「・・・で、結局はこうなるわけね」

力なくそう呟いて、は重いため息を吐き出す。

確かにあの状況で、取れる道など他にはなかった。

期限付きの監視はあれどそれなりに自由のある生か、それとも潔く死を選ぶか。

他の人間がどちらを選ぶかはの知るところではないが、少なくともは後者を選ばなかった。

「まぁ、よくよく考えてみれば給料は出してくれるって言うんだし、そんなに悪い話じゃないかもねー、あっはっはー」

モチベーションを上げようと殊更明るい声で呟いてみるものの、笑い声が乾いてしまっているのでは何の効果もない。

まさかこんな事になるなんて・・・、と後悔しても今更過ぎて笑えない。

「・・・はぁ」

とうとう自分を励ます事も放棄して、はため息混じりに正面の鏡に映る騎士姿の自分へと視線を向けた。

 

 

そうしては今、たった1人で城内を歩いていた。

彼女を勧誘した張本人であるシュヴァーンは別件があるらしく、に騎士服を手渡した後姿を見ていない。

しばらくは彼の部屋で大人しくしていろという意味なのだろうが、誰もいない生活感の感じられないガランとした部屋の中で1人でいるのに耐えられず、これから3年間シュヴァーン隊にいるのならばこれから関わりもあるだろうシュヴァーン隊の主だった面々に挨拶でもしておくべきかと出てきたのだ。

勝手に拝見させてもらった彼の机の上の山積みの書類の中から警備の配置表を見つけたは、それを頼りに見慣れない城内を歩く。

「見た目からして大きいだけあって、流石に中も広いわよね。しかもなんだか似たような内装で迷子になりそう」

ブツブツと呟きながら歩くが、を見咎める者は誰もいない。

同じように警備についている騎士もいるが、別段怪しまれる事もなかった。

騎士の格好はまるで免罪符のようだと暢気な事を考えながら、通りすがりに警備の騎士に軽くお辞儀をすれば、同じように軽くお辞儀を返してくれた騎士が驚いたように自分を見る。

その驚きようがなんだか面白くて、は気付かれないよう小さく笑みを零した。

それにしても、自分の騎士服があんな鎧ではなくて本当に良かったと、今自分が着ている騎士服を見下ろして改めて思う。

シュヴァーンが着ているものとよく似た、オレンジを基調とした身体に沿うような服。

最初に騎士服を渡された時には驚いたが、鎧なんて着た事もなかったにはありがたかった。―――あんな鎧を着た日には、一歩も動けないのではないかと思っていたのだから。

しかしこういう形の騎士服は、いわゆる騎士団の上部の人間が着るものではないのだろうか?

こんな期限付きの偽りの騎士が着ていていいものかと思ったが、シュヴァーン本人から渡されたのだから構わないのだろう。

今更鎧を着ろと言われて困るのはなのだから、あまりこの話題には触れずにいようと改めて考えた。

「・・・うわ、広〜い」

不意に開けた空間に出たは、その場のあまりの広さに思わず感嘆のため息を吐き出す。

天井は高く、嵌められている色とりどりのガラスが光を受けて虹色に輝いている。

視線を巡らせれば、そこにはとても大きな扉が見えた。

おそらくここは城の入り口か何かなのだろう。

そもそも人が通るだけの扉にあれだけの大きさが必要なのかと突っ込みたいが、それでが何か被害を被るわけでもない為、取り立てて気にする必要もないのかもしれない。

そんな中、警備に当たっている1人の男を見つけたは、頭に叩き込んだ警備配置表と照らし合わせ、その人物がシュヴァーン隊の小隊長であると確信し、少し緊張しながらもその男の下へと足を向けた。

