の毎日は、多少の騒動はあれど概ね変わらない。

ドンの命令を受けたレイヴンと共にあちこち放浪する羽目になる以外は、ダングレストから出る事もない。

この街で、は日々街の人々と親交を深め、必要があるかどうかも解らない情報を集め続けるのだ。

そうして気がつけば時はあっという間に過ぎ去って。

 

とレイヴンが出逢って、早くも1年の月日が過ぎようとしていた。

 

 

相変わらず賑わいに満ちた酒場で、はひっそりとため息を吐き出した。

酒場が賑わっているのはいい事だ。

そこは問題ではない。

問題は、今まさにの目の前にいる男の方なのだけれど。

「なぁ、いいだろ?たまには一緒に飯でも食いに行こうぜ」

すっかり酔いが回っているのか、至極楽しそうな様子で馴れ馴れしく腕を掴む男に内心辟易しながらも、は日ごろ培った営業スマイルを浮かべる。

「何言ってんの、今だって一緒にご飯してるじゃない」

本音を言えば今すぐここでさようならしたいのに付き合ってるんだから、これ以上困らせるんじゃないわよ。

心の中でそう言葉を付け足しつつ当たり障りのない言葉を選んでそう言えば、男は焦れたように声を上げグラスの酒を一気に煽った。

「そういう意味じゃなくてさぁ!」

男の言いたい事は十分に解っている。

解ってはいるが、それを受け入れるかどうかはにも選択権はあるのだ。

ならばさっさとここから離れてしまえばいいのだけれど、出来れば事は穏便に済ませたい。―――そんな思いがあるから、はいつまでも酔っ払いの相手を続けなければならない羽目に陥っていた。

は情報屋だ。

つい1年程前までは駆け出しの情報屋に過ぎなかった彼女も、ここ1年ですっかり1人前と呼んでも差し支えないほどの成長を遂げていた。

それは彼女の努力も勿論あるが、バックに天を射る矢(アルトスク)がついていた事も大きかったかもしれない。

天を射る矢の首領・ドンと、その右腕・レイヴンが後ろ盾として存在していたから、特に危険らしい危険もないまま、は着実に人脈を広げてこられたのだ。―――勿論、その後ろ盾のせいで危険な目にあった事がまったくないとは言わないけれど。

彼と出会ってのささやかな日常が崩れ去った時は運が悪いと嘆きもしたけれど、今から考えれば情報屋として成長する絶好の機会でもあったのだ。

そしてはその絶好の機会を逃す事無く、着実に自分の下へと引き寄せた。

しかしその代わりに背負ってしまった荷物は、ある意味大き過ぎたかもしれないけれど。

ドンから下されたという、聖核の捜索。

それはレイヴンと共にいるにとっても他人事ではない。

しかしそれが何か解らない以上、そう簡単に見つかるわけもなかった。

ダングレストに来て、早1年。―――今もまだ、その正体を知る者はいない。

だからこそは無駄と知りながらも、こうして毎日情報を集め続けているのだ。

そんな中、僅かな希望を手に入れたのは、今から1ヶ月前の事。

ダングレストに程近いケーブモック大森林の奥で、なにやら不思議な現象が起きているという情報を手に入れたのだ。

もしかすると聖核関連かも・・・と淡い期待を抱くレイヴンを横目に、はそんな上手い話があるわけがないと思わずため息を吐き出したけれど。

それでもその話を聞きつけたドンが、聖核を探すついでに調査して来いと言い出したものだから話は厄介で。

どうせ行くのなら、万が一の為にもしっかりと情報を集めておいた方がいいだろうと判断したは、最近森の近くを通ったという目の前の男に接触したのだけれど。

でもやっぱりダメよね。

心の中でひっそりと呟き、小さくため息を吐き出す。

目の前の男は何も知らなかった。―――確かに森の近くを通っただけでは、森の中で何が起こっているのかなど知る術もないだろう。

予想していた事ではあるが、肩透かしを食らったようでは落胆したものだが。

そうして用を済ませたがそろそろ退散しようかと思った頃、この男からのお誘い攻撃が始まったのだ。

本音を言うなら、キッパリ断って帰りたい。

しつこいようなら、蹴りの一発でもお見舞いしてやりたい。―――しつこい酔っ払いの酔いを醒ますいい目覚ましになるだろう。

もうこの男から聞きだせる情報はないのだ。―――今の時点では。

「・・・・・・はぁ」

目の前でご機嫌に笑う男を横目に、は何度目かのため息を吐き出す。

そうなのだ。

今の時点では目の前の男に用はない。

しかしこれから先もそうだとは限らないのだ。

聞けばこの男は色々なところを旅してきているという話だし、しばらくはダングレストに腰を落ち着けるとも言っていた。

の仕事が聖核に関する事だけならば男の持つ情報には期待できそうもないが、それ以外ではどうだろう?

