ふとした瞬間に見せる表情が。

いつもとは違う、その顔が。

その人の本当の姿なんじゃないかと、俺はそう思った。

 

れた日に中庭で

 

弁当を食い終わって、俺は手持ち無沙汰に教室を出た。

イライラする。

無性にイライラした。―――やり場のないそれが、ただグルグルと胸の中に渦巻く。

数日前にあった新人戦で、俺は負けた。

言い訳をするつもりはねぇ、俺の努力不足だ。

体力が最後まで持たなかったのも。

相手の球を拾えなかったのも。

何処に打っても、決められなかったのも。

全部、俺の努力不足だ。

それは解っていた。

なら、後は努力するしかねぇだろ?

そう思って、朝のランニングの距離を増やして、体力をつけようと思った。

どんな球にも食らいついて、絶対に諦めない根性を身に付けようと。

そうやってやる事を決めて、それを実践してるってのに、俺のイライラは新人戦以来収まることがなかった。―――寧ろイライラは増していた。

何でなのかなんて考えるまでもねぇ。

その理由は、俺自身が一番良く解っている。

だがそれが解っていても、俺はどうしていいのか解らなかった。―――だから余計にイライラした。

特に当てもなくブラブラと歩き回る。

トレーニングをしようかとも思ったが、それをするだけの時間は残ってねぇ。

大きく溜息を吐き出して・・・それと一緒に、このイライラも吐き出せたら良いと思った。

校舎を出て中庭に向かう。

暖かい日差しが降り注ぐそこは、ぽかぽかとして気持ちが良い。

しばらくここで時間を潰そうかとベンチの方へと歩き出したその時、ある光景が目に飛び込んできた。

並んだベンチから少しだけ奥まった場所。

大きな木の影。―――人目につきにくいそこに、木を背にして座り込んで手紙を読む女子。

見覚えのあるそいつは、ちょっと前に転入してきた乾先輩の幼馴染の先輩だ。

こっちの言い分なんて聞きもしないで、人の名前をチャン付けで呼び捨てしたり。

自分の名前を呼ぶように強制したり、強引でマイペースな先輩だ。

別に嫌いな訳じゃねぇし、いつも部活で構われるのも嫌だと思ってる訳じゃねぇが、今はあの人の明るい声なんて聞きたい気分じゃなかった俺は、見つからないうちにとその場を去ろうとした。―――去ろうとしたんだ。

だが・・・ふと目に映った先輩の表情が、俺の足を止めさせた。

いつも浮かべてる笑顔はない。

それとは正反対に、眉間に皺を寄せて顔を強張らせている。

それから小さく溜息を吐くと、顔を歪ませて小さく笑った。

その顔は妙に大人びていて。

寧ろ、何かを悟りきったような・・・諦めているような顔で。

いつもとは違う泣き出しそうな笑みに、俺は釘付けになった。

なんて顔してんだ・・・。

思わず声をかけそうになって、思わず口を噤む。

まるで別人のようだと、俺は思った。

同じ顔した偽物なんじゃないかと思えるほど、先輩はいつもの先輩じゃなかった。

不意に先輩が顔を上げる。―――身動き出来ずに立ち竦む俺を見つけて、驚いたように目を見開いた。

「薫ちゃん?」

俺の名前を呼んで、さっきまで読んでた手紙を封筒にしまう。

「どうしたの?」

掛けられた声はいつもと同じように明るくて、向けられた笑顔はいつもと同じように優しい。―――それに安心したのか、俺の身体は漸く動きを取り戻した。

・・・安心した?

何で俺が安心する必要があるってんだ?

