ふと、は目を開けた。

まず視界に飛び込んで来たのは、青々と茂った木々と、その隙間から微かに覗く青空。

自分が地面に寝かされているのだという事に気付いて身を起こすと、すぐ傍で燃えている焚き火の傍らに座っていたしいなが、驚きの表情を浮かべる。

!もう良いのかい!?」

焚き火を突付いていた木の棒を放り投げて慌てて駆け寄ってくるしいなに、はにっこりと微笑みかけた。

「ええ、もう平気よ」

反射的に口から出た言葉だったけれど、それに偽りはない。

元々背中の傷はクヴァルが治療してくれていたようだったし、拘束されていた腕も誰かが治癒の魔法を掛けてくれたのか痛みは感じなかった。―――何よりも一番の悩みの種であった頭痛も既に引き、久しぶりにすっきりとした目覚めを実感している。

「・・・良かった」

安堵の息をつくしいなの頭を、は優しく撫でた。

アスカード人間牧場爆破から、3日後の出来事。

 

その感情の意味を

 

普段は静かな森の中に、人々のざわめきが木霊していた。

人間牧場から救出された人々は、しかし街を破壊し尽くされ戻る場所もなく、仕方なく一時的にこの森に身を潜めているのだという。

改めて2人して焚き火の前に座り込み、は暖かい火の熱で身体を温めながらゆっくりと辺りを見回した。

「他の人たちは?」

確か人間牧場には神子一行の姿もあった筈だと、曖昧な記憶を辿る。―――激しい頭痛のせいか、しっかりとした記憶は残ってはいない。

ただレネゲードのボータに会った事と、クヴァルから聞かされた過去の自分を垣間見せる話の断片、そして助けに来てくれたしいなとクラトスの顔。

それだけが思い出され、他の面々の様子などはぼやけた光景でしか思い出せなかった。

既にここを旅立ったのかと思ったが、しいなは苦笑を浮かべて口を開く。

「あいつらは、ルインの人たちの様子を見に行ってる。あたしはが心配だったからね。焚き火の番を兼ねてここにいるってわけさ」

「・・・そう」

パチパチと弾ける枝の音を聞きながら、しいなから渡されたカップを礼を言って受け取る。

ふんわりとした湯気の昇るそれは、身体の中にゆっくりと染み込んでいくようで、は温かさを逃さないようにとカップを両手で握り締めた。

「・・・悪かったね、

ゆっくりとカップの中身を飲んでいたの耳に、唐突にしいなの謝罪が飛び込んできて、は不思議そうに顔を上げる。

「・・・何が?」

「あたしのせいで、あんたに大怪我を負わせちまった。その上捕まって・・・あんなに辛い思いまでさせちまって・・・」

俯き悔しさのあまり強く木の棒を握り締めるしいなに、は明るい声で話し掛ける。

「でも、しいなは私を助けに来てくれたでしょう?」

「だけど、それはあたしだけの力じゃない!それに・・・結局あたしは何にもしてないのと同じさ。クヴァルの部屋に着いた時には、もうあいつはロイド達が倒してたんだから」

しいなの言葉に、は肩を竦めて笑った。

「私にとっては、それこそどうでも良い事なんだけど。ただ、しいなが私を助けようと思って、あそこに来てくれただけで・・・それだけで十分なんだけどね」

の優しい声色に、しいなは俯いていた顔を上げた。

目に映るのは、柔らかな笑みを浮かべたの顔。

それでも・・・と納得できない感情はあって、再び俯いて燃え盛る炎を見詰める。

そんなしいなの行動には苦笑を浮かべて、カップを握っていた片方の腕を伸ばし、しいなの頭を軽く叩いた。

「あれは私が勝手にしたことなんだから、しいなが気に病む必要なんてないのよ。しいなに怪我させたくないっていう私の自分勝手な行動の結果なんだから」

「・・・・・・」

「あの後も本当は逃げ切るつもりだったんだけど。―――だから捕まったのは、私自身の落ち度の結果。それでもしいなが気にするっていうなら・・・」

「・・・言うなら?」

無言での言葉を聞いていたしいなが、途切れた言葉の続きを促した。

少しだけ顔を上げて上目遣いに自分を見詰めるしいなに苦笑して、は出来る限り軽く聞こえるように声を明るくする。

