白龍の神子として現代から異世界の京に召喚された春日望美は今、悩んでいた。

この世界での源九郎義経と共に戦に行く為には、彼に自分は足手まといにはならないと認めてもらう必要があった。―――そうして九郎が提示した資格の証は、花断ちと呼ばれる技を会得する事。

しかし現代でほんの少し剣道をかじった事がある程度の望美にとって、ユラユラと風に舞う花びらを両断する事は容易い事ではない。

望美とて進んで戦場に出たいわけでは勿論ないが、現代に帰る為には怨霊を封印し五行の力を取り戻す以外に方法はないのだ。―――その為には花断ちを会得し、九郎に認めてもらうしかない。

幸運にも宇治川、そして修行の場である神泉苑で会ったリズヴァーンという謎の人物から心得は教わる事が出来た。

後は練習あるのみ・・・なのだけれど、やはりなかなか上手くは行かず、そうして望美はもう一度リズヴァーンの教えを乞うべく、彼の住むという鞍馬山へ向かったのだけれど。

生憎と結界が張られていて先には進めない為、まずはその結界を破る事が出来るだろう朔の兄である景時を捜し、京中を歩き回っているのだ。

そうして景時の目撃談を頼りに六波羅に足を踏み入れた望美たちは、望む望まないに関わらず、否応なく騒動に巻き込まれるのだった。

 

騒動を招く者

 

ドンと大地を揺るがすような大きな音に、望美は踏み出しかけた足を止めて勢い良く振り返った。

「何事!?」

思わず叫び振り返った望美の目に映ったのは、天に上る黒々とした煙。

それはここからそう離れてはいないところから上っているらしく、直後人々の空気を裂くような悲鳴と逃げ惑う人々の流れに、望美の眉間に皺が寄った。

「なに?もしかして怨霊が町の中にまで・・・!?」

「いえ、違いますよ」

咄嗟に腰に差した剣へと手を伸ばし身構える望美に、しかし弁慶はおっとりと微笑んでそれを否定した。

「あれはおそらく『朧』でしょう。心配はいりませんよ」

「おぼろ?朧って何ですか?」

「盗賊団よ」

弁慶の言葉に警戒を緩めながらも不思議そうに首を傾げた望美に、隣で苦笑を漏らしながら朔がそう付け加える。

それにあからさまに不審げな表情を浮かべたのは、心配性の幼馴染だった。

「という事は、この近くに盗賊団がいるって事でしょう?心配要らないわけ・・・」

「大丈夫です。怨霊よりは常識的ですから」

不満と心配が入り混じった表情で言い募る譲に対し、弁慶は慌てるでもなくにっこりと微笑みながらそう告げる。―――確かに怨霊と比べれば常識的だろうけれど、だからといって盗賊団が危険でないわけではないのではないかと譲は思ったけれど、生憎と彼の笑顔はそれ以上の反論を許さない雰囲気があった。

