一年生が校内ランキング戦に参加するという異例の事態に、多少の波乱もあるかと予測していた俺だが、しかし自らのレギュラー落ちという結果で幕を閉じた。

将来の青学を背負って立つだろうとてつもない才能を秘めた未だ幼い少年と、急激なスピードで成長を遂げる後輩を見て、嬉しくないわけがない。

青学はまだまだ強くなるだろう。

それでも・・・―――悔しくないわけも、ない。

 

少年進化

 

すべての後片付けを終えて・・・熱気に包まれた校内ランキング戦は、その余韻を残して幕を閉じた。

試合の後も先ほど仕入れたばかりのデータを整理し、気がつけば辺りはもう薄暗闇に包まれている。―――既に部員たちは帰宅したのか、誰1人の姿も見当たらなかった。

ずいぶんと熱中しすぎたようだ。

1人苦笑しながら手に持ったノートを抱えなおしてから、部室に向かう。

もしかしたら、もう既に部室の鍵は閉められているかもしれない。―――そうなるとどうするか?まだ竜崎先生は学校にいたかな?

そんな事をぼんやりと考えながら、誰もいないコートを横切り部室に辿り着く・・・と、予想に反して部室にはまだ誰か残っているようで、暗闇にぽっかりとオレンジ色の光が浮かび上がっていた。

誰が残っているんだろうか?

確率からすると、75%の確率で鍵当番の大石。

後は部長の手塚か・・・いや、手塚が何の用事もなく残っているわけはないだろう。

もしかして・・・―――脳裏に浮かんだその姿に、少しばかりドアを開けるのを躊躇い、けれどだからといっていつまでもここで立っているわけにもいかず、思い切って部室のドアを開けてみた。

「・・・遅い」

ドアを開けると同時に送られた声は、先ほど俺の脳裏に浮かんだ人物で。

「こんな時間までどうしたんだい?」

動揺を気付かれないように声をかけると、は少しばかり不機嫌そうな表情を浮かべる。

「あんたねぇ・・・今日は買物して帰るから、付き合ってって言っといたでしょ?」

もしかして忘れたの?と言外に含め問い掛けられ、そういえば今朝そんな事を言っていたな・・・という事を思い出した。

確か・・・米がもうそろそろなくなる頃だから、買いに行くと言っていたんだ。

「ああ、悪かったな。すぐに着替えるから少しだけ待っていてくれ」

「はいよ・・・」

気のない返事を返すに背中を向けて、俺は自分のロッカーを開けた。

・・・というか、普通男子が着替える時は部屋を出て行くものじゃないのか?