は天を射る矢以外にも、求められれば情報を提供する。

その中で、この男の持つ情報が必要になるかもしれない。

情報屋にとって一番大切なのは、信頼と情報網。

出来る限り安全な情報網は確保しておきたいとしては、目の前の男を無下にできないのも事実だった。

まぁ、どうしても我慢できないほど嫌ならば別だが、まだ営業スマイルで交わせる程度ならばなんとか穏便に済ませたい。―――それがの本音でもあった。

それにしても、鬱陶しい。

つい先ほど、なんとか穏便に済ませたいと思ったばかりだというのに、もう既に我慢も限界に来ている事を自覚して、は苛立たしげにコツコツとブーツの踵を鳴らす。

ここで蹴りをお見舞いしてやったらすっきりするだろうな、と現実逃避でストレスを発散させようとするけれど、生憎とそんな事くらいでストレスは消えてはくれない。

「でさぁ、その時そいつが・・・」

の心境も知らず、男は上機嫌に話し続ける。

なんだかもう、こうなってくると全てにおいてイライラしてくる気がして、は乱暴な手つきでジュースの入ったグラスを煽った。

大体、この酒場にはこんなにたくさん人がいるのに、どうして誰も助けに入ってこようとしないのよ。

もう既にやつあたりの域に達しながら、はそれぞれ楽しそうに話をしながら酒を飲む顔なじみたちを睨みつける。

彼らは彼らでの仕事を邪魔しないようにと気を遣ってくれているのだが、今のにとっては余計な気遣いだとしか思えなかった。―――勿論、完璧なやつあたりなのだが。

ったく、誰かいないの?

ブーツの踵は先ほどよりもテンポ良くの苛立ちを教えてくれる。

彼女渾身の蹴りが放たれるのも、時間の問題だ。―――ちょうど、その時だった。

ガタンという乱暴に椅子を引く音に視線を移せば、そこにはいつからいたのかレイヴンの姿がある。

本当にいつからいたのだろうか?

情報収集に夢中になっていて彼がいつ酒場に来たのかも解らなかった。

しかし思わぬ人物の登場に、はホッと安堵の息を吐き出す。

この状況から抜け出す絶好のチャンスだ。

レイヴンがに気付いているかは解らないが、レイヴンならばこの酔っ払いも軽くあっさりあしらえるだろう。

そんな期待を込めて視線を送れば、レイヴンもまたの方へと視線を向けていた。

そうしてが目で何かを訴えかける前に、2人の方へと歩いてくる。

アイコンタクトがなくとも、の訴えを理解したらしい。

そう思いは内心で拍手を送ったのだが、しかしレイヴンが近づいてくるにつれ、その表情に気付き「おや・・・?」とひっそり首を傾げた。

いつもと、雰囲気が違う。

どこがどう違うのかと言われれば説明が難しいけれど、あえて言うならば彼がいつも標準装備しているあのノラリクラリとした空気がないのだ。

いつもその顔に浮かんでいる締りのない笑みもない。

どこか険しい目つきでジッとこちらを見ているレイヴンのその姿は、普段の彼とは似ても似つかなかった。

どちらかといえば、レイヴンというよりも・・・。

「な〜に?随分と楽しそうね」

そんな事を考えている間に、レイヴンは2人の席まで歩み寄ると、からかうような声色でそう言い笑った。

「・・・レイヴン?」

しかしその笑みもいつもの彼のものとは違う。

笑っているのに、笑っていない。―――そんな風に見えるのだ。

一体何がどうなっているのか解らず眉を寄せるを他所に、レイヴンはヒタリと酔っ払った男を見据え、嘲るような笑みを口元へ浮かべたまま口を開いた。

「ちょいとお兄さん。悪いけどこの子に手ぇ出すの止めてくれる?」

「なんだよ、おっさん。関係ねぇだろうが」

突然現れたレイヴンの遠慮のない物言いに、いい感じに酔っ払っていた男が不愉快を隠す事無く顔を顰めた。

それはそうだろう。―――男の気持ちも解らなくはない。

しかしレイヴンはそんな男の物言いに取り合う素振りも見せず、相変わらず笑みを貼り付けたまま、とんでもない言葉を放った。

「残念だけど関係はあるんだよね〜。この子、おっさんのだからさ」

「・・・はぁ?」

そんなレイヴンの言葉に声を上げたのは、男ではなくの方だった。

一体何を言い出すんだと、唖然とした面持ちでレイヴンを見つめる。

確かにこの状況から助けてほしいと思ったのはだ。

しかしだからといって、その発言はどうなのか。

その証拠に、酒場に集まっていた客たちは驚いたような・・・―――それでいて楽しそうな眼差しで3人のやり取りを見つめている。

さっき助けを求めた時は知らん顔してたくせに・・・とが心の中で悪態をつくその間に、レイヴンはこちらも呆気に取られたようにポカンと口を開けている男に向かい更に言葉を続けた。

「人のもんに手ぇ出しちゃいけないって、誰かに教わらなかった?」

ダメ押しとばかりに告げられる言葉と、放たれる僅かな殺気。

これは一体、誰?

