耳に痛いほどの静寂の中、コツリと硬質な音を立てて足音が響く。

牢屋の中の固く冷たいベットに腰をかけて俯いていたは、その音にふと顔を上げた。

視線を鉄格子の向こうへと向けるけれど、その足音の主の姿はまだ見えない。

しかしそれが誰だか粗方検討をつけていたは、小さくため息を吐き出して身体を伸ばし、視線を元に戻すと後ろ手で身体を支えるように楽な体勢を取りつつ、じっとその人物が姿を見せるその時を待った。

コツン、と一際大きな音をさせて足音が途絶える。

視界の端に、見慣れない姿が映った。―――けれどそれは、見慣れた人物でもある。

それに再び視線を牢屋の外へと向けたは、当然のようにそこにいる人物を軽く睨みつけた。

それはもしかすると、睨みつけたというよりは恨めしげな眼差しになっていたかもしれないが。

その視線を受けて、その男・・・―――シュヴァーンは申し訳なさそうに視線を落とす。

「・・・すまない」

静かな空間に落とされた第一声に、は軽く眉を上げる。

それは一体、何に対しての謝罪なのか。

を牢屋に入れた事か。

それとも、彼女を裏切った事か。

しかし今のシュヴァーンの様子を見ていれば、後者ではないように思えた。―――もしかすると、ただ彼女がそう思いたかっただけなのかもしれないけれど。

「どういう事か、きっちり説明してもらいましょうか、シュヴァーン」

の言葉に、シュヴァーンが伏せていた目を見開く。

おそらくに責められると思っていたのだろう。―――そこには微かな安堵すら浮かんでいるようで、は仕方がないとばかりに苦笑した。

「納得のいく説明をお願いするわよ」

「・・・ああ」

「じゃ、とりあえずここから出して。居心地悪いんだもん、ここ」

「そうか?静かで落ち着くだろう?」

「それはおっさんだけでしょ」

呆れたように言えば、シュヴァーンはくつくつと楽しそうに笑う。

それを目に映しながら、は漸く調子を戻したらしいシュヴァーンに小さく安堵の息を吐き出した。

 

 