今さらといえばそれまでだが・・・・・・。

「・・・

「なに?・・・ほら、手ぇ休めてないでさっさと着替えてよ」

「・・・・・・ああ」

やはり言っても無駄みたいだ。

まぁ、子供の頃からそういうことを気にせずに過ごして来たんだから、本当に今さらだけど。

着ているジャージを脱いで、それをバックに詰めていく。

ふと何気なく目に付いた青いレギュラージャージ。―――当分はこれを着る事もないのだろうと思う。

「なぁ・・・・・・」

「・・・だから、なによ?」

呆れたようなの声を聞きながら、俺は言うつもりのなかった言葉を吐いた。

「・・・レギュラー落ちしてしまったよ」

部室の中に、シン・・・とした空気が広がった。

本当に、言うつもりなんてなかったんだ。

努力は怠っていなかったし、精一杯持てるだけの力を出し切った。―――ただ、越前や海堂が、その少し上を行っただけ。

後悔はない。

悔しさはもちろんあるが、それをバネにさらに努力に励もうと思っているし、過去を振り返っても仕方のない事だと分かっている。

それでも・・・当分は着ることのできない、俺の手にあるレギュラージャージを見ていると、ふとした何かが胸の中に広がったんだ。

ギュっと強くレギュラージャージを握り締めたその時、からあっさりとした言葉が返って来た。

「うん、知ってる。見てたからね」

そりゃそうだ。

はマネージャーで、ちゃんとランキング戦の結果も知っている。

どうやら俺の試合も見ていたようだし、今さらそんな事言われても困るだけだろう。

そんな当たり前のことすらも頭から抜け落ちていた事に気付き、苦笑交じりのため息が漏れた。

再び着替えを再開した俺の耳に、パラパラと紙を捲る音が聞こえて来る。

チラリと視線を背後に向けると、は机の上に置いた俺のデータノートを興味無さ気に眺めていた。

勝手に見るな・・・なんてことは言わない。

俺のデータノートを勝手に見ることができるのは、だけだ。―――だけには見られても構わないと思っている。

もちろんに見られたくないもの(主に関係)は、別の専用ノートに書いての目からは隠してある。

「へ〜え、結構しっかり調べてるじゃない・・・」

「・・・それはどうも」

独り言のようなの言葉に軽く返事を返して、再び着替えを再開する。

部室の中には俺が着替える音と、紙を捲る音だけが響いていた。

俺もも何も話さない。―――普段は心地良ささえ感じるその沈黙が、今は何故かとても重いものに感じられる。

それは多分、今の俺の心境によるものなんだろうけど・・・・・・不意に何か話さなければという感覚に陥った。

この沈黙を壊さなければ。

そうしなければ、きっと俺は・・・。

「・・・まさかここまでとは思っても見なかったよ」

ふと口をついた言葉に、が顔を上げたのが気配で分かった。

「・・・なにが?」

「越前と海堂だよ。まさか俺のデータを超えるテニスをしてくるとは・・・なかなかやるね、あの2人も」

「・・・・・・」

ポツポツと話す俺に、けれどは無言のままだ。

頼む、何か話してくれ・・・でないと、俺は・・・。

「・・・・・・?」

言葉を促すように名前を呼ぶと、不意に背後でがため息を吐くのが分かった。―――呆れたような、ため息。

ああ、分かってるさ・・・お前の言いたいことは。

後悔は無い・・・なんて、嘘に決まってる。

確かに俺は精一杯やったし、努力だって怠っていなかった。

だけど・・・まだやれる事はあったんじゃないかと思う。

もう少しデータを煮詰めておけば・・・もう少し基礎体力の強化を図っていれば。

悔しい。

そうだ、俺は悔しい。

だけどそれを見せたくは無い。―――どれだけちっぽけでも、俺のプライドがそれを許さないんだ。

けれど、といるとそういうちっぽけなプライドさえ姿を消してしまいそうで。

俺がの事を誰よりも知っていると豪語できるように、俺の事を誰よりも知っているのはおそらくだけだろうから。

弱い部分を出してしまいそうになる。―――そんな部分を、には一番見られたくないと思っているのに。

ガタンと椅子の鳴る音が聞こえて、が立ち上がったのが分かった。

「・・・乾、ちょっとこっちにいらっしゃい」

呆れたようなの声に、しかし逆らえずゆっくりと振り返った。

予想に反して、は穏やかな笑みを浮かべている。

「ほら、こっち。・・・・・・この椅子に座って・・・」

言われるがままに、先ほどまでが座っていた椅子に座らされた。

が何をしようとしているのか理解できず、困惑気味に頭上にあるの顔を見上げたその時。

フワリと何か暖かいモノが、自分の頭を包み込んだのが分かった。

「・・・・・・なっ!」

その暖かいモノがの身体なのだと気が付いたのは、それから数秒後のこと。

慌てる俺を気に求めず、俺の頭を抱える腕に力を入れて決して離そうとしない。

!?」

「全く・・・あんたも変なところで不器用なんだから・・・」

頭上から、ため息混じりのそんな声が降ってくる。

