雷雲が、低く唸るように声を上げる。

先ほどまで晴れ渡っていた空は、今にも泣き出しそうなほどその様を変え。

突然の変化に怯える人々の中、はゆっくりと顔を上げた。

薄く目を細めて、まるで地上に迫る勢いの黒い黒い雲を見詰める。

「・・・何か、来る」

その口から呟きが零れ落ちたと同時に、町の喧騒の中から少女の姿は消えていた。

 

舞いりるもの

 

遠くで誰かの声がする。

重い瞼を開く事無く、気だるい体の望むままその身体を横たえていた有川譲は、ボンヤリとする意識の隅でそんな事を思った。

静かな、不思議と耳に心地良いその声。

今の自分にとっては子守唄のようなその声に抗う事無く、譲は微かに残った意識を完全に手放し、再びゆるゆると夢路を辿る。―――筈だったのだけれど。

「起きろ」

「・・・ぐぇっ!」

突如耳元で聞こえた先ほどとは違う鋭い声と腹部を襲った強烈な鈍痛に、踏み潰されたカエルのような声を漏らす。―――とはいっても、踏み潰されたカエルが果たして本当にこんな鳴き声を出すのかは譲には解らなかったが。

それはさておき、突然己の身を襲った衝撃に、当然の事ながら譲の意識は夢路の底から引き上げられた。

これ以上ないほど眉根を寄せて重い瞼を抉じ開けると、真っ黒に染まった不気味な空と共に自分を見下ろす少女の姿が映る。

「・・・あの」

「起きたか」

唸るような自分の声を無視し、淡々とした口調で問い掛けているのか確認したのか判断が付き難い一言を放った少女は、その黒曜石のような瞳を譲へと注ぐ。

一体何がどうなっているのか。―――目覚めたばかりでしっかりとは働かない脳で、必死に現状を把握しようと頭を働かせるが、答えに至る為のヒントが何もない状態では生憎とそれは叶わなかった。

「あの・・・」

「なんだ?」

今度こそ搾り出すようにそう声を掛ければ、無言で自分を見下ろす少女は言葉少なではあるがしっかりと返事を返す。

その事が『これは夢ではなく現実なのだ』と証明しているような気がして、短く浅く息を吐き出した。

何がなんだか解らないが、とりあえず今自分がすべき事は。

「とりあえず、俺のお腹の上から足を退けてくれませんか?」

未だ乗せられたままの少女の足を退かせる事だろうと確信する。

「・・・ああ、すまない」

譲の申し出に今初めて気づいたとでも言わんばかりの様子で足を退けた少女は、漸く圧迫感のなくなった腹部を押さえながらゆっくりと身を起こす譲を変わらず見詰めている。

そうして完全に起き上がった譲は、寝転んでいた時とは違う目に映る景色に、愕然とした様子で大きく目を見開いた。

まず、自分のすぐ傍にあるのは大きな川。

気が付けば自分が座っているのは石砂利の上だ。―――道理でお尻が痛いはずだと意外にも冷静にそんな事を思いながら、自分から一歩距離を取った少女を見上げる。

「あの・・・」

口を開きかけて・・・けれどすぐさま言葉を飲み込んだ譲は、困惑したように視線を泳がせる。―――思えばさっきから自分は『あの・・・』しか言っていないなとどうでもいい事を考えながら、その考えがただの現実逃避でしかないことを自覚しつつももう一度同じ言葉を繰り返した。

