朝も早くから、あたしの携帯が着信音を響かせた。

丁度朝食の後片付けをしてたあたしは、水に濡れた手をタオルで拭いてから、テーブルの上に置いてあった携帯に手を伸ばす。

「こんな時間に、一体誰なのよ」

ぶつぶつ文句を言いながら、通話のスイッチを押して携帯を当てたあたしの耳に、ちょっと高めの元気の良い声が響いた。

『あ、さん?朝早くすいません!』

その予想外の相手の声に、あたしは訳が解らず眉間に皺を寄せる。

その電話が、事の発端だった・・・のかもしれない。

 

不機嫌の理由

 

しとしとと降る雨の中、あたしは家に向かって歩く。

パタパタと傘に当たる雨の雫が、耳に心地良い。

時たま水溜りを飛び越えて、靴に掛かった雨水を足を振って落とす。

そんな他愛ない動作をしながら、あたしは今朝掛かってきた電話の内容について、1人ぼんやりと考えていた。

『あ、さん?朝早くすいません!』

電話の向こうから聞こえて来たのは、まぁ・・・聞き覚えがあるって言えばある声。

不動峰中2年、神尾アキラからの突然の電話だった。

それなりに交友があって、この間もストリートテニスコートで会ったばっかりだったから、連絡が来る自体はそれほど驚きゃしなかったけど、問題は時間だ。

なんかあったのかと不思議に思って、電話の向こうで深刻そうな声を出す神尾の話を聞いてれば、なんか段々話がえらい方向に進んでるような錯覚を覚えた。

『最近深司のやつ、様子が変で・・・。なんかいっつもボヤいてるし、俺と顔合わせるとすごい目つきで睨んでくるし・・・。さん、何とかしてください!』

携帯から届く、切羽詰った泣きそうな声。

っていうか、あたしにどうしろっていうんだ。

何であたしに泣きついてくる?

こういうのはあたしじゃなくて、橘君の役目でしょうが。

なんか最近、あたしの携帯がお悩み相談室みたくなってる気がするんですが。

とりあえず助けを求められた以上邪険に扱うわけにもいかずに、あたしは『まぁ、会ったら話くらいは聞いとくよ』と神尾を納得させて電話を切った。

とは言っても、学校違うんだし滅多に会う機会なんて無いんだけど。

普段だって、街歩いててもほとんど会わないしね。―――この間神尾に会ったのは、偶然と言えば偶然だし。

それにしても伊武は何でそんなあからさまに機嫌悪そうなんだろうね・・・とか他人事みたいに考えながら歩いてたあたしは、前方にある影に気付いて足を止めた。

雨の中、傘も差さずにぼんやりと立つ人影。

視線は何もない宙に固定されてて、何かを見てるのか見てないのかも解らない。

その人物をしっかりと目に映して、あたしは大きなため息を吐き出した。

「・・・こんな所でなにしてんの、伊武」

呆れ混じりに声を掛ければ、その人影・・・―――伊武深司は、ゆっくりとあたしの方に顔を向けた。

いや、そんな虚ろな目で見られても怖いから!

「・・・さん」

ぼそっとあたしの名前を呼んだ伊武に駆け寄って、差してた傘の中に入れてやる。

なんてタイミングの良い登場なんだ、伊武よ。

もしかして神尾にけしかけられたとか?―――会ったら話は聞いとくとか言ったから、神尾にあたしのところに行けって言われたとか?

