「あらら〜、まさかこんな展開になるとは・・・」

レイヴンは現在の自分が置かれている状況を冷静に判断し、誰に言うでもなく困ったように呟いた。

に逃げられ、仕方がないと1人でケーブ・モック大森林に向かったはいいけれど、そこには彼が予想もしない光景が広がっていた。

凶暴化した魔物たち。

普段は近づかなければ襲ってこない種類の魔物たちですら、今やレイヴンに鋭い牙を剥いている。

一体何があったのかと疑問に思うが、当然ながらその答えは返ってこない。―――まぁ、期待していたわけではないけれど。

「魔物が凶暴化してるなんて、ちゃん言ってなかったのになぁ」

構えた弓で襲い掛かる魔物を打ち落としながら、レイヴンは他人事のように独りごちる。

彼女がその情報を手に入れていなかったのか、それとも知っていて黙っていたのかは解らない。―――出来れば前者であって欲しいと心の底から願うが。

この場にがいたならば、状況も少しは変わっただろう。

普段はあまり使わないが、は強力な魔術を使える。

その実力は、魔道士を名乗っている者たちと照らし合わせても遜色ない。

なのに滅多に魔術を使おうとしないに、どうしてかと問いかけた事がある。

そうするとは眉間に皺を寄せて、こう答えたのだ。

「だってさ、魔術って場合によっては使い勝手悪いじゃない。大勢を相手にするなら便利だけど」

「そ〜お?」

「そうよ。上級魔術ほど詠唱時間が長いし、その間は無防備なわけでしょ?初級魔術は詠唱時間短いけど、相手を一発で黙らせられるわけじゃないし。それだったら銃ぶっ放すか、一発蹴りいれてやった方が手っ取り早いじゃない」

