「残念ですが、おそらくもうテニスは出来ないでしょう」

・14歳、ただ今病院のベットで療養中。

担当の先生が意識の戻ったあたしの元へ来て、ただ一言そう告げた。

人間は突然突拍子もないことを言われると、頭の中が真っ白になるようで。

「・・・ああ、そう」

どんな反応をすればいいのか解らなかったので、取りあえずそう相槌を打っておいた。

 

最後の日常

 

「それじゃあ、あくまでも事故だと言い張るんだね?」

「言い張るも何も・・・事故ですから」

あたしの返答に、警官は頭を抱えてため息をついた。

入院してから一週間、毎日のように警官はやってきて同じ質問を繰り返していく。

だからあたしも同じ答えを繰り返す羽目になった。

『面会時間はもう終わりですよ』って言うナースの声に、警官は重い腰を上げる。

いつものようにその背中を見送って。

ふと、警官が振り返った。

「君は・・・、自分を突き落とした犯人を捕まえたくないのかい?」

「捕まえたいも何も、事故ですから・・・」

どんな言葉回しにも引っかからないあたしに、苦虫を噛み潰したような複雑な表情を向け、また明日来るよ・・・と言い残して病室を出て行った。

ああ、疲れた。

完全に警官の姿が見えなくなったところで、思いっきり息を吐いてベットに寝転がる。

本当に疲れた。

毎日が大体こんな感じ。

コーチや友達がお見舞いに来たり、警官が事情聴取に来たり。

アメリカで出来た友達のほとんどは、あたしと同じジュニアのプロテニスプレーヤーで、お見舞いに来てはくれるけど、心の中ではライバルが減ったって喜んでるのがみえみえ。

そんな人たちに『大丈夫だから』と笑顔を振り撒かなきゃいけないのは、精神的に疲れる。

コーチたちも心底心配してくれているが、今まで一生懸命あたしを指導してくれたのにと思うと、申し訳ないと思う気持ちでいっぱいになる。

テニスがもう出来ないこととか、これからどうするのかとか、考えなくちゃいけないことは山ほどあるのに、みんなはその時間を与えてくれない。

あたしはベットの傍に置いてあるノートパソコンを取り、メールの受信の確認を始める。

メールは・・・きてる、乾からだ。

乾からのメールは、あたしが怪我をする前も怪我をした後も変わらない。

いつものとりとめのない会話。

今日のメールには、乾が通っている青学テニス部伝統の『ランキング戦』というものの事細かな詳細が長々と書き連ねられている。(データ付きで)

確かこの前、乾の(一方的?な)ライバルの手塚という男子がテニス部の部長になったと言ってたっけ?

その手塚くんの試合が凄かったと、これまた事細かに書いてある。(もちろんデータ付き)

乾はかなりの負けず嫌いだから、目を付けられた手塚くんは大変だ。

見たこともないのに、乾からのメールでしか知らないのに、まるでその光景を見たことあるような錯覚に陥る。

きっと毎日が楽しいんだろう。

あたしが選ばなかった道で乾は毎日頑張ってて、それはどんなに充実した日々なんだろう。

それに比べてあたしはどうだろうか?

不意に警官の言葉が頭の中を過ぎった。

『自分を突き落とした犯人を捕まえたくないのかい?』

「・・・犯人、か」

周りの人間にも警官に対しても『あれは事故だ』と言い張ってはいるが、本当はみんなが言うように事故なんかじゃない。

目撃者もいるんだから、警官にしてみれば事故だって言い張るあたしの考えが分からないだろう。

あの時、事件が起こったあの時。

あたしはあの時ほど、自分の動体視力の良さを恨んだことはなかった。

背中を突き飛ばされて、思わず目線で背後を追って。

そこで見たあの人の顔は、今でも忘れられない。

あの時の憎しみに満ちたあの表情を、きっとあたしは一生忘れることが出来ないだろう。

自分が選んだ道に不満はないけれど。

それでも、もしかするとあたしは間違っていたのかもしれないと。

あの人の表情と、乾からのメールを読んでいるとチラリと思う。

『あれは本当に事故だったのか?』

メールの一番最後、遠慮がちに書かれてある言葉を見つけた。

スクロールしないと読めない、隠された言葉。

「・・・もちろんだよ、乾」

あたしは今日初めて、乾に嘘をついた。

 

