ブラウン管越しじゃなく、久しぶりに生で見たのテニス。

1年前、皮肉にも最後のテニスとなったあの試合の時と、まるで変わっていないように見えた。

試合が終わっても無表情のままでコートに立ち尽くしている

もしかしたら、の時間はあの時から止まったままなのかもしれない。

 

神様ヘルプ!!

〜存在の証明〜

 

誰も声を発する事無く、ただ時間だけが過ぎていった。

聞こえてくるのは、他のクラブの掛け声や、吹奏楽部が演奏する少し外れた音楽だけ。

どれだけの時間が経っただろう。

俺たちが我に返ったのは、いつの間にか降りだした雨の雫が頬に当たった時だった。

同じく試合を見ていた1年生たちが、少しの間戸惑っていたが用具を片付け始める。

声をかけるべきか、それとも放っておくべきかしばらくの間考えていた手塚は、やはり放っておくことは出来ないと判断し、立ち尽くしているに声をかけた。

「・・・

「うおっ!?」

違う世界にトリップしていたのか、はおかしな声を上げて慌ててあたりを見回してから、全員の視線が自分に向いていることに気付いて恥ずかしそうに笑った。

「あはは、ごめん。ちょっと違う世界に意識が飛んでたみたい・・・」

違う世界って、どこの世界?

俺の心の中の密かな突っ込みと同じ事を思っていたようで、みんなは戸惑ったような困ったような微妙な視線をに送っていた。

「ちょっと・・・、そんな目で見ないでよ。あたしはいたって正気よ?もう、乾のせいで変な目で見られちゃったじゃん」

慌ててなんでもないように振舞いながら、話の矛先を俺に向ける

さりげなく人のせいにするのはやめて欲しい。

そう思ったけれど、人に心配かけたくないっていう強がりなんだとしても、漸くいつもの調子を取り戻してきたに密かに安堵した。

全員がなんとなく張り詰めていた神経を緩めたその時、さっきまで動かなかったジュリアがゆっくりと顔を上げ、思い詰めたような表情での方へと近づいて来る。

「・・・どうした、ジュリア?」

それに気付いたは、当り障りの無い笑顔を浮かべてジュリアに声を掛けた。―――けれどジュリアは依然思い詰めた表情のまま、悔しげに表情を歪める。

「どうして勝てないのかしら?あなたには1年のブランクがあるのに・・・。あたしはその1年間、必死になって練習してきたのに!」

最後の方は悲鳴に近いほど声を張り上げて、持っていたラケットを地面に叩きつけた。

そんなジュリアの気持ちが、俺には痛いほどよく解る。

どんなに練習を積み重ねても、どんなに努力を積み重ねても、それが必ず報われるとは限らない。

残酷なようだけど、スポーツとはそういうものだ。

それに確かににはブランクはあるけど、けっこうハードなマネージャーの仕事を毎日こなしてきたおかげで、体力がそれほど落ちていなかったことも幸いしたんだろう。

「あたしはあなたがうらやましい。それと同じくらい憎しみを抱いたこともある」

「・・・ジュリア」

「あたしがどんなに頑張っても、何をやっても・・・あなたには敵わなかった。圧倒的な力の差を思い知らされて・・・、いっそのこといなくなってくれればとまで思った」

ジュリアは正面からを睨みつけた。

それはもう友人を見る目じゃない。

まるで憎むべき相手を見るような、そんな目をしている。

そんなジュリアを、は何を言うでもなく見返す。―――その視線を受けて、ジュリアは言い辛そうに・・・けれどしっかりとした声でその言葉を口にした。

「今だから言うわ。―――1年前、あなたを階段から突き落としたのは私よ」

突然のジュリアの告白。

周りの空気が一瞬固まったような気がした。

驚いたなんてもんじゃない。―――それすらも通り越して、頭の中が真っ白だ。

そんな空気を打ち破ったのは、の声。

小さく、おかしいのか悲しいのか分からないような笑みを浮かべて。

「知ってたよ」

俺たちにとってもジュリアにとっても衝撃的な言葉を、ポツリと呟いた。

「知ってた。あの日、本当にあたしを突き落とそうと思いつめてたのはジルで・・・。それをジュリアが、私と同じように偶然聞いたことも。ジルは前から思いつめるところがあったから、その日はなるべく近づかないようにって注意してて・・・、ジュリアはジルが思いつめてる事知ってるはずなのに、どうしてあたしに伝えに来てくれないんだろうって不思議に思ってた」