「悔しいなら悔しいって言えばいいのよ。負けて悔しいのは当然なんだから・・・」

「・・・・・・ああ」

「今さら格好つけてどうするの?言っとくけど・・・あんたの格好悪いところなんか、子供の頃から嫌と言うほど見てきてるんだからね?」

「・・・・・・」

「お互いの前では我慢なし・・・って約束でしょ?」

「ああ・・・・・・そうだったな」

口調とは裏腹に、声と俺の頭を撫でる手が優しいのはきっと気のせいじゃない。

抑えきれない悔しさと、込み上げてくる熱いモノを受け止めてくれる

我慢なし。―――そうは言っても、やっぱり情けない姿なんて見られたくなかったから。

決して顔を見られないよう、強くの身体を抱きしめた。

「・・・やっぱり」

不意に呟いた言葉に、は不思議そうに首を傾げる。

俺からは見えないが、それを感じ取って小さく笑う。

「もうちょっと成長が必要だな。も毎日牛乳を飲んで・・・」

「・・・・・・・・・三途の川を拝みたいなら、ぜひ協力してあげるわよ?」

「いや、なんでもないよ」

の声が途端に低く響いたのが分かった。

こういうのを『地を這うような声』って言うんだろうな・・・なんて思う。

だけど、俺の頭を抱えるの腕の力が緩む事は無く。

俺の頭を撫でるその手が、優しい事にも変わりない。

視線だけでの表情を窺えば、そこには優しい色が浮かんでいて。

込み上げてきたくすぐったい気持ちに、思わずクスクスと笑みを零せば、も同じようにクスクスと小さく笑う。

穏やかな雰囲気。

さっき感じた居心地の悪さなんてどこにも無い。

気が付けば、俺の中に溜まっていたもやもやとした気持ちは、いつの間にかによってすべて消し去られていた。

 

 

それから、予定通り買物を済ませて。(10キロの米を持たされたが)

家に帰れば今日も今日とて母親は仕事で不在で。

手早く楽な服に着替えると、いつも通りの家に向かった。

は既に着替え終えていて、やっぱりいつもの通り俺の分の夕飯まで作ってくれているようだ。

トントンとリズム良く響く包丁の音を聞きながら、テーブルについてキッチンにいるの後ろ姿をぼんやりと眺める。

「なぁ、

「何?夕飯ならもうちょっと待ってよ?」

「いや・・・そうじゃなくて・・・」

テーブルの上に無造作に置いてある新聞を広げ・・・―――それが昨日のやつだとすぐに気付いたが、それに構わず紙面に視線を落とす。

新聞を読んでいるフリをしながら、料理を続けるの様子を窺って。

「さっき竜崎先生から提案されたんだ」

「・・・スミレちゃんから?」

料理の手を止めて、が不思議そうに振り返る。

「・・・・・・それ、昨日の新聞。今日のはこっち」

「・・・ああ」

差し出された新聞を受け取って、それでも俺は昨日の新聞の文字を目に映し続ける。

それに何を言うでもなく、再びキッチンに戻ったは、「それで?」と話の先を促した。

「マネージャーを兼任しないか?・・・と言われた」

「・・・ふ〜ん、マネージャーねぇ・・・」

何かを含んだような声色で俺の言葉を繰り返す

さて、はなんて言うだろうか?と予測を立てる。

『いいんじゃない?』と簡潔に答えるだろうか?

それとも『適任』だと納得するだろうか?

少しだけわくわくした気持ちで、の言葉を待った。

「・・・どう思う?」

そう感想を促せば、は微塵も表情を変えずにキッパリと。

「どうって・・・・・・好都合じゃない、あんたにとっては」

告げられた『好都合』という言葉に、思わず目を丸くする。

予想外の答えだ。―――確かに部員のデータを詳細に取るには絶好のチャンスだ。

今までは取る事の難しかった手塚や不二のデータも、詳しく取る事ができるだろう。

「・・・で、やるの?」

「もちろん」

問い掛けられた言葉に、即答する。

するとは少しだけ口角を上げて笑い、

「次のランキング戦、期待してるわ・・・」

素直といえば素直すぎる応援の言葉を俺に投げかけると、再びキッチンに向かい夕飯の準備を再開した。

そんなの背中を、やっぱり俺は見つめ続けて。

『期待は裏切らないよ・・・』と心の中で呟く。

不言実行。―――次のランキング戦の時には、今日の情けない姿なんて忘れてしまうほどのテニスを見せてみせるから。

俺は部屋の中に広がり始めた美味しそうな匂いを嗅ぎながら、レギュラー陣の練習メニューと、自分自身の練習メニューを頭の中で思案し始めた。

次への戦いは、もう始まっていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

何か乾が変態チック・・・(汗)

お互いに弱い部分を見せられる関係って、とても素敵だと私は思うのです。(←とか無理やりまとめてみたり・・・笑)

作成日 2004.3.19

更新日 2008.6.22

 

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