「・・・久しぶり」

いや、挨拶もいいからさ。

「こんな所で何してんのよ、ほんとに」

「何って・・・・・・・・・雨宿り」

「こんな屋根も何もないところじゃ、雨宿りとは言わないよ、普通」

即座に言葉を返すと、伊武はまたむっつりと黙り込んだ。

居心地悪そうに視線を逸らして、無言で地面を睨みつける伊武。

あたしは小さくため息をついてから、カバンの中に入ってたタオルを取り出してそれで伊武の制服の水滴を拭ってやった。

「君の家、こっちの方じゃないでしょ。こんな所で何やってたのさ」

「・・・・・・」

「・・・それともこっちの方に、何か用事でも?」

だんまりを決め込む伊武に、あたしは辛抱強く話し掛け続ける。―――すると伊武はあたしの言葉に反応して、顔を上げた。

その動作があたしの言葉を肯定してるみたいで。

しかもさっきの、神尾にけしかけられてここに来たんじゃないかっていう予想も当たってる気がして、あたしは可笑しくなってニヤリと口角を上げる。

そんなあたしを見て、伊武は眉間に深い皺を刻んだ。

「・・・ムカツク」

「はいはい、そりゃ悪かったね」

「・・・・・・大体俺が何処にいたって俺の自由だろ?なのにまるで俺が凄く悪い事してるみたいな言い方して・・・。ああ、そうだよなぁ。こんな所で立ってる俺が悪いんだよなぁ。別に誰に迷惑掛けてるわけじゃないのに・・・、まったくイヤになるよなぁ」

ついにはぼやき始めた伊武に苦笑を浮かべて、あたしは未だ突っ立ったままの伊武の腕を軽く引いた。

「ぼやきは後にして、とりあえず家においで。何時までもこんなとこにいたら、いくら暖かくなって来たって言っても風邪引くからさ。温かい飲物と着替えくらいは貸してあげるから」

一気に言いたい事を言って、問答無用で伊武の腕を引っ張る。

意外にも、抵抗も反論も返って来なかった。

さっきまで延々とぼやいてた伊武は、また無言になって引かれるままにあたしの後を着いてくる。

それにしても・・・―――チラリと横目で伊武の様子を窺って、神尾の言葉を思い出す。

神尾の言う通り、伊武はえらい機嫌が悪そうだ。

一体何があってこんなに機嫌が悪くなったのか想像もつかないけど、ともかく神尾にけしかけられたとしても伊武がここまで来たのには違いないんだから、言葉通り話くらいは聞いてあげよう。

しとしとと降り続ける雨の中。

さっきまで1人で歩いてたあたしは、伊武と2人で家路を急いだ。

 

 

「取り合えず、タオル!」

家に着いて、あたしは急いでタオルを取ってくるとそれを伊武に手渡した。

しっかり水滴落としておいでよと言い含めれば、素直にその言葉に従ってタオルで制服を拭いてる伊武を見て、何だか微笑ましい気分になったり。

ついでに着替えも渡して、あたしはキッチンに入るとやかんに火をつけた。

珈琲が良いのか、紅茶が良いのか・・・それともミルクとかの方が良いのかな?

暫くやかんを前に迷ったけど、ここは無難に珈琲にしておこうと棚に手を伸ばす。

インスタントだけど、手っ取り早く身体を温めるにはこれで十分。

お湯も沸いて珈琲が出来上がった頃、脱衣所で着替えてた伊武がリビングに姿を現した。

「・・・これ、大きいんだけど」

リビングに顔を出した伊武は、あたしが渡したTシャツの裾を摘んで眉を寄せる。

その仕草が可愛くて思わず吹き出すと、凄い目付きで睨まれた。

「ごめんごめん、やっぱり大きいよね。それ乾のだし・・・」

「乾って・・・青学の?ああ、幼馴染とか言ってたっけ?」

大分前にした会話を思い出したのか、伊武はぼそぼそと呟く。

まぁ勝手に乾のを借りるのもどうかとは思ったけど、いくらなんでもあたしのは入らないだろうからね。―――身長はそんなに変わりなくても、ほら肩幅とか。

とは言っても、流石に乾のTシャツは大きすぎたみたいだ。

だらりと垂れるTシャツの袖を捲ってやると、耳元で伊武のぼやきがダイレクトに聞こえた。

「もしかしてこれって、俺が小さいって言いたいのかなぁ。確かにあの乾って人はデカイけどね。でも俺だってそんなに小さい方じゃないと思うんだけど・・・。嫌味なのかなぁ。もっと大きくなれって暗に言ってるとか?」

