それは、非日常の中の日常的な出来事。

「お嬢さん。素敵な宝石をお持ちですね」

いつものように、それが当たり前のようにの前に現れ、そうして当然のごとくのんびりとくつろぐ怪盗の唐突な言葉に、我関せずとばかりに机に向かい予習をしていたは訝しげに顔を上げた。

そうして怪盗の視線の先を辿り・・・―――彼の視線が自分の胸元に向けられている事に気付いて、は気のない様子で頷いた。

「・・・ああ、これ」

いつも肌身離さずつけているネックレス。

普段は服の下に入れているので見咎められる事はないが、ふとした瞬間に服の下から出てきてしまう事がある。

学校で見つかれば没収されかねない。―――これからは気をつけなければと改めてそう考えたを他所に、怪盗はジッとネックレスを見つめながら言葉を続けた。

「アンティークですね。相当古い品のようですが・・・」

偶然服の下から出てきていたというのに、よくもまぁ目ざとく見つけたものである。

さすが怪盗というべきか。

それとも、自分の警戒心が薄らいでいるのだろうか。

確かに最近この状況に慣れつつある自分を自覚しながら、は胸元を飾るネックレスに軽く手を添えながら口を開いた。

「小さい頃に、母親から誕生日プレゼントに貰ろてん。あの頃アンティークに凝ってたから、そのせいやろ」

持ち主に強い信頼と絆をもたらすという、古いネックレス。

そんな迷信を信じているわけではないけれど、にとって和葉とお揃いのそれは一番大切なものだった。

そんなの心情を読み取っているのか、怪盗はいつもよりも柔らかい表情でネックレスを見つめるをジッと見つめる。

「どうか、大切に。きっとその宝石は貴女に幸福をもたらしてくれますよ」

そうして優しい声と共にそう告げた怪盗は、けれど僅かに目を細めて。

「でも、気をつけて」

まるで、囁くように。

僅かに低くなった声色に訝しげに視線を上げたは、目を細めながら自分を見つめる怪盗の眼差しに気付く。

そこにあるのは、一体何という感情なのだろうか。

そうして怪盗は、もう一度「・・・気をつけて」と囁いて。

「大切な宝物を、誰かに奪われないように」

まるで脳に直接刻み込むような警告に、は僅かに目を見開く。

 

それは非日常の中の日常的な、怪盗との会話。

 

見えない

 

『予告状です!怪盗キッドからの予告状です!!』

今もまだ、テレビからは女子アナの興奮気味の声が発信されている。

それを揃って呆然と見つめていたと和葉は、しかし我に返ったようにお互い顔を見合わせた。

「・・・これって、現実やんな。ドッキリとかじゃなくて」

「まぁ・・・正直言うたら現実味ないけどな。でもドッキリちゃうやろ。こんなドッキリ仕掛けたって、どうしようもないし」

淡々としたの言葉に、和葉は確かにと納得したように頷く。

妙に落ち着いたの様子が不思議ではあったが、いつだってどんな時だって自分の片割れは頼りになるのだ。

それを思い出した和葉は、特に気にした様子もなく改めてテレビへと視線を戻す。―――にしてみれば、怪盗キッドや白馬が現れた非日常を過ごす中で、これくらいのトラブルなどそれほど大した問題ではないと判断したのだが。

っていうか、今まさにその怪盗がトラブルの元なんやん。

心の中だけで自分自身に突っ込みを入れて、未だ盛り上がるテレビを他人事のように見つめる。

怪盗キッドの予告状。

ここ最近ではそれほど珍しくないそれは、いつだって自分に多少の厄介事が降りかかりはすれど、どこか遠い世界の出来事だった。

まさか自分がそのターゲットになる日が来るとは思ってもいなかったが。

その時ふと、は最近の頭痛の種を思い出す。

最近感じる、纏わりつくような視線。

いつ頃から感じるようになったかと言われれば明確には思い出せないが、少なくとも一月ほどは断続的に続いているような気がする。

一月前といえば・・・そう、ちょうど白馬の取材に巻き込まれた時期だろうか。

あの日から、の言い付けを守って白馬はの前に現れない。

そして、もうひとつ。

「・・・怪盗キッド」

テレビを食い入るように見つめている和葉には聞こえないほど小さな声で呟いて、は一月前の出来事を思い出す。

ちょうどそれと同時期だ。―――頻繁に姿を見せていた怪盗の姿を見なくなったのは。

その時期、他に何があった?

