目を逸らしたくなるほどの現実に、人はどこまで耐えられるのだろうか。

感覚を失うほど慣れてしまえれば、その光景を平気だと思えるのだろうか。

たとえばどれほどの信念があれば、それを乗り越えてゆけるのだろう。

人はそれを、強いと言うのだろうか?

 

 

瓦礫と化した建物。

崩壊してゆく、それ。

物音ひとつしない、すべての命が消えたそこはとても静か。

見渡す限りに広がるのは、かつて人だったもの。

今の私にとっての破壊対象。

国に目を付けられた、憐れな人たち。

目の前に広がる光景は、まさしく地獄絵図と表すべきものだった。

殲滅対象となったイシュヴァールの人たちも、アメストリスの軍人たちも、一部の国家錬金術師を除いて、みんな疲れ果てている。―――みんな、意味は違えど苦しんでいる。

とても可哀想な人たち。

多分私はどこか人として大事な部分が欠けているのだろう。―――前々から思っていたけど、今改めてそう認識する。

私には苦しみや悲しみは感じられなかったけれど、この光景はとても酷いものだという事だけは認識できた。

「D地点、殲滅完了」

渡された地図に印を書き込んで、それをポケットに仕舞うと私は踵を返す。

もうすぐこの戦争も終わる。

私のここでの任務も、もうそんなに長くはないだろう。

戦争が終われば、私はセントラルに帰る。

そこではまた、以前のような何の変哲もなく変わり映えのしない毎日が待っている。

それがなんだかとても待ち遠しい気がした。

ここは、嫌い。

ここは優しくない。温かくない。ここは・・・。

ここには、いない。―――ロイ=マスタングも、マース=ヒューズも。

何かにかけて私を構ってくる彼らは時には面倒な存在でもあったけれど、今はそれが懐かしく思えた。

彼らは優しい。温かい。―――彼らの傍の空気は穏やかで、居心地がいい。

乾いた風に巻き上げられる乾いた砂を腕で払いながら歩いていた私は、ふと今更になって思い出した。

そういえば、ロイ=マスタングもマース=ヒューズも、この戦争に参加していた筈だ。

2人は大丈夫なのだろうか。

2人とも案外抜け目のない性格をしているから、きっと大丈夫だとは思うけれど。

「・・・・・・」

それでもなんだか気になって、私はもう一度ポケットから地図を取り出してそれに目を通した。

イシュヴァールに投入されてからは一度も会っていないけれど、それでも聞こうと思えば情報はそれなりに手に入る。―――国家錬金術師って、いろんな意味で結構便利。

話のついでに聞いたロイ=マスタングとマース=ヒューズの割り当て先を確認して、ロイ=マスタングの割り当て先がここから近い事を知った私は、駐屯へと向けていた足をそちらへと向け直して歩き出した。

別に、気になるわけじゃない。

ただ、私の任務が予定よりも早く終わったから。―――帰るついでに、ちょっと様子を見に行こうかと思っただけ。

心の中でそう言い訳しながら、私はロイ=マスタングが割り当てられたそこへと向かう。

歩く道すがら、目に映るのはどこも同じような景色ばかりだ。

瓦礫と化した建物。

崩壊してゆく、それ。

そこはまるで荒野のようだ。―――戦争が始まる前までそこに人が住んでいたなんて、信じられないほど。

おそらく街であったのだろうそこへと足を踏み入れ、ぐるりと視界を巡らせれば、そこかしこから黒煙が上がっている。

焔の錬金術師と称されるロイ=マスタングの割り当て先なのだから、それも当たり前なのかもしれないと改めて足を踏み出したその時、どこか遠くから銃声が聞こえた気がした。

銃声は近くない。

けれど、ものすごく遠いわけでもない。

きっとこの街の中なのだろうと判断して、私は構える事無く音がしただろう方向へ向かい歩き出した。―――もし生き残ったイシュヴァールの民が襲撃してきたとしても、それを防げるだけの要因が私にはあった。

