「・・・ん」

カーテンの隙間から差し込む鋭い光に、は小さく呻き声を上げると、薄っすらと目を開いた。

もぞもぞと緩慢な動作で身を起こし、大きく伸びをした後ベットから抜け出る。

ヒヤリとした冷たい空気に体を震わせながら、窓際に寄りカーテンを開くと、眩しいほどの光に薄く目を細めた。

視界は白。

「・・・いつの間に」

メルトキオの街は、白い雪に覆われて眩しい光を放っていた。

 

消えない

〜後編〜

 

身支度を整えリビングに下りると、そこにはまだゼロスの姿はなかった。

はそれを確認してから、スプリングの効いたソファーに身を沈める。―――しばらくすると執事のセバスチャンが、朝の挨拶と共に淹れたての熱い紅茶を持ってきてくれた。

ありがとうと礼を告げて、白い湯気の立ち上る紅茶を一口啜った頃、漸く二階から扉の開く音が聞こえ、そのすぐ後に見慣れた赤毛の青年が憂鬱そうに階段を降りてくる。

「・・・う〜っす」

「おはよう」

何時もとは比べ物にならないほどテンションの低いゼロスは、短い挨拶と言えるかどうかも怪しい挨拶を口にし、そのまま倒れこむようにソファーに寝転がった。

それを無言のまま見詰め、はただ紅茶を飲み続ける。

「今日のさ〜、晩餐会だけど・・・」

「うん」

「俺・・・やっぱ行くの止めるわ」

低い掠れたような声色でただそれだけを呟くゼロスに、は特に気にした様子もなく、ただ「そう」と簡潔な返事を返した。

そんなを、ゼロスはチラリと横目に見上げる。

「・・・何も言わねぇの?」

「何もって何が?」

「ん〜・・・・・・別に」

口を開きかけたゼロスだが、説明が面倒なのかそう話を切り上げる。

そうして大きく溜息を吐き出すと、身を起こしてソファーに座り直してから鬱陶しげに赤い髪を掻き揚げた。

「うそうそ、ちゃ〜んと行くって」

へらへらとした笑みを浮かべて何時もの様子を見せたゼロスは、無表情で紅茶を飲み続けるにそう告げた。

すぐさま運ばれてきた珈琲をセバスチャンから受け取り、それを美味しそうに飲むゼロスを見据えて、は彼に気付かれない程度の小さな溜息を吐く。

そうして今はカーテンで隠されている窓へ視線を向けてから、心の中で独りごちた。

タイミングが悪いったら、ありゃしない。

 

 

「・・・・・・どうしても?」

「どーしても!」

自分を見下ろすゼロスの強い口調に、は心の底から溜息を吐いた。

目の前には白い高級そうな箱が1つ。―――その中身が、の頭痛の種でもある。

昨日の事。

晩餐会前日にメルトキオに戻ってきた2人であるが、そこでは新たな問題が浮上していた。

それは、ヒルダ姫主催の晩餐会に女性同伴という条件が掲げられている事。

そしてゼロスが言った一言が、事の始まりだった。

「んじゃ、俺様のパートナーはで良いや」

「ちょっと待ちなさい」

あっさりと告げられた言葉に、当然ながらは口を挟む。

「何で私がパートナーなの?」

「何よ。俺様のエスコートじゃ気に入らないわけ?」

「そういう問題じゃないわよ。あんた私に、ドレス着ていけって言うつもり?」

「そらまー、晩餐会だし?ドレス以外に何着るつもりなのよ」

「護衛がドレス着てパーティに出てどうすんのよ・・・」

こちらが間違った事を言っていると思わせるほど、当然だろと言わんばかりの表情を浮かべるゼロスに、は思わず痛む頭を抱えた。

だって女性同伴って書いてあるしちょーど良いじゃんと笑うゼロスに、は他の女性を誘えと即座に言い返す。

「そんじゃー、ちゃんはどうすんの?」

「普通に正装して、付いて行くわよ」

「それじゃー、つまんねぇじゃん!俺様ちゃんのドレス姿見たいし!!」

子供のように唇を尖らせ力説するゼロスに、は更に深く溜息をつく。

ドレスを着てたら剣を携帯できないでしょうとか、あんたの取り巻きにこれ以上恨みを買うのはごめんなのよとか、色々言いたいことは山ほどあったけれど、言ったら言ったでちゃん魔法使えるし剣無くても平気でしょ〜とか、簡単に返されるんだろうなと思うと言い返す気にもなれない。