自分自身にそう問いかける。―――考える間もなく、答えはすぐに出た。

『お嬢さん。素敵な宝石をお持ちですね』

脳裏に甦る、怪盗の歌うような声。

そう、怪盗の姿を見なくなったのもあの出来事からだ。―――忠告を受けた、あの夜から。

最近感じる、纏わりつくような視線。

それは、このネックレスと何か関係があるのだろうか。

そして、怪盗キッドの予告状。

「・・・まさか、な」

不意に浮かんだ考えに、はきつく眉を寄せる。

怪盗キッドと初めて対面した、あの夜。

あの夜の出来事は、本当に偶然なのだと思っていた。

運が悪いと自己嫌悪に陥ったりもしたけれど、その出会い自体に疑問を持った事など1度もなかった。

けれど、もしそうではなかったら・・・?

頭の中で、冷静な自分の声がする。

もしも怪盗キッドが、本当はの持つネックレスを狙って近づいてきたのだとしたら?

そして、その在り処を一月前のあの夜、知ったのだとしたら?

だとすれば、ここ最近の嫌な視線はもしかすると怪盗のものなのかもしれない。

自分が知らない・・・―――認識していない、怪盗としての彼の視線なのかも・・・。

怪盗の視線なら気付くだろうなんて、どうしてそう思えたのだろう。

自分が、どれほど怪盗を知っているというのだろうか。

彼の本当の名前さえ、知らないというのに。

「うち、お母さんに連絡してみるわ」

ぐるぐると頭の中を巡る疑問に囚われていたは、不意に聞こえた和葉の声にハッと我に返った。

慌てて視界を巡らせれば、ベットに置いてあった鞄から携帯電話を取り出す和葉の姿が目に映る。

そうだ、今はそんな事を考えている場合ではないのだ。

自分たちの持つネックレスが本物であろうが偽物であろうが、騒ぎになっている事に違いはない。

テレビには実家が映り、自分たちの情報も電波に乗って伝えられている。

今は、何がどうなっているのか。―――そしてこれからどうすればいいのかを考えなければ。

改めてそう心の中で決意を固めた頃、少し沈んだ声色の和葉が携帯電話を切り、浮かない表情のままへと視線を向ける。

その表情だけで結果がどうだったのかは解っていたけれど、現実を聞かない事にはどうしようもないと、不安な思いを抱えつつ和葉に向かい問いかけた。

「・・・どうやった?」

「しばらく戻って来ん方がええって。―――、どないしよ?」

「どうって・・・」

不安の色を濃くした和葉の眼差しに、は困ったように眉を寄せる。

どうするのかなんて、の方こそ教えて欲しい。

しかし偶然とはいえ、和葉が自分のところに遊びに来ていて良かったとも思った。

実家にいれば、当然ながらあの騒ぎに巻き込まれていただろう。

勿論東京の方がキッドがいる確立も数段高い上、2つで1つのネックレスを一箇所に集めているという事は、盗む段取りを自ら整えてやっているような気もしないではないけれど。