さっきの銃声から後、目立って音は聞こえない。

それでも耳の性能が良い事は自慢できる私に、その場所を特定するのはそれほど難しくはなかった。

一軒の家に当たりをつけて、閉ざされたままの扉を躊躇なく開ける。

そうして、私はそこで探し人の姿を見つけた。

当たり前だが、明かりの灯っていない家の中は薄暗くて。

けれど、これまで何回も嗅いだ血の匂いは間違えようがない。

そこで何が起きたかなんて、それこそ今更問うまでもなかった。

絶望に堕ちた目の前の男を見て、私は薄く目を細める。

ロイ=マスタングが何に対して絶望を抱いたのか、何に対して苦しみを抱いているのか、本当のところは私にはよく解らない。

それはきっと、与えられた任務をただこなしているだけの私には、一生理解できない事なのかもしれない。

「・・・どうしたの?」

問い掛けても、いつもは返ってくる返事が戻ってくる事はなかった。

こんなロイ=マスタングを見るのは初めてだ。

彼はいつも自信満々で、その顔には余裕の笑みを浮かべていて、私の行動に時々首を傾げたり戸惑った表情を見せる事もあったけれど、最後には傲慢なまでの強さを見せた。

それなのに、今のロイ=マスタングは、子供のように身体を震わせて、何かに怯え、必死に何かに耐えているようだ。

これが、人間。

喜び、楽しみ、悲しみ、苦しみ、怒り・・・―――そんな姿こそが、人間のあるべき姿なんだろう。

私には解らない。

私には理解できない。―――だけど・・・。

私はこの世のすべてから己を守るかのように身を縮こませているロイ=マスタングへと、そっと手を伸ばした。

私はずっと1人だったから。

だから誰かに慰められる事も、そして誰かを慰める事も・・・その方法を私は知らない。

どうすればロイ=マスタングがいつもの彼に戻ってくれるのか、私には解らない。

だけど、このまま彼を放っておいてはいけないと思った。

どうしてなのかは解らない。―――ただ、私の中の何かがそう警告した。

そっと伸ばした手を、ロイ=マスタングの頭へと軽く乗せる。

いつだったか、マース=ヒューズにされた事がある。

彼が何をしたかったのかは今も解らないけれど、あの時の温かい手と優しい笑顔はとても心地良かったから。

ぎこちない手つきで、ゆっくりとロイ=マスタングの頭を撫でる。

いつも綺麗に整えられていた艶やかな黒髪は、今は埃と砂に汚れていた。―――それでも、微かに触れた彼の身体は温かかった。

人の温もり。

生きている、証。

不意に手を取られ、強引に引っ張られる。

何が起こったのかと顔を上げれば、そこには苦しそうに表情を歪めるロイ=マスタングの顔があった。

「・・・

「なに?」

「・・・

ロイ=マスタングは、ただ私の名前を呼び続けた。

ずっと、ずっと、壊れた機械のように、ただそれだけを繰り返しながら。

そうしていつしか少しだけ緩んだ腕の力に、私はゆっくりと身を起こして、膝立ちになってからもう一度ロイ=マスタングの頭に手を伸ばした。

今度はしっかりと彼の頭を抱え込んで。

胸の辺りに湿った感触がしたけれど、私はそれに気付かないフリをした。

「ロイ=マスタング。貴方は私に何を望む・・・?」

「・・・・・・」

「私には解らない。貴方が何を望んでいるのか。私は、一体どうするべきなのか」

「・・・・・・」

「言葉にして欲しい。ちゃんと、私にも理解出来るように」

さっきと同じように、返事は返ってこなかった。

けれど私はそれを急かすでもなく、ただじっと待ち続ける。

静寂に沈んだこの世界は、酷く無機質で、酷く現実味はなかったけれど・・・―――それでも私には、決して居心地の悪いものではなかったから。

「・・・・・・てくれ」

小さな声が聞こえた。

宙へと放っていた視線をロイ=マスタングへと向けると、彼は弱々しい瞳の中に・・・それでも強い光を宿しながら、まっすぐに私を見据えて言った。

「私のそばにいてくれ。これからずっと」

「・・・・・・」

「これから私がする事をずっと見ていて欲しい。私の傍でその温もりを分け・・・そして」

ぎゅっと、ひときわ強く抱きしめられる。

「もしも私が道を踏み外したその時は、君の手で終止符を打ってくれ」

身体に響く、ロイ=マスタングの声。

私の身体を拘束するその手は、今もまだ微かに震えている。

同じく震える彼の身体をそっと抱き返して、私は小さく了承の返事を返した。

静かな、静かな世界。

多くの命が消えたその場所で、私は生まれて初めての約束を交わす。

まるで縋るようにしがみつくその身体が、何故かとても愛おしく思った。

 

 

                          もし世界が貴方を傷つけるのなら、   

                        私は世界をも敵にしよう

(だから泣かないでと、私は心の中で祈り続けた)

 


鋼の錬金術師。

短編で言っていた、ロイと主人公の『約束』

なんとなく、拍手にするようなお話じゃないような気がしてきました。