背中に汗が流れる。

湿気を含んだ風が身体に纏わりつくようで、なんとなく気持ち悪い。

だけどこの爽快感はなんだろう?

手に残る痺れも、ラケットを握った感触も・・・―――前までは日常的だったモノ。

ほとんど1年ぶりに感じるそれは、前と変わらず手に馴染んでいる。

 

神様ヘルプ!!

〜あたしの居場所〜

 

「ああ、は無事に保護したから。・・・大丈夫、問題ないよ」

乾の声が耳に届き、あたしは重いまぶたをこじ開けた。

目の前に広がるのは、見慣れた風景。

それから温かい水の感触。

・・・水?―――っていうか、なんであたし風呂場にいるわけ!?

瞬時におぼろげだった意識が覚醒して、次の瞬間あたしは必死に記憶を辿る。

確かジュリアと試合をして、その後あたしの悪い持病の逃亡癖が威力を発揮して、あたしは部室から抜け出したんだよね?

それから当ても目的も無くフラフラと歩き続けて、気が付いたら昔よく乾と遊んだ公園に辿り着いて。

なんか凄く懐かしくて・・・―――昔を思い出したら、なんだか無性に淋しくなってきて。乾が来てくれないかなぁ・・・とか思ってたら、本当に来てくれて。

それからあんまり乾が優しくて、ずっと我慢してたのに我慢しなくて良いよなんて言われたから本当に我慢できなくなっちゃって、思いっきり泣いて。

それからどうしたんだっけ?

・・・思い出せない。

まぁ、ちゃんと服を着てることが不幸中の幸いか。

何とか前向きに考えようと、無理やりそう納得する。

水分を十分に含んだジャージは、それはもう大変重くてごわごわしてて気持ち悪い。

どうしようかと考えていた時、電話を手に持ったままの乾が風呂場に姿を現した。

「ああ、やっと気がついたか。気分はどうだい?」

「・・・ただ今混乱中だよ」

まるで何事もなかったかのような口調の乾を、少しだけ恨めしく思う。

今まだ混乱中のあたしに、説明プリーズ!!

「あの後、は泣き疲れたのか意識を失ってしまってね。仕方ないから担いで連れて帰ってきたんだよ。それから身体が濡れて寒そうだったから暖めてあげようと思ったんだけど・・・―――勝手に服を脱がしたりしたら怒るだろう?」

当たり前だ!

仮にも!そう、仮にも年頃の娘なんだから、あたしは!

「だから服を着せたまま風呂に入れたんだ。とりあえず身体は暖まったみたいだし」

確かに身体は暖まってるけど・・・。

あたしは電話を弄びながら説明をしてくれる乾を見た。

どうでもいいけど湯気で眼鏡が曇ってるよ、乾。

「・・・ありがとう。おかげで風邪は免れそうだよ」

「どういたしまして。簡単だけど食事の用意もしたから、服を着替えてリビングにおいで」

乾はそう言い残すと風呂場を出て行った。

あたしはとりあえず重くなったジャージを脱いで、バスタオルで身体を拭いた。

多分乾が持ってきてくれたんだろう、あたしの部屋にあったズボンとTシャツを身に付けて、言葉通りリビングに直行する。

リビングに入ると乾の姿はなく、何処に行ったんだろうかと辺りを見回すと、キッチンから両手に何かを持った乾が姿を現した。

そしてテーブルの上に置かれる、1つの小さな土鍋。

「ほら、座って。アツアツのうちにどうぞ」

ほとんど強制的に座らされて、土鍋を前に差し出された。

それをじっと凝視して・・・―――それからチラリと乾を盗み見る。

(おそらく)乾が作った料理。―――中には一体どんなものが入ってるんだろう?

ふたが閉められてて中が見えないのが恐ろしい。

「・・・食べないのか?」

あたしの前に座った乾が、眼鏡を逆光させてニヤリと笑う。

このやろう、確信犯だな?

