暗い夜道を1人、遠山は歩いていた。

ちょっとした野暮用で実家へ戻っていたは、携帯電話で時刻を確認し、思ったよりも遅くなってしまったと思わずため息を吐き出す。

久しぶりに実家に顔を出せば父親や母親や和葉だけではなく、何故か平次までもがそこにいて、なんだかんだと引き止められてしまった。

散々泊まって行けと勧められたけれど、生憎と外泊届けを出していないと4人を説き伏せるのにかなりの時間が掛かってしまった。

結果電車に乗り遅れ、予定していたよりも大分遅い帰宅となってしまったのだ。

「・・・寮母さん、怒ってるやろな」

一応帰りは遅くなるかもしれないと許可を取ってはいたけれど、それでもこの時刻は許容範囲外である事も承知している。

こんなことになるならば、両親らの言う通り泊まっていれば良かったのかもしれない。―――この期に及んでそう思ってしまうほど、寮母は厳しい人だった。

勿論とて寮母が嫌いではないけれど、こういう時は厄介だと思うのも仕方ないことだろう。

ここはひとつ、素直に説教を受けるしかない。

そう改めて決意を固めた時だった。

「・・・なんや?」

キラリ、と空が光った気がした。

それに惹かれるようにが視線を上げるのと同時に、何かが地面へ転がる。

それを訝しげに見やりながら、それでも好奇心を押さえきれずにそれを拾い上げたは、手のひらに転がるイチゴぐらいの大きさのそれを見下ろして小さく首を傾げた。

 

の落し物

 

『それ』が何かと問われれば、すぐには答えられなかっただろう。

勿論『それ』が何かが、解らなかったわけではない。―――ただ、意味が解らなかったのだ。

「・・・これ、本物?」

手のひらに転がる、暗闇の中でさえ怪しい光を放つ宝石を見つめ、は更に訝しげに眉を寄せる。

これが本物だとは、流石に思わない。

宝石に詳しいわけでは決してないけれど・・・―――むしろ本物の宝石など目にする機会はそれほどなかったし、まして興味があったわけでもなかったから、それを見分ける目など勿論持ってはいなかったけれど。

それでも常識的に考えて、本物の宝石が空から降ってくるなどありえない事くらいは理解できた。

パッと見た感じではとてもガラス製には見えなかったけれど。

きっとものすごく良く出来たイミテーションなのだろうと無理やり自分を納得させて、は困ったように手のひらでそれを弄んだ。―――勿論、それが良く出来たイミテーションだったとしても、空から降ってくる理由が思い当たるわけではなかったけれど。

「・・・どうしたらええんやろ?」

コロコロと手のひらを転がる宝石を見下ろしながら、困ったように呟く。

別に自分に関係がないといえばそうなのだし、悩む必要もないとは思うけれど。

それでもこれをそのままその辺に放置して行くのも躊躇われて、は持ち主が現れてくれないかとばかりに辺りを見回す。

しかし残念ながら、辺りには自分以外の人影は見当たらない。

もういっその事、交番にでも届けるか・・・―――そう思ったその時だった。

「こんにちは、お嬢さん」

不意に響いた涼やかな声に、は反射的に顔を上げた。

ぐるりと視界を巡らせれば、いつの間にそこにいたのか・・・―――塀の上に人間が1人立っている。

さっきまでは絶対にいなかったはずなのに・・・と半ば警戒しながら、は返事を返す事無くじっとその人物を見つめ返した。

薄暗闇に翻る、真っ白なマント。

この場所には不釣合いとしか言いようのない、真っ白なタキシードを着た怪しげな人物。

その人物はを見つめて口元だけで笑うと、恭しくお辞儀をした。

「綺麗な月夜ですね。まさかこんな場所で、あなたのような麗しい女性にお会いできるとは思ってもいませんでした」

向けられる優しい声と恥ずかしくなるようなセリフに、は盛大に頬を引き攣らせる。

やっぱり今日は実家に泊まった方が良かったのかもしれないと、今更ながらに後悔した。

「・・・あの、私に何か?」

ジリジリと相手の男と距離を取りながら、は警戒を緩める事無く口を開く。

目の前の男が何であるかなどこの際問題ではない。―――問題なのは、目の前の男がどれくらい怪しいかという事だけだ。

寮への近道だからといって、こんな人気のない道を通っていた自分自身に苛立ちながら、はグッと拳を握り締める。

自慢をするつもりはないが、腕っ節には自信がある。

相手の男はそれほど強そうにも見えないし、何とか撃退できるかもしれない。―――もっとも、相手が何も武器を持っていないという事を前提にしてだが。

そんなの気持ちが解っているのか・・・―――しかしその男は焦った様子もなく優雅に微笑みを浮かべて、ユルリと手を差し出した。

「私の落し物を拾っていただいたようで」

ポツリと漏れた言葉に、思わず目を見開く。

落し物というのは、もしかするとこの宝石の事だろうか?

