季節は巡り、寒い冬が過ぎ去り再び暖かい季節を迎えた頃。

とゼロスは、バカンス先のアルタミラからメルトキオへと戻ってきた。

そこでは、何時もの日常が彼女たちを待っている。

そんな日常の中。

それは、起こった。

 

生活需品

 

アルタミラとは違う柔らかい日差しを浴びながら、は広場に設置されたベンチに座り目の前の光景をぼんやりと眺めていた。

それはメルトキオではさして珍しくも無い光景。

それどころか、何処へ行っても当たり前に見られる光景に違いない。

簡潔に言うならば、ゼロスが取り巻きの少女たちに囲まれているのだけれど。

それを眺めながら、は小さく溜息を吐いた。

別にゼロスが誰に囲まれていてもどうでも良いのだが、どうして自分がこの場に付き合わなければならないのか。―――それは彼女がゼロスの護衛だからなのだと自身も自覚しているが、それでもやはり思わずにはいられない。

少しばかりは日光浴も気持ちの良いものだが、長時間続けばいい加減暇を持て余してしまう。

が毎日鍛えたお陰もあり、ゼロスの剣の腕はそれほど悪いわけではない。

そもそもこんな真昼間からこんな人気の多い場所で暗殺なんて事もないだろうし、さっさと帰ってしまおうかとも思うのだけれど。

視線の先で少女たちに囲まれていたゼロスが、の様子をチラリと窺った。―――バッチリ目が合うと、ゼロスは少女たちに向けていた笑顔とは種類の違う笑みを表情に浮かべてはにかむ。

それを目に映して、も苦笑交じりの笑みを送る。

あの暗殺者襲撃の一件以来、ゼロスはに心を許すようになっていた。

他人とは一線を引き、決して心を見せる事の無いゼロスが、にだけは弱い部分も脆い部分も少しづつ見せるようになって来ている。

どうして自分には気を許してくれているのかは不思議に思ったけれど、それが嬉しいと思う事は疑い様も無い事実であり、だからこそ余計にゼロスに対して甘くなってしまう事もはしっかりと自覚していた。