「・・・なるほど。ちゃんらしいわね」

「ま、今は動きながらでも詠唱出来るように練習頑張ってるとこ。ま、見ててよ。すぐにマスターしてみせるからさ」

そう言って自慢げに笑ったの顔を思い出し、こんな状況にもかかわらずレイヴンは小さく笑みを零した。

本当に、見かけによらず戦う事が好きな娘だ。

大人しくしていれば、可憐な少女に見えない事もないのに・・・―――とそこまで考えて、レイヴンはすぐさま考えを改めた。

確かに見た目はそう見えない事もない。

しかしの瞳に秘められたあの強い輝きは、大人しくしていたとしても彼女の本当の強さを隠してはくれないだろう。

どんな状況でも前向きに、明るさを失う事無く、たとえそれが自分を脅した相手であっても関係なく自分を保ち続ける。

どんな暗闇の中でも光り輝く存在。

そんな存在を、レイヴンは自らの迂闊さで手放してしまったのだ。

『・・・あんた、それ本気で言ってんの?』

突き刺さるようなの眼差しと、今まで聞いた事がない強い怒りの篭った声がレイヴンの脳裏に甦る。

あの時、しまったと思ったのだ。

思ったけれど、引き返せなかった。―――それだけの余裕が、あの時のレイヴンにはなかった。

『俺様に命、買われたんじゃないの?』

本気で言った言葉ではない。

本気ではなかったけれど、そう言えばが自分との契約を思い出し、自分からは離れられないと意識するのではないかと思っていたのも事実だった。

「まったく、おっさんも馬鹿よね〜」

自嘲気味に呟きながら、目にも留まらぬ早業で矢を連射する。―――それらは今にも飛び掛らんとしていた魔物たちを打ち抜き、地面へと沈めた。

その亡骸を一瞥し、レイヴンは術の詠唱に入る。

ではないけれど、これだけの数の魔物を各個撃破していたのではきりがない。

「覚悟しなさいよ〜」

言いつつ、術の詠唱を続けながら、しかしレイヴンの意識は再びあの時間へと飛ぶ。

酒場で見た、情報屋として仕事をするの姿。

どこの誰とも知れない酔っ払いを相手に、愛想よく笑顔を振りまく。

それは初めて見るものではなかったけれど、レイヴンにとっては楽しいものではなかった。

あの笑顔を向けられるのは、自分だけであって欲しいと思った。

それが無理な話だとは解っていたし、レイヴンもこれまでそれを意識したことはない。―――否、意識から切り離していただけなのかもしれないけれど。

ただどうしてなのか、あの瞬間それを強く意識したのだ。

この感情が何を示すのか、それなりに経験を積んできたレイヴンは知っている。

それを認めたくはないという気持ちと、いっそ認めてしまえという気持ちが、今もまだレイヴンの中でせめぎあっている。―――しかし、不思議と悪い気分はしなかった。

今の自分でもそんな感情をもてるのだという驚き。

まだそんな風に思えるのだとそう思うだけで、どこか救われた気がした。

自分よりも一回りも違う少女に対して、まさかそんな気持ちを抱こうとは思っていなかったが。

いや、その予感はあったのだろう。

あの夜、初めてを目にした時、無意識ながらもそれが解っていたのかもしれない。―――だからこそ、無理やりに彼女を己の下へ縛り付けたのだと。

しかし今更気付いてももう遅い。

自らの失態で、は自分の下から去ってしまった。

あの様子では、もう戻ってきてはくれないだろう。―――それ以前に、自分が無事にダングレストに戻れる保証もないが。

けれど・・・。

もしも、この状況を切り抜け、ダングレストに戻る事が出来たら。

そして精一杯の誠意を込めて謝り倒したら、は赦してくれないだろうか?

しょうがないおっさんね、とそう言って笑ってはくれないだろうか?

「・・・・・・っ!」

術の詠唱が終わる。

なんとか間に合ったと心の内で安堵しつつ、それを解き放つべく構えて・・・―――しかしレイヴンは視界に映った光景に、思わず歯を噛み締めた。

まるでスローモーションのように自分へと飛び掛る魔物の群れ。

それを認識すると同時に襲い掛かられ、レイヴンは咄嗟に術を発動しながらもその場になぎ倒された。

巻き起こる嵐に吹き飛ばされる魔物たちを視界に映しながら、彼もまた魔物たちの勢いに抗えず地面へと伏す。

「・・・ここまで、か」

先ほど魔物につけられた傷と、既に限界を迎えていた体力のせいで起き上がる事もままならず、レイヴンは鬱蒼と繁る木々を見上げて諦めたように呟いた。

先ほどの魔術で全ての魔物を退けられたのならよかったのだが、生憎と範囲外にいた魔物もたくさんいる。

それらはもう動くことも出来ないレイヴンに狙いを定め、その牙を剥いている。

「まさかこんな形で最期を迎えるなんてね」

まるで自分自身を嘲笑うかのように、レイヴンは小さく独りごちた。

それはこんな形にはなってしまったけれど、彼の望んでいた事でもあった。

だから漸く終われると安堵してもいいだろうに、それでもレイヴンは胸に沸き起こる焦燥感にグッと唇を噛み締めた。

最期に見たの表情。

あんな顔をさせたかったわけではない。

けれど普段は絶対にしないだろうあんな表情を浮かべさせたのが自分だという事に、どこか優越感のようなものを感じたのも確かだった。

「ほんと、救いようのない馬鹿よね」

身体が重い。

少しづつ遠くなっていく意識に抗う事無く、レイヴンは苦笑を浮かべつつ目を閉じた。

魔物の唸り声は、少しづつ近くなっている。

彼の最期も、もうすぐだろう。―――そう思った時だった。

降り注げ、大いなる氷の裁き

聞き覚えのある声に、うっすらと目を開く。

そうしてその目に映った人物の姿に、彼は軽く目を見開いた。

アイシクルレイン!

力ある言葉と共に、魔術が発動する。

声に合わせるように降り注ぐ氷の雨は、その場にいた魔物たちへと襲い掛かった。

「なんで・・・」

こんなところにいるのか?

