を叩けば、お兄ちゃんは私が好きな太陽のような笑顔を浮かべて、乱暴な仕草で私の髪の毛をぐちゃぐちゃにかき混ぜた。

「寿、!ご飯よ!!」

「は〜い」

「おう!」

リビングから、お母さんの呼ぶ声が聞こえる。

朝ごはんを食べて、それから朝練に顔を出して。

さっぱりしたお兄ちゃんを見て、みんながどんな表情をするのかが今から楽しみだった。

 

三井家の団欒

 


スラムダンク。

連載第6話後の、三井家での出来事。