季節は巡り、寒い冬が過ぎ去り、再び暖かい季節がやってくる。

少し肌寒さは残るものの、暖かい日差しを浴びながら、は広場に設置されたベンチに座り目の前の光景をぼんやりと眺めていた。

それは、メルトキオではさして珍しくはない光景。

どの季節であろうと、どこへ行ったとしても、当たり前のように見られる光景に違いない。

「・・・よく飽きないわよねぇ」

小さく欠伸を漏らしながら、は相も変わらず少女たちに囲まれて笑顔を振りまくゼロスを見やり小さく独りごちる。―――もっとも、飽きないのはゼロスだけではなく少女たちも同じなのだけれど。

そうしていつの季節でも、こうして遠巻きにそれを眺めている自分も、人の事などいえたものではないのだけれど。

「それにしても、暇だわ」

一応ゼロスの護衛という立場にある以上、常に彼の傍に付き従っている必要があるだったが、流石にこう何もする事がないと暇を持て余してしまう。

先に帰ってしまおうかとも思うけれど、そうすればそうしたで後々ゼロスが煩い事は身をもって知っていた。―――勿論、その前にゼロスに見つかってしまう可能性の方が非常に高いのだけれど。

そんなの様子に気付いたのか、少女たちに囲まれていたゼロスがチラリと彼女の様子を横目で窺う。

そうして今にも帰りだしそうなその気配を察したのか、ゼロスは自分を囲んでいた少女たちに軽く別れを告げると、颯爽とした足取りでベンチに座るの元へと歩み寄った。

「相変わらず暇そうだな〜、は」

ベンチに座ってぼんやりと空を見上げていたの前に立ち、楽しそうな笑みを浮かべてゼロスはからかうようにそう告げる。

それを恨めしげに睨み上げて、はもう一度小さく欠伸を漏らした。

「誰のせいだと思ってるのよ、誰の」

「あれ?もしかして俺様のせい?」

解ってるんじゃない、と心の中で呟いて、は小さくため息を漏らす。

暇なのは良い事だ。

護衛であるが忙しいという事は、少なからずゼロスの身に何らかの危険が迫っているという事なのだから。―――それが命に関わるような事かは置いておくとして、それを考えるならば暇は大歓迎なのかもしれない。

そう1人で結論を出したは、今もまだ楽しそうに自分を見下ろしているゼロスを見上げて困ったように笑った。

何を言っても、どう繕ったとしても、きっと自分はゼロスには敵わないのだろう。

ゼロスの護衛であるという事実を抜きにしたって、がどうしてもゼロスに甘くなってしまう事を彼自身も知っているのだから。

だからこれ以上無用な問答は必要ないと考えて、はチラリとゼロスの背後を見やり口を開いた。

「それよりもいいの?あの子達、ゼロスの事待ってるみたいだけど」

「いーの、いーの。今度は暇を持て余したちゃんの相手をする番だから」

その暇を自分に与えているのは誰だと内心独りごちながら、は疲れたようにため息を吐き出す。―――自分に向けて放たれる刺すような視線を受けるくらいならば、暇を持て余していた方が何倍もマシだ。

まぁ、それも今となっては珍しいことでもないのだけれど。

少女たちの憎しみのこもった視線を一身に受けながらも暢気にそんな事を考えていたは、不意に目の前に立っていたゼロスが自分の隣へと腰を下ろしたのに気づいて視線をそちらへと向けた。