それよりも何よりも・・・―――はチラリとゼロスを睨みつける。

いいだろ〜と駄々を捏ねるゼロスを見て、諦めの溜息を吐いた。

は、どうにもゼロスのおねだりに弱いのだ。―――それも時と場合、そしてその内容にもよるけれど。

結局はゼロスに押し切られる結果となり、そして現在に至る。

律儀にもちゃんと用意された自分の衣装を見て、げんなりとした表情を浮かべる

彼女らしくなく最後の悪あがきとばかりに抵抗してみたけれど、それは全くの徒労に終わった。

「こんな姿、クラトス達には絶対に見せられないわね・・・」

鏡に映ったドレス姿の自分を見て、は憂鬱そうに呟く。

そうして晩餐会は、その幕を開けた。

 

 

「おいおいおい、大丈夫かよ〜・・・」

「今、話し掛けないで」

頭上から掛けられた声に、は眉間に皺を寄せたまま小さく声を返す。

夜の闇が一層色を濃くした頃、漸く2人は晩餐会から解放された。

現在は、会場の熱気と人の多さ・・・そして女性たちから香る強い香水の匂いが原因で酷い頭痛に悩まされていた。

香水が嫌いという訳ではないが、それも限度がある。

それに加えて、今まで物静かであまり存在感を感じさせなかった天使たちに囲まれて暮らしてきたにとっては、限定された広さに密集した人の多さは苦痛を感じさせた。

早い話が、匂いと人に酔ってしまったのだ。

「あー、ちょっとマシになってきたかも」

「そりゃ、良かったな。つーか、って意外に繊細だったんだ」

「意外は余計だ」

軽口を叩くほどの余裕が出てきたことに、ゼロスは内心安堵する。―――それほどまでに、先ほどまでのは顔色が悪かったのだ。

サクと、雪を踏む音だけが響く。

吐き出した息は白く、それはあっという間に空気に溶けていった。

肌を刺すような冷たい空気を感じつつ、ゼロスは微かに表情を緩める。

嫌な思い出が、あった。

思い出したくも無いそれは、けれど執拗に彼の心の中に残っている。

今日とて本当は外になど出たくも無かったのに・・・―――チラリと横目でを見やって、ゼロスは白い息と共に小さく笑った。

「俺様さー、思ったんだけど・・・って、?」

口を開いたゼロスは、しかし隣を歩いていたの姿が無い事に気付いて足を止めた。

慌てて振り返ると、少し離れた場所に立ち止まり鋭い視線でゆっくりと辺りに神経を張り巡らせている。

「・・・どーした?」

「静かに!」

視線と同様の鋭い声に、ゼロスは思わず口を噤む。

なんなんだと首を傾げたその時、はゆっくりとした足取りでゼロスに近づき小さな声で言った。

「誰かいる」

短く告げられた言葉と張り詰めるような場の空気に、事態を飲み込んだゼロスは腰に差していた剣に手を伸ばす。

「1、2、3・・・・・・6人か」

気配を読んで人数を探っていたが、げんなりとした表情を浮かべた。

「うわ、多いし・・・」

「ま、神子様暗殺しようってんだから、それくらいは揃えるでしょ。寧ろ少ないくらいじゃないの?」

「ちゃんと装備してる時なら、構わないんだけどね」

言葉の通り、今のは武器を持っていない。

確かに魔術は使えるが、相手の攻撃を防御する何かがないのは不安が残る。

「今更言っても仕方ないでしょ」

「ま、確かに」

2人揃って笑みを零したと同時に、黒い動きやすそうな服に身を包んだ男たちが、家の影やら茂みの中から一斉に姿を現す。

それと同時に、はあらかじめ唱えていた呪文を解き放った。

「ファイアーボール!」

力ある声に火の玉が出現すると、暗殺者の1人に向かってヒットする。

「まずは1人」

呟いて、先ほどファイアーボールが命中した男に向かい駆け出す。―――その間にも素早く呪文を唱え、暗殺者の元に辿り着き男の帯刀していた剣を掠め取ると、振り向き様に唱え終わった呪文を発動させた。