「へ〜、ここには盗賊もいるんだ」

そんな譲とは正反対に、望美は少しばかり瞳を輝かせながら、まるで他人事のように感心したとばかりに声を上げる。

好奇心旺盛な望美にしてみれば、おそらくは初めて聞く盗賊と呼ばれる集団に興味があるのだろう。―――がしかし、盗賊とは言ってみれば泥棒の集団なのだ。

呑気に構えていてもしもその盗賊が望美に危害を加えたら・・・―――そう思うと、譲の警戒心は更に強くなる。

けれどそんな彼にはお構いなしに、望美・弁慶・朔は、騒動の真っ只中にあるこの場所で、呑気にも世間話を始め出した。

「盗賊団って、この辺りでは多いんですか?」

「そうですね、少なくはありませんよ。・・・とは言っても、盗賊団によって規模も全く違いますけどね」

望美の無邪気な質問に、弁慶は考えるようにフードの裾を摘む。

「その中でも『朧』は規模も知名度も群を抜いています。頭領の下、組織はしっかりと統率されていて、盗みの手際も良いものですよ」

にこやかな笑顔を浮かべながら盗賊団を褒める弁慶に、いつもならば一番に抗議の声を上げそうな朔が便乗して口を開いた。

「『朧』はね、貴族の屋敷しか狙わないの。しかも狙われた貴族はどの人も裏であくどい事をしているって評判ばかり」

「へぇ〜」

「それにね、『朧』は義賊なの。だから生活に困っている一般人には人気なのよ」

「義賊?」

「盗んだものを貧しい人たちに与える盗賊の事ですよ」

出て来た単語を理解できずに首を傾げた望美に、すかさず譲がそう説明する。

それになるほどと頷いて、望美は感心したように微笑んだ。

「じゃあ、朧って良い人たちなんだ」

「ですが、盗賊です。たとえその行動の一端に人を助ける行為があったとしても、窃盗は罪ですから」

弁慶と朔の話を聞いて結論を出した望美に、しかし弁慶は先ほどのにこやかな笑顔を引っ込めてキッパリとそう告げた。

今の今までまるで褒めるような言葉を使っていたのに・・・という視線を向けると、弁慶は困ったように苦笑を浮かべる。

「それが真実ですから。まぁ、彼らが何を目的に義賊などという行為を行っているのかは解りませんが・・・ですがその行為で命を繋いでいる人がいるのも確かです。反対にそれで命を落としている人がいる事も」

諭すように言われ、望美は困ったように空を見上げる。

確かに、貧しい人にとっては毎日を食い繋ぐ事さえ困難で・・・―――そんな人たちからすれば、お金や食料を分け与えてくれる朧はまさに英雄と言ってもいい。

しかし盗賊に入られた貴族たちにとってはそうではないだろう。―――全ての財産を失い、場合によっては命すら失ってしまうかもしれないのだから。

たとえその財産があくどい方法で手に入れたものなのだとしても。

どちらが正しいなどと、決める事が出来る問題ではない。

「まぁ、朧の頭領は無益な殺生はしないという話ですし、かなり大きな組織だというのに一向に尻尾を掴ませない狡猾さも持ち合わせている。彼らが捕まる事はありそうにないですけどね」

「ふ〜ん・・・。その朧の頭領って、どんな人なんだろう」

「興味がありますか?」

「ちょっとだけ」

クスクスと笑みを零しながら問い掛ける弁慶に、望美は少し照れた様子でそう答える。

危険な盗賊団と言われていても、やはり気になるものは気になるのだ。

「朧の頭領はね、京の女の子たちにすごく人気があるのよ」

望美と弁慶の遣り取りを見ていた朔が、同じように笑みを零しながらそう言った。

「容姿端麗、頭脳明晰。おまけに女の子にはすごく優しいらしいの」

「へぇ〜。朔は見た事あるの?」

「いいえ、私は一度も。朧の頭領を見た事がある人なんてほとんどいないんじゃないかしら?」

「見た事がないのに、いやに具体的なんですね・・・」

今まで黙って話を聞いていた譲が、やはり訝しげに問い掛ける。

すると朔は考えるように首を傾げて。

「さあ?見た事がある人がそう噂したんじゃないかしら?」

私は会った事がないから解らないわと朔がそう漏らした後、先ほど聞いた話で想像を膨らませていた望美が感嘆のため息と共に呟く。

「どんな人なのかな?ちょっと会ってみたいなぁ・・・」

「そりゃ光栄だね」

あくまでも独り言として呟いた言葉に、どこからか返事が返って来る。

その声がとても近いところから聞こえて来たことに驚いた望美たちは、一体誰だと慌てて辺りを見回した。

「こっちだよ、こっち」

再び声がした方へと振り返ると、すぐ近くの屋台の上に人影がある事に気付いた。

逆光になっていてその人物の顔はよく見えないが、どうやらその人物はまだ若い男らしい。

その人物は望美たちが自分に気付いた事に気付くと、ヒラリと身を躍らせて一行の目の前に着地した。

「やーやー、初めまして」

「なっ!誰だ、お前は!?」

気軽な・・・悪く言えば馴れ馴れしい態度で軽く右手を上げた青年を前に、警戒心を露わにした譲が望美を庇うように立ち鋭い視線を投げかける。

しかし青年は一向に気にした様子なく、にこにこと人懐こい笑顔を浮かべた。

「おー、あんたが噂の龍神の神子か?いやー、こんなに可愛いお嬢さん方に噂してもらえるなんて、男冥利に尽きるね」

「・・・はあ」

「でもこの辺りはこの後ちょーっと危なくなるかもしれないから、今じゃないといけないとてつもなく重要な用事があるんじゃないんなら、早くここから去った方がいいよ」

諭すようにそう話しながら望美たちの方へと歩み寄り、屋台の影に入った青年のその顔が、この時初めて望美たちの目に入った。

短く切ったつんつんと天に向かう髪と、意思の強そうな瞳。

微かに上がった口角は、優しげな雰囲気を醸し出している。―――軽い口調ではあるものの、軽薄そうな雰囲気を与えない一見爽やかそうな青年。

歳は九郎と同じくらいだろうか?

