晴れ渡った空の下。

帝都ザーフィアスの市民街にて、暇を持て余す少女が1人。

ベンチに座り、通り過ぎる人々を眺めながら欠伸をひとつ。

「・・・暇だ」

ぽかぽかと降り注ぐ日差しに目を細めて、はポツリと小さく呟いた。

 

 

「え、私行かなくていいの?」

レイヴンの思わぬ言葉に目を丸くしたは、活気ある酒場の喧騒に負けないほど大きな声を上げた。

それに何事かと視線を向ける他の客たちに咄嗟に愛想笑いを浮かべて、それぞれがそれぞれの会話に戻ったのを確認し、は心持ちレイヴンに顔を寄せて囁くような声でもう1度同じ問いを投げ掛ける。

「本当に、私行かなくていいの?」

「何?ちゃん、おっさんと一緒に来たいの?」

即座に返ってきた言葉に思わず首を横に振ると、レイヴンは自分が言った言葉にも関わらず苦い表情を浮かべる。

きっとはレイヴンと一緒にいたくないと言っているわけではないと解ってはいるけれど、そうすぐに否定されると傷つかない事もない。

それでも彼女の言わんとしている事の意味を察している彼は、それに対して文句を言うつもりはなかったけれど。

レイヴンとがザーフィアスに着いたのは、もう既に日も暮れかけた頃だった。

とりあえずと手近な場所に宿を取り、夕食がてらに酒場を訪れた2人は、そこでこれからの予定についての話し合いを始めたのだ。

元々この街に来た目的は、レイヴンことシュヴァーンの騎士団への中間報告である。

だから勿論城に戻らなければならないのだが、そこでレイヴンはへ言ったのだ。―――城には自分が行くから、ちゃんはここで待っててと。

そうして話は、冒頭に遡るのである。

レイヴンの問いを即座に否定したは、運ばれてきた料理に手を伸ばしつつ口を開いた。

「私としてはあんまり行きたくない場所ではあるから助かるけど、ホントにいいの?」

「まぁ、簡単な中間報告だからね。おっさんだけで十分よ。―――そんなに長居するつもりもないしね」

あっさりと返ってきた言葉に、は納得したようなそうでないような複雑な面持ちでひとつ頷く。

確かにレイヴンの申し出は、にとっては非常にありがたい。

元々騎士でもなんでもないにとっては、城に向かうという事は必要以上に緊張を強いられるのだ。

しかしレイヴンとの交換条件で3年間は騎士の真似事をしなければならない身としては、それをどうこう言える立場でもない。

現にこれまでは、たとえ滞在期間が短くても、も彼と共に城へ戻っていたのだ。

だからきっと今回もそうだと思っていた。

けれどレイヴンは言うのだ。―――ここで待っていていいと。

それを不思議に思わないわけがなかった。

一体どういう心境の変化なのか。

「・・・ねぇ、レイヴン」

「なによ?」

ホカホカ湯気をたてる料理を口へと運びながら、は窺うようにレイヴンを見る。

けれど普段から飄々としている彼からは、その真意は量れない。

「・・・ううん、なんでもない」

だからは結局言葉を口にすることなく、首を横に振ると黙って再び料理へと手を伸ばす。

もしかすると、自分は漸く彼に信用されたのかもしれない。

これまでは、置いていくと逃げられるかもしれないと思っていたのかも。

しかしここ1年共にいて、彼はを信用し、置いていっても大丈夫だと判断したのだろう。

勿論には最初から逃げるつもりもなかったけれど。

しかしそうだとするならば、にとっては嫌な事ではない。

少し不本意ではあるが、レイヴンとの生活を楽しんでいる事も確かなのだ。―――お互いの関係が関係とはいえ、そこに信頼が生まれたのならば歓迎すべきことだ。

そう結論付けて、はジュースで口を潤すと、今もまだ不思議そうな顔をしているレイヴンを見返してにっこりと微笑んだ。

「私ここで待ってるから、行ってらっしゃい」

そうしては、彼と出逢ってから初めての完全なる自由な時間を手に入れたのである。

 