座ったまま呆然とレイヴンを見上げていたは、まるで現実感のないこの状況の中、心の内でポツリと呟く。

今目の前にいるおっさんが、どこか遠くにいるような気がする。

鋭い目つき。

浮かぶ嘲笑。

それらを向けられているのは酔っ払いの男だけではない。―――も、だ。

「ちょっと、レイヴン」

「ほら、行くぞ。―――じゃ〜ね」

何がなんだか解らない状況の中、それでもがどうしたのかと問い詰めようとするその前に、レイヴンは座ったままだったの腕を痛いくらいに引っ張り、今もまだ呆気にとられる男に向かい軽い口調でそう告げると、返事も聞かないまま酒場を出た。

それに引きずられる形で酒場を出たは、こちらを振り返る事もなく先を進むレイヴンの背中を呆然と見つめる。

本当に、一体どうしたというのだろう。

改めてそれを考えるけれど、生憎とその答えは出てこない。

はその答えを持っていないのだ。―――その答えを持っているのは、きっと・・・。

そこまで考えてハッと我に返ったは、今もまだ自分の腕をつかんで歩き続けるレイヴンへと声をかけた。

「ちょっと、レイヴン。痛いから放してってば!」

「・・・・・・」

「レイヴン!」

しかしどんなに声をかけても、どんなに声を荒げても、レイヴンは立ち止まらないしの腕も放さない。

それにとうとう我慢できなくなったは、グッと踏ん張り立ち止まると乱暴な仕草で自分の腕を掴んでいるレイヴンの手を振り払った。

「放せって言ってるでしょーが!もう、一体なんなのよ!!」

怒りのままに声を荒げ、先ほどまでレイヴンに掴まれていた腕を見る。

そこにはくっきりと彼の手の跡が残っていた。―――それを見れば、どれくらい強い力で握られていたのかがよく解る。

そんな目に見えるものにすら怒りを煽られて、は強い目つきで思いっきりレイヴンを睨み上げた。

「レイヴン、どういうつもり?仕事の邪魔しないでよ。そんでもって、誰が誰のものだって?」

確かに助けを求めたのはだ。

あの状況に、困り果てていたのも間違いではない。

だからといって、あんなやり方では今後の協力は見込めないだろう。

その為に酔っ払いの相手をしていたというのに、それがこの結果ではまったくの無駄だったではないか。

それなら自分で鬱憤を晴らした方が余程すっきりしたに違いない。

レイヴンなら上手く交わしてくれるだろうと期待した自分が馬鹿だったのか?―――そう自問するけれど、生憎と頭の血が上っている今のにレイヴンを擁護するような答えは出てこなかった。

それに加え、あの『は俺様のもの』発言。

相手を交わすにしたって、性質が悪過ぎる。―――しかも、あんな大勢の前で。

しかしそんなの文句をもさらりと流して、レイヴンは先ほど男に向けていたものと同じ笑みをへと向けた。

「あれ?ちゃんは俺様のもんでしょーが」

当然とばかりに放たれる言葉。

それにまたもや呆気にとられたは、しかしすぐさま我に返ると噛み付く勢いで声を上げた。

「だから、なんで・・・!」

しかしそんなの勢いにも、レイヴンはまったく動じない。

普段の彼とは思えないほど落ち着いた様子で、まるで声を張り上げているの方が可笑しいのだと言わんばかりの態度で、レイヴンはあっさりとにとっては信じられないような言葉を発した。

「俺様に命、買われたんじゃないの?」

「なっ・・・!」

レイヴンの言葉に絶句するのは、今日だけで一体何度目だろう。

そんなどうでもいい事を頭の隅で考えながら、は言葉もなくレイヴンを見返した。

今、レイヴンは何と言った?