「それでもしいなが気にするっていうなら、謝罪じゃなくてお礼の方が良いわ。『ごめん』じゃなくて『ありがとう』って言われた方が、やっぱり嬉しいもの」

にっこりと微笑んで、伸ばした腕でそのまましいなの頭を撫で続ける。

暫くの沈黙の後、しいなは再び目を伏せて、消え入りそうなほど小さな声で呟いた。

「・・・ありがとう、

それでもしっかりと聞こえたその言葉に、はどう致しましてと返事を返して更に笑みを深くする。

しいなの身体の震えが頭の上に乗せた手から伝わってきて、またもや苦笑を浮かべた。

「もう・・・泣かないでよ、しいな」

「泣いてなんかないさ」

即座に返って来た返事とは裏腹に、乾いた地面に水滴が零れ落ちる。

それに気付いて慌てて頬を拭ったしいなは、僅かに顔を赤く染めて意地悪く笑うを微かに睨みつけた。

「これは・・・さっきからずっと火を見てたから・・・その、目が乾いちまったんだよ!」

「はいはい、そういう事にしといてあげるわよ」

!!」

茶化したように呟くに抗議の声を上げるしいなは、もう既に何時もの調子を取り戻している。―――それを確認して、はにっこりと笑顔を浮かべた。

変わらず頭を撫でる優しい手の感触に、しいなは嬉しいのか悔しいのかさえも解らず不貞腐れたようにそっぽを向く。

と共にいると、いつも子ども扱いを受けている気がする。

それが不本意なものであると思うのに、ずっとそうしていて欲しいという想いもあって、結局は何も言えずにクスクスと笑うの声を聞いていた。

 

 

暫くして漸く手を引っ込めたに、しいなは同時にそっぽを向いていた顔をに向ける。―――もう既に冷めてしまっているだろうカップを、やはり両手で包み込むように握り締めているを見詰めて、先ほどとは違う真剣な表情を浮かべた。

に聞いて欲しい事があるんだ」

「・・・うん?」

「あたし・・・決めた事があるんだけど・・・」

「何かしら?」

握り締めていたカップを地面に置いて、同じく真剣な表情を浮かべたが声色はそのままに問い掛ける。

「これからの事なんだけど・・・」

「・・・うん」

言い辛そうに口を開け閉めするしいなに、は急かす事無くのんびりと相槌を打った。―――それに勇気付けられたように、しいなは口を開く。

「あたし・・・あいつらと一緒に行こうと思うんだ」

告げられた告白に、しかしは一向に動じる事無く視線をしいなから焚き火に移して微かに微笑んだ。

「貴女には、神子暗殺の命令が下ってるのよ?」

「ああ」

「彼女らと共に居れば、いざそれをしなければならなくなった時、辛い思いをするわよ?」

「・・・ああ」

「世界再生が成れば、テセアラが衰退するという事も解ってるのね?」

「・・・・・・ああ、解ってる」

「それでも、貴女は神子たちと行動を共にすると・・・」

顔を上げて見詰めたしいなの目は、強い光を放っていた。

それは以前、神子暗殺を決意した時に見せた輝きよりも、より一層強く。

けれどしいなの心の奥に以前は感じた苦しみがないことを感じ取って、は嬉しそうに微笑んだ。

「それを覚悟の上なら、私に反対する気はないわ」

思いの他あっさりと出た承諾の答えに、しいなは呆気に取られてを見詰める。

は・・・それで良いのかい?」

「私はしいなに付いて行くって、ここに来る時に決めたもの」

「でも・・・」

口を噤んで、言葉にならない言葉を訴える。

がシルヴァラントに来た目的は、ゼロスにこれ以上負担を掛けさせない為だ。

しいなが神子暗殺を放棄したならば、高確率で世界再生は成るだろう。

そうすればテセアラは衰退の道を辿ることになり、それによってゼロスは・・・。

そんなしいなの思いを読み取って、は何でもないと言わんばかりに不敵に笑む。

「マーテル協会や王家から向けられる負担ぐらい、防ぎきってみせるわよ。私を誰だと思ってるの?」

自信たっぷりに言い放つを、しいなは唖然と見詰める。

その自信は何処から来るのかと反論したかったが、がそう言うのだからそれも可能なのだろうと思えて、しいなは呆れたように笑った。

「全く・・・あんたには敵わないよ」

両手を高く上げて降参のポーズを示したしいなに、は楽しそうに笑みを送った。

 

