!!」

楽しそうに笑いながら俺の柔軟を手伝ってくれていた先輩は、突然かけられた声に顔を上げた。

なんだか信じられないという風に目を見開いて。

「・・・ジュリア?」

そう呟いた先輩の声は、今にも消え入りそうなほど弱々しく耳に届いた。

 

神様ヘルプ!!

〜真実と偽り〜

 

「・・・なんでここに?」

に会いに来たのよ。去年の夏以来かしら?」

呆然と目を見開いて立ち尽くす先輩に、その女はにっこりと微笑む。

雰囲気から察するに、アメリカにいた時の友達のようだ。

だけど楽しそうに再会を喜ぶジュリアっていう女とは対照的に、先輩はどこか戸惑っているように見えた。

「何で突然・・・、連絡くらいしてくれれば良かったのに・・・」

「ふふふ、驚くかと思って。大成功だったみたいね」

悪戯っぽく笑って、ジュリアは先輩の頬に軽くキスをする。

そんな日本ではあまり見慣れない仕草をぼんやりと眺めていると、不意に辺りが少し騒がしくなってきた事に気付く。

チラリと周囲に視線を向けると、テニス部の奴らだけじゃなく下校途中の奴らまでもが俺たちの周りを囲んでいた。

「・・・?」

なんだか居心地の悪い雰囲気が漂う中、ジュリアと向かい合う先輩に声をかけて来たのは、いつの間に来たのか乾先輩。

この場の空気なんて気にする事無く、チラリとジュリアを目に映すと、いつもの口調で話し掛けた。

「彼女は・・・確かジュリア=ロックハートさんだね?いつも活躍は窺ってますよ」

活躍ってなんなんだとか思ったが、どうやら口を挟める状態じゃないらしい。

乾先輩の出した手を握り返したジュリアは、軽く笑って礼を述べた。

「あなたがイヌイね?がいつもあなたの話をしてて、会ってみたいと思ってたの」

先輩が乾先輩をどんな風に話していたのか気になったが、ジュリアの様子からするとそれほど悪印象は受けてないらしい。

2人の挨拶を黙って見ていた先輩は、小さなため息を一つ吐いて。

「ジュリア。ここにいると邪魔になるから向こうで話そう」

そう提案した先輩に、ジュリアは心得たとばかりに1つ頷く。

OK!さよなら、イヌイ」

俺たちに手を振って先に歩き出したジュリア。

その後ろ姿を目で追っていた先輩は俺を見て、そして離れた場所に勢ぞろいしていたレギュラーたちに視線を向けた。

「そういうわけだから・・・ちょっと練習抜けても良いかな?」

小さく首を傾げて、困ったように笑いながら部長にそう問い掛ける。

「・・・ああ、構わない」

「ありがとう」

返って来た返事に、やっぱり先輩は困ったように笑う。

その笑顔は、お世辞にも久しぶりに再会した友達と過ごす時間を喜んでいるようには見えない。―――何が先輩をそうさせているのだろうかと思ったその時、部長の隣にいた不二先輩が一歩先輩に近づいて静かに口を開いた。

「ねぇ、。さっきの・・・ジュリア=ロックハートと友だちなの?」

不二先輩の口から出てきた言葉に、俺は表情にこそ出さなかったが驚く。

乾先輩ならまだしも、何で不二先輩があの女の名前を知ってるんだ?