できればこのままなかったことにしたいけど、彼は彼なりにあたしを心配してくれてたわけなんだから・・・。

あたしは覚悟を決めて、土鍋の蓋を開けた。

「・・・あれ?」

開けてみれば、中は普通の鍋焼きうどん。

具も普通のもの(アゲとか卵とかワカメとか)ばかりで、怪しいものは一つもない。

「いくらなんでも、こんな時に変なものは入れないよ」

乾は苦笑気味にそう言って、冷蔵庫から出した麦茶を注いでくれる。

うん、まぁ確かに言われてみればそうなんだろうけど。

乾は優しいから、こんな時にあたしを追い詰めるようなマネはしない筈だ、きっと。

それでもやっぱり疑っちゃったのは、あの汁の影響が強いんだろう。

そんな言い訳を心の中でこっそりとしながら、やっぱり心の中だけでごめんなさいと謝る。

「じゃあ・・・いただきます」

「はい、どうぞ」

一緒に差し出された箸を手に持ち、うどんを一口すすってみる。―――美味しい。

乾は基本的に器用だから、料理も上手いんだよね。

怪しい汁とか作ってなければ、あたしももっと乾の手料理食べてみたいとか思うんだろうけど。

「・・・おいしいよ、乾」

「それは良かった」

にっこりと嬉しそうに笑った乾を見て、あたしもつられて笑う。

お風呂で身体が暖まって。

乾の作ってくれた鍋焼きうどんで身体の中が暖まって。

乾の心遣いで、心の中が暖まった。

 

 

うどんを食べ終わって、一休みして。

まだ早い時間なのにも関わらず、乾から強制的に就寝命令が下された。

小さな子供じゃないんだからと反論しようかと思ったけど、なんだか妙に疲れているのは事実だったので、おとなしく命令に従うことにした。

ベットの中に入ると、乾が肩まで布団をかけてくれる。

お母さんってこんな感じかな、と頭の端で思いながら。

「ねぇ、乾。久しぶりに一緒に寝よう?」

ふと思いついた事を提案すると、乾は呆れたようにため息を吐いた。

「・・・あのねぇ」

「子供の頃は一緒に寝てたじゃん」

あたしは嫌がる(失礼な)乾を無理やりベットに引きずり込んだ。

今日のあたしは子供。―――いつの時でも、子供は一番強いのだ。

身体の半分くらい引きずり込まれた乾は、諦めたのかおとなしくベットに入る。

広々と寝られるようにと思って大きめなベットを使っていたのに、やっぱり2人だとちょっと狭い。

「あはは・・・、やっぱりちょっと狭いね」

「当たり前だろう」

「・・・なによ、乾が馬鹿みたいにでっかくなるからでしょ?」

「・・・俺のせいじゃないし」

大げさにため息をつく乾。

あたしはそんな乾の懐へ入るように身を寄せた。

その瞬間、乾がちょっと身体を強張らせる。

「・・・どうかした?」

「いや・・・別に?」

乾はもう一度大きなため息をつくと、すぐにあたしを抱えなおしてくれた。

今日の乾は、ため息が多い。

「ほら、さっさと寝ろ」

「・・・へぇ〜い」

あくび交じりに返事して。

やっぱり人肌って安心するもんなのかな?

数分もしないうちに、あたしは夢の国に旅立った。

「・・・勘弁してくれ」

夢の中で、そんな途方に暮れたような乾の呟きが聞こえたような気がした。

 

 

