ここ、東方司令部には、暗黙の了解となるものが存在する。

それはまだ歳若い、1人の国家錬金術師について。

東方司令部の離れに当たる、主に資料などが保管されてある建物の一室に何故か彼女は棲んでいた。

 

不自由な幸福

 

己に注がれる視線に気付き、少女はふと顔を上げた。

「・・・どうしたの、リザ」

「いいえ、何も・・・」

声を掛けられ、それに慌てて返事を返すと、少女は気のない様子で相槌を打ちながら再びパンを口に運ぶ。―――それをチラリと窺って、リザはひっそりとため息を漏らした。

時間は昼とあって、食堂はそれなりに賑わいを見せている。

けれど目の前の少女を見て疑問を持つ者は一人もいない。―――それほどまでに、少女はここでは当たり前の存在として認識されている。

もちろんリザとて、それに異存があるわけではないのだけれど・・・。

少女の名前は

少女から発せられるもの静かな雰囲気からは想像できないが、少女もリザの上司と同じ、れっきとした『国家錬金術師』だ。

一応通り名もあるらしく、『蒼の錬金術師』と呼ばれていると聞いた事があるけれど、その認知度がどれほど世間に広まっているのかは分からない。

それが分からないほど、少女は少し変わった事情を持っていた。

リザの目から見て、彼女は『東方司令部にいる』のではなく『軟禁されている』と言った方が正しいのではないかと思う。

何故そう思うのかと言えば、彼女の意思で自由に外出する事が禁止されているから。

もちろんそれを禁じているのは、リザの上司でもあるロイ=マスタング大佐だ。

勿論、禁止されているとは言っても、それほど大げさなものではない。

さすがのロイにも、それほどの権限はない。

外出するときには一声掛ける事。―――それがロイとの間にある暗黙の了解だ。

そもそもリザがと出会ったのは、まだ中央都市にいた頃。

ある日突然、彼女はロイにを紹介された。

その紹介の仕方というのもただ名前を教えられただけであり、が国家錬金術師だという事は解っても、それなりに年齢の離れた2人がどうやって知り合い、そしてどういう経緯を経て自分に紹介する事になったのかは解らなかった。

その頃からロイと。―――そしてロイの親友でもあるヒューズは親しい関係を築いていたようだった。

その3人の取り合わせはずいぶんと奇妙なものではあったけれど、仲の良さだけは何も事情を知らないリザにも察する事が出来た。

もっとも、その頃からはずいぶんと変わった人物ではあったけれど。

そして彼女を取り巻く環境は、その頃も少し変わっていたようにリザは思う。

勿論、その頃のは現在のように司令部に住んでいたわけではない。―――まぁ中央都市の本部に彼女を棲まわせる権利などロイにはないだろうから、それも当然の事だろうけれど。