その容貌は大人びているが、笑うと少し幼く見える。

「あの・・・えっと、あなたは?」

「あー、自己紹介とか必要?んじゃ、ま、ご要望にお答えして」

首を傾げて問い掛ける望美を見返した青年は、うやうやしく片膝をついて上目遣いに望美の顔を覗き込む。

「俺の名前は。愛情をた〜っぷり込めて、ちゃんとかくんとか呼んでくれ。よろしく、龍神の神子殿」

「いや、あの・・・そういう事を聞いてるんじゃなくて」

「なんだ?もっと俺の事知りたい?いやいや、でも俺たちまだ出逢ったばかりだし」

「そういう事でもなくて」

1人恥らったように顔を背ける青年。―――に対し、ここはキッパリと望美はそれを否定する。

「んじゃ、なによ」

「だから・・・」

不思議そうな面持ちでそう問い掛けるに向かい、望美が口を開いたその時。

ピィーという甲高い笛の音と共に、地を蹴る大人数の足音が聞こえた。―――今度はなんだと望美たちが辺りを見回すと、おそらくは役人であろう男数人が大勢の武士を引き連れてこちらに向かってくるのが見える。

「え、あ・・・え?なに?」

状況が解らず戸惑う望美をそのままに、駆けて来た武士たちは彼女たちを取り囲むと一斉に剣を抜き、その剣先を彼女たちに向けた。

「追い詰めたぞ!観念するんだな、朧!!」

その中で役人と思われる男が高らかにそう告げる。

「・・・朧?」

「朧って確か・・・盗賊団の名前でしたよね、弁慶さん」

「ええ、そうです。多分僕たちは朧の一員なのだと勘違いされているのではないでしょうか?―――彼のせいで」

そう言って弁慶がチラリと目だけで示した方を、望美たちも釣られて視線を向ける。

そこにはにこにこと変わらない笑顔を浮かべるの姿が。

そういえば・・・と、譲は先ほどの会話を思い出す。

朧の頭領の話題に、会ってみたいと言った望美。

そこに光栄だと言って出て来たは確かに言ったのだ。―――ここはもうすぐ危険だと。

その事柄から予想されるのは・・・。

「もしかして・・・貴方が朧の頭領なんですか?」

恐る恐る問い掛けた譲は、視線の先できょとんと目を丸くするを見詰める。

そうしてその後、ニヤリとお世辞にも人が良いとは言えない笑みを浮かべた彼を、譲はいっそのこと見なかった事にしたかった。

「貴方が盗賊団の頭領だったんですか?」

譲の言葉に望美は驚いた様子で声を上げる。―――取り囲んだ武士たちから向けられる鋭い視線など物ともせず、呑気にそんな事を問う望美を見下ろしては爽やかに笑った。

「ま、俺がなんなのかはこの際置いといて」

「ちょっとっ!」

「今はこの状況をどうするかって事の方が大切だと思うけど?」

抗議の声を上げる譲を制して、は少しも動揺した様子なくそう告げる。

「ほらほら、あいつら俺たちを捕まえる気だし」

「俺たちって言わないで下さい!捕まるのは貴方だけでしょう!?」

「でもお前たちも仲間だと思われてるみたいだぞ?」

「誰のせいですか、誰の!」

「俺のせいか?」

噛み付くようにそう怒鳴る譲を気にした様子もなく、は肩を竦めてすっ呆ける。

しかしそれで怯むような譲ではない。―――が望美に接触した時から向けていた警戒の視線を更に鋭いものへと変化させ、心持ち声色を低くして呟いた。

「貴方のせい以外の何者でもないでしょう」

「確かに俺は盗賊だけど、でもお前たちが仲間だなんて一言も言ってないぞ。勘違いしたあっちが悪いんじゃねぇの?」

「屁理屈言わないで下さい!子供ですか、貴方は!!」

「あっはっは!いーじゃん、子供で」

「あの・・・ものすごく本題から外れてる気がするんだけど・・・」

ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す譲とを呆れた眼差しで見詰め、望美が困ったように口を挟む。