聞きたい事がないわけではない。

寧ろ聞きたい事が多すぎて、何から尋ねれば良いのか解らない。

普段から物事を順序立てて考える筈の譲がこれほど動揺しても可笑しくないほど、目の前の光景は酷く非現実的だった。

「・・・あの」

「なんだ」

返って来た透き通るような声にごくりと唾を飲み込み、譲は意を決したように口を開いた。

「・・・どうして俺のお腹に足を?」

そうして言葉を口にした途端、がっくりと肩を落とす。

これだけ考えて、そして口にした疑問がそれなのか・・・と自分自身に突っ込みをいれる。

ここはどこなのか?とか、貴女は何者なのか?とか、他にも聞くべき事は山ほどあるだろうに。

未だに鈍く痛むお腹に手を当てながら、譲は小さくため息を吐き出す。―――時間が経っても痛むほど、どうやら強く踏まれたらしい。

そんな場違いな質問にも少女は表情を変える事無く、迷いのない声色でキッパリと告げる。

「声を掛けても、お前が目を覚まさないからだ」

年頃の少女が使うには不似合いな言葉遣い。

だがしかし、少女の雰囲気と声が合っているように思える。

不思議と違和感を感じさせない少女の言葉遣いに、譲は再び眉間に皺を刻んだ。

「いくら起きないとは言っても、だからといって人を足蹴にするのはどうかと・・・」

「そんな事はどうでもいい」

「どうでもいいって・・・!!」

「お前の目が覚めればそれでいい。ここは呑気に眠っていられるほど安全な場所ではないからな」

そういうなり、少女は腰に刺していた剣を抜いた。

突然の事にぎょっと目を剥いた譲は、目前に晒される初めて見る真剣に思わず唾を飲み込む。―――自分の日常生活において、真剣を見る機会など在りはしない。

一体彼女は何者なのかと再び疑問が脳裏を過ぎったその時、少女は刀を構えると何の躊躇もなく右足を一歩踏み出した。

それと同時に振り上げられる鈍い光を放つ刀。

何が起こっているのかも解らず、譲はただ光を放つ刀を呆然と見詰める。―――何故それが自分に向けられているのか、理解できずに。

びゅっと風を切る音を耳に、反射的に目を閉じる。

恐怖や不安など感じる暇もなかった。

まるでドラマや映画のワンシーンを見ているような、そんな現実味のなさ。

ただ1つ、あれに切られればきっととても痛いのだろうと場違いな事を考えた。

「グギャァァァァ!!」

直後耳を劈くような悲鳴に弾かれたように目を開けた譲は、自分に覆い被さるようにして刀を薙ぎ払った少女を呆然と見詰め、そうして恐る恐る己の背後を振り返る。

そこにはいつかの映画で見たような鎧武者が・・・それも骨だけの明らかに死者と解るような鎧武者が、苦しげな声を上げながら崩れ去った瞬間だった。

「・・・な、なんだよ・・・これ」

「怨霊だ」

問い掛けたわけではないのだけれど、呆気に取られたように呟いた譲の言葉に、しっかりとした返事が返って来る。

訳も解らず視線を上げれば、そこには目覚めた時と同じように無表情で自分を見下ろす少女の姿があった。

「おん・・・りょう?」

「そうだ、怨霊だ。ここには今のような怨霊が多くいる。気を抜かない事だ」

淡々とした口調でそう言った後、風を切って刀を振るとそれを鞘へと戻し、座り込む譲へと手を差し出す。

「何時まで座っているつもりだ?」

「あ、ああ。・・・あの・・・ありがとう」

「礼は必要ない」

キッパリと言い切り、譲を立たせた後、まるで何事もなかったかのように背中を向け何処かへ立ち去ろうとする少女に向かい、譲は咄嗟に声を掛けていた。

それに応じて振り返った少女の長い髪が風に揺れる。

意思の強そうな切れ長の目。

おそらく街中を歩けば10人中10人が振り返るだろう、整った顔。

僅かな風にサラサラと流れる、腰元まで伸ばされた漆黒の髪。

誰かに似ている気がする、と譲は漠然とそう思った。

誰かに?―――抱いた自分の考えに自問した直後、少女がゆっくりと口を開く。

「私に、何か用か?」

「え?あ、あの・・・用って訳じゃないんだけど・・・」

「・・・・・・」

言葉を濁す譲を、真正面から見据える少女。―――けれど先ほどのように立ち去る気配はなく、ジッと自分の言葉を待っているように譲は思った。

「俺は有川譲。さっきは助けてくれて有難うございました」

「礼は必要ない、と言った」

「そういうわけにはいきませんよ。助けてもらったのは事実ですから」

そう言ってにっこりと微笑むが、少女の表情には微塵も変化はない。

それ以前に、話はそれだけか?と畳み掛けられるように問われ、慌てて口を開く。

「いえ。あの・・・貴女に聞きたい事があるんですが・・・」

相手が何であれ、命を救われた事に違いはない。―――それが理由からか、幼馴染の中で一番用心深い筈の譲が何の警戒もなく少女に歩み寄る。