するとゼロスは先ほどまでとは違う神妙な顔で、じっとを見返して。

「・・・結局、戻らねぇな」

ポツリと呟かれた言葉に、は小さく首を傾げる。

「何が?」

「お前の記憶だよ。記憶喪失になってから1年くらい経つだろ?」

「・・・そういえばそうね」

唐突に告げられた言葉に相槌を返しつつ、は確かにそうだったと納得したように頷く。

そういえば、記憶を失ってから、もう1年近く経ったのだ。

この場所で。

図らずも同じようなこの状況で、は記憶を失った。

その時の事はゼロスやしいなに聞いただけでよく覚えてはいなかったけれど、自分にしてはうっかりなミスをやらかしたものだと今でもはそう思う。

助けに入ったゼロスが足を滑らせる事も含めて、どうして自分は少女の突発的な行動を予測できなかったのだろうか。

階段を背に立つという致命的なミスを犯したのも、不思議といえば不思議だった。―――自分はそんなにも不用意な人間だったのかと。

それとももしかすると、このメルトキオの穏やかな空気が自分の注意力を散漫にしてしまったのかもしれない。

それもまた、言い訳でしかないのだけれど。

「1年かぁ・・・。早いものよね」

「他人事みたいに言うなよ」

思わず入ったゼロスの突っ込みに、はくすくすと笑みを零す。

でも、少しも困らなかった。

記憶喪失になってから、早1年。

これまでのすべてを忘れてしまったというのに、はなんて穏やかな1年だったのだろうとそう思う。

それは目の前にいる彼のお陰かもしれない。―――勿論、そんな事を口に出すつもりは少しもなかったけれど。

そんなとは裏腹に、僅かに眉間に皺を寄せたゼロスは、から視線を逸らしつつ小さく呟いた。

「・・・悪かったな、マジで」

「・・・ゼロス?」

いつもになく殊勝な態度のゼロスを訝しげに見やって、は小さく首を傾げる。

は気にする必要はないと言っていたけれど、彼女が記憶を失った一端は間違いなく自分にあったのだとゼロスは思っている。

少女たちの怒りがに向けられた事も。

に大して気にした様子もなく、またいつもそれを軽く捌いていたに安心していたのだ。―――貴族のお嬢様など、にとってはさして問題ではないのだと。

自分が助けに入ったあの時だって、自分が助けに入らなくともは自分でしっかりと対応できていた。

咄嗟の出来事でも、はちゃんと自分の身体を自分で支えていた。

それでも階段から落ちてしまったのは、思わず助けに入った自分がうっかり足を滑らせてしまった事と・・・―――そうしてそんなが、ゼロスを庇ったからに違いないと。

「このまま記憶が戻らなかったら、俺様が責任取るから」

不意に零れたゼロスの言葉に、は目を丸くする。

「どうやって?」

「俺様がずっと一緒にいてやる」

さらりと告げられた言葉に、更に目を丸くした。

思えば、なんて大胆な発言なのだろうか。

取り巻きの少女たちに聞かれでもしたら、刺すような視線だけではすまないかもしれない。

少々誤解を招きそうなその発言に呆れると同時に、けれど嬉しくなっては思わず笑みを零した。

「私にずっとあなたの面倒を見ろって言うの?」

「・・・なっ!違うでしょーが!」

「はいはい」

情けない顔で反論するゼロスを軽く流して、は座っていたベンチから立ち上がった。

そのまま大きく伸びをして、未だ座ったままのゼロスを見下ろす。

「もうここに用事がないなら帰りましょう。私、喉が渇いたわ」

「・・・へいへい。相変わらずマイペースだよな、は」

諦めたようにそう呟いて、ゼロスは差し出されたの手を掴みつつ立ち上がる。

手のひらに感じる温かな手の感触。

出逢ってから1年。

その後、記憶を失ってから1年。

そんなにも長い月日ではないはずだというのに、いつだって自分の傍にあったような気がする温もり。

「帰りにしいなを拾って行きましょう。多分精霊研究所にいるはずだから」

「あそこか。あんまり好きじゃないんだよな、あそこ・・・」

ブツブツとぼやきながらも、それでも足をしいながいるだろう精霊研究所へと向けるゼロスの背中を見つめて、はやんわりと微笑んだ。

『俺様がずっと一緒にいてやる』

思いもよらない言葉ではあったけれど、そこに含まれたゼロスの精一杯の想いはちゃんとの心へと届いた。

彼が悔やむ必要なんてない。

何故ならば、は今とても幸せなのだから。

たとえ記憶を失おうとも、自分は本当に大切なものを失ってはいない。

ゼロスがいて、しいながいて。

騒動と事件は尽きなくとも、それなりに穏やかな毎日を過ごしている。

それが幸せでなくて、一体なんなのだろうか。

「おーい、何やってんだよ!さっさと来ねぇと置いてくぞ!!」

少し先で振り返りながら大声を上げるゼロスを見て、は更に笑みを深める。

「・・・ありがとう、ゼロス」

小さく小さく呟かれた言葉は、誰の元へと届く事もなく。

メルトキオの春の風に乗って、静かに空へと舞い上がった。

 

わらない日々

 


失ったものと、失わないもの。