仕方ないわね。

心の中でひっそりと呟いて、呆れ混じりに小さく笑う。

既に日常となったそれが、にとって何よりも心地の良いものになっていた。

「何、笑ってんだい?」

不意に背後から声が掛けられ、振り返ったそこには笑顔を浮かべたしいなが不思議そうにを見て首を傾げている。

「別に大した事じゃないわよ。ただ・・・飽きないなぁと思ってね」

「ああ・・・あのアホ神子か・・・」

の言葉に、しいなはげんなりとした表情で呟く。

それを見て思わずクスクスと笑みを零したを、しいなは憮然とした表情で見返したが、あえて何も言わずに溜息を零すと再び視線を前方に戻した。

「あんたもあのアホ神子のお守なんて、大変だねぇ」

「ま、それが仕事ですから」

軽く言葉を返すに、しいなは楽しそうに笑う。―――がゼロスの側にいるのは、決して『仕事』だからという理由だけではない事を、しいなは知っていた。

それでもそんな風にしか言えないが、不器用で可愛く思える。

「それよりもさ。ちょっとあたしに付き合ってくれないかい?」

そんなを優しく見詰めながら、しいなは当初の目的を切り出した。

「付き合うって、何処に?」

「精霊研究所だよ。もう一回、あんたに会いたいってさ」

「・・・精霊研究所ねぇ」

しいなの申し出に、は困ったような表情で言葉を繰り返す。

以前ゼロスと共にしいなに会いに研究所へ行った時、召喚士ではないがいとも簡単に精霊を手なずけた事があり、何故なのかと問い詰められた事がある。

何故なのかと問われれば、にも答えようがないのだけれど・・・―――直接精霊に聞いてみろと言っても、そんな事が叶う筈も無い。

その後何度か研究に協力してくれと申し出があったのだが、まるで実験体を見るような研究者たちの目は、お世辞にも心地良いとは言えなかった。

その時ばかりは、神子であるゼロスの権限をありがたく思ったという事は余談だけれど。

あまり乗り気ではないの様子に、しいなは懇願するように手を合わせた。

「頼む!変な事は絶対にさせないからさ!!」

しいなの言葉に、は困ったように空を仰ぐ。

精霊を手なずけたとは言っても、契約が結べるわけではないのだ。―――はしいなのように召喚士ではない。

そもそも手なずけるとは言っても、通常ならば人を毛嫌いする精霊がには敵意を向けなかった程度の物。

それだけで一体何の研究をするのか、不思議に思うところなのだが・・・。

「ホントに、ちょっとだけだから!」

「・・・解った。本当にちょっとだけだからね」

更に言葉を続けるしいなに、が折れた。

ゼロス同様、はこの少女相手にもどうにも強く出ることが出来ない。

そこまで2人を気に入ってしまったという事が原因なのだけれど、それ自体には自分自身驚いていた。

そんな相手が、あの4人以外で出来るとは思わなかった。

脳裏に浮かぶ懐かしい顔に、は淋しげな笑みを浮かべる。

あの頃の、あの仲間たちは、今彼女の側にはいない。

たった1人を除いてはすぐ近くにいたけれど、あの頃と比べて心は遠くに行ってしまった。

それが永き時を生きるという意味ならば。

自分は長く生きられなくとも良かったと、はぼんやりとそう思う。

「さ、それじゃあ行こう!」

「今から!?」

唐突に現実に引き戻され、ついでにしいなに手を引かれて、は思わず声を上げた。

あんたの気が変わらない内にねと呟かれ、一度承諾したのだから撤回はしないと思いつつもは重い腰を上げる。

「そうだ。あのアホ神子はどうする?」

「ま、放っておいても平気でしょ。今はお取り込み中だし・・・あの中に割り込んで恨みを買うのはごめんだわ」

「・・・確かに」

ボソリと呟いたに釣られて、しいなも深く頷く。

「あっれ〜?2人共、俺様置いて何処行くつもりよ〜!」

出来る限り見つからないようこの場を去ろうとした2人ではあったが、目ざといゼロスにあっさりと見つかってしまった。―――それと同時に、鋭い視線が2人に注がれる。

「ちょっと実験体になりにね」

!人聞きの悪い事言わないどくれよ!!」

即座に返って来たしいなの抗議の声に、は茶化したように肩を竦めて見せる。

そんな2人を交互に見やり、ゼロスは側にいた少女の手から逃れてにへらと笑った。

「んじゃ〜、俺様もついてってやるよ」

言葉と共に向けられた笑顔・・・けれどその目が笑っていない事に、しいなは気付く。

ある一時期を経て、ゼロスがにより一層の執着を見せ始めたことを、しいなはしっかりと感じ取っている。

ゼロスのそんな視線を受け、しいなは原因を作ったを恨めしげに睨む。―――勿論そんなしいなの視線に気付いているは、あっさりとそれを流した。

「ゼロス様ぁ!もう行かれるのですか!?」