どうやって落としたのかは解らないが、こんなにも唐突に誰かがこれを落としたのならば、すぐに持ち主が現れるだろうとは思った。

勿論、こんな奇抜な人物が現れるとは思っていなかったが。

「これ、あなたの・・・?」

「ええ。妙にしつこい小さな探偵に追いかけられましてね。ついうっかり・・・」

「小さな探偵・・・?」

なんだ、それは。

もしかするとどこかの家で、そういう遊びをしているのだろうか?

それとも、どこかでそんな催しが行われているとか?―――いや、しかし現在の時刻を考えると、その線は薄いか・・・。

そこまで考えたは、不意に目の前の人物に見覚えがあるような気がして数度目を瞬かせた。

勿論こんな怪しい知り合いなど、にはいないと断言できる。

しかし知り合いではないとしても、もっと有名な・・・。

そうしては唐突に思い出した。

電車に乗っている途中、隣に座っていたサラリーマンが読んでいた新聞に、大きな見出しが出ていた事を。

確かこう書かれていたはずだ。―――『怪盗キッドの予告状!』とかなんとか。

「・・・怪盗キッド?」

ポツリと漏れたの声に、その男はやんわりと微笑む。

「おや、私をご存知ですか?光栄です、お嬢さん」

囁くように放たれる言葉も、静まり返ったこの場では妙にはっきりと聞こえてしまう。

だからこそは自分の耳に届いたその言葉に、思わずめまいを感じたのだ。―――もういっその事、聞こえなかった事にして欲しいと。

東京とは恐ろしいところだと、改めて思う。―――こんな通りすがりに怪盗と出会ってしまうのだから。

こんな事態に巻き込まれるくらいならば、大人しく大阪の高校に通っていた方がマシだったかもしれないとそう思い、それはそれで難しいと改めて結論を出したは、もうどうしようもないとばかりにため息を吐き出した。