「んな事、誰も言ってないでしょうが」

「どうなんだろうなぁ。でもさんも結構身長高い方だから、俺とあんまり変わらないし・・・。まぁスポーツするんだから小さいよりかは良いのかもしれないけど、でもやっぱりなぁ・・・」

延々と続きそうなぼやきを止めるために伊武の手を引いて、ダイニングの椅子に座らせてから淹れ立てのコーヒーを出してやる。

「・・・・・・いただきます」

すると伊武はぼやきを止めて、カップを手にとって珈琲を無言で飲んだ。

それを正面の椅子に座って、ぼんやりと眺める。

なんか素直なんだかひねくれてるんだか、よく解らないやつだ。

伊武に習って、あたしも珈琲を一口飲む。―――温かいコーヒーが身体の中に浸透していくみたいで、ほんわりと温かくなる。

「で、今日はどうしたの?部活は休み?」

「雨でグラウンドが使えないからね。青学も?」

「そう。体育館は他の部が使ってるから、今日は部活休みになったんだよ」

珈琲を飲みながら、伊武はふ〜んと聞いてるのか聞いてないのか解らないような返事を返す。

「このTシャツの・・・乾って人は?」

「乾は本屋とスポーツショップに寄るって、他のメンバーと一緒。あたしは先に1人で帰ってきたんだよ」

実際、先に帰ってきて良かったと思う。

何時から伊武があそこに立ってたのかは知らないけど、もしかしたらあたしが見つけるまであそこに立ってたかもしれないからさ。

断じてあたしのせいではないだろうけど、風邪なんか引かれたら困るし。

「それで?ホントに何であんなところに居たの?あたしに会いに来たんでしょ?」

これで別にあたしに会いに来たわけじゃないとか言われたら、なんか自意識過剰みたいで結構ヘコむけど。

伊武なら言いそう。―――そんなわけないでしょ、とかあっさり。

そう思ってちょっと身構えたけれど、伊武は相変わらず何も言わずにもくもくと珈琲を飲み続けていた。

無言は肯定・・・ってよく言うけど、伊武の場合それが凄く解りやすいと思う。

何も反論しないって事は、本当にあたしに会いに来たんだろう。

「何か用事でもあったの?」

「・・・何か用事がなきゃ、来ちゃいけないわけ?あー、そうだよね。何の用事もないのに来られちゃ迷惑だよね。しかも俺なんかがいきなり来たら、何か企んでるとか思われるのかなぁ」

「そんなことはないケド・・・」

何にも用事が無いのに会いに来てくれるようなタイプに見えないしね。

ぼやきに控えめな反論を返すと、伊武は再び黙り込む。

さっきからぼやきと無言の繰り返しだ。

それだけ言い辛いって事なのか・・・―――まぁ別に、あたしに話さなきゃいけない義務はないんだけども。

そんなことを思いながら、ちょっとだけぬるくなった珈琲を飲む。

暫く珈琲を啜る音だけが響いてたけど、カップに入ってた珈琲を全部飲んでしまった伊武は、静かにカップをテーブルに置いてじっとそれを見詰めた。

おかわり淹れようか?とか言おうかと思ったけど、唐突に顔を上げてあたしを見た伊武に何も言えずに固唾を飲んで言葉を待つ。

とうとう話す気になったのかとか思いつつ耳に神経を集めると、ぼそぼそと聞き取り辛い伊武の声が耳に届いた。

「この間・・・アキラと会ったって・・・」

「神尾?ああ、確かに会ったけど・・・」

あの時はあの時で大変だったなぁ・・・。

折角杏ちゃんとデートだったのに・・・跡部が割り込んでくるわ、桃が引ったくり追ってくるわ、その際に失敬した自転車の持ち主の神尾が追いかけてくるわ。―――あまつさえ喧嘩に発展しかけて、ダブルスの試合まで始めちゃうし・・・。