それでも2人別々の場所にいるよりは、ずっと心強い。

少なくとも、1人で東京に出てきたにとっては、和葉が傍にいるだけで随分と心が落ち着いたから。

けれど、それだけで現状が改善されたわけではない。

1人よりは心強いとはいえ、彼女たちにはあまり歓迎できる展開ではないのだ。

「やっぱり平次に連絡しよ。私らだけやったらどうにもならんで!」

そんな中でそう提案した和葉を見返して、は困ったように視界を巡らせる。

平次に連絡する。―――それは、頭で考えるまでもなく当然の手段のような気がした。

怪盗キッドが絡んでいる以上、当然警察も動くだろう。

そのまま警察に身を委ねるのが当然の事なのだろうが、今まで散々怪盗に出し抜かれている警察にすべてを任せるのも不安といえば不安だった。

白馬の話を聞く限り、キッドを追う中森警部は熱意もありそれなりに優秀でもあるようだが、力が入りすぎて空回る事もあるそうだから。

けれど、はその一歩が踏み出せない。

連絡をすれば、きっと平次は飛んで来てくれるだろう。

彼が今何の事件に関わっているのかは解らないが、それでも平次は来てくれるはずだ。

そう確信できるくらい、は平次を理解している。―――否、信じている。

だからこそ、それを躊躇うのだ。

今この状況で平次に会う事。

そして平次に助けを求める事が、自分の決意を揺るがせてしまいそうな気がして。

「・・・

不安と困惑と焦燥の入り混じった眼差しで自分を見つめ名前を呼ぶ和葉を見やり、は深く深くため息を吐き出して。

本当は、この手も使いたくはなかったのだけれど。

「・・・ほんなら、白馬くんに連絡するわ。怪盗絡みやったら、平次より白馬くんの方が専門やしな」

そう言いつつ、はポケットに入れていた携帯電話を取り出す。

平次の手を借りるわけにはいかない。

彼から自立する為に、自分は東京まで来たのだから。

だからといって白馬の手を煩わせる事も本位ではなかったけれど、他に取れる手段がない事も事実だった。

この東京で、彼女が頼れる相手はそう多くはない。

あのインタビュー以来、来るなと告げておいて頼るのはお門違いだとは思うけれど。

それでも連絡をすれば来てくれるだろう事に、は妙な確信を抱いていた。

唐突に現れて、そしていつの間にか隣にいる事に違和感がなくなった人。

平次とは違うけれど、彼もまた信頼できる相手だと。

「・・・まぁ、多少不本意ではあるけどな」

小さく小さく呟いて。

そうしては、着信履歴にずらりと並ぶ白馬のアドレスを見て苦笑を浮かべると、それらのひとつにカーソルを合わせて通話ボタンを押した。

 

 

通話ボタンを押して数コールも待たず、電話は白馬へと繋がった。

さん?」

おそらく彼も何があったのかは解っているのだろう。

怪盗キッドを追う白馬にとっては当たり前の事だろうが、しかしから直接の連絡は彼にとっては意外だったのかもしれない。

思い返せば、の方から白馬へ連絡を取った事は1度もなかった。―――まぁ、それを必要とする以前に、白馬が連絡を取っていたのだけれど。

「・・・もしもし、白馬くん?突然ごめん」

「いいえ。さんなら、いつ連絡して頂いても嬉しいですよ。―――ただ、今回は複雑な気分ですが」

いつもとは違う申し訳なさそうなの声色にそう答えて、白馬もまた僅かに表情を曇らせた。

こんな事態でなければ心の底から喜べたというのに。

初めて掛かってきたからの電話が怪盗絡みだという事実を若干忌々しく思いながら、それでもこの事態に自分を頼ってくれたという事実にもまた若干の嬉しさを感じつつ、白馬は慎重に口を開いた。