それにハッと我に返った譲は、冷静さを取り戻す為に深呼吸を繰り返し、そうして改めて望美の傍に立つを見据えた。

「ともかく。俺たちは仲間じゃないって、ちゃんとあの人たちに説明してください」

「説明って・・・彼らが盗賊であるくんの言葉を聞き入れるとは思えませんが・・・」

ビシッと指で差された役人たちを横目に窺った弁慶が、控えめに意見を述べる。

確かに盗賊と対峙し追いかけて来た彼らはずいぶんと興奮しており、それに加え盗賊であるが話し掛けてもちゃんとした会話が成り立つかどうかも妖しい。

けれどここは何としても説得してもらわなければ・・・―――やってもいない罪を課せられ囚われるのはごめんだ。

「んー・・・解った。あいつらにお前らが仲間じゃないって理解させればいいんだな?」

しかしはあっさりと・・・まるで造作もない事だと言わんばかりの口調でそう返す。

それに少しだけ面食らいながらも、譲はしっかりと1つ頷いた。

それがどういう意味合いを持つのか彼が知るのは、目の前でニヤリと人の悪い笑みを浮かべたを目にした瞬間だった。

突如己の傍らに立つ望美の肩を抱いたかと思うと強引に引き寄せ、驚きのあまり抵抗する事さえも頭から抜けている望美を、はいとも簡単にその腕の中に収める。

その光景を唖然と見詰めている譲を前に、は腕の中に収めた望美を背中から抱えるように体制を変え、そうしてあろう事か懐から取り出した小刀を望美の首元へと近づけた。

「・・・なっ!!」

「はいは〜い、注目!見ての通り、このお嬢さんは俺が預かった!無事に帰して欲しければ今すぐ刀を納めて道を開けろ〜!」

驚きのあまり言葉もない譲たちを前に、は緊張感の著しく欠如した声色で要求を述べる。

要求を突きつけられた役人は一瞬怯み、望美たちを取り囲んでいた武士たちもどうするのかと役人らの顔を窺う。

「ちょっと!貴方・・・」

「大丈夫だって。別に本気で危害を加えるつもりなんてないんだから。ちょ〜っと脅しかけてるだけ」

再び勢いを取り戻し声を上げる譲の言葉を遮って、はごく小さな声でそう言い含めた。

それに対し、朔は困ったような呆れたような表情を浮かべため息混じりに呟く。

「脅しって・・・」

「いいじゃん。それでお前たちは盗賊団と無関係だって事が証明されて、俺はこの場から無事に逃げられる。一石二鳥だろ?」

キッパリと言い切られ、二の句の告げない譲と朔を見詰めてはにっこりと笑う。

その脅しの材料に使われている望美は複雑そうな表情を浮かべつつも、どこか憎めないこの青年を見上げ仕方ないかとため息を吐いた。

しかしは、けどな・・・と言葉を続け、その視線を動揺する役人へと向ける。

「あいつらがこれで引いてくれるかどうか・・・」

「まず、不可能でしょうね」

ボソリと呟いた言葉に、いつも通りの声色であっさりとした言葉が返って来る。

小刀を突きつけられたままの望美がハッと視線を向けると、そこにはいつもと変わらずにこにこと笑顔を浮かべた弁慶が立っていた。

「え、弁慶さん・・・無理って?」

「ですから、くんの思惑はおそらく成功しないでしょう・・・という事です」

そう言って弁慶はゆったりと笑み、何事かを話し合う役人を見据える。

確かに望美はこの京を救う龍神の神子ではあるが、それが広く伝わっているわけではない。

この状況での彼女は、運悪く盗賊に人質に取られてしまった一般人と変わらない。

これが何処かの貴族の姫ならば話は違うが、現在の望美はその服装からしても貴族の姫には到底見えない。―――役人がこの京に蔓延る強大な盗賊団を捕えられるかもしれないチャンスを、どこの娘と知れない一般人の為に見逃すとは思えなかった。