「もっと私たちとお喋りを致しませんこと?」

「ワリィな、ハニーたち」

追いすがる少女たちに麗しい笑みを浮かべて、けれどゼロスはキッパリとその申し出を断る。―――その不満の矛先は、すべてに向けられた。

「ちょっと貴女!」

「・・・なんでしょう?」

「たかが護衛の分際で、ゼロス様を引っ張りまわすとはどういう了見ですか?」

「・・・そう言われましても」

食いつく少女たちに、は勤めて笑顔で返す。

いつもならばこんなにあからさまに・・・しかもゼロスの前で嫌味を言う事など無いのだが、余程普段からに対し据えかねる想いがあるのだろう。

俺様を巡って争うのは止めてくれとか、モテる男は辛いねぇなどとのたまうゼロスを横目でこっそりと睨みつけて、けれどは終始笑顔を絶やさない。

こういう相手は言い返すと更に激昂する。―――やり過ごす一番の方法は、ただ聞き流す事だけだとは思っていた。

事実、いつもならばそれでやり過ごせていた。

一通り文句を言い終わった少女たちは、最後にを睨みつけてその場を去って行くのだ。

けれど、今日はほんの少し様子が違っていた事には漸く気付く。

何時もはゼロスの前では暴言を口にしない少女たちが、今日それをした事自体が何時もと違っていたというのに。

「へらへらと笑って!ちゃんと聞いてますの!?」

少女の1人が、金切り声と共にを突き飛ばした。

突然の衝撃にふらふらと一歩二歩後退したは、突然無くなった足場に思わず目を見開く。―――自分の後方に階段があるということをすっかりと失念していたのだ。

グラリと揺れた視界に現状を素早く把握したは、もう片方の足をしっかりと地面に付き、体勢を整える。

しかし慌てたのはだけではなかった。

その光景を見ていたゼロスが、何時もの冷静さを忘れ、咄嗟に思わず手を伸ばす。

しっかりと掴んだの腕に安堵したのも束の間、無理な体勢のゼロスは重力に従い倒れようとするに引かれて、階段から足を踏み外した。

「げっ!」

「うそ!!」

お互い短く声を上げて、そのまま宙に投げ出された。

咄嗟に防衛本能が作動しての背から羽が出そうになり、我に返ってそれを抑える。

それと同時に自分の上に圧し掛かってくるゼロスの身体には身動きが取れず、また受身も取れぬまま長い階段をゼロスと共に転げ落ちた。

!ゼロス!!」

階段の上から届くしいなの悲鳴を最後に、の意識はぷっつりと途切れた。

 

 

ぼそぼそと耳に届く声に、は薄っすらと目を開けた。

映ったのは自分を心配げに覗き込む赤毛の青年と黒髪の少女の顔。―――そしてその合い間から見える、真っ白な天井。

!」

「・・・良かったぁ〜」

名前を呼ばれ、安堵したように胸を撫で下ろすしいなをぼんやりと見上げ、はゆっくりと瞬きを繰り返す。

そうして額に乗っていたタオルを片手で抑えながら、緩慢な動作で身を起こした。

「もう大丈夫なのかい!?」

「ったくよ〜、あんま心配させんなよな」

「何言ってんだい!そもそもあんたが余計な事するから!!」

「なんだと〜!?俺様はを助けようと思ってだな!!」

「逆に助けられたのは、何処の誰だっけ?」

「うっ!!」

しいなの言葉に、ゼロスは言葉を詰まらせて視線を泳がせる。

階段を転げ落ちたゼロスが無傷に近かったのは、彼の下敷きになったが咄嗟に彼を庇ったからだ。―――それはつまり、が意識を失うほどの怪我をしてしまったのは、自分が原因だとゼロスは自覚していた。

言い返す言葉もなく口を濁していたゼロスは、漸くの反応が無い事に気付いて先ほどと同じように彼女の顔を覗き込む。

「どうした?どっか痛いとこでもあんのか?」

は心配げな色を浮かべるゼロスの目を見やり、そうしてゆっくりとした動作で部屋の中を見回すと微かに首を傾げた。

「・・・聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

即座に返って来た言葉に、は再びゼロスに視線を戻すと、一呼吸間を置いてから淡々とした口調で言った。

「貴方たちは誰で、ここは何処で、ついでに私は誰なのかしら?」

「「・・・・・・は!?」」

呆気に取られたように声を上げるゼロスとしいなに向かい、は動じた様子もなく更に衝撃的な言葉を告げる。

「何も思い出せないのだけれど・・・」

「何もって・・・」

釣られて呟いたしいなは、呆然と立ち尽くすゼロスの様子をチラリと窺いながら、まさかと小さく呟く。

「もしかして・・・」

「記憶喪失・・・とか?」

「・・・・・・マジかよ」

思わず頭を抱えたゼロスなど気にした様子なく、当の本人であるは呑気に1つあくびをした。

 

 