 

クラトスは辺りの景色が見渡せる丘の上に、1人でいた。

崩壊したルインの街を見下ろし、苦しそうな・・・切なそうな表情を浮かべている。

「クラトス」

不意に誰もいないはずのそこに自分の名を呼ぶ声が聞こえて、クラトスは首だけで背後を振り返った。

「・・・?」

自分が立つ場所から少し離れた場所に、が立っていた。

最近では向けられる事などなかった穏やかな笑みをクラトスに向けて、はゆっくりとした足取りでクラトスの前に立ち彼を見上げる。

「もう、身体は良いのか?」

「お陰様で。その節はお世話になったようで・・・ちゃんとお礼を言っておこうと思って」

「構わん」

短く返事を返して、クラトスはから僅かに視線を逸らした。

いつでも、何があっても真っ直ぐと自分を見詰める。―――その視線に耐えられないのは、罪悪感があるからなのか。

の強い意思を宿す眼差しは、クラトスの心を酷く掻き乱す。

自分がとても弱く思えて・・・、自分の罪深さを目前に晒されているようで・・・。

酷い裏切り行為をしていて尚、まだを愛していると想い続けている自分が、とてもずるく思えて。

自分と同じように黙り込んでしまったを、クラトスはチラリと盗み見た。

は相変わらず穏やかな笑みを浮かべて、広がる景色を眺めている。―――時折吹く強い風にヒラヒラと服をなびかせ、それと共に長く艶やかな黒髪も風に舞う。

背筋を伸ばし凛と佇むその姿は神々しさすら漂わせ、触れてはいけない神聖なもののように思えて、クラトスは指一本も動かす事が出来なかった。

「ねぇ、クラトス」

呼びかけられて、クラトスは瞬時に現実に引き戻される。

は未だ雄大な景色からは視線を外さず、ただ前を見詰めたまま口を開いた。

「前に、私が言った事覚えてる?」

「・・・・・・?」

「私が初めて貴方と会った時・・・―――ううん、違うか。記憶を失った私が、初めて貴方に会った時。私は貴方に、『私の事は忘れて欲しい』って言ったわよね」

「・・・ああ」

自分を見ないを、クラトスはただ見詰めた。

何を言われるのか、想像もつかない。

また拒絶されるのだろうか?―――もう、自分には近づかないで欲しいと。

もしもそんな事を言われたとしたら・・・?

クラトスにはその先は想像もつかなかった。

否、想像したくなどなかったのかもしれない。

「今の私に、失った記憶は必要ない。それを取り戻す事を、私は望んでいない。―――そう思う気持ちは、完全に消えたわけではないの」

「・・・・・・」

「記憶を失ってから2年。今までは何の支障もなく平穏に暮らして来たのに、最近じゃ私を知ってる人がどんどん出現してきて。しかもそれがみんな謎を抱えた怪しい人たちばっかりで。ディザイアンとかレネゲードとか、謎の傭兵とか?」

問い掛けるように語尾を上げて、はクスクスと小さく笑う。

確かに・・・と、納得せざるを得ない部分も多かった。

自分を知っている者が、ディザイアンやレネゲードやら謎の傭兵やらなのでは、記憶を取り戻したいと思わないのも仕方ないのかもしれない。

記憶を取り戻した後、厄介な事に巻き込まれるのは目に見えているのだから。

正直・・・とは前置きをして、大きく息を吐き出すと空を仰ぎ見た。

「私は、記憶を取り戻すのが怖い。自分が・・・何者なのかを知るのが怖い」

静かに目を瞑り、祈るように空を仰ぐ。

きっと、確信がないだけで粗方の予想はつけているのだろうとクラトスは思う。―――それが当たっているか外れているかはクラトスには知り得ないが、自分を知る者たちの顔ぶれからして、あまり良い予想を立てられるとも思えない。