「・・・って事は、もしかして」

「ま、間違いなく色々な理由をつけて見殺しにされるでしょうね。―――勿論、くんが本当に望美さんの命を奪うつもりなら、ですが」

弁慶の説明を大人しく聞いていた望美は、サッと表情を強張らせる。

今までなんとも感じていなかった突きつけられた小刀が、急に恐ろしく感じられる。

恐る恐る自分を捕えるを見上げた望美は、あははと乾いた笑いを零した。

「・・・ま、まさか本当にそんな事しないよね?」

「さぁて、どうするかな〜」

ほんの少し怯えを含んだ望美の表情を見下ろして、はからかうような口調で返事を返す。

の言葉に、一部を除いた全員が顔色を変えた時だった。

「そこをどきなさい」

決して静かとはいえないこの場で、けれど大きくもないその声は、まるで水に広がる波紋のように静かにその場に響き渡る。

それと同時に、望美たちを取り囲む武士たちの間を強引に割り出て来た少女は、ひたりと騒ぎの中心にいる人物たちを見据えた。

「・・・あの人は」

「知ってるの?譲くん」

その少女の姿を認めた譲がポツリと呟くのを耳にした望美は、少女に向けていた視線を譲の方へと向ける。

しかし、はいと返事を返そうとした譲の口から漏れたのは、意味を成さない音だった。

何故なら少女が静かな動作で、腰に差していた剣を抜いたからだ。

一体何を・・・と思う暇もなかった。―――少女が剣を抜いたと思った瞬間、彼女は駆け出し止める間もなくその刀を振り切ったのだから。

「うわっ!!」

に人質として捕えられていた望美は、耳元で悲鳴のようなその声を聞いたと同時に地面に投げ出されていた。

突然の事に受身を取れる筈もなく、豪快に地面に強かお尻を打ちつける。

しかしその痛みを認識する間もなく聞こえて来た金属音に反射的に視線を上げれば、自分の頭上でギリギリと音を立てながら刃を組み合わせると少女が目に映った。

「え・・・は・・・ええ?」

「突撃ぃ!!」

全く状況を理解できていない望美を置き去りに、役人の号令がその場に響き渡る。

突然この場に現れた少女が何者かはさておき、が人質である望美を手放した今がチャンスとでも言う事だろうか。

役人の号令と同時に周りを取り囲んでいた武士たちは一斉に歩を進め、危うく踏み潰されるところだった望美は何とか譲に救われた。

とりあえず安全な場所まで避難した望美たちは、もう既にぐちゃぐちゃになってしまっているその場を呆然と見詰める。

は大丈夫かと心配するが、これほど人が入り乱れていては確認のしようもない。

「ええと・・・私たちはこれからどうすれば・・・」

「逃げりゃいいじゃん。ずっとここにいるとまた役人に絡まれるぞ?」

困惑気味に望美が呟いた言葉に、思わぬ返事が返ってきた。

バッと揃って後ろを振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべるが、混乱する場を他人事のように眺めている。