それじゃあ、まるで俺が先輩の事を心配してたみたいじゃねぇか。

ふん、馬鹿らしい。

小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた俺に、先輩が苦笑を浮かべる。

それすらもいつも通りで、俺はさっきのもやもやが消えていくのを感じた。

「ねぇ、暇ならこっちおいでよ。ここ風が通って気持ち良いから」

小さく手招きをされて、俺は仕方なく先輩の方へ近づいた。

一応、相手は先輩だしな。―――無視するわけにもいかねぇ。

「ほら、ここに座って!」

ポンポンと自分の隣を叩いて、にっこりと笑う。

促されるままに座り込んで、俺はチラリと先輩の顔を窺った。

もうそこには、さっき見た翳りのようなものはない。

そのまま視線を、先輩の膝の上に置いてある手紙に移した。

「・・・それ」

「ああ、これ?」

ちょっとばかり躊躇いがちに声をかけると、先輩は膝の上にあった手紙を持ち上げて小さく笑う。

はい・・・っていともあっさりと手渡されて、俺は逆に困惑した。

渡されたって事は、読めって事か?

そう思って手の中にある手紙に視線を落とす。―――それから思わず言葉を失った。

封筒に書かれてたのは、日本語じゃなかった。

多分、英語。―――しかもかなり達筆な。

封筒から便箋を取り出す。

そこに書かれてあったのも、日本語じゃなくて英語だった。

俺はどちらかというと英語は得意な方だが、流石にこれは読めねぇ。

それでもジッとその英語の羅列を睨みつけてると、隣でクスクスと笑い声が聞こえた。

思わず先輩を睨みつける。

俺が読めねぇって解ってて、わざわざ手紙を渡したんだ。

先輩はこういうところは意地が悪い。―――俺だけじゃなくて、いつも菊丸先輩とか桃城の馬鹿がからかわれてる。

「ごめんごめん」

睨みつけた俺に怯んだ様子もなく、先輩は俺の手から便箋を取り上げた。

俺が睨みつけてもビビらねぇ女子は、先輩くらいだ。―――女子だけじゃなくて、男子でもビビらねぇやつは珍しいくらいだから、よっぽど先輩は変わってるんだろう。

「・・・友だちからっスか?」

普段は気にもしねぇってのに、俺は何故かそう問い掛けていた。

それはやっぱり、あの先輩の表情が気になったからだろうか?