つい先日の出来事を思い出して遠い目をする私を放置して、伊武はそのまま話を続けた。

「何でアキラなんだよ。俺は地区大会以来、会ってないっていうのに・・・。その時だって試合前にちょっと話しただけだし・・・。俺だってたまにはさんと話したいとか思ってるのになぁ。しかもその後、ご飯奢ってもらったって自慢するし・・・。ほんと、あのアキラの笑顔見てるとムカツクんだよなぁ。なんだよ勝ち誇ったような顔してさ」

あたしに向かって言ってるのか、はたまたそんなことなんて関係なくぼやいてるのか。

それはあたしには解らなかったけど・・・―――でも1つ解った事。

伊武が不機嫌なのは、この間あたしが神尾と会ったからみたいだ。

聞こえてくるぼやきの断片から、もしかして伊武ってあたしに会いたいと思ってくれてたとか?

思い当たった考えに、思わず笑みが零れる。

正直言って、まさかこんなに懐かれてるとは思ってなかったけど。

でもやっぱり、悪い気はしない。―――っていうか、結構嬉しい。

あたしはテーブルの上にあった手を伸ばして、伊武の頭を撫でた。

冷たいさらさらの髪の手触りに、少しだけ眉を寄せる。

「まだ頭、濡れてるじゃない」

あたしは自分のタオルを持って伊武の背後に回ると、そのタオルでまだしっかりと濡れたままの髪の毛を丁寧に拭いていく。

さらさらと指から零れる髪の毛が気持ち良い。

抵抗するかと思われた伊武は、でもそれらしい動きを見せる事は無くて・・・だからあたしはそのまま伊武の髪の毛を拭き続けた。

「今日は家でご飯食べて行きなよ。好きなもの作ってあげるからさ」

そう提案しても、伊武からは何の返事も返ってこない。

でもやっぱり反論も無くて・・・―――その素直なのか素直じゃないのか解らない態度に、あたしは微笑んだまま手を動かしていた。

 

 

「これはまた、珍しいお客様だね」

「・・・・・・どーも」

夕方になって帰って来た乾の言葉に、夕飯の支度をするあたしをぼんやりと眺めてた伊武が覇気の無い声で挨拶をする。

「不動峰中学の伊武深司。彼がどうしてここに?」

「学校から帰る途中にね、拾ったの」

夕飯の支度の手を動かしたまま、背後から掛かる乾の質問に軽く答えると、更にその後ろからあたしの発言についての伊武のぼやきが聞こえてくる。

確かに、珍しい状況なのは間違いないけどね。

なんか家が段々、駆け込み寺よろしくなってきてる気がしないでもないんだけど。

でも昔に比べたら格段に賑やかになったから、それはそれで楽しかったりするんだけどね。

お味噌汁の具を切りながら、チラリと背後の様子を窺う。

乾がなにやら一心にノートに書き込んでいる横で、伊武は延々とぼやき続けていた。

でもその表情は、あの雨で会った時よりも和らいでいる気がして、これで神尾が睨まれることもないだろうと安心する。

これでもう助けを求められる事も無いだろうと思って、あたしは味噌汁に入れる味噌を冷蔵庫から取り出した。

本当に、これだけ懐かれてれば冥利に尽きるっていうの?

あたしは何となく楽しい気分で、包丁を手に取った。

 

 

その後、今回の事に味を占めた神尾に、事あるごとに相談を受ける事になるのだけれど。

そんなこと、今のあたしには知る由もなかった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

一体何が書きたかったのか。

大分前に考えた話なので、記憶が曖昧です。(オイ)

一応メモっては置いたんですけど・・・なんか想像してたのとは違う話になってしまい。

伊武とほのぼの・・・がテーマだった筈なんですがね。(苦笑)

寧ろ、お前誰だよ!みたいな。

作成日 2004.12.12

更新日 2009.9.13

 

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