実際、思い出さない方が良いのではないかと・・・そんな事をクラトスは思う。

過去を思い起こして・・・―――その風景の中にいたが、幸せそうではなかったことが今ならば解る。

しいなと共に生き生きと旅をしているを見ていれば、ウィルガイアに居た頃どれほど自分を押し殺してきたのか・・・それを想像するのは難しくない。

「だからやっぱり、無理に自分の過去を知ろうとは思えない。これじゃただの逃げなのかもしれないけど・・・そんな自分は、あまり好きにはなれないけど」

「・・・そうか」

クラトスが簡単に返事を返すと、それに反応するようにはゆっくりと目を開ける。

空に向けていた視線をクラトスに向けて、にっこりと綺麗に笑った。

「だから、私が思い出すまで・・・それまで、待っていて欲しいの」

「・・・・・・っ!?」

「いつか、ちゃんと思い出すから。私のことも・・・・・・貴方のことも」

の口から出た思いもよらない言葉に、クラトスは驚き目を見開く。

あれほど思い出すのを拒絶していたが、何故唐突にそれを受け入れたのかの理由が解らず、クラトスは返す言葉も思い浮かばず、ただを見詰めていた。

その視線を受け止めて、は至極楽しそうに笑みを零す。

「気が、変わったの。素性の知れない、謎の侵入者のお陰でね」

「・・・・・・?」

更に意味が解らず微かに首を傾げるクラトスを見詰めて、は楽しげに声を上げて笑った。

その笑顔を目の当りにして。

自分に向けられている、その綺麗な笑顔を見詰めて。

本当に、記憶など取り戻さなくても良いのではないかとクラトスは思う。

何時からか自分に向けられなくなった、楽しげな・・・幸せそうな笑顔。

その笑顔が向けられている今、記憶などない方が良いのではないかと。

思い出せばきっと、自分に向けられる笑顔は曇ってしまうのだろうから。

「あ〜、言いたい事言ったらすっきりした!」

「・・・そうか」

「そろそろ戻るわ。しいなに黙って出てきたから、きっと今ごろ凄く怒ってるだろうし」

「・・・そうか」

「・・・・・・クラトスも一緒に戻る?それともまだ、ここに居る?」

顔を覗き込むようにして問うに、クラトスは微かに笑みを返した。

「私も、戻るとしよう」

「じゃ、一緒に戻ろうか」

「・・・ああ、そうだな」

お互い顔を見合わせて、やんわりと微笑む。

2人の間に満ちている空気は、遥か昔と同様に穏やかで。

いつかそれが失われてしまう事を知っているクラトスは、少し胸が痛んだけれど。

隣に立つの存在が確かに感じられる今はとても幸せだったから、それに気付かないフリをして並んで歩く。

この穏やかさがいつまでも失われないことを、ただ祈りながら。

 

 

フワリと風が吹いて、はふと振り返った。

その先にあるのは、圧倒されるような広い大地だけ。

「・・・どうした?」

唐突に立ち止まったを訝しげに見詰めながら、数歩離れた場所で立ち止まったクラトスがそう声を掛ける。

「・・・ううん、なんでも」

曖昧に返事を返して、は広い大地から視線を逸らして前を向く。

不意に、誰かに呼ばれたような気がした。

脳裏を過ぎるのは、緑の髪をした綺麗な女性の顔。―――浮かんだ笑顔はとても幸せそうなのに、それを見るたびに苦しくなるのは何故なのだろう。

あの女性は、一体誰なのだろうか?

考える度に胸が痛む。―――その感情を、は知っている。

もしかして・・・と、は何気なく思った。

自分が記憶を取り戻したくないのは、自分が何者なのかを知るのが怖いからではなくて。

幸せではなかったかもしれない、自分の過去を思い出すのが嫌なのではなくて。

ただ・・・―――その感情を、実感したくないだけなのかもしれないと。

狂おしいほど切ない、胸を焦がすような焦燥。

重く漂う何かを秘め、暗闇の中にただ沈んでいくような・・・。

ただ、知りたくないのだ。

 

そんな、深く強い後悔の意味を。

 

 

◆どうでも良い戯言◆

終わりが・・・終わりがなんていうか!!(汗)

ちょっとクラトスと良い感じを目指したんですけど、どちらかといえばしいなと良い感じみたいな・・・。(ダメじゃん)

なんかうちのしいなは、段々しいなじゃなくなって来てる感じが・・・。

作成日 2004.11.1

更新日 2008.5.6

 

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