は手塚のラケットのガットの歪みを直しながら、言葉を続ける。

「背中を押された瞬間、あたし思わず振り返っちゃって・・・。あの時初めて、自分の動体視力の良さを恨めしく思った。ジュリアのあんな顔、見たくなかったよ」

尚もその顔に強張った笑顔を張り付かせたまま、は淡々と事の全てを話した。

おそらくは初めて語られる事件の真相。

今までの心の中だけに秘められていた、本当の悲しみ。

の話の全てを驚愕の面持ちで聞いていたジュリアは、全ての話が終わった後目を細めて再びを睨みつけた。

「・・・なんで?あたしだって分かってたんならどうして警察に言わなかったの?あたしに情けでもかけたつもり!?」

ジュリアは声を荒げて、の襟元に掴みかかった。

止めなくてはいけないと分かっているのに、身体が動かない。

まるでから発せられている威圧感に押さえ込まれているかのように、指一本動かすことが出来なかった。

そんな俺たちを尻目に、は自分に掴みかかるジュリアに向けて皮肉交じりの笑みを浮かべる。

それは何時ものには似つかわしくない笑み。―――俺には・・・いや、俺たちにはすぐにそれが演技だという事が解った。

「そう、あたしあなたに情けをかけたの。だってあなた、テニスを続けたかったんでしょ?テニスで一番を取りたかったから、あんな事したんでしょ?」

自分に掴みかかるジュリアの手を払い退けて、はTシャツの襟を直す。

「・・・・・・」

「ジュリアのプライド、ちょっと傷つけるくらいいいじゃない。それくらいのわがまま・・・、許してくれてもいいでしょ?」

雨がより一層激しさを増した。

今目の前に広がっているこの光景は、の心の中を現してるんじゃないかと思えるほど。

どうしてなんだろうか?

逆恨みされ、あげく階段から突き落とされ、そしては今まで築き上げてきたものを失った。

憎い筈だ。―――憎んでも、憎み切れない筈。

なのには今、ジュリアが少しでも気に病まなければ良いようにと、わざと憎まれ役を買って出ている。

何故そこまで、他人を思いやることができるのだろうか。

「さぁってと、なんかすごい雨降ってきたし、悪いんだけど先に部室使っても良い?レディファーストってことで」

ジュリアと対峙していたは、唐突に先ほどまでの悲しげな様子を消して振り返った。

しんみりとした空気を振り払うかのように陽気な声で問い掛ける。

「ああ、先に使ってくれ」

「ありがとう」

手塚の了承を得て、は軽い調子で礼を言うと、俺たちの方は一度も見ずに慌てて部室に駆け込んでいく。

後に残された俺たちとジュリア。

ジュリアはしばらくその場での背中を見送っていたが、俺たちの方へと向き直り小さく頭を下げると、気まずそうな視線を向けた。

そしておもむろに放置していた自分のテニスバックを手繰り寄せて、そこから何かを取り出し俺たちの前に差し出す。

「あの子に、これを・・・」

渡されたのはノートサイズの茶色い封筒。

中を見てみると、何かのパンフレットが数枚入っている。

「・・・これは?」

「ドイツにある病院のパンフレットなの。スポーツ選手のリハビリの施設があって・・・。ここならもしかすると、あの子の膝・・・直るかもしれないから」

俺たちから視線を反らしながら、ジュリアは消え入りそうなほど小さな声で説明する。

「自分で突き落としておいて、ずいぶん親切なんだね?」

そんなジュリアに向かい、不二が冷たく突き刺さるような声でそう言った。

見てみれば開眼済み。―――かなりご立腹のようだ。

ジュリアはそんな不二から視線を逸らして、じっと地面を見詰める。

「そう言われても仕方ないって事、解ってるわ。あたしはそれだけのことをしたんだもの。だけどあの事を後悔しない日はなかった。・・・虫の良い話だって思われても良い。だけどあたしは・・・」