この事を幼馴染の探偵が聞けば、どんな反応が返ってくるか・・・。

「どうしましたか、お嬢さん?」

どうしたもこうしたもないわ。と思わず答えそうになって、は咄嗟に口を噤む。

先ほどから思っていたのだけれど、目の前の怪盗に僅かな違和感を覚えた。

自身も怪盗キッドにはあまり詳しくないけれど、怪盗キッドといえば随分昔から世間を騒がしてきた有名人だ。

それほど昔から世間をにぎわせていたのだという事は、今となってはそれなりの年齢になっているはず。

なのに目の前の彼には、そんな気配はない。

声も、態度も・・・何よりもその様子そのものが、歳を重ねた人間のようにはとても見えない。

もしかすると偽者だろうかとも思うが、だからといって目の前の男に隙らしい隙も見当たらない。―――どちらにせよ、只者ではないという事だけは間違いないだろう。

じっと男を見つめながら考え込んでいるを見返していた怪盗キッドは、ふと自分に向けられる眼差しの意味に気付いて口角を上げた。

そうしてそのままふわりと塀から飛び降り、の前へと着地する。

その突然の行動に思わず身を引いたの腕を強引に掴んで引き寄せると、間近に迫ったの顔をじっと見返して囁くように呟いた。

「もしかして、貴女も探偵のお仲間ですか?」

「・・・っ、なにを!」

「だって、ほら。貴女も同じ目をしている。―――あの小さな探偵と、同じ・・・」

どうしてだか目の前が眩むような感覚を覚えて、はそれを振り払うかのように掴まれていない手で拳を握り締めた。

そうしてそれを振るうと同時に、反射的に蹴りを繰り出す。

しかしそんなの行動は読めていたのか、怪盗はまたもやふわりと飛び上がり、と数歩の距離をとって改めて向かい合った。

「おやおや、随分と勇敢なお嬢さんだ」

「うるさいわ!今のは立派なセクハラやで。これ以上近づいたら訴えたるから!」

「今更罪状がひとつ増えようが、私には痛くも痒くもありませんよ。元より、捕まるつもりはありませんから」

さらりと返され、悔しさに唇を噛む。

確かにどれほど罪状を積み重ねても、捕まらなければ意味がない。

それに怪盗キッドは盗みは働くけれど、決して人を傷つけたりはしないのだ。―――だからこそ民衆に人気がある。

だからといって、彼の行いが許されるわけではないけれど。

「それよりもお嬢さん、こんな暗い道を1人で歩くなんて危険すぎますよ」

「そうやね。あんたみたいな変人と出くわすかもしれんからな」

「そうですか?私にとっては、ステキな出会いですが・・・」

またもやさらりと返され、はとうとう頭を抱えた。

どうしてこの怪盗を前にすると、こうも調子が崩されるのだろう。―――いつも冷静であるようにと心がけているのに、どうして・・・。

それはきっと、自分にとっては非日常の出来事だからだ。

こんな出来事に遭遇するなど予想の範疇にはない。―――だからこそ慌ててしまうのだと己に言い聞かせる。

そうして握り締めた手のひらに僅かな痛みを感じて、は自然とそちらへ視線を向けた。

目の前の怪盗が本物なのだとすれば、この宝石もきっと本物なのだろう。

どこから盗んできたものなのかは解らないが、関わるべきではない。

本当は持ち主に返してあげたいけれど、それをするとなると余計な厄介事に巻き込まれる事は間違いない。

そうすれば実家にも連絡が行くだろうし、実家に連絡が行けば幼馴染にも伝わってしまうだろう。

そうなれば、彼らが乗り込んでくる可能性もある。―――最悪、強引に連れ戻されるかも。

持ち主には悪いが、ここは自分の身を守るのが最優先だと判断し、はいつの間にかずっと握り締めていた宝石を怪盗へと放り投げた。

それは綺麗な弧を描いて、吸い込まれるように怪盗の手に収まる。

それに意外だと言わんばかりの表情を浮かべる怪盗を認めて、はクルリと踵を返した。

「ちょっと待ってください!」

「付いて来んといて。あっち行って。警察呼ぶで」

「別に呼んで下さっても構いませんが・・・」

なんてふてぶてしい怪盗だと忌々しく思いながら、は不機嫌そうな面持ちで振り返った。

「・・・なに?」

「どうしてこれを私に?」

不思議そうに問い掛けられ、の方が訝しげに眉を寄せる。

「どうしてって・・・、それあんたの落し物なんやろ?」

「それはそうですけど・・・」

「ならあんたが好きにしたらいい。私には関係ないから」

キッパリと言い切って、はこれ以上は知らないとばかりに再び歩き出した。

けれど不意に背後で笑い声が上がり、イライラしつつも振り返る。―――すると怪盗は不敵な笑みを浮かべて、その宝石をもう一度へと放り投げた。

それは先ほどと同じように、綺麗な弧を描いて宙を飛ぶ。

反射的にそれを受け止めたは、再び己の手に戻ってきた盗品にうんざりとした表情を浮かべて。

「だから、一体何のつもり・・・」

「これで関係が出来ましたね」

の言葉を遮って、怪盗が優雅に微笑む。

「これで貴女と私の間に関係が出来ました」

それはどうにも名前の付けがたい関係ではあるけれど、それでもこれまでのような無関係ではない。

それはこの場所で2人が出会ったという、確かな証拠になるだろう。

怪盗の言いたい事が解らず首を傾げるを見返して、怪盗はユルリとお辞儀をした。

「貴女のお名前をお伺いしても構いませんか?」

向けられた問い掛けに、思わず口を噤む。

無視をすればよかった。

何を馬鹿なことをと跳ね除けて、この場を去ればそれでよかった。

それなのには、いつの間にか自分の名を怪盗へと告げていた。

「・・・遠山、

さんですか。ステキなお名前ですね」

歯の浮くようなセリフも、この怪盗が言えば似合っている気がするのは何故なのか。

「またお会いする日まで、それは貴女に預けておきます」

「・・・また会うつもりなんかサラサラないんやけど」

「いいえ、きっともう一度お会いする日が来ます。そんな予感がするんです」

なんとも確証のない言葉を残して、怪盗はふわりと微笑んで。

「それでは、また」

そうしてそれだけを言い残して、怪盗は現れた時と同じように、白い煙を巻き上げながら唐突に姿を消した。

それを呆然と見つめていたは、数秒後に我に返って深くため息を吐き出す。

そうして再び手の中に戻ってきた宝石を見下ろして、うんざりとした様子で呟いた。

「こんなもん、いつまでも持ってるわけないやんか」

差し当たって、これをどうしたものか。

最近知り合いになった江戸川コナンに連絡を取り、毛利小五郎を経由して持ち主に返してもらうのが一番無難なのかもしれない。

見た目は幼くとも、コナンはかなり頭の回る子だ。―――その実情は、今は探るつもりもないけれど。

「・・・小さな探偵?」

そこまで考えて、ふと先ほどの怪盗が言っていた言葉を思い出す。

「・・・まさか、な」

そんな馬鹿な事があるわけがない。

そう結論付けて、とりあえずは出来るだけ早く寮へと戻るべくは踵を返した。

怪盗とのやり取りに掛かった時間を考えて、どんなに急いだとしても寮母の説教が免れない事は痛いほど解っていたけれど。

 

 

後日、コナンに連絡を取り毛利小五郎を経由して、宝石は無事に持ち主の下へと返された。

怪盗キッドとどこで遭遇したのか、どんな会話をしたのか、何か気付いた事はないかと散々コナンやら警察に問い詰められたのは苦い思い出として。

それを聞きつけた幼馴染が乗り込んでくるのは、数日後の話。

 

 

そして、月の綺麗な晩。

寮の自室にいたは、ふと鳴り響いたノック音に振り返った。

音がするのは扉の方ではなく、窓の方。

訝しげに思いながらも窓を開けたの顔が引き攣る。

その夜、寮にの怒声が響き渡り。

慌てた寮母が、箒を片手に駆け込んでくるのはまた別の話。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

たまにはコナン夢も書いてみようかと思いまして。

折角なので怪盗と絡ませてみたいと思ったのですが、意外と難しい怪盗。

そして見事玉砕しました。(笑)

主人公のキャラがなんだかえらく変わっちゃった気が・・・。

作成日 2008.3.22

更新日 2008.4.13

 

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