「ウィンドカッター!」

鋭い風が、標的となった男の身体を切り刻む。

「2人目」

素早く剣を構えて、暗殺者から振り下ろされた剣を受け止めつつ、更に呪文を唱える。

街中であるが故に、大技を使う事は出来ない。―――手っ取り早く魔術で一発といきたいところだけどと考えながら、遠慮なく振り下ろされる剣を受け止め払った。

「グレイブ!」

それと同時に呪文を解き放ち、離れたところにいた暗殺者を片付ける。

「3人目、と」

チラリとゼロスの様子を窺えば、あちらも既に2人を片付け終えているようだ。

護衛の対象が武術の心得のある人間で良かったと思いながら、最後の1人である目の前の男を片付けようと剣の柄を強く握り締め、反撃の態勢に入った。―――その時、踏みしめた足がズルリと滑り、は体勢を崩す。

「・・・なっ!」

今履いている靴が、いつも履いているしっかりとしたブーツではなく華奢なハイヒールだった事と、足元の雪が人の往来によって溶けかかっていることが災いした。

その隙を見逃す筈も無く、暗殺者はに向かい剣を振り下ろす。

それを倒れざまに身体を捻る事で避けようとするが、やはり完全には避けきることなど出来ず、一拍の後に鋭い痛みが左手を襲った。

パタパタと、赤い鮮血が白い雪の上に落ちる。

!!」

「・・・このっ!」

ゼロスの自分を呼ぶ声を他人事のように聞きながら、は渾身の力を込めて剣を暗殺者に向けて突き出す。

確かな手ごたえと共に、男は呻き声を上げて力なくその場に伏した。

それを認めて、は大きく息を吐き出し振り返る。―――大丈夫だとゼロスに微笑みかけようとしたその時、彼の背後でよろよろとよろめきながら立ち上がる黒い影がの目に映った。

「ゼロス!!」

名前を呼んで弾かれたように駆け出すが、当の本人であるゼロスは呆然とを見詰めるばかりでピクリとも動く様子が無い。

間に合うか!?