そういえばさっき、乾先輩は『活躍は窺ってる』って言っていた事を思い出した。

「そうだよ」

不二先輩の問い掛けに、先輩はサラリと肯定する。

「それは、どういう?」

しかし次の質問に、その口を閉ざした。

辺りは今の時間からは考えられねぇほど、静まり返ってる。

張り詰めたようなその空気に、俺は訳が解らず固唾を飲んで先輩と不二先輩を見た。

「・・・どういうって?」

「僕、あの子の事知ってるよ」

「俺も知ってるっス」

たっぷり間を空けて返事を返した先輩に、不二先輩は即答で言葉を返す。

その言葉に便乗して口を開いたのは、越前だった。

「なになに!?一体何の話してんだよ、不二!!」

「そうだぜ、越前!俺にも判るように説明しろってーの!!」

菊丸先輩と桃城の野郎が、憮然とした様子で声を上げる。

その言葉を耳にして、先輩は1つ大きなため息を零した。

「ま、別に構わないんだけど・・・」

まるで自分に言い聞かせるようにポツリと呟いた後、先輩は隣に立つ乾先輩を見る。

「乾、あんたに任せるよ」

「・・・良いのかい?」

確認するように、先輩の顔を見てそう尋ねる。―――それに小さく肩を竦めて見せて、先輩は苦笑を浮かべた。

「そこまでムキになって隠すほどのことでもないしね」

「・・・・・・」

「それでも、自分から話したいほど楽しい話でもないからさ。・・・ほら、ジュリアも待ってるし・・・―――だから、あんたから話してよ」

そう言って笑った先輩の顔は、ものすげぇ辛そうに見えた。

なんか無理して笑ってるって感じで・・・今まで先輩のそんな顔は一度しか見たことが無い。

そうだ・・・あれはまだ先輩が青学に転入してきて間もない頃。―――裏庭の木の側で親から送られて来たっていう手紙を読んでいた時。

少しだけ俯いた先輩を見下ろして、乾先輩はしっかりと頷いた。

「ああ、解った」

俺にはよく解らない・・・―――だけどその不明瞭な遣り取りで全てを理解している乾先輩に微笑みかけて、先輩は先に行ったジュリアの後を追かけて行った。

先輩がいなくなった後、離れた場所にいたレギュラーたちが乾先輩の傍に集まる。

誰もがこの場の重い空気の為か、口を開こうとしない。

なんか口を開いてはいけないといった雰囲気さえあった。

「・・・さて、と」

乾先輩はカバンの中から一冊の雑誌を取り出して、ペラペラとページを捲り始める。

チラッと表紙を見ると、それは今日発売のテニス雑誌だった。

暫く無言でページを捲っていた乾先輩は、あるページで手を止めてそれを俺たちの前に差し出す。

「・・・これは?」

手塚部長が代表して受け取り、みんなが開いてあるページの記事を覗き込む。

そのページの一面に、さっきの・・・ジュリアの写真が載せてあった。

記事の内容は、ジュリアが何かの大きな大会で優勝した・・・―――ということが書かれてある。

つまりジュリア=ロックハートという先輩の友達は、ジュニアのテニスプレイヤーだということだ。

「うっわ〜、の友達ってプロだったんだ〜!」

菊丸先輩が驚きの声を上げた。

その言葉で、なんとなく乾先輩の言いたいことが読めた気がした。

「これがの正体だよ」

淡々とした口調で、ポツリとそう告げる。

手塚部長や大石副部長、河村先輩は言葉も出ないのか、ただ目を見開いて雑誌を見つめていた。

菊丸先輩と桃城は何がなんだか分からないと言う顔をしている。

不二先輩と越前は、さっきの言葉通り知っていたんだろう。―――いつもと変わらぬ表情で話の先を促すように乾先輩を見返す。

俺はといえば、今までの先輩の行動が頭の中を過ぎって、一人納得していた。

今までの記憶を辿れば、そうだと思わせる行動を先輩はよく取っていた。

つまり、そういうことだ。

そこらの選手よりも詳しいテニスの知識。

小学生の身でアメリカに渡った先輩。

そんな状況で、友達だけがジュニアのテニスプレイヤーだとは考えにくい。

先輩もジュリア=ロックハートと同じ、ジュニアのテニスプレイヤーだったんだ。

 

 

乾先輩は、淡々と話し始めた。

子供の頃からテニスを始めた先輩はすぐに才能を開花させた。

その頃通っていたテニススクールで講師をしていた田島という人が、世界に通用するテニスプレイヤーになるだろう実力を秘めている先輩を指導し、そして先輩はその期待を裏切る事無く、どんどんと実力をつけていったらしい。

日本国内の大きな大会に出ては難なく優勝を繰り返す内に、強い相手と試合をしたいという思いを抱いた先輩は、コーチの勧めでアメリカ留学を決めた。

アメリカに渡った後も次々と大会を制覇していき、ジュニアランキング1位の座に登り詰め・・・―――その実力は、すでに同じジュニアの選手では対抗できないとまで噂された。

アメリカに渡って2年後。

いつものように大会に出場し、いつものように優勝した先輩は、観客席でファンに囲まれ・・・―――そして事件は起こった。

は膝を壊したんだよ」

まるで何でもないことのようにサラリと言う。

「階段から落ちてね、けっこうな高さがあったらしい。まぁは運動神経抜群だし、それだけなら膝を壊したりはしないんだろうけど、運が悪いことに階段の下に小さな子供がいてね」

先輩はその子供を避けるために体勢を崩し、そして受身も取れないまま地面に叩きつけられ、それが原因で膝を壊したという話だった。

「医者も今の状態じゃ、テニスを続けるのは無理だと申告した。その後一ヶ月程入院していたは、退院前日になって姿を消して・・・一週間後に青学に現れた」

青学最寄のコンビニで、先輩に会った時のことを思い出した。

アイスを食べながら楽しげな笑顔を浮かべていた先輩が、まさかそんな理由であそこにいたなんて思いもしなかった。

さっきよりも重くなった空気の中、いつの間にか開眼していた不二先輩が少し躊躇った後に口を開いた。

「噂を聞いたんだけど・・・」

「・・・噂?」

「俺も聞いたことあるっス。その噂・・・」

不二先輩と越前が顔を見合わせて、それから乾先輩の表情を窺う。

「それは・・・、実はあれは事故じゃなくて、誰かに突き落とされたんだって噂かい?」

驚いている面々をよそに、2人はしっかりと頷いた。

2人の話によると、雑誌やインターネットでそういう話題が取り上げられていたらしい。

何でも目撃者がいるらしく、その人の話によると、人ごみの中から手が伸びてきて誰かが先輩の背中を押したんだそうだ。

それはただの噂ではないようで、アメリカの警察も事件を調査していたらしい。

もちろん先輩も事情聴取を受けたらしいが。

は『あれは事故だった』の一点張りでね。結局それは事故として片付けられたんだ」

「・・・が犯人を見たって言う噂もあったよね?」

不二先輩の言葉に、乾先輩は静かに頷く。

「ああ。落ちる瞬間、驚いた表情をしていたっていうヤツだな。それも本当なのかどうかは分からないが・・・。それに目撃者の証言というのも、本当の所はどうなのか分からない。もしかするとただの思い込みだったという可能性もある」