「・・・無事だったんだ」

別に心配する義理もないはずなのだけれど。

それでも安心したとばかりにそう漏らす望美を見返して、はにっこりと笑った。

「ま、こんな修羅場は潜り抜け慣れてますから」

「・・・そうなんだ」

「でも今回の修羅場は結構楽しめたよ。あんたにも会えたしな」

そう言って微笑んだは、キョトンと目を丸くする望美の手を取り、そこにソッと唇を落とす。

「なっ!」

「んじゃ、機会があったらまた会おうな!」

思わず声を荒げそうになった譲から発せられる殺気に気付いたのか、はパッと望美の手を離すとそれだけを言い残して、再び人ごみの中に消えて行った。

現れた時と同じく突然姿を消したを呆然と見送る望美に、譲は沸きあがった怒りをため息に込めて吐き出して。

一部始終をまるで他人事のように見ていた弁慶がクスクスと笑う中、朔とが現れた時から置いてけぼりだった白龍が僅かに首を傾げたその時、再び彼女らに声が掛けられた。

「まだこんな所にいたのか」

少しだけ呆れを滲ませたその声に望美が顔を向けると、そこには先ほどに突然切りかかった少女が涼しげな面持ちで立っていた。

「やっぱり、貴女は・・・」

「譲くん、知ってる人?」

戸惑ったように少女を見詰める譲に気付いた望美がそう声を掛けると、譲は更に困惑した様子で微かに眉を寄せた。

「前に話した、宇治川で俺を助けてくれた人ですよ、先輩」

「私は何もしていない。ただお前の意識を呼び起こしただけだ」

言葉を選びながらそう説明する譲の言葉に、はキッパリとそれを否定する。―――勿論、踏んでとは言わなかったが。

へー、そうなんだ・・・と望美が改めて少女に視線を向けると、話題に上っている少女は表情1つ変えずに真っ直ぐ望美を見返して。

「早くここから離れた方が良い。再び騒ぎに巻き込まれない為にも」

抑揚のない声でそう告げ、そうして自身もその言葉を実行に移す為にクルリと踵を返す。

今にも去ってしまいそうな少女に、望美は慌てて駆け寄ると少女の着物の裾を掴み、自分よりも少しばかり身長の高い少女の顔を見上げた。

「ええと、助けてくれてありがとう。譲くんの時も今回も・・・―――助けてくれたんだよね、一応」

どちらの出来事も、彼女の行動は自分たちを助ける為のものなのだという事は、望美にも譲にも解っていた。―――やり方はあまり褒められたものではないかもしれないが。

「礼は必要ない」

しかし少女は自分を見上げる望美を見下ろして、やはり表情を変える事無くキッパリとそう言い返す。

素っ気無い言葉遣いと硬い表情に望美は一瞬怯むが、しかし彼女自身としても引けないのか、先ほど掴んだ少女の着物の裾をギュっと改めて強く握り締めた。

「そういうわけにはいかないよ。助けてもらったんだもん、お礼は言わなくちゃ」

「必要ないと言った筈だ。私は私の意思に沿い行動したまで」

「・・・貴女の意思?私たちを助けるのが?」

返って来た言葉に、望美は小さく首を傾げる。

そう言われてみれば、不思議な事には違いないのだ。

大して狭くもないこの京で、目の前の少女は二度にも渡って自分たちの行動を助けている。

偶然、たまたま、この場所を通りかかり自分たちを助けた・・・などという事が、現実的に有り得るのだろうか?