きっとそれは、俺の読めねぇ手紙の内容が関係してるんだろう。

先輩はアメリカに留学してたっていうし、きっとその手紙もアメリカの友だちからのものなんだと俺は妥当な推測を立てた。

だが先輩は軽い調子で首を横に振る。

「ん〜ん、違う違う」

俺の手から取り上げた便箋を、丁寧に封筒にしまう。

それから封筒に書かれた英語をなぞりながら、先輩は小さく微笑んだ。

「この手紙はね、両親からなの」

「・・・両親から?」

「そう。今2人共イギリスにいるから」

あっさりとなんでもないことのように、サラリと告げられた。

「仕事の都合でね。ほとんどそっちにいるんだよ」

そういえば・・・と、乾先輩が言ってた言葉を思い出す。

先輩の親は仕事で忙しくて、ほとんど家に帰ってこないとか・・・。

まさかイギリスにいるとは思いもしなかったが。

「日本人なんだから、日本人相手に手紙を書くときぐらい日本語使えば良いのにね。きっと癖になってるんだろうね」

まるで遠くを見るような目で、先輩はポツリと呟いた。

「・・・なんて?」

「はい?」

「なんて書いてあったんスか?」

普通に考えたら、手紙の内容なんて聞くもんじゃねぇけど。

やっぱりさっきの先輩の表情が、妙に気になったから。

「何って・・・普通だよ。元気でやってるか〜とか、学校はどうだ〜とか」

「・・・・・・そうですか」

「まぁ、今更って感じだけど」

そう呟いた先輩の顔は、いつもとは違ってどこか悲しげで。

だからやっぱり気になった。

そうは言っても、それ以上聞く何てこと出来る筈もねぇ。

だから俺は、もう一回『そうですか』って相槌を打った。

近況を聞かれただけで、あんな顔する訳がないことくらい俺だって解った。

だけど先輩との付き合いが浅い俺には、その理由なんて解る筈もなくて。

そうじゃなくても、きっと先輩の心情を読み取るなんて無理そうだが。

それでもきっと、乾先輩なら簡単に先輩の心情を察する事ができるんだろうと思うと、それはそれでちょっとだけムカついた。

「それよりもさ、薫ちゃん。この間の新人戦のことなんだけど・・・」

いきなり話題を変えられて、俺は吃驚して先輩を見た。

先輩は手紙の事なんて忘れたみてぇに、さっきまで浮かべてた悲しげな表情を消して真剣な顔で俺を見ている。

「不躾であれなんだけどさ。ちょっと思うところがあるんだよ」

「・・・なんスか?」

「薫ちゃんは、何で新人戦で負けたと思う?」

直球で投げかけられた言葉に、俺は絶句した。

今までの話と全然違うっていうことに対してもそうだが、俺が一番気にしてる事をあっさりと言った先輩に驚く。

「何で負けたか?」

「そう。薫ちゃんは、何でだと思う?」

からかってる様子はねぇ。

真剣そのものの目に、俺は反論する事も出来ねぇで素直に思ったことを口にした。

「体力と・・・持久力と・・・」

「うん」

「ボールに食らい付いて行く根性と・・・」

「うん」

考えながら要因を挙げていく俺に、先輩はただ頷くだけ。

それを眺めながら、俺はずっと思ってたそれを思い出した。

「決め球が・・・」

「ないんだよねぇ」

俺の言葉を継いで、先輩が溜息混じりに呟く。

それに少し腹が立ったが、その通りなんだから仕方ねぇ。

俺にはこれといって決め球がなかった。

だから相手に決定的な打撃を与えることが出来ねぇ。

それが全部じゃないって事は解ってたが、それも原因の一つだって事も確かだ。

「決め球がなくてもね、大丈夫なんだよ。基本的な技術でも人より何倍も磨けば。でもまぁ、それを一般の中学生に望むのはちょっと無茶だしね」

ぼんやりと空を見上げて呟く先輩を、俺はただ見詰める。

一体何が言いてぇんだ、この人は?

そんな事を思っていると、唐突に俺の方を向いてにっこりと微笑んだ。

「そんな薫ちゃんにぴったりの技があるんだけど、いかがですか?」

まるで通販のCMみたいな口調で、にこやかに笑う。

俺にぴったりの技?

「バギーホイップショットって言うんだけど・・・薫ちゃんリーチあるし、結構相性良いと思うんだよね」

そう言って不敵な笑みを浮かべた先輩は、いつも通りでもさっきまでの悲しげな様子でもなくて・・・どこか挑むような、そんな目をしていた。

「どう?やってみない?」

挑発するように言われて、黙っていられるわけがなかった。

俺は言葉じゃなく目でそれを示す。―――すると先輩はにっこりと笑った。

「じゃあ、練習メニュー考えとくから。明日まで待ってくれる?」

「・・・っス」

「持久力をつける為のメニューなら乾に作ってもらいなさい。あいつあれで結構優秀だからさ」

そう言って立ち上がった先輩は、軽く制服についた土を払った。

それと同時に予鈴が鳴る。

「じゃあ、部活でね」

にこやかな笑顔を浮かべながら立ち去る先輩の背中を見送って、俺は言い様のない感情を持て余していた。

いつもの穏やかな顔と。

大人びた、何かを諦めたような顔。

それからさっき見せた、挑むような目。

どれが本物の先輩なんだろうか?

そんな事を考えながら、俺は午後の授業を受ける為に教室に向かった。

どれが本物でも、俺には関係ない。

ただ・・・あんな淋しそうな表情の先輩は見たくないと、そう思った。

なら、俺はその為に出来る事をやろうと思う。

手始めに、先輩の言っていたバギーホイップショットってやつを習得してやる。

そうしたら、先輩はどんな顔をするだろうか?

少しだけ浮き立った気持ちを抱えて、俺は廊下を歩く。

さっき通った時にあったイライラは、もうなかった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

どこか翳りのある主人公って好きです。(聞いてない)

海堂がスネイクを習得したのは新人戦で負けたからなのだと10.5巻に書いてあったので、それにを絡ませて見ました。

これがきっかけで、海堂はにとても懐くようになります。

といったきっかけ話を書きたかったんですが、なんか全然それらしくないなぁ(笑)

作成日 2004.8.1

更新日 2007.9.19

 

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