「まずはお名前を窺ってもよろしいですか?それと、出来ればここがどこなのかも」

丁寧な口調でそう申し出た譲を見上げて、少女は微かに眉を寄せると合わせていた視線をあらぬ方向へと向けた。

そうしてしばらくそちらを見詰めていた少女は、再び譲へと視線を戻し咎めるような窺うような面持ちで口を開く。

「そんな事よりも。お前はここで呑気に話などしていて良いのか?」

「・・・え?」

「お前と共にこの地に降り立った娘。放っておいて良いのか、と聞いている」

静かな声色で問われたその言葉に、譲はハッと目を見開いた。

何故今まで思い出せなかったのか。

本来ならば、一番に思い出しても良い筈だというのに。

この異常な状況下が、彼の判断を狂わせていたのかもしれない。

先ほど目の前の少女を見た時に誰かに似ていると思ったのは、間違いではなかったのだ。

目の前の少女と同様に、色は違えど長い美しい髪を持ち。

彼女の放つ強い凛とした雰囲気を持つ人を・・・―――勿論、目の前の少女が纏う冷たいような鋭い気配は、譲の想う人とは全く異なってはいたけれど。

すぐさま脳裏に甦るのは、彼の中では一番大切で、一番愛しい少女。

その時漸く、譲は己の身に起こった出来事を思い出した。

何がどうなっているのか状況はさっぱり理解できないが、学校の渡り廊下で幼い子供と出逢い、そうしてこれまた理解できないがいつの間にか氾濫する川に飲み込まれてしまった。

あの時同じように川に流された望美はどうなってしまったのか。

「先輩・・・先輩は?」

「お前の捜す娘なら、あちらの方角に」

得体の知れない少女の指差す方へと、譲の視線は移動する。

「合流するつもりなら急いだ方が良い」

「え?」

「言っただろう。この辺りには怨霊が多いと」

言われ脳裏を過ぎったのは、先ほど自分の背後にいた鎧武者。

あんなものに襲われたら、先輩は・・・―――そう思った瞬間、譲は少女が示した方へと駆け出していた。

自分を助けた少女に礼を言う事も、状況を聞く事も、全て頭の中から消えていた。

ただひたすら、愛しい少女の安否を祈りながら譲は走る。

ざかざかと石砂利を蹴散らして駆けて行く譲の背中を見送って、少女・・・―――は感情の読めない表情のまま空へと視線を移した。

先ほどまで空を覆っていた黒い雲は少しづつ消え、雲の合間からは蒼い空が覗いている。

「・・・龍神の神子、か」

京に危機が訪れし時、空を割り龍神の神子降臨す。

既に御伽噺の類に分類されてしまった伝説だが、今まさにそれが現実となったのだろう。

龍脈は断たれ、応龍の加護は京から失われてしまった。

まさに危機。―――これ以上の危機など、おそらくはないだろう。

「とうとう、その日が訪れてしまったか」

不意に甦るのは、自分に一番近い存在である者と、その者の身体に宿る宝玉。

龍神の神子に仕えるという八葉であるその人物は、おそらくは・・・否、間違いなく自らその任に就くのだろう。

それを咎めるつもりはないし、またその理由もない。

本人がそれを望むのであれば、自分の取るべき行動もまた自ずと定まるだけだ。

ただ願わくば、自分の抱く予感めいたものが杞憂に終わるようにと。

今の自分にあるものは、ただこの身ひとつ。

地位も名誉も財産も、何も持たないこの身で何が出来るのか。

それはにも解らないが、既に時は動き出してしまっているのだ。

自分に出来る事をやるしかない。―――でなければ、この戦乱の世では大切なものはいとも簡単に失われてしまうのだから。

京を目指す源氏の軍勢と、逆賊として追われる木曽の軍勢。

そして京奪還を目論む平氏と、現れた龍神の神子。

これだけ揃っていて、何も起こらない筈がない。

「まったく・・・嫌な世の中になったものだ」

まるで他人事のようにそう呟くと、は譲が去った方角に背を向け歩き出す。

一歩一歩踏みしめるように。

真っ直ぐに前を見詰めて。

吐き出したため息とは裏腹に、の瞳には強い意志の光が輝いていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

まさか遥かで小説を書くとは夢にも思っていませんでしたが。(第一声がそれか)

遥か1や2と比べていろいろと絡みやすいなぁと思ったので、つい。

という事で、第1話。

まだ譲しか出て来ていませんが・・・。(そして残念ながら譲夢ではないのですが/やっぱり譲は望美一筋だと)

相変わらず主人公が乙女らしくないのは、もうこの際諦めてもらうしか・・・(汗)

作成日 2006.4.13

更新日 2008.1.27

 

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