そこまで言いかけて、けれどジュリアは口を噤んだ。

そしてもう一度頭を下げると、静かにコートを出て行く。

賢明な判断だ。

ここで何を言っても言い訳にしかならない。

相手に反論のチャンスを与えるだけだからな。

激しい雨の音が響く中、コートから去るジュリアの姿が完全に見えなくなった頃、誰かが小さな声で悪態をついた。

「なんか・・・納得いかないっすよ!先輩だけ苦しむなんて!!」

そう言葉を吐き出してフェンスに当たる桃城を、手塚が静かな声で諭す。

「これはの問題だ。俺たちがとやかく言ってもが気に病むだけだ」

「でもっ!!」

咄嗟に声を上げた桃城に、手塚は鋭い光を秘めた目を向ける。

「俺たちは見守っていればいい。が辛いときに傍にいて、助けて欲しいと思う時に手を差し伸べてやればいい。ただそれだけのことが、力になる事だってある」

手塚の言葉に心が打たれたのか、桃城は神妙な顔で一つ頷いた。

こんな時になんだけど、手塚は本当に中学生らしくないね。

そんな場違いなことを俺が考えていると、用具を片付けていた一年生が血相を変えて飛んできた。

「あのっ!さっき先輩が部室の中に入って行って・・・。それでなんだか顔色が良くなくて・・・。心配になってノックしたけど返事がなかったんで、思い切って開けてみたら、いつの間にか先輩がいなくなってたんです!大丈夫でしょうか!?」

ノックがなかったからってドアを開けるなんて、勇気のあることするね。

もしが健在だったら、どんな罰を与えられるか。

ふとそんなどうでも良いような考えが頭を過ぎったが、それどころじゃないことに気付く。

俺たちは一斉に顔を見合わせて、部室に向かって駆け出した。

部室の中に飛び込んで確認してみたけど、一年生の言う通りやっぱりの姿はどこにもない。

が姿を消した。

 

 

雨はさっきとは比べ物にならないほど、激しくなっていた。

テニス部員総出で手分けをして捜すことになって。

俺は思いつく限りの場所を走り回った。

は普段は迷惑なくらい前向きだけど、落ち込むととことんネガティブになる傾向があって、今の状況はちょっとやばいんじゃないか・・・なんて考えが頭の中を過ぎり、思わず頭を思いっきり振った。

そんなことあってたまるか、と自分に言い聞かす。

だけどの姿は何処にもなくて。

もう捜す場所なんて残っていないと思ったその時、ふと記憶の中である光景が浮かんだ。

子供の頃、一緒によく遊んだ小さな公園。

両親が忙しい俺たちは、迎えに来てくれる人なんていなくて・・・。

まるで身を寄せ合うようにして、真っ暗になるまで意地で遊んだ。

どうして今になってそんなことを思い出すのか分からなかったが、どうしてか足がその公園へ向いていた。

散々走り回って、雨が降ってるから体力もどんどん奪われていって。

くたくたになりつつもなんとかその公園に辿りついて辺りを見回してみると、小さなブランコに子供ではない人影が一つ。

「・・・

声をかけると、は今にも消えそうな儚げな様子でこちらを見て小さく微笑んだ。

「心の中で念じてたの。あたしはここにいますって。やっぱり乾には聞こえたんだね」

「勝手にいなくなったらみんな心配するだろう?」

「あはは、ごめんねぇ。なんかさ、分かってたことなんだけど・・・ジュリア本人の口から聞くとやっぱりちょっと痛いなぁとか思って。人に嫌われたり憎まれたりって、やっぱり辛いから・・・」