「怪盗キッドの予告状、ですね?」

ゆっくりとした口調でそう問えば、電話の向こうでが僅かに息を飲んだ気配が伝わってくる。

「・・・うん。どうなってんのか、さっぱり」

「僕も先ほど連絡を受けて驚きました。―――その標的が、あなただという事にも」

ここ最近で言えば、怪盗キッドの予告状はそれほど珍しいものではない。

確かに頻繁にあるわけでもないけれど、活動を再開した怪盗が派手なパフォーマンスで予告状を送りつけてくるのは今に始まった事ではないのだ。

しかし今回は勝手が違った。

怪盗キッドの予告状に書かれていたのは、今までの暗号めいたものではなくて。

そこにどんな意図があるのかと思案していた白馬の元に、今回標的であるエターニアの情報が警察から届けられ。

そこにあったよく知る名前を目にした時は、きっとと同じくらい驚いた筈だ。

怪盗キッドが妙な執着を見せ、危険を承知で通うほどの相手。

まさかそんな相手を標的に選ぶなど、思ってもいなかった。

あるいは、もしかするとその標的の持ち主を知らなかっただけか。

ありえないと解っている白馬でさえ、そう思ったほどだ。

そんな白馬の考えを読み取ったのか、先ほどよりも幾分低い声色ではポツリと呟いた。

「もしかして、キッドはこの為に・・・」

それは、ずっとの中にある不安。

怪盗の訪問を迷惑に思っているというのに・・・―――怪盗が何を考えようと自分には関係がないと思っているというのに、そうでなければいいと思う気持ちもある。

宝石目的で自分に近づいた。

そう考えるだけで、胸の中がざわざわとした気がする。

「それはないと思いますが・・・」

けれどそんなの不安は、白馬のあっさりとした声に掻き消された。

そのあまりにもあっさりとした返答に、は訝しげに眉を寄せる。

「なんで、そう思うん?」

「そうですね。―――男としての勘でしょうか?」

不審をそのまま声に乗せたの言葉に、白馬は思わず苦笑いを零して。

怪盗を庇うわけではないけれど、の考えは杞憂だとそれだけは断言できる。

と共にいる怪盗を見たのはほんの僅かだけれど、怪盗の彼女を見る目は至極優しかった。

まるで見守るような怪盗の眼差しは、標的を前にした怪盗のものではない。

それは怪盗ではない彼を知っている白馬だからこそ、解る事なのかもしれない。

怪盗ではない彼とについて話した事はないが、放課後の下に向かう白馬が意味深な視線を感じた事は1度や2度ではない。

それは怪盗には出来ない、白馬だけの特権だからだ。

しかしそれをに話してしまうわけにもいかず、白馬は半ば強引に話を摩り替えるべく携帯電話を握りなおして改めて口を開いた。

「ともかく、事態が予断を許さない事に違いはありません。キッドが何を考えているのかはさておき、あなたが狙われている事は間違いないでしょうから」

「・・・そうやな」

淡々とした白馬の言葉に、しばし迷ったような素振りの後、納得したようにはひとつ頷いた。

白馬の言う通りだった。

今はそんな話をしている場合ではない。

怪盗が人を傷つける事がない以上、身の安全は保証されてはいるが、だからといってむざむざネックレスを渡してやるつもりもない。

と和葉の大切な宝物。

このネックレスがなくなったからといって2人の間の絆が消えるわけではないけれど、それでも離れて暮らす2人にとっては目に見える確かな絆でもあるから。

「今どちらにいらっしゃるんですか?すぐにお迎えに参ります」

「ありがとう。今うちらは、帝都ホテルの・・・」

迷惑を掛けるという思いは消えないまでも、白馬の申し出を心からありがたく思いながら、は泊まっているホテルの名前と部屋の番号を彼に伝える。

「解りました。僕が到着するまで部屋で待っていてください。―――いいですね?」

そうしてそれを頭に叩き込んだ白馬は、了承と共に言い含めるようにそう告げて。

ちゃんと念を押しておかなければ・・・―――そうでなければ、行動力のある彼女は1人で何とかしようとしてしまうだろうから。

「・・・うん、解ってる」

そんな白馬の思いを知って知らずか、それでもはそう返事を返して。

最後に小さな声でありがとうと告げて、携帯電話の切ボタンを押した。

 

 

闇夜を照らす、大きく丸い月の下で。

高層ビルの屋上で強い風に身を晒しながら、1人の男は僅かに口角を上げる。

「おやおや」

バタバタと音を立てて、白いマントが翻った。

「大切な連絡に携帯電話を使用するなんて・・・」

からかうような声色で小さく呟いて、男はトレードマークの白いシルクハットを手で弄びながら、歌うように呟く。

眼下に見えるのは、知名度の高い帝都ホテル。

そこにいくつも見える灯りの中に、彼女はいる。

「傍受してくれと言っているようなものですよ、お嬢さん」

バサリ、と一際大きくマントが声を上げて。

口元に至極楽しそうな笑み浮かべたその男は、誰に見咎められる事もないまま。

 

その声もまた、誰の耳に届くこともないまま、強い風に掻き消された。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

2話目にして、漸く白馬と怪盗の登場です。

いやぁ、2人が出てくると書きやすい書きやすい。(笑)

随分と距離が縮まっている白馬と、その逆行を行く怪盗。

作成日 2009.2.15

更新日 2009.3.30

 

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