それがロイの東方司令部移動に伴って、より目に見える形になったように思える。

まるで当然の事のようにを連れて東方司令部に着任したロイは、何をするよりもまず部屋を1つ確保した。―――現在の部屋となっている場所だ。

そしてそこにを棲まわせた。

彼女の方に反論はないのか、何も言わずあてがわれたそこに住んでいる。

まるでそれが当然の事のように、はただ現状を受け入れていた。

しかし周りから見れば、それが常識と照らし合わせて普通ではない事は解りきっている。

それでも東方司令部の事実上司令官であるロイに意見できる者はなかった。

彼の上司である将軍も、彼に何も言わない。

仕方なく・・・というかそれが己の役目でもあるかのように、リザは一度ロイに進言した事があった。―――それは何でもやりすぎではないか、と。

まぁ、その意見が通らなかったから、現在彼女が目の前にいるのだろうが。

黙々と付け合せのサラダを頬張るを見やり、リザは小さくため息を漏らす。

リザとて、が傍にいる事に不満を持っているわけではない。

しかし、これではがあまりに可哀想だと思った。―――彼女にも、彼女の人生を生きる権利があるのだと。

何故ロイがこうまでして頑なにを束縛するのか・・・―――その理由を、リザは知っている。

それは世間一般からすればとんでもない話だけれど、相手がロイだという時点で妙に説得力のある理由。

なぜならば、ロイはの事が好きなのだ。

それこそ片時も離したくないほど。

彼自身がそれに気付いてなくとも、傍にいるリザは気付いている。

否、本当はロイだとて気付いているのだろう。―――ただ、気付かないフリをしているに過ぎない。

そんな子供じみた馬鹿げた理由で1人の人間を拘束し続けるなど、リザにとっては頭の痛い問題だ。

いつか訴えられても、ロイに勝ち目はない。―――まぁ、が訴えれば・・・の話だけれど。

女性との浮いた話なんて数知れないあのロイが、に関する事では驚くほど慎重になっている。―――それはまるで、失う事を恐れているかのように見えた。

だからロイは、この東方司令部の中で。

誰にも傷つけられないように、誰にも奪われないように、大切に大切にを守っている。

それがにとって良い事なのかは解らないけれど。

そしてそれを彼女がどう思っているのかも、未だ定かではないけれど。

もしも本当にを開放しようと思うなら、それはきっと難しいことではないだろう。

ロイやが動かなくとも、軍上層部へと進言すればそれは叶うはずだ。―――スキャンダルを嫌う上層部が、こんな格好なネタを放置しておくはずがない。

けれどリザは・・・否、リザだけではなくに少なからず関わる者たちは、表面上では異議を申し立ててはいても、それ以上の追求はしない。

それぞれ抱く感情は違えど、に好意を寄せている者は、何もロイだけではないのだ。

彼女たちにとっても、がここにいる事に、反論などあるはずもないのだから。

 

 