身を低くして、構えた剣を突き出す。

「・・・ぐっ!」

呻き声と共に崩れ落ちる音。

それを見詰めながら、荒い息の合い間には安堵の息を吐き出した。

「ちょっとゼロス、どうかした?どこか怪我でも・・・?」

「・・・・・・」

肩で息をしつつ声を掛けるが、何の反応も返ってこない。

「・・・ゼロス?」

訝しげに見上げたは、ゼロスの視線が自分の腕に注がれているのに気付いた。

左腕を裂くようについた傷。―――右腕でなくて良かったなどとは思ったけれど、その怪我はお世辞にも軽いとは言えるものではない。

今も血は止まる事無く腕を伝い流れ、白い雪を鮮やかな赤に染めている。

「・・・・・・ゼロス」

ゼロスは無言のままの左腕に手を伸ばし、しかしそれに触れる直前で手を止めると、が思わずハッとするほどに表情を歪めた。

しまった・・・と、は心の中で悔やんだ。

ゼロスの過去は承知済みだ。―――彼が心に負った傷も、それがまだ癒えていない事も。

皮肉にも、自分の血が、彼の忌まわしい記憶を呼び起こしてしまったのだと。

「大丈夫よ」

静かな声で・・・―――けれど強い力を込めて、は言った。

「大丈夫。これくらいで、私は死なないから」

言葉を紡ぐけれど、ゼロスは今にも泣き出しそうな表情のまま、の腕を見詰めている。

そんなゼロスを見て、も悲しげに眉を寄せた。

「神子である事が、そんなにも貴方にとっては不幸な事なの?」

の言葉に、ゼロスがピクリと反応を示す。

聞かなくとも、解っている。―――ゼロスにとっては、『神子である事』が何よりも苦痛なのだという事を。

それでも。

「だけどね。神子である自分を苦しめているのは、他でもない貴方自身なんじゃないの?」

「・・・・・・」

「神子である事に一番囚われているのは、誰よりも貴方自身なんじゃないの?」

「・・・っ!お前に何が解るってんだよ!!」

ゼロスが、唐突に声を荒げ叫んだ。

向けられる鋭い視線に、けれどはゼロスを見据えて一言。

「誰も、貴方の気持ちなんて解らないわ」

それは、とても冷たい響きを持つ言葉。

けれどそれを気にも止めず、は言葉を続ける。

「誰も、他人の気持ちを本当に理解する事なんて出来ない。神子である苦しみは、神子である貴方にしか解らない」

「・・・・・・」

「だけど、理解しようとする事はできる」

「・・・

「歩み寄る事は、きっと出来る筈よ」

それは、希望。

願いを込めた言葉。

俯いたゼロスの表情を、彼の長い髪が隠す。―――けれど彼よりも背の低いには、ゼロスの表情が余す事無く見えた。

はゼロスの頬に手を伸ばし、柔らかく微笑む。

「少し・・・少しだけで良いから、自分をちゃんと見てあげて。己を責め続けるだけでなく、許してあげて。・・・世界の全てが綺麗だとは言わないけれど、全てが貴方を拒絶するほど、世界は貴方に冷たくはないから」

「・・・・・・」

「本当の貴方を受け入れてくれる人は、きっといる。ありのままの貴方を愛してくれる人は、きっといるわ」

ゼロスは微かに顔を上げて、自嘲気味に笑う。

「・・・んなの、いるかよ」

掠れた声で吐き出された言葉は、少し震えていて。

そんなゼロスに、は楽しげに笑った。

「いるわよ。現にしいなは、神子ではなく貴方本人を見ているでしょう?」

脳裏に浮かんだ、元気の良い少女。

彼女は確かに、ゼロスを1人の人間として見ている。

思わず黙り込んだゼロスに、は頬に添えた手で唐突に彼の頬を掴み引っ張った。

「いっ!何すんだよ!」

勢い良く振り払われた手を見詰め、はにっこりと笑みを浮かべる。

「痛かった?」

「当たり前だろ!!」

「じゃあ、泣きなさい」

キッパリと躊躇い無く告げられた言葉に、ゼロスは思わず目を見開いた。

「痛かったんでしょう?なら、泣きなさい」

の声が、ゼロスの頭の中で響く。

とても、聞き覚えのある言葉だった。

辛い事があった時、必ず脳裏に甦る言葉。

幼い頃、もう顔すらも覚えていない女性から告げられた言葉。

狐に摘まれたような顔をするゼロスに、は再び手を伸ばした。

先ほどと同じように、頬を摘む。―――けれど先ほどよりも、その手は優しく感じられる。

「ここには私しかいない。黙っててあげるから」

「・・・・・・」

「我慢なんて、今の貴方には必要ないわ」

掛けられる、優しい声。

向けられる笑みは、とても温かく柔らかで。

「・・・なんだよ、それ」

ゼロスは一言呟くと、の肩に頭を乗せて小さく笑みを零した。

出逢って、まだ半年余り。

それなのに、どうしてこんなにも懐かしく感じるのか。

どうしてその言葉を、彼女が口にするのか。

どうして。

どうして、自分が泣きたいと思っていると解ったんだろう。

フワリと抱きしめられ、ゼロスの目から雫が零れ落ちた。

ずっと欲しかった温もり。

自分には、縁が無いものだと思っていたというのに。

「俺さ、思ったんだけど・・・」

先ほど言おうと思っていた言葉を思い出す。

さっきよりも強く、そう心の中で思いながら。

がいて、よかった」

搾り出した言葉に、返事は返ってこない。

ただ優しく、背中を叩く手がある。

がいて、よかった。

自分を受け入れてくれる温かい手が、すぐ側に存在する事をゼロスは知った。

「いつか・・・」

は躊躇いがちに口を開く。

「いつか・・・貴方は私を憎むかもしれない。私を・・・恨むかもしれない。私の存在すら、疎ましく思うかも」

「・・・・・・?」

「だけど、それまでは・・・貴方の側にいさせてね。その日が来るまでは・・・どうか」

「・・・ああ」

ゼロスには、の言った言葉の意味は解らなかったけれど。

冷たい空気の中。―――2人はお互いの温もりを感じ、目を閉じた。

そんな日が来なければ良いと、それだけを願いながら。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

今回は(っていうか今回も?)シリアスです。

最初の方でギャグっぽくしたいと思ったんですけども。

予定としては、次回はギャグで行きたいと思ってます。

そして今回はちょい役だったしいなも、次回では活躍させたいと。

なんかこの話、どうコメントして良いやら・・・(笑)

作成日 2004.10.17

更新日 2007.9.22

 

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