俺はがぽつぽつと話すのを無言で聞きながら、の隣のブランコに座って・・・―――座ろうとしたけど小さすぎて座れなかったので、仕方なくブランコの前の鉄パイプに腰を下ろした。

「・・・心配しなくても大丈夫。もう小さな子供じゃないんだから、ちゃんと1人で心の整理して、ちゃんと1人で立ち上がって見せるから!」

ドンと胸を叩いて「まかせなさい」なんて大口を叩いているが、空元気なのがみえみえだ。

俺は肺に溜まった空気を、胸の中にあったもやもやと一緒に吐き出した。

「・・・

「ナンデスカ?」

「昔、俺とした約束覚えてる?」

「・・・・・・」

どうでもいいけど、何で言葉がカタコトなの。―――って聞くまでもないか。

我慢してるんだ。

今にも泣き出しそうなのを。

「まったく、子供の頃から変わってないね」

いつもなら何かしらの反応が返ってくるのに、今日は何も言い返してこない。

その余裕が、今のにはないんだろう。

俯いて俺を見ようとしないを見据えて、俺は静かな声で口を開いた。

「俺たちにはいつも傍にいてくれる親や兄弟はいない。いつもいるのは俺との2人だけだ」

「・・・・・・」

「俺たちは他の奴らよりも我慢しなければならない事、我慢しなければならない時が多いと思う。だから・・・」

「だから・・・お互いの前では我慢なんかしないで、泣きたい時にはちゃんと泣いて、腹が立ったときはちゃんと怒って。私たちは1人じゃないんだから・・・でしょ?」

ちゃんと覚えてるんじゃないか。

まぁ、忘れてるなんて有り得ないか・・・―――俺がランキング戦でレギュラー落ちした時、は俺に同じことを言ったんだから。

俺はのつむじを見詰めて、小さな子供に言い聞かせるように出来る限り優しい声で声を掛けた。

はその約束、ちゃんと守ってる?」

「・・・・・・」

「泣きたい時に我慢してるんじゃない?今ここには、俺との2人だけだぞ?」

俯いてたが、ゆっくりと顔を上げた。

その表情はみんなの前で平気なフリしてた顔でも、泣きたいのを我慢している顔でもない。

小さな子供が、何か悪戯でもして母親に怒られる前のような顔。

「泣きたい時に泣けばいいんだよ、

優しく声をかけて、頭を何回も撫でてやった。

そのうちにどんどん綺麗な顔を歪めていって、大きな目から涙が零れ落ちてくる。

「あたし・・・ただテニスが好きだっただけなのに。ただテニスをしてたかっただけなのに・・・。それなのに全部なくなっちゃった。今まで頑張ってきたもの全部、他人の嫉妬とかそんなもので・・・全部壊されちゃった」

消え入りそうなほど小さく弱々しい声で、はポツリポツリと涙と一緒に言葉を零す。

たぶん怪我をしてから1年間、いろんなものを溜め込んでいたんだろう。

それを全部吐き出せるように・・・―――涙と一緒に流してしまえるように、俺はひたすらの頭を撫で続けた。

「だけど人を恨みたくなかった。そんなんじゃなくて・・・そんなんじゃなくって新しく何かを見つけられるような、強い人間になりたかった。頑張って・・・だけどそんなに簡単に、新しい何かなんて見つけられなくて」

「ああ、ゆっくり捜せばいい。一生懸命捜せば、きっと見つかるから・・・」

身を縮こませて泣いていたは、我慢できずに大きな声を上げて泣いた。

そっと抱きしめて、背中を優しく叩いてやる。

昔、俺が泣いていた時・・・がしてくれたように。

あんなに激しく降っていた雨はいつの間にか止んでいて、空には丸い月が浮かんでいた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

あと一回で『神様ヘルプ!!』シリーズ終了です。

次はの新しい出発の時。

なんか手塚どころか、乾も中学生には思えません。

まあ、それはそれで・・・と言う事で。

どうか最後までお付き合いくださいませ。

更新日 2009.1.18

 

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