 

「遅くても夕方までには戻ってくるから、その頃には宿屋に戻っててちょーだいよ」

そんなレイヴンの言葉にしっかりと頷いて、は早速自由時間を満喫するべく街に出た。

ダングレストとザーフィアスでは街の雰囲気が違う事からも解る通り、店に並んでいる商品もかなり違う。

つい1年ほど前のにとっては見慣れたものだったが、流石に1年ぶりともなれば懐かしさを感じた。

そんな懐かしさを感じる品物を目的もなくぶらぶらと見て歩きながら、たまに気になった商品を手に取る。

本当はいくつか購入したいものもあったのだけれど、旅をしている身としてはあまり荷物は増やせないと己に言い聞かせ諦めた。

勿論無駄遣いなどするつもりもない為、買い物はグミ類など実用的なものばかりになってしまうが。

もしここにレイヴンがいれば、結構稼いでるのに・・・と突っ込みが入りそうだが、それとこれとは話が別である。

確かにレイヴンと出会い、様々なところへコネを作れた結果、は情報屋として成功していた。

昔に比べて報酬が高額の依頼も入る事もあるし、お金を稼ぎたいにとってはありがたいことだけれど。

だからといって、これまで以上にお金を使う気はなかった。―――の目的はお金を稼ぐ事であり、使う事ではないからだ。

そういえばきっと、レイヴンはどうして?と聞くのだろう。

だからこの場にレイヴンがいない事は、にとってはありがたかった。

しかしいくら使う気がないとはいえ、物が欲しくないわけではない。

とて年頃の娘なのだ。―――特にこれが欲しいという明確なものがあるわけではないが、こうしてウィンドウショッピングをしていれば「いいなぁ」と思うものも当然あるわけで。

それを何回か繰り返している内に、なんだかこうして見て回ることが無駄な行為に思えてきて、は早々に買い物を切り上げ、今度はベンチに座って人間観察を始めたのだけれど。

「・・・暇だ」

ぽかぽかと降り注ぐ日差しに目を細めて、はポツリと小さく呟く。

情報屋としての性か、人間観察は嫌いではなかったけれど、あまりにも穏やかすぎる光景に欠伸が漏れる。

「1年前は、こうして1人でいても全然平気だったのに」

思わずそう呟いて、困ったように眉を寄せる。

たった1年、されど1年。

あっという間に過ぎ去った日々だったけれど、それは確実にの中に変化をもたらしたのだろう。

1人でいる事が、こんなにもつまらない事だったなんて。

「・・・どっか知り合いのところに顔を出そうかな」

そう思うものの、重い腰は上がらない。

随分とお世話になった酒場のマスターにも結局は自分の口から挨拶が出来ずじまいだった為、出来る事なら会いに行きたいとは思うのだけれど、行けば行ったで色々と追求されるのだろうと思うとなかなか足を向けられない。

一応は定期的に手紙を送ってはいるけれど、きっとマスターはものすごく心配してくれているだろうと思うから。

それでも今が抱えている事情を話すわけにはいかない以上、向けられる問いには嘘をつかなければならない。

出来れば嘘はつきたくない。―――お世話になった相手であるなら、なおさら。

そう思うから、は馴染みの酒場に顔を出せないのである。

それに・・・―――と晴れ渡った空を見上げて、は小さくため息を吐き出す。

1人でいる事がつまらないと思っているわけではないという事に、は気付いている。

きっと『レイヴンがいないから』なのだろう。

それほどまでに、彼は彼女の内に深く存在している。―――勿論、彼がいれば騒動に事欠かないというのも理由のひとつだけれど。

それを思うと悔しいが、既に自覚してしまっているため仕方がない。

勿論、本人に悟られるようなマネはしないけれど。

「・・・ちょっと早いけど帰ろうかな」

暫くぼんやりとベンチに座っていたは、最終的にはそう結論を出し、購入した少しの荷物を持って立ち上がる。

「折角の自由時間も、上手く活用できなきゃ意味ないわよね」

今度こういう機会がある時の為にも、もっと楽しめるよう計画を立てておこう。

心の中でそう考えながら、はまだレイヴンが戻っていないだろう宿屋へ足を向けた。

 