その問いは声になる事はなく、とうに限界を向かえていたレイヴンは、その驚きと安堵がもたらす強制的な力で落ちるように意識を失う。

霞んでいく視界の中で見えたのは、ダングレストで別れたはずの少女だった。

 

 

「・・・レイヴン!!」

魔術や体術を駆使し、あまりにも数の多い魔物たちを相手に戦っていたは、目に映る範囲での最後の一匹を倒した後、急いでレイヴンの元へと駆け寄った。

そうしてレイヴンの姿を目に映し、は思わず息を飲む。

身体中に付けられた傷は、酷いものばかりだった。

普段の態度からは想像がつかないが、かなりの実力を持っているレイヴンがこれほど傷を負うなんて・・・―――その事実に訝しさを感じながらも、はバックから結界を取り出しすぐさまそれを発動させ、あまり広くはないその空間にレイヴンを引きずり込んだ。

結界魔導器とは違い、道具屋で売られているものだけにそれほど長くは持たないけれど、これがあれば一晩は魔物から身を守る事が出来る。

本当はすぐさまレイヴンをこの森から連れて出たいところだけれど、生憎と大の男を背負って行けるほどに力はない。

「この結界だって結構高いんだから。―――後で絶対弁償してもらうからね」

相手に聞こえていない事は解っていたが、それでも言い訳交じりにそう告げて、は小さく息を吐き出すとレイヴンの身体に手を翳した。

癒しの力よ。―――ファーストエイド

力ある言葉と共に、レイヴンを淡い光が包み込む。

治癒術により、少しづつレイヴンの身体にあった傷が癒されていく。―――しかしそれらは完全に傷を治すには至らず、暫くその行為を続けていたは疲れたようにため息を吐き出した。

「・・・治癒術って、得意じゃないのよね」

言い訳がましくそう呟き、体に残る疲労感に息を吐く。

人には得手不得手というものがある。

にとっては攻撃魔術は得意中の得意であったが、治癒術に関してはとてもそうとはいえなかった。

何せ初級魔術にも関わらず、このファーストエイドでさえ覚えるのは大変だったのだ。

それでも魔術を教えてくれた相手が覚えておいた方がいいとそう言ったから、は必死になってそれを習得した。―――まぁ、その言葉は確かに間違ってはいなかったが。

しかし程度の治癒術では、これ以上の治癒は難しそうだ。

ずっと続けていれば少しは効果もあるだろうが、先ほどの戦闘で残る疲労感の為、これ以上続けると自分自身も危ういとそう判断する。

ここで自分までもが倒れてしまえば、2人とも命の保障はない。

とりあえず傷口は塞がり、なんとか出血も止まった。

あとは彼が目を覚ますのを待ち、一緒に森を出ればいい。

街に戻れば他にも治癒術を使えるものがいるかもしれないし、最悪いなくても安全な街の中でゆっくりと傷を癒せばいいだろう。

そう考えただったが、流石にこのままの状態でレイヴンを放置しておく気にもなれず、魔術は使えないが簡単な治療だけはしておいた方がいいだろうと思い、少しボロボロになってしまったレイヴンの服に手をかけた。

「・・・・・・うわぁ」

やはりあちこち傷は酷い。

幸いな事に深い傷はの治癒術で癒されたらしく、命に関わるようなものは残っていない。

それにホッと安堵の息を吐いて、がレイヴンの服をはだけさせたその時だった。

「・・・え?」

自分の目に映った光景を一瞬理解できず、は無意識の呟きを漏らす。

「・・・なに、これ?」

呆然と呟きながら、レイヴンの胸へと手を伸ばした。

そこには人の身体には絶対に見慣れないものがある。

そっと触れてみると、微かに温かい。―――それはレイヴンの体温を吸収しているからだろうか。

「どうして・・・」

レイヴンの胸に埋められた、魔導器。

それはどう見ても普通ではない。―――少なくとも、は今までこんな人間は見た事がなかった。

「・・・うっ」

あまりの光景に思わず絶句し呆然とそれを見つめるの耳に、レイヴンの小さなうめき声が届いた。

ハッと我に返り視線を向けるが、どうやら目を覚ましたわけではないらしい。

それに心のどこかでホッとしつつも、とりあえずは治療が先だと思い直し、は腰に下げていた小さな鞄の中から簡易救急セットを取り出すと、無言のままでレイヴンの傷の手当を始めた。