ゆっくりとした足取りで近づくに気付き、男が顔を上げる。

その男の顔を見て、は「ああ、この人か・・・」と納得したように頷いた。

直接騎士団と深く関わりがあるわけではないけれど、この男の顔は見た事がある。

いつも街の中を罪人らしき人物を追って駆けている姿を見た事があるからだ。

それは下町の人間だったり、市民街の人間だったり、時には貴族であったりするのだけれど。

貴族を追い掛け回す騎士なんて初めて見たは、それなりに驚いたものだ。

大抵の騎士は貴族出身である為、騎士は貴族に対して厳しくない。

それは勿論貴族出身ではない騎士もいるにはいるが、数としては圧倒的に少ないだろう。

だというのに、何の罪を犯したのかは知らないが騎士が貴族を追い回して大丈夫なのだろうかと他人事に思っていたのだけれど、今ここでその騎士の顔を見て妙に納得した。

あのシュヴァーンの部下だというのなら、それもありなのかもしれない。

何せ城内に忍び込んで捕まったを、期限付きとはいえ表向きは無罪放免で自分の手元に置こうというのだ。―――貴族を追い掛け回す事ぐらい、大した問題ではないのかもしれない。

実際問題として、どうしてシュヴァーンがを手元に置こうと考えたのか、今もまだには解らない。

聞いてみても笑うだけで答えてはくれなかった。

「・・・そんなに人手が足りないとは思えないんだけどなぁ」

思わず呟いてしまい、件の騎士が訝しげに自分を見ている事に気付き、は慌てて口を噤んだ。

「警備、ご苦労様です」

取り繕うようにそう言えば、騎士はパッと素早い動きで敬礼をする。

「はっ、とんでもありません!」

おそらくはの着ている騎士服から、上官だとでも思ったのだろうか。

丁寧な言葉遣いに内心苦笑いしながら、も見よう見真似で敬礼を返した。―――ここにいる者が、数時間前までは城内をうろついていた侵入者だと知れば、この騎士はどんな反応をするだろうか。

「初めまして、私はと申します。この度シュヴァーン隊長の下で補佐の仕事をさせて頂く事になりましたので、そのご挨拶にと・・・」

出来る限り丁寧に、普段使わないような言葉遣いを心がけつつそう話しかける。

はこのまま騎士としてやっていくつもりはないし、勿論そうしたいと思ってもそれが叶うとは思っていない。

3年という時間の間だけ、こうして騎士を演じるのだ。

ならばそれが終わった時、誰にも自分の正体が知られていないようにしようとそう考えた。

だからシュヴァーンに直訴し、ここでは偽名を名乗る事に決めたのだ。―――ちなみに名前はシュヴァーンの執務室にあった膨大な本の中から適当に何冊か抜き出し、そこの登場人物の名前を組み合わせたものだ。

そうして言葉遣いを変え、振る舞いを変え、雰囲気を変える。

情報屋には駆け引きも必要だ。―――そういう意味では、こういった偽りの姿を演じるのもそう苦ではない。

「はっ、それはご丁寧に。私はルブランと申します」

「どうぞよろしくお願いします」

にっこりと微笑みかければ、厳しい顔をしていたルブランも僅かに表情を緩める。

街を歩いている騎士を見ていると近寄りがたい雰囲気もあるが、こうして何の構えもなく前に立てば意外と違和感がないものだ。―――勿論、今のも同じ騎士である事に違いはないのだが。

「失礼ですが、殿はこれまでどちらの隊に?―――いえ、今まで一度もお見かけした事がなかったものですから」

騎士団には一体何人の騎士がいると思っているのだ。

見た事がない騎士がいても不思議ではないだろうと心の中で反論しながら、は殊更やんわりと微笑んで見せた。

あまり深く追求しないで欲しい。

何せが知っている隊といえば、シュヴァーン隊くらいしかないのだから。

「・・・下っ端の騎士だったんです。ご存じないのは当然です」

あえて逃げ道を作ってみるも、不思議そうな顔をしたルブランに嫌な予感が走る。

「何を仰る。シュヴァーン隊長の補佐に抜擢されるなど、余程優秀なのではありませぬか?あの方は特定の騎士を傍には置かない方ですから」

「・・・そう、ですか?」

確かに言われればそうかもしれない。

あっさりとを補佐という立場に置いたところを見ると、おそらく現在のシュヴァーンに特定の補佐はいないのだろう。

隊長ともあろう立場にある者が補佐の1人もいないなど考えた事もなかったが、言われれば納得できる部分だ。―――補佐がいれば、彼の机の上の書類も、少しは整頓されているに違いない。