 

宿屋に戻ってきてからのは、買い物に出掛けているよりも有意義な時間を過ごしていた。

確かに先ほどは暇を持て余していたけれど、何もやる事がないわけではないのだ。

折角時間があるのだからと、これまでは面倒で手をつけていなかった情報の整理をする事にした。

情報の時期、場所、条件など大まかに分類していく。

ありがたい事に仕事の幅が広がった為、扱う情報も多方面に渡っている。

それを細かく解りやすく整理するのは、思っていた以上に骨の折れる作業だった。

しかしそのおかげで時間を忘れる事が出来たのも確かで、漸く一段落ついたと思った頃には、街は赤い夕日に染められていた。

「・・・もう、こんな時間か。そろそろ帰ってくる頃かも」

そう独りごちて、は慌ててテーブルいっぱいに広げた資料を纏める。

いくらレイヴンといえども、これはそう簡単には見せられない。

の大切な仕事道具なのだ。―――たとえ相手がどんなに近しい人間だとしても、そう簡単に手の内は明かさないのが情報屋だというのがの持論だ。

そうして手早く資料をまとめ、それをバックに収めて一息ついたその時、部屋のドアがノックされる音に気付いては顔を上げた。

レイヴンが戻ってきたのだろうか。

いつもはノックなどせずいきなり部屋の中に入ってくるというのに、今日は随分と律儀なものだと頭の片隅で考えながら、は普段の彼女にしては考えられないほど無防備にいともあっさりと部屋の扉を開けた。