 

退院を明日に控えた私の元に、最後の見舞い客が来た。

階段から突き落とされた時、危うくあたしの下敷きになるかもしれなかった子供。

母親はあたしの怪我の具合を知っているんだろう、遠慮がちに礼を言った。

もしあの時子供を避けなければ、あたしは今でもプロテニスプレーヤーとしてコートに立っていたんだろう。

だけど避けなければ、この子供はこんなに元気にここにはいなかったかもしれない。

あの時、この子供を避けることができるだけの運動神経があったことに感謝した。

「ありがとう、おねぇちゃん!!」

笑顔でお見舞い用の花束を差し出してくる子供に、自然と笑みがこぼれる。

今のこの状況になっても、この子が助かってよかったと思える自分が嬉しかった。

「どういたしまして。怪我がなくてよかったね」

「うん、おねぇちゃんのおかげだってママが言ってた!」

やっぱり遠慮がちに子供をたしなめる母親に向かって、安心するようにと笑顔を向けた。

「僕おねぇちゃんの試合見たよ!おねぇちゃん、すごくテニス上手だね!!」

「そう?ありがとう」

「僕もね、テニスやってるんだよ?今はあんまり上手くないけど、絶対上手になるから!だから僕が上手になったら、僕と試合してね?」

まっすぐに向けられる純粋な瞳。

「うん、そうだね。楽しみにしてるよ」

そう答えるあたしは、間違っているだろうか?

日本の約束の定番、『指きりげんまん』をして満足そうに笑っている子供は、母親に連れられて病室を出て行った。

静まり返る病室。

遠くの方で人のざわめきが聞こえる。

もう何もかもがどうでも良くなってきた。

考えることが面倒くさくて、心配してくれるのは嬉しいけど見舞い客の相手も疲れた。

あたしはゆっくりとベットを降りて、膝の具合を確かめる。

普段の生活には支障はないと言われていたし、明日退院するのだから完治してるんだろうけど。

前とほとんど変わらない感覚は『本当にテニス出来ないの?』という疑問さえ湧き出てくる。

あたしはパジャマを脱いで隠してあった私服に着替えると、財布や携帯なんかをカバンに詰め込んで病室を出ようとした。

「あ・・・っと、これを忘れちゃね」

ベットに戻って置きっぱなしのノートパソコンをカバンに突っ込んで。

心配しちゃいけないからと、一応書置きを残して。

あたしは1ヶ月の間過ごした病室を後にした。

 

 

それから一週間の間、日本に帰ってきたあたしはぶらり気ままな旅。

大阪に行ってたこ焼きを食べたり、博多に行ってラーメン食べたり。

別にたこ焼きもラーメンも何処でだって食べられるけど、普段やらないような事をしてみたくなった。

携帯には何の連絡もない。

そりゃそうだ。この携帯はアメリカ限定で、日本では使えないんだから。

その代わりにパソコンのメールボックスはメールで溢れかえっていた。

ほとんどがコーチからで、とても心配をかけているみたいだ。

その中にたった一つだけ、乾からのメール。

『今、何処にいるの?』

返事は返さなかった。

だって返事を返す必要なんかないでしょ?

乾の通っている青学の近くのコンビニで、アイスを食べながらそう思う。

 

 

病院のベットの中で、これからどうしようかと考えた時、あたしの頭の中に浮かんできたのは、乾の怪しい逆光めがね。

それからメールの中にしか存在しなかった、楽しそうな日常。

飾らない私でいられる場所。

そのままの私を受け入れてくれるヒト。

迷っていたあたしをそっと見守ってくれたヒト。

今まであたしが築いてきた全てのものが崩れてしまったから。

もう一度最初から積み重ねていかなきゃいけないから。

それならやっぱり君の傍でなくちゃね。

あたしは新しい日常を始めるために、青学の門をくぐった。

 

 

テニスプレイヤーとしての、最後の日。

そして、新しい自分の始まり。

そんな感じで。(笑)

更新日 2011.1.23

 

戻る