曖昧な笑顔を浮かべたまま誤魔化すようにそう返したは、どうしたものかと僅かに視線を泳がせる。

まさかこんな微妙なピンチが待っているとは思っていなかった。

ただあまりにも暇で落ち着かなかったものだから、安易にこうして挨拶回りに出てきたが、こんな事なら大人しくシュヴァーンの執務室で待っていれば良かったのかもしれない。

殿・・・?」

ルブランが訝しげに首を傾げたと同時に、彼の着ていた鎧がカシャリと小さく鳴る。

なんだかそれに急かされているような気がして、はどうしたものかと必死に頭を回転させた。―――その時だった。

「・・・こんなところで何をしている」

不意に聞き覚えのある声がその場に響き、は天の助けとばかりに勢いよく振り返った。

視線の先には、訝しげな面持ちのシュヴァーンが立っている。

ふとを認めてギョッとしたような顔をしたが、そんな事は今のにはどうでもいい事だった。

「シュヴァーン・・・隊長」

ホッと安堵の息を吐き出し、彼の名前を呼んだは、仮にも自分の上司に呼び捨てはまずいだろうと慌てて言葉を付け足す。

それに気付いたシュヴァーンは軽く口の端を上げて笑ったが、あえてそれには触れずにもう1度何をしていると質問を繰り返した。

「これからお世話になるので、シュヴァーン隊の方々にご挨拶を・・・」

という名目上の、ただの探検だ。―――とは流石にルブランを前にしては言えない。

しかしそれさえも見抜いているのか、シュヴァーンはなるほどと小さく頷いて見せ、彼が現れた時から素早い動きで敬礼をしているルブランを見やった。

「警備、ご苦労。彼女は本日付で私の補佐として働いてもらう事になった。これから顔を合わす事もあるだろう。よろしくしてやってくれ」

「はっ!勿論であります!!」

打てば響くといった様子で声を上げるルブランを見つめていたは、チラリと横目でシュヴァーンを見やる。

どうやらとても慕われているようだ。

シュヴァーンが現れた時のルブランの反応を見ていれば、聞かずともすぐに解った。

「では行こうか。これから色々と打ち合わせがある」

「畏まりました。―――ではルブラン殿、失礼致します」

「はっ!」

ビシッと敬礼をするルブランに軽くお辞儀をして、は先に歩き出したシュヴァーンの後を追うように駆け出す。

そうして漸く追いついたは、他に誰の姿もない事を確認してから口を開いた。

「随分と部下に慕われているんですね」

「・・・部屋に居ろと言った筈だが?」

世間話を説教に変えられ、はバツが悪そうに眉を寄せる。

「あの部屋、なんだか落ち着かないんです。人の気配が感じられなくて」

「・・・なるほど。―――それよりもその言葉遣いはどうした?」

「まぁ、TPOで使い分けようかと思いまして」

シレッとそう言ってのければ、シュヴァーンはまた楽しそうに笑う。

一体何がそんなに楽しいのかと訝しく思うけれど、何故か問えずにいた。―――真面目な顔をしているシュヴァーンよりも、笑っているシュヴァーンの方が自然に見えたからかもしれない。