「そうだ。お前を助けるのが、私の意思だ」

つらつらとそんな事を考え込んでいた望美の耳に、少女の毅然とした声が届く。

その肯定の言葉に更に目を丸くして、望美は真意を探るべく少女の顔を凝視した。

会った事はない筈だ。

何となく誰かに似ている気がしなくもないが、望美の記憶に少女の姿はない。

では何故・・・?―――そこまで考えた後、望美はある1つの結論に思い至る。

「もしかして貴女・・・八葉なんじゃない?」

そう考えれば辻褄が合うのだ。

八葉は龍神の神子を守る存在なのだという。―――自分の意志で望美を助けるというのならば、彼女が八葉である可能性もあるのではないか。

そう思った望美ではあったが、その考えは当人である少女と訳も解らず一部始終を眺めていた白龍の言葉で即否定された。

「ちがうよ、神子。この人は八葉じゃない」

「そうだ、私は八葉ではない」

揃って掛けられた声に情けない表情を浮かべつつも、それじゃどうしてなのよと望美は小さく疑問を零す。

それを聞き止めた少女は少しの間考え込んだ末、項垂れた望美の顔を覗き込む。

「私は八葉ではないが、八葉の知り合いがいる。彼が龍神の神子を守る事を第一としているから・・・だから私もそれに従うと決めた」

「八葉の知り合い!?」

「そうだ。彼がお前の安全を望むならばそのように。私は自分の意思でそう決めたのだ」

揺るぎない声色でそう告げる少女を再び見詰めて、望美は困ったように眉を寄せる。

自分の知らないところで、どんどんと何かが動き出している。

自分を守ってくれるというのは嬉しいが、あまりにも解らない事知らない事が多すぎて、望美はなんだか少し怖かった。

「あの・・・その八葉って・・・」

とりあえず彼女の言う八葉が誰なのかだけは確かめておこうと望美がそう尋ねると、少女は不思議そうな表情を浮かべて小さく首を傾げた。

「お前も会っているだろう?―――宇治川や・・・神泉苑で」

「えっ!?」

少女の言葉に望美は反射的に声を上げた。―――宇治川や神泉苑で会った人物など、たった1人しかいない。

それはまさに今望美たちが探している人物に他ならないのだ。

「あなた、あの人・・・あの男の人の事知ってるの?」

「知っている。私は彼と共にある」

サラリと何でもない事のように返って来た言葉に目を丸くするも、今はそれどころではない。

あの金髪の男性を知っているのなら、今彼がどこにいるのかも知っているかもしれない。

そんな望美の考えを読んだのか、少女は目で北の地を指す。

「彼ならば鞍馬の山に庵を構えている。そこに行けば会えるかもしれない」

「でも、途中で結界みたいなものがあって通れないの」

「そうだな。あそこには結界が張ってある。限られた者しか通る事は出来ない」

「あなたは通る事が出来るの?」

望美の問いに、少女はコクリと頷く。

そうして、爆弾を1つ。

「当然だ。あそこは私の家でもある。通れなければ帰れないだろう」

「「ええ!?」」

至極当然とばかりに返って来た答えに、望美と譲は揃って声を上げた。

という事は、宇治川で会ったあの男と目の前の少女は共に暮らしているという事になる。

一体どんな関係なのかと関係のない好奇心がむくむくと湧き上がってくるが、今はそれを呑気に尋ねている場合ではない事を思い出した。

今は一刻も早くあの男に会い、花断ちを会得する事が最優先だ。

「じゃ、じゃあ・・・ええと、私たちを鞍馬山の庵に連れてってくれないかな?」

様々な疑問を何とか飲み込んで、望美は窺うようにそう申し出る。

ともかくも目の前の少女があの結界を何とか出来るなら、今どこにいるか解らない朔の兄・景時を探し歩く必要もない。

「それは出来ない」

しかし返って来たのは、素っ気無い否定の言葉だった。

一瞬期待しただけに、落胆の差も大きい。―――けれどそれであっさりと諦める事も出来ず、望美は必死に食い下がった。

「じゃあ、あのリズヴァーンって人を連れて来てもらう事は・・・」

「それも出来ない」

しかしあっさりとそれも却下され、項垂れる望美を見た白龍が瞳を潤ませながら己の神子と同じように少女の着物の裾をその小さな手で掴んだ。

「なぜ、ダメなの?お願い」

拙い言葉で懇願され、そこで初めて少女が表情を変えた。―――ほんの少し困ったように、幼い白龍を見下ろす。

「リズがお前たちに接触しようと思えば、それは簡単に成される。おそらく彼もお前たちが自分に会おうとしている事は察しているだろう。それでも姿を見せないという事は、彼にも何か思うところがあるという事。私はそれを妨げる気はない」

お前たちが本当に彼に会う事を望み、そして時が来れば、彼は姿を現すだろう。

そう付け加えて、少女はやんわりとした動作で自分の着物の裾を掴む望美と白龍の手を退ける。

「彼が神子の身の安全を望む限り、私もまたお前たちを助けよう。何かあれば私を呼べ」

少女は一方的にそう言うと、望美たちに背を向け今度こそ歩き出した。

去り行く少女の背中を見詰めていた望美は肝心な事を聞いていない事に気付き、大きな声で問うた。

「あのっ!あなたの名前は!?」

既に人ごみに紛れかけた少女は、その声に僅かに振り返り・・・―――そうして一言。

だ」

簡潔に名前だけを残して、そうして少女の姿は完全に人ごみの中に消えていく。

「・・・、さん?」

突然起きた目まぐるしい出来事を前に呆然と立ち尽くしながら呟く望美に、完全に傍観者となっていた弁慶と朔がそれぞれ望美の肩に手を置いた。

「なんだかとても変わった人ね」

「うん。でも・・・」

「・・・何か気になる事でも?」

浮かべていた笑みを消して真剣な表情を浮かべる弁慶に問われ、望美は慌てて首を振った。

「ううん、なんでも」

そう言ってチラリと窺った譲の表情もまた、どこか優れないように見えるのは気のせいだろう。

それにしても・・・と、気を取り直した望美は改めての去って行った方へと視線を向けて。

「何かあれば呼べって言ってたけど・・・どうやって?」

最後の最後に残ってしまった疑問を吐き出して、望美たちは困ったように顔を見合わせた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

後半どうにも力尽きてしまい、展開が早いというかやっつけ仕事的になってしまいましたが。

ちょこっとだけお遊び感覚で出す筈だったオリキャラが、異様に目立ってますが。

寧ろ今回の話の大部分が彼で占められているのはどうか・・・。(しかも主人公出番少ない)

そしてそして、肝心のリズ先生と主人公の絡みが一度もありません。(おい)

次くらいには出せたら・・・いいな、とか。

作成日 2006.4.21

更新日 2008.6.20

 

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