朝目が覚めると、もうベットに乾の姿はなかった。

ちっ、久しぶりに寝顔を拝もうと思ったのに。

ゆっくりと起き上がって大きく伸びをして、あくびを一つ。

心なしか頭がずきずきと痛む。

昨日泣いたからかな?ちょっと目の周りもヒリヒリするし。

ヒリヒリする目元を軽く押さえて、苦笑を浮かべる。

本当にあんなに泣いたのは久しぶりだった。

思い出す限り、ここ何年かでは間違いなくない。

でもそのおかげか、心の中はずいぶんとすっきりしてる。

あたしはもう一度大きく伸びをしてから、ベットから抜け出す。

手早く制服に着替えて顔を洗いリビングに顔を出すと、乾が朝食の用意をしてくれてた。

「おはよう」

「・・・おはよう」

いつも通り挨拶をすると、少しだけ間を置いて返事が返ってくる。

そんな些細な変化を不思議に思って、あたしは小さく首を傾げた。

なんだか乾の様子がちょっと変?―――とか思ったけど、敢えて気にしないことにする。

大概の場合、乾は変だから。(失礼)

朝食も特におかしな点は見られず、大変美味だった。

なんか至れり尽せりだね、昨日から。

 

 

学校に着いて部室に入ったあたしを向かえたのは、心配気な表情を浮かべたレギュラー陣だった。

それは・・・、そう!まるで乾特製野菜汁を飲んだ後のような面持ちで。

だけどどうしたらいいのか分からず話し掛けられないといった様。

あたしのせいなんだけど・・・、なんだかすごく気の毒に思えてきた。

「おはよう、みんな。昨日は心配かけてごめんね?」

とりあえず笑顔で挨拶、それから昨日みんなに内緒で逃亡したことの謝罪を。

「いや、それは構わないが・・・大丈夫なのか?」

手塚が躊躇いがちに聞いてきたので、あたしは安心させるように微笑んだ。

「ありがとう、大丈夫だよ。膝も昨日はちょっと痛んでたけど、今日は全然・・・」

「そうではなくて・・・」

あたしのにこやかな返答に、しかし手塚は言い辛そうに言葉を濁して・・・。

手塚の言いたいことは、ちゃんと分かってた。

ダメだな、あたしって・・・―――そう思って、自分自身を叱咤する。

気まずいことをはぐらかすのは、あたしの悪い癖だ。

あたしは小さく深呼吸を一回してから、しっかりと手塚と目を合わせた。

「う〜ん、正直言って『全然平気!』とは言えないけど・・・でもまぁ大丈夫」

本当なら、心配かけないようにする方が良いのかも知れないけど。

だけど今ここにいるのは、多分あたしの人生の中で一番の仲間たちだから。

これだけあたしを心配してくれて、あたしを思ってくれる仲間は他にいないだろうって、そう思うから。

だから強がりばっかりじゃなくて、ちゃんと弱いところも見てもらって。

その上で成長していくあたしを知ってもらいたいと思った。

「・・・そうか」

「心配しなくても大丈夫。あたしってけっこう図太いんだから!」

「それは知ってるけど・・・」

なんか言った、エージ?

失礼な発言をしたエージを睨んでやると、慌てて大石の後ろに隠れる。

前から思ってたけど、エージはズルイ!

すぐ大石の後ろに隠れて・・・、ほら大石が困ってるじゃない!

だけどやっぱりエージはムードメーカー。

すぐに部室内の空気は和やかなものに変わっていく。

「さてと。あんまり長話してると時間なくなっちゃうよ?さっさと用意するっ!」

あたしの上げた声に、全員がいつも通りの笑顔でコートに飛び出した。

ジャージに着替えて、あたしもその後を追う。

目の前にはいつも通りの光景。―――空は昨日とは打って変わって、申し分ないほど晴れ渡っている。

やっと見つけたあたしの居場所。

みんながいる、この場所こそが・・・。

神様、あたしはここにいます!!

あたしは少し熱気を帯びてきた空気の中、空に向かい心の中でそう叫んだ。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

というわけで、主人公の過去編は一応これにて終了です。

まぁ、これから軌道修正しつつ原作沿いに戻っていくわけですが。

ちょっと乾といい感じにしたくて書いたお話とも言えます。(笑)

更新日 2009.2.8

 

 

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