いつの間にか己の思考に耽っていたリザは、ふと我に返り顔を上げた。

はとうに食事を終えたのか、空の器を前にぼんやりと窓の外を眺めている。

「・・・いい天気ね」

それに誘われるように同じく窓の外へ視線を向ければ、晴れ渡った青空が窓の向こうに広がっている。

同じようにそれをぼんやりと眺めながら、リザはまるで独り言のようにそう呟いた。

「・・・うん、いい天気」

返ってきた返事にやんわりと微笑む。―――の、この凪いだ海のような雰囲気が、リザはとても好きだった。

「・・・ねぇ、

「なに?」

この穏やかな時間を壊したくはない。

そう思うのに、リザはどうしてもこの問いを飲み込む事が出来なかった。

もしかすると、の口からはっきりとした答えを聞きたかったのかもしれない。

は、自由になりたいとは思わないの?」

リザの問い掛けに、は変わらない無表情でコクリと首を傾げる。

何故そんな問いを投げ掛けられるのか、解らないといった様子だ。

「私は、自由だよ」

「そう・・・かしら?私には、あなたに自由はそれほどないように思えるのだけれど」

「・・・そう、かな?」

リザの言葉に、は考えるようにもう一度首を傾げる。

時々、この少女が解らないとリザは思う。―――今の状態の、どこが『自由』だというのか。

「自由は不自由の上に成り立っている。不自由のない自由は、自由ではない」

「・・・え?」

「私は自分の意思でここにいて、ちゃんと自分の思うように生きてる。―――まぁ、ロイ=マスタングは時々厄介だけど」

そう言って僅かに微笑むを見やり、リザは困ったように微笑み返して。

何故そうまで思えてしまえるのか、リザには不思議で仕方なかった。

実際問題として、がここを出ようと思えばいつでも出れるんじゃないか、とリザは思っている。

一見見えなくとも、とて国家錬金術師なのだ。

それに加えて、彼女の部屋に見張りが付けられているわけでもない。

だから、ここから出ようと思えば不可能ではないだろう。―――けれど彼女がそんな強硬手段に出た事など一度もない。

リザにとっては、それが一番不思議だった。

軍人という職業柄か、人の内面を読む事に長けたリザも、何故かが何を考えているのか読み取る事が出来ない。

それはもしかすると、自分に近しい者だからだろうか。

が何を思い、そして何を考えてここにいるのか。―――その結論を出したのか。

そんなリザの考えを読んだのか、はまっすぐに彼女を見つめ返して。

「私、約束したから」

突然の言葉に、リザは思わず目を丸くする。

「・・・約束って、大佐と?」

「そう」

「それって・・・」

どんな?と目で問い掛けると、は彼女には珍しくやんわりと微笑んだ。

「それは、内緒」

そう言って指を口元へと当てるを見て、リザは思わず噴出した。

いつものとは違う、悪戯っぽい笑顔。―――こんな表情も出来たのだと、出会ってから初めて知った気がする。

そう、リザは知っている。

の表情を変える事が出来るのは、ロイとヒューズだけなのだという事を。

いつだって、彼女に影響を与えられるのはあの2人だけなのだ。―――それを悔しいと思う気持ちも、多少は・・・あるけれど。

「それに、ここにいても退屈はしない。ここにいれば・・・研究に没頭できるから」

付け加えられた言葉に、なるほどと頷いて。

はここで、毎日研究に明け暮れている。

その研究がどんなものであるのかは、リザも知らない。―――錬金術師ではないリザが聞いても、きっと理解は出来ないだろう。

意外な事に、の研究内容についてはロイも知らないようだ。

もっとも、どこまで本当か定かではないロイの研究手帳と称した女性の名前が書かれたあの手帳の内容も、は知らないらしいが・・・。―――錬金術師とはそういうものなのかもしれない。

それでも何の研究かは解らなくとも、が国家錬金術として在り続けられると言う事は、その研究内容が認められているからなのだろう。―――審査は厳しいと、以前ロイが言っていた事を思い出す。

「じゃあ、リザ。私行くところがあるから」

空になった食器を手に、が立ち上がる。

「行くって・・・どこへ?」

「外。ちょっと買いたい物があるの」

の言葉に、思わず目を丸くする。

物欲にかなり乏しいの買いたい物というのも驚きだが、もしかしてこのまま行くつもりだろうか。

一声掛けなければ、あのロイが騒ぐのは目に見えているけれど。

「大佐には・・・?」

「言ってない。ちょっとだけだから、きっとバレない」

楽観的にそう言い切るを見上げて、リザは思わず苦笑する。

本当にそうならば良いのだけれど・・・―――に関しては思わぬほどに鼻が利く彼を、一体いつまで誤魔化しておけるものか。

そうは思うけれど、リザはそれを口にはしない。

ロイのあんなにも慌てる様は、非常に珍しいのだ。―――たまにはそんな上司の普段にはない様子を見て楽しんだとしても罰は当たらないだろう。

それこそ仕事にはならないだろうが・・・。

それでも今回ばかりは仕方がない。

どちらにしても、サボリ癖のある上司はすぐに仕事に取り掛かってくれはしないだろう。―――後で締め上げれば済む事だと結論付けて、リザはに柔らかな笑みを向けた。

「行ってらっしゃい、

そうして、何食わぬ顔で「ただいま」と帰ってきてくれればいい。

それは本当に、彼女の意思1つなのだろうけれど。

「行ってきます、リザ」

はそう言って、リザの好きな笑みを浮かべて踵を返した。

 

 

●おまけ●

 