 

 

粗方の治療を終え、ホッと息を吐いたは、使った救急セットを片付けながらチラリと横目で今も意識を失ったままのレイヴンを見やった。

今、彼の顔には苦悶の色はない。

そのことに安堵しつつも、やはり先ほどの光景が頭から離れず、はどうしたらいいのか解らず、森の景色へと視線を戻した。

先ほどの魔物の凶暴化が嘘のように、穏やかに静まり返った森の中。

一体何があったのかと訝しく思いながらも、は手持ち無沙汰に耐え切れず立ち上がり、レイヴンをそのままに結界を出た。

この中にいれば、たとえ魔物が襲ってきたとしても大丈夫だろう。

それよりもレイヴンの傷の方が心配だった。

確かに治療はしたけれど、魔物の中には毒を持っているものもいる。

今は何の症状もないけれど、予防するに越した事はない。

そう考え、はとりあえず化膿止めの薬を作るべく、その材料を求めて森の中を歩いた。

最近ではいい薬も市場に出回っている為にそれらの知識を持つものは少ないが、昔は森で薬草を取り、それを煎じて使っていたのだ。

幸いな事にその知識を持ち合わせているは、注意深く辺りを見回しながら目的の薬草を採取する。

ケーブ・モック大森林は、薬草の宝庫だった。

しかし順調に進んでいた薬草採取も、残すところあと1つというところで手が止まる。

最後の1つが見つからない。

これだけ緑があるのだからないという事はないだろうと思うが、しかし目的のものが見つけられず、は困ったように息を吐いた。

全て揃わなければ意味がない。

しかし、ない物をどうこう言っても仕方がないと解っているは、諦めたように集めた薬草を見下ろした。

「・・・ま、あのおっさんなら大丈夫だとは思うけど」

とりあえず今のところ症状はないのだ。

念の為の保険のようなものなのだから、ないからといって命に関わることはない。

そう自分を納得させ、あまり長く離れているのも心配だと思い直したは、薬草の採取を諦め踵を返した。―――もしかすると、レイヴンももう目を覚ましているかもしれない。

しかしその直後、背後で鳴った葉音には弾かれたように振り返った。

魔物の気配はしなかった。

では一体何が・・・―――瞬時にそう考えたは、咄嗟に抜いた銃を構える。

けれどは、目の前の光景にすぐさまその銃を下ろした。

1人の男が、立っていた。

赤いコートを着た、長い銀髪の造作の整った男。

彼はその赤い瞳でジッとを見つめると、静かに足を踏み出した。

その光景を身動きできぬまま見つめていたへと近づくと、彼は彼女の手を取り手に持っていた何かをへと握らせる。

無意識の内にそれへと視線を落とすと、それは今まさにが探していた薬草の最後のひとつだった。

「・・・どうして」

呟きつつ、は自分が何を問いたいのか解らなかった。

しかし男はジッとを見つめつつ、低く心地よい声色で静かに告げる。

「探していたのだろう?」

男の言葉にコクリと小さく頷けば、満足したのか踵を返してに背を向けた。

「・・・ねぇ!」

何も言わずに去っていく男へと慌てて声をかけるけれど、男は振り返る事無く森の奥へと姿を消す。

それを呆然と見送ったは、もう1度手の中にある薬草へと視線を落とし、眉間に皺を寄せつつ小さく呟いた。

「・・・どうして」

今度の問いは、自分が何を問いたいのか解っていた。

けれどその問いに答えてくれる相手はもういない。

何故か追いかける気にもなれなかった。

「・・・デューク」

追いかけても、きっと彼はもうそこにはいないだろうと漠然とそう思った。

 

 

伝えたい想いの


ここでデューク登場。

なんだかちょっと詰め込み過ぎな気もしますが。(笑)

作成日 2009.12.20

更新日 2011.3.20

 

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