いつもならば、相手を確認せずに開けるようなマネはしないのだが。

「お帰り。ノックなんて珍し・・・」

だな」

声をかけながら扉を開けたは、しかし聞き慣れない声に咄嗟に身構える。

素早い動きで身を引き扉を閉めようとするが、生憎とドアノブを相手に掴まれているための行動は阻まれる。

そこで漸く顔を上げたは、目の前に立つ男の姿に思わず目を見開いた。

「・・・騎士?」

「お前がで間違いないな?」

予想外の相手に呆気に取られるを他所に、ドアが閉まるのを身体を使って塞いでいた騎士が確認の為かもう1度そう問いかける。

それに思わず眉間に皺を寄せたは、不信感も露わに鋭く騎士を睨み上げて。

「・・・そうだけど」

には、こうして騎士に尋ねてこられるような覚えはない。

街で何か騒動を起こしたわけでも、犯罪行為に手を染めたわけでもない。―――まぁ、1度城内に忍び込んだ事はあるけれど。

しかしそれはシュヴァーンしか知らない事だし、彼とは契約を結ぶという事で落ち着いている。

それらを踏まえると、何故騎士が自分を名指しで訪ねてきたのか解らない。

そんな思いを込めて騎士を見やるも、鉄の兜に顔を覆われている騎士の表情は読めなかった。

「なんなの、一体。騎士様が私に何の用?」

自分に疚しいところはひとつもないという確信があるからか、強気の態度に出るを他所に、彼女の前に立つ騎士は少しも動じた様子なく淡々とした口調で用件だけを短く告げた。

「騎士団より逮捕状が出ている。大人しく一緒に来てもらおう」

「はぁ?逮捕状?」

いやにあっさりと告げられた用件に、は間の抜けた声を上げながら目を丸くする。

何度も言うが、は犯罪行為に手を染めたことなどない。

今回ザーフィアスに来てからも、特に騒動に巻き込まれたという覚えもない。

滞在期間が短い事は解っていたので情報屋の仕事もしていないし、やった事といえば街をぶらついた事くらいだというのに。

それでどうして自分に逮捕状が出るのか。

不思議で仕方ないが、唯一その可能性がある事に思い至り、はグッと眉間に皺を寄せる。

しかし思い至ったそれに蓋をして、は噛み付く勢いで声を上げた。

「ちょっと待ってよ。私は逮捕されるような事なんてしてないわよ。罪状は?」

「自分たちには知らされていない。連行せよとの命が下っただけだ」

「なに、そのやっつけ仕事!冤罪よ!」

今まで生きて来た中で、逮捕状が出るような行為をしたのはたった1度だけ。

どこかの貴族の男に上手く乗せられ、城に忍び込んだあの一件。

シュヴァーンと取引を交わし、難を逃れて1年。

彼がそれを今更覆すとは思えなかったが、それしか理由が見当たらないのも確かで。

目の前にいる騎士を問いただしても、相手は知らぬの一点張り。

これでははっきりとした理由も解らない。

そんな状況で、はこれからどうするかを考える。

何もやっていないなら、出向いてもいいのかもしれない。―――説明を聞いてくれるかは解らないが、少なくとも自身は毅然とした態度でいれる。

しかし実際、彼女には探られれば困る腹があるのだ。

それがバレれば交換条件を持ちかけたシュヴァーン自身も咎められるかもしれないが、相手は隊長クラスなのだからどうとでもなるだろう。

もしも彼が裏切ったのならば、ここは逃げた方がいいのかもしれない。

捕まれば死罪にもなりうる。

それが本当かどうかは解らないが、事が事だけにありえない事でもないように思えた。

けれど、もしもこれがシュヴァーンの裏切りではなかったら?

何か事情があるのか、それとも彼の知らぬところで動いている事なのか。

だとすれば、彼が戻ってきた時、の姿がない事を心配するかもしれない。―――まぁ騎士がここに来ている時点で彼がまったく関知してない事はないに等しいけれど。

そしてもしも彼が関与していないなら、一体誰が何の理由での連行を命じたのか。

何度も言うが、はあの件以外では犯罪行為に手を染めた事がない。

だから今回連行を命じた人間がいるのなら、それはまったくの冤罪かもしくは何らかの意図があるか。

今目の前にいる騎士が何も聞かされていないという事は、後者の意味合いの方が強いのかもしれない。

ならば、一体誰が何の為に・・・?

ジッと自分を睨みつけながら考え込んでいるに焦れたのか、騎士は少し苛立ったように語気を強めて。

「弁明ならば然るべき所でしろ。―――連行する」

「ちょ、ちょっと!!」

とうとう強硬手段に出た騎士に慌てて抗議の声を上げるけれど、の手をつかんだ騎士の手は離される事はない。

どうする?

逃げるなら、今しかない。

城に入れば、そのチャンスは完全に失われてしまう。

シュヴァーンを信じるか、否か。

「・・・ああ、もう!」

唐突に決断を迫られたは、しかし諦めたような声を上げて抵抗を止めた。

引っ張られるままに騎士の後を大人しく歩き、ため息をひとつ。

もうこうなってしまえば仕方がない。

1度は信じると決めたのだ。―――こうなれば、この先に何が待っているのか確かめてやろうじゃないか。

「もしも裏切ってたりしたら・・・ぶっ飛ばしてやる」

自分の手を掴み連行する騎士に聞こえないようポツリと呟いて、は既に暮れかけた空を見上げてもう1度ため息を吐き出した。

 

 

突然の逮捕状


新連載、開始。

始まったばかりだというのに、もう既に不穏な気配が・・・。

今回は、あの人との対決です。

作成日 2010.1.9

更新日 2011.11.13

 

戻る