はどこへ行った!!」

が買い物に出かけて30分後、どこから嗅ぎつけたのか・・・―――サボリの為に逃亡していたロイが慌てた様子で室内に飛び込んできた。

本当に、彼のを嗅ぎ分ける嗅覚はすごいとそう思う。

「落ち着いてください、大佐。はちょっと買い物に出ただけですから」

「なに!?中尉、君は知っていたのか?知っていてを止めなかったのか?」

「街に買い物に出るくらい、問題はないでしょう?3時のおやつも買ってくるといっていましたから、もうすぐ戻ってくるはずです」

尚も食い下がる様子のないロイに向かい呆れた様子でそう言えば、ロイはあからさまに眉を寄せた。―――どうやら自分に内緒で出かけた事が、よほど気に入らないらしい。

もっとも、がロイに出かけるとそういえば、この男は一緒に付いていったのだろう。

それを思えば、の判断は正しいと言えた。

「・・・馬鹿な。中尉、君は解っているのか?」

「・・・何がですか?」

「もしが1人で街に出て、よからぬ事を考える輩に攫われでもしたらどうする?」

真面目な顔をしてそう話すロイを、全員が呆れた面持ちで見返した。

明らかに考えすぎだ。―――もう既に妄想といっても過言ではない。

「・・・大佐〜。だってもう子供じゃないんですから」

「お前は馬鹿か、ハボック!子供じゃないからこそ、余計に危ないのだろう!!」

「馬鹿はお前だ、ロイ=マスタング。―――それから危ないのもお前だ」

口を挟んだハボックに食いかかるロイの背後から、涼やかな声が届いた。

それと同時に彼の頭に何かが直撃する。―――よく見れば、それは可愛らしくデフォルメされたクマのぬいぐるみだった。

思ったよりも強烈だったのだろう。

頭を抱えたまま、ロイは声も出せないのかそのままその場に蹲った。

「おー、お帰り。今日のおやつはなんだ?」

「今日は駅前のケーキ屋のプリン。美味しそうだったから」

そう言ってケーキの箱を机に置くと、周りからは歓声が上がる。

駅前のケーキ屋はこの辺りでは人気が高いのだ。―――特にプリンは数量限定で手に入れにくい。

どうやってそれを手に入れたのかと聞けば、ずいぶん前から予約していたのだという。

道理で普段はゆっくりとしているが、昼間は慌てて席を立ったのだとリザは改めて納得した。

!出掛ける時は私に声を掛けるようにと、何度言ったら解るんだ!」

「うるさい、ロイ=マスタング」

何とか痛みから復活したロイの反論も、の冷たい言動に一蹴される。

それを微笑ましく眺めながら、リザは床に転がったままのぬいぐるみを拾い上げた。

クマのぬいぐるみ。

可愛らしいが、どうしてがこれを持っていたのだろう?―――の部屋には、ヒューズからプレゼントされたたくさんのぬいぐるみが置いてあるが、それ自体はの趣味でも何でもなかったはずである。

「・・・。このぬいぐるみはどうしたの?」

今もまだ攻防戦を繰り広げるとロイを眺めながらそう声を掛ければ、ロイの顔を遠くへ押しやったが振り返りざま口を開いた。

「買った。研究に必要だったから」

「買ったぁ?ぬいぐるみなんてお前の部屋にいっぱい置いてあるだろーが」

「あれはダメ。マース=ヒューズがくれたものだから」

訝しげな面持ちでそう声を上げるハボックに、はさらりとそう言い切る。

己の趣味ではなくとも、ヒューズがくれたものだから大切にする。

それほどまでに、彼女にとってヒューズは大きな存在なのだろう。―――もちろん、それはロイにも当てはまるのだろうが。

「そんなにぬいぐるみが欲しいなら、今度私がプレゼントしてやろう」

「別にいらない」

なんとか気を取り直してそう告げたロイにも、はあっさりとそう言い捨てた。

またもや深く落ち込むロイを見やり、それに苦笑いを零しつつリザは手の中のぬいぐるみに視線を落とす。

彼女が何の研究をしているのかは知らないけれど。

「・・・ぬいぐるみが必要な研究って、一体どんなものなのかしら?」

最後の最後で、最大の疑問が残ったような気がした。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

なんともコメントが難しい内容ですが。

とんでもない主人公設定。(あいたた)

なんとなく設定的には暗い感じがしますが、日常はドタバタです。最後の方はそんな空気が出ていますが。

実は私、アニメしか見てないので(しかも途中までしか見てない)所々可笑しな設定もあるかと思いますが、その辺はスルーでお願いします。

作成日 2004.4.4

更新日 2008.1.14

 

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