信じられないような言葉を聞いた気がする。

咄嗟に反応できずにいたをどう思ったのか。―――しかしレイヴンは口を閉ざす事無く、彼女にとっては残酷過ぎる言葉を告げた。

「だったら俺様のもんでしょーが。―――ま、長い人生の3年だけなんだから、気張って俺様に仕えてちょーだいよ」

今になってへらへらと笑い、漸く『いつもの』レイヴンに戻ったおっさんは、に向かい軽い口調でそう話す。

まるで他愛ない世間話をするようなそんな口調で、レイヴンはに絶対的な宣告を突きつけたのだ。

そんなレイヴンを呆気にとられたように見つめていたは、一拍後僅かに目を細め、普段よりも幾分か低い声色で口を開く。

「・・・あんた、それ本気で言ってんの?」

冗談にしては性質が悪過ぎる。

けれど相手はレイヴンなのだ。

勿論冗談に決まってんでしょ、とそう笑って言えば、今なら鉄拳制裁で済ませてやろうとは心の中でそう思った。―――否、そう無意識にも願っていたのだ。

しかし現実はを救いはしなかった。

「当然でしょ。―――ほら、行くよ〜」

あっさりと肯定し、この話はこれで終わりだと言わんばかりに踵を返したレイヴンの見慣れた背中を、はジッと睨みつける。

レイヴンと出逢ってから、早くも1年。

長かった3年の、まだたったの3分の1。

まだまだ自由を手に入れるには先は長いなと考えながら、しかし心の底ではまんざらでもない思いを抱いていた。

交換条件での相棒だったけれど、ダングレストでの彼との生活は、にとっても楽しいものであったから。

だからこそ、はレイヴンの後を付いていく気にはなれなかった。

「・・・?」

少し先を行ったレイヴンは、が付いてきていない事に気付き、訝しげに振り返る。

その無言の促しを真っ向から見返して、はキッパリとした口調で言い放った。

「私、行かない」

言葉少なに告げられた意思に、レイヴンは軽く目を見開く。

しかしすぐに呆れを滲ませた表情を浮かべ、身体ごとの方へと振り返ると、ため息混じりに呟いた。

「おいおい、何言って・・・」

「捕まえたきゃ捕まえればいい。死刑でもなんでもすればいいよ」

しかしはレイヴンの言葉を遮って、静かな声色でそう告げた。

そこには迷いや恐怖、戸惑いは微塵もない。

漸くの異変に気付いたレイヴンは、浮かべていた笑みや呆れを引っ込め、僅かに驚きの色を浮かべながら眉を寄せる。

「・・・どうしたの、急に」

「確かに私はレイヴンに命を拾われた。今私がこうしてそれなりに自由に生活して息してられるのは、確かにレイヴンのおかげ。それは認める」

何の気まぐれか、彼が出した交換条件。

それは確かに破格の待遇だった。

何か裏があるのかと最初は疑っていたも、すぐさまどうやら何の意図もないらしい事に気付いた。

どうして彼がそんな交換条件を持ちかけたのか解らないまでも、ダングレストで彼と共に日々を過ごす内に、そんな交換条件など頭から抜け落ちていたのも事実だ。

それは決して忘れるべき事ではなかった。

気を許すべきではなかったのだ。

上手い話には裏がある。―――あれほど、言い含められていたというのに・・・。

無言でを見つめ次の言葉を待つレイヴンを真っ向から睨みつけ、はキッパリ言い放った。

「だけど私は、魂まで売ったつもりはないの。誰かの奴隷になったつもりはない」

自分は、誰かに支配されたわけではない。

たとえどんな事があっても、自分の主は自分なのだ。

それは誰かの部下になろうと、たとえ交換条件を飲んだとしても変わらない。―――レイヴンがどう思っていたとしても、の中では変わらないのだ。

「そうなるくらいなら、潔く死んだ方がましよ」

それはまさしく、の本心だった。

まだ死ぬわけにはいかない。

にはやりたい事も、やらなければならない事もたくさんあるのだ。

まだ死ねない。―――こんなところでは。

しかしその生が誰かの支配の下にあるというならば、それを飲む事は出来ないのだ。

それがのプライドでもあり、意地でもある。

はっきりとそう言い放ったに何も言えず、呆然と立ち尽くすレイヴンを一際鋭く睨みつけて。

「じゃあね、レイヴン。私はあの酒場にいるから、通報でもなんでもご自由にどうぞ」

それだけを告げると、はレイヴンに背中を向けた。

どうせ最後を迎えるならば、潔くありたい。

元はといえば、自分の迂闊さが招いた事態なのだ。―――その責任は、負わなければならない。

それに必ずしも死刑になるとは限らないのだ。

まぁ、あまりそこに期待を持つのは楽観的過ぎるかもしれないが。

「ちょ、ちゃん!」

背後から聞こえるレイヴンの声を無視し、は酒場の扉に手をかける。

そうして振り返らないまま扉を押し開け店の中へと入るの瞳には、もうレイヴンの姿は映ってはいなかった。

 

 

早過ぎる訣別


些細なきっかけと、大きなすれ違い。

作成日 2009.12.12

更新日 2010.10.24

 

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