「・・・とまぁ、そういうわけなんだけど・・・・・・解った?」

「大体は」

短く返事を返して、は紅茶を一口啜る。

その後小さく息を吐き出して、不安げな様子のゼロスに微笑みかけた。

「とりあえず、私は貴方の護衛で、貴方はテセアラの神子で、私はここに住んでいるのよね」

「ああ」

「私の名前はで、貴方の名前はゼロスで、そっちの女の子の名前はしいな」

「そうだよ」

「うん、大丈夫。大体は覚えたから」

事も無げに言い放つに、事が事なのだけれどいまいち深刻になれずにいたゼロスとしいなはお互い顔を見合わせて溜息をつく。

記憶喪失らしき症状を見せるだが、けれど大体の世界の構造などはしっかりと覚えていた。―――忘れているのは、自分を含める人間関係だけ。

どんな症状だよとゼロスは内心毒づくけれど、生憎と自分は記憶喪失になったことは無いので、こんなものなのかもしれないと思う。

実際、世界の構造など一から説明する手間が省けただけ良かったのかもしれない。

ただゼロスには、1つだけ心配事があった。

それはの、自分に対する態度だ。

他の人々と同様の態度を、彼女に取られたら・・・―――気を許していた分、それは他の人々にされるよりも衝撃的だろう。

「ま、とりあえずは生活に支障は無さそうね」

ポツリと呟くに視線を向けると、彼女はゼロスに向かいにっこりと微笑んだ。

「全然覚えてないけど、貴方が覚えてるんだから構わないわよね。これからもよろしくお願いするわ、ゼロス」

「・・・・・・」

にっこりと浮かべた笑みの温かさに、ゼロスは絶句した。―――記憶を失っている筈だというのに、から向けられる微笑みは以前と変わらず優しさを帯びている。

そこには羨望も、嫉妬も、何もない。

本当に記憶を失っているのかと問い掛けたいほど、何の変化もない。

「・・・あ、ああ」

戸惑いつつも承諾したゼロスに、は笑みを深くする。

「そうは言っても、記憶が無いって不安だろう?自分が誰かも解らないなんて・・・」

「・・・不安?」

しいなの労わるような視線を受け、は笑みを消し眉間に皺を寄せた。

それから1つ大きく溜息を吐き出して、困ったように天井を見上げる。―――そんな仕草さえ、記憶を失う以前と変わっていない事に、ゼロスとしいなは苦笑した。

「こんなことを言うと、ちょっと可笑しいかもしれないけど・・・実はあんまり不安とか感じてないのよね」

ポツリと呟くような声色で、は言った。

「どうしてかしら?普通、自分のことが解らなかったら、不安に思うものよね?」

逆に問い返されて、2人は戸惑う。

「いや、俺様は記憶喪失になったことないから解んねぇけど・・・」

「そうか。そうよね」

ゼロスが控えめに返すと、納得したとばかりには1つ頷いた。

別に取り乱したところを見たいと思っているわけではないが、こうもあっさりとした態度を見せられると、どう反応して良いか対応に困る。

それとも不安を見せないようにしているだけだろうか?―――思えば2人は、今までが慌てた姿など一度も見たことが無い。

それでもやはり、今のが自分を偽っているようには見えなくて・・・。

「もしかしたら・・・」

考え込んでいたがポツリと呟く。―――それにしいなが、食い入るようにベットに身を乗り出した。

「なんだい!?」

「もしかしたら・・・忘れたかったのかも知れない」

「・・・は?」

主語無く飛び出したの言葉に、ゼロスとしいなは揃って声を上げる。

そんな2人に気付いていないのか、は淡々と言葉を続けた。

「忘れたいと・・・そう願っていたから、記憶を失っても不安に感じないのかもしれない」

憂い顔で独り言のように呟くを見て、2人は何も言えなかった。

その時漸く、ゼロスは思い出す。

がゼロスの護衛となって1年弱。

彼女が今まで何をしてきたのか。

そしてどうしてゼロスの護衛となったのか。―――彼女の過去どころか、生まれも育ちも出身地さえ何も知らないという事を。

「ま、俺様の護衛になるくらいなんだから、何かしら資料は残ってるだろーよ。ちゃーんとちゃんの素性は調べといてやるから」

普段の明るい口調でそう言ったゼロスに、は小さく微笑みかけた。

素性を知って・・・そうすれば己の過去を思い出すだろうか?

そうして、私はそれを望んでいるのだろうか?

心の内で葛藤しつつも、はただ微笑み続けた。

 

 

その後・・・の素性を調べようとしたゼロスが、けれど彼女について何の情報も得られなかったというのは、数日後の話。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

どんな展開だと、思わず突っ込みを入れたくなる話。

ヒロイン、記憶喪失です。―――しかも階段から落下というお約束な(笑)

今後のことを考えると、ヒロインがクルシスでの事を知ってるとちょっとなぁ〜とか思って、じゃあいっその事記憶喪失にでもするかと・・・(するかじゃない)

そう思うんなら、最初からクルシスの天使設定にするなというツッコミは無しの方向で。

作成日 2004.10.18

更新日 2007.9.29

 

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