「それよりも・・・ひとつ、聞いていいか?」

「どうぞ」

ピタリと立ち止まり、シュヴァーンはまじまじとの顔を見つめる。

それを楽しそうに見返し、は込み上げそうな笑みをなんとか押し留めた。―――まるで悪戯を仕掛けた子供のようだ。

「その仮面は、どういう趣向だ?」

本当に不思議そうに問いかけられ、は思わず噴出した。

そうしてころころと楽しそうに笑い、笑われた事で憮然とした表情を浮かべているシュヴァーンを見上げる。

「似合ってますか、シュヴァーン隊長?」

そう言って、自分の顔を覆っている仮面を指先で弾く。

コンと軽い音を立てたそれは、の顔を見事に隠していた。

「そんなもの、一体どこから持ってきた?」

「そこらへんから。ちょうどいいものがあるなと思って。心配しなくても後でちゃんと返しておくわ。代用品は明日にでも買ってくるから」

あっけらかんとそう言えば、シュヴァーンは呆れた表情を浮かべる。

騎士服に着替えたは、どうやって本格的に自分の素性を隠すかを考えた。

名前や雰囲気を変えても、姿形が変わっていなければ意味がない。

晴れて騎士団から解放された後、顔が知られていてはマズいのだ。

そう思案していたは、シュヴァーンの執務室の端に飾られてあるこの仮面に気付き、ちょうどいいと拝借したのだ。

この仮面ならば、しっかりとの顔を隠してくれる。

確かに怪しい事は怪しいだろうが、流石にシュヴァーン隊長の補佐に面と向かってそれを言う輩もいないだろう。

これで完璧だと思ったは、それを確かめるべくこうして挨拶回りと称した散歩に出てきたのだ。

結果は上々。

挨拶を交わした騎士が驚いたように振り返るのを見て、何度笑いを堪えたか。

「返してもらわなくても、そんなものでよければ好きにしていいが・・・」

「あら、太っ腹。さすが隊長ともなると違うわね」

再び歩き出したシュヴァーンに並んで歩くは、チラリとシュヴァーンを見上げながらからかうように笑う。

現実問題としては、非常にありがたい申し出だった。

この仮面は、まるであつらえたようにの顔にフィットしている。

それにちゃんと顔を隠してくれるが、つけていてもそれほど視界は悪くない。

こんな仮面を改めて探すとなると結構大変そうだと思っていたところだったのだ。

それに加えて、雑貨屋などに仮面などというある種怪しげなアイテムを探して歩くなどという不審な行動を取らずにすんだ事も非常にありがたかった。

「私としては、自分の補佐にそんな怪しげな仮面は付けていてもらいたくはないが」

「残念だけど、諦めて」

「・・・外す気は毛頭ないという事か」

「当然。これからの私の未来が掛かってるんだから、これだけは絶対に譲れないわ」

そう、にはまだ未来がある。

シュヴァーンと契約を交わし、命を繋ぐ為に騎士団へと入った。

それもこれも、契約が終わった後の未来の為だ。

「私にはやらなきゃいけない事があるの。その為には絶対に顔はバレちゃいけないの」

「やらなければいけない事・・・?」

不意に声色が真剣味を帯びた事に気付き、シュヴァーンはチラリと横目でを見やった。

残念ながら、仮面が邪魔をしての表情はわからない。

聞いたら答えてくれるだろうか?

ふとそんな疑問が脳裏に浮かび、シュヴァーンはそれに抗う事無く疑問を口にした。

「やらなければならない事、とはなんだ?」

漸くシュヴァーンの執務室に辿り着き、しかし扉に手をかけたままそう問いかける部屋の主をジッと見上げて。

そうしてはにっこりと微笑むと、そっと口元へ人差し指を当てた。

「内緒」

クスクスと笑いながらスルリとシュヴァーンの脇を通り抜け、彼が握ったままのドアノブを押し開けると、部屋の中へと身を滑り込ませる。

その早業を唖然としながら見つめていたシュヴァーンは、クスリと小さく笑みを零した。

「なるほど、なかなか手ごわいな。」

苦笑の滲んだその言葉は、誰にも聞き咎められる事もないまま廊下へと落ちて。

閉ざされた執務室からは、少女の楽しげな笑い声が微かに響いていた。

 

 

仮面の騎士

(不審者と間違われないよう気をつける事だな)


主人公の苦肉の策。そして私の苦肉の策でもあります。(笑)

シュヴァーンの立場が立場ですから、主人公もそれなりに工夫してもらわないと。

ちなみに主人公がつけている仮面は、ナム孤島の景品て手に入れられる物に近いイメージ。

でもあれじゃ、顔バレちゃいそうですけどね。(笑)

作成日 2009.11.19

更新日 2009.12.27

 

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