「一番有力だった噂は、同じジュニアの選手のジル=パースって人が犯人じゃないかって言われてたけど?」

「それも確かな情報じゃないからな。ジル=パースはちょっと盲目的なところがあったと言われていたから危険視されてたけど・・・」

乾先輩はそこで言葉を切った。

再び重苦しい沈黙が、辺りに漂う。

先輩なら分かるはずだ。

その先輩が事故だと言うのなら、本当に事故なのかもしれない。

だけど・・・。

「乾はどう思う?」

不二先輩に問い掛けられ、乾先輩は眼鏡を押し上げ言った。

「真実はどうなのか、それはもちろん俺にだってわからない。ただ・・・」

「ただ?」

「・・・もしあれが事件だったと仮定して。がそれを訴えない可能性は・・・高い」

乾先輩のその言葉に同意したのは、多分俺だけじゃないはずだ。

先輩は人と争うことを嫌がるから。

それがどんなことであれ、自分が我慢してしまおうと思う人だから。

それが相手のためにならない事だと分かっていても。

結局、今日は練習にならなかった。

ジュリアと一緒に出て行った先輩は、帰ってこなかった。

 

 

次の日、いつも通り授業を受けて部活に顔を出した先輩は、いつもと同じ様子で。

「あはは〜、黙っててごめんねぇ。何か話すのややこしくて」

なんて言いながら笑っていた。

昨日はジュリアと長々と昔の話をしていて、気がつけば真っ暗になっていたからそのまま家に帰ったそうだ。

「結局、ジュリアってば何しに来たんだろうねぇ」

先輩はそう言って、また笑った。

いつもと同じ笑顔のはずなのにいつもと同じに見えないのは、先輩の昔の話を聞いて自分の中でいろいろなことを考えてしまっているからなのか。

他のレギュラーたちもいつも通り振舞おうとしているみたいだが、どこかぎこちない。

それを見ていた先輩は一言。

「そんなに気にしないでよ。確かにテニスが出来なくなったのは残念だけど、あたしはもう世界で一番取ってるし?あんまり思い残すこともないっていうか・・・」

多分それは強がりなんだろうと思うけど。

どこか茶化したように言う先輩のその声が、本当に気にしていないかのように聞こえたから、その場の空気は少し和んだ。

その空気を読んで、練習を始めようと手塚部長が口を開いた瞬間。

!!」

昨日と同じ、先輩を呼ぶ声がコート中に響いた。

全員がその声に釣られてフェンスの方を見ると、そこには昨日見たジュリアの姿がある。

「ジュリア!どうしたの、こんな所にまでくるなんて!?」

驚き声を上げた先輩に、ジュリアは挑むような目で静かに口を開いた。

「・・・昨日、言い出せなかったことがあったの」

「言い出せなかったこと?」

その問いにジュリアは無断でコートに入ってくると、先輩の前まで来て背負っていたテニスバックからラケットを取り出すと、それを右手に持ち先輩に突きつける。

「あたしと試合をして。どんなに大会で優勝しても、に勝ち逃げされたままじゃ、あたしも踏ん切りがつかないの」

昨日までの明るい声とは違う鋭い声色に、先輩は目を見開いて口を噤んだ。

しかし一拍の間を置いて、苦笑と共に言葉を搾り出す。

「・・・何言ってんの?残念だけど、あたしはもう」

「少しの間ならできるって聞いたわ。お願い、あたしはこのために日本にまで来たんだから。ね、これで最後にするから・・・」

先手を取って、先輩の言葉を遮ったジュリア。

再び押し黙った先輩を、俺は無言で見詰めた。

沈黙が辺りを包む。

じっと先輩を見つめたまま動かないジュリアと、俯いて表情が読めない先輩。

「・・・手塚」

そのままの体勢で、先輩が言った。

「コート一面・・・、貸してくれる?」

全員の視線が手塚部長に注がれる。

いつもよりも眉間の皺を深くした部長は、深いため息を一つ。

「・・・ああ、いいだろう」

その言葉を合図に、先輩は顔を上げた。

それはいつもの穏やかな表情ではなく、戦う者の顔。

今まで見たことのない、テニスプレイヤーとしての先輩の顔だった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

はい、だんだん話がとんでもない方向へ進んできてますが。

そして海堂視点といいつつ、あんまり海堂らしさが出ていないのが残念ですが。

私はあまりプロテニスには詳しくないので、出てくる話はほとんど嘘っぱちです。

ジュニアランキングとか、ほんともう全然解りませんから。(笑っとけ)

信じないで下さい。そしてあまり深く考えずに、さらっと流してやってください。

作成日 2003.8.23

更新日 2008.11.30

 

 

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