そうして数時間ぶりに牢屋から出る事が出来たは、先ほどまでいた場所とは全然違う清潔で明るい空間に心の底から安堵の息を吐き出した。

居心地いいとそう言えるのは、きっとレイヴンくらいだ。

勿論罪人を拘束しておく場所なのだから、居心地が悪くて当然なのだけれど。

もう2度と入りたくないと心の底から思いつつ、は自分を己の執務室へと連れてきた男を横目にもう1度ため息を吐き出した。

今どんな状況なのか。

どうして突然自分が連行され、牢屋に入れられ、そして彼が迎えにきたのか。

納得のいく説明をと言ったけれど、果たして説明を聞いて納得できるものなのか。―――それは話を聞いてみない事には解らないが。

「とりあえず騎士服に着替えてくれ。話は着替えながらでも聞けるだろう」

振り返ったシュヴァーンは、この場所でが着るべき服を差し出しながらそう告げる。―――すなわち、騎士服だ。

それを心持ち嫌そうに眺めながら、ジロリとシュヴァーンを睨みつける。

先ほどから何をごそごそとしているのかと思えば、どうやらこれを探していたらしい。

「こんな形で連れて来られたんだから、納得のいく説明を期待していいんでしょうね」

肯定の言葉にどれほど期待できるのかは解らないが、とりあえず念を押しつつそれでも文句を言わずに無言でそれを受け取って。

そして彼の言い分通り、素直に着替えようとして・・・―――けれどはちっとも動く気配のない男に気付き、騎士服に落としていた視線を改めてシュヴァーンへと向けた。

「あんたなんで堂々とそこにいるわけ?私これから着替えるんだけど」

「お前が着替えている間に説明すると言っただろう?」

の文句など気にした様子もなくサラッと答えるシュヴァーンに、彼女の眉間に盛大に皺が寄った。

むしろ表情ひとつ変えずに言ってのけるのだから、この男は本当に恐ろしい。―――いや、性質が悪いと言うべきか。

ともかくも、ここで押し問答をしていても時間の無駄だと判断したは、ジロリとシュヴァーンを睨みつけながらキッパリとした口調で言い放った。

「じゃあ、着替え終わってからでいいわよ。とっとと出てって」

強い意志の現れたはっきりとした彼女の言葉も、けれどシュヴァーンは気にしないらしい。

さも当然と言わんばかりに、むしろ心外だと表情にそう表して、彼はひょいと肩を竦めて見せた。

「仮にもこの部屋の主である俺が、部屋の前に突っ立ってるなんてところを他の騎士に見られたら不審がられるだろう」

「じゃあ私が別の部屋で着替えるわよ」

「その格好で移動するのか?誰かに見られて困るのはお前の方だろう?」

「じゃあ、そっちが別の部屋で待機してたら?」

「時間がない」

ああ言えばこう言う、とはまさにこの事だろう。

お前は一体何を考えているのだと問い詰めても、きっとの望む答えは得られないに違いない。

むしろこれ以上イライラが募る前に事を片付けたいは、ここは自分が折れるしかないだろうと盛大にため息を吐き出した。―――どうやら彼に大人な対応は期待できないらしい。

「・・・あっち向いてて。振り返ったらタダじゃ済まさないわよ」

これがに出来る最大限の譲歩だ。

本当ならそんな譲歩などしたくはないが、この際仕方がない。―――そう思えるようになってしまうほど、どうやら自分は彼に毒されているらしいと微かに頭痛を覚える。

けれどシュヴァーンは、の言葉に心外だと言わんばかりに眉を上げて。

「俺はそんなに信用ならないか?」

「ならない。ほら、とっととあっち向く!」

シュヴァーンの言葉を一蹴して、は今にも噛み付かんばかりの勢いで声を荒げた。

そんな彼女の様子に、これ以上食い下がるのは得策ではないと判断したのだろう。―――彼にしては珍しく、素直にへと背中を向ける。

それを確認してから、は疲れたようにため息を吐き出し、自分もまた彼に背中を向けてから用意されていた騎士服に手を伸ばした。

「・・・で、私はなんでここに連行されたわけ?今回は同行しなくてもいいって言ったのはそっちでしょうが」

上着を脱ぎつつ、は放置されたままだった話の先を促す。

レイヴンは、今回は同行しなくてもいいと、確かに言った。

だからこそは、久しぶりに手に入れた自由時間を満喫するべく残ったのだ。

もしも何か用事があるのならば、素直に付いて行った。

勿論出来る限りは避けたいとは思っているが、それもこれも自分のミスが招いた事だ。―――その責任を放棄するつもりは、にはない。

がそんな問いを投げ掛けると、いつもとは違う少し苦い色を含んだシュヴァーンの声が耳に届く。

「事情が変わったんだ。今回の件は俺にとっても不本意だ」

彼の声色から察するに、その言葉に嘘はないのだろう。

牢屋に姿を現したシュヴァーンも、確かにそんな顔をしていた。―――そんな事を頭の隅でぼんやりと考えながらも、は手を休めず騎士服へと手を伸ばす。

「事情って?」

パッと考えた限りでは、彼が不本意に思っていても実行しなければならないほどの事情とやらに思い至らない。

余程の事情なのだろうとは思うが、その予測がつかないのだ。

そんなに向かい、彼は彼女が予想もしていなかった言葉を投げ掛けた。

「騎士団長がお前に会うと言い出した」

「は!?騎士団長!?」

予想外の人物の名に思わず勢いよく振り返ったは、しかしこちらに背中を向けていたはずのシュヴァーンがこちらを見ている事に気付き、先ほどの衝撃的な発言も忘れて盛大に頬を引き攣らせた。

「ちょっと!なんでこっち見てんのよ!!」

「いや、俺は信用ならないと言っていたからな。どうせ信用がないなら、見ないと損だろう?」

「どういう理屈よ!だから信用されないのよ、あんたは!!」

シレッと言い放つシュヴァーンに、は拳を振るわせつつ声を上げる。

こんな男を信用した自分が馬鹿だった。

そう思っても、この怒りはそう簡単には収まらない。

彼の突拍子もない行動には既に慣れたつもりではいたが、やはり1年程度で全てを許容できるほど彼女は大人ではないらしい。

そんなの葛藤を他所に、シュヴァーンは開き直ったのか視線を逸らす事無くを見つめながら納得したようにひとつ頷いた。

「いや、しかし・・・―――あんまり細いから期待してはいなかったが、意外と出るところは出てるんだな。胸なんてほとんどないかと思っていたんだが・・・」

嬉しい誤算だ、と真面目な顔をして頷くシュヴァーンを前に、は怒りと羞恥に顔を赤く染めながらホルダーから銃を抜き放った。

「一回、地獄を見て来い!」

声を荒げて、間髪いれずに発砲。

それを涼しい顔をして避けたシュヴァーンは、呆れたような面持ちで口を開いた。

「相変わらず短気だな。そこは直した方がいいぞ」

「余計なお世話だ!!」

むしろ自分の胸が大きかろうが小さかろうがお前に関係ないだろうが!!と心の中で文句を言いつつ、どうして自分が注意を受けなくてはならないのかという理不尽さも手伝って、の攻撃は止まらない。

ガウンガウンと続けて二発の銃弾を放ち、しかしそれさえもあっさりと避けたシュヴァーンを認めて小さく舌打ちをする。

今度こそ絶対に当ててやると間違った方向に意欲を燃やしながら、は再びトリガーに添えた指先へ力を込めた。

しかし直後、コンコンと控えめに鳴ったノックの音にハッと我に返る。

「シュヴァーン隊長!どうされましたか!?」

「・・・ちっ!」

どうやらこの騒ぎを聞きつけて、見回りの騎士が様子を見に来たらしい。

突然の邪魔者の登場に思わず舌打ちをするを他所に、シュヴァーンはホッとしたように頬を緩める。

それが更に気に食わないが、これ以上の制裁は無理だと判断したらしいは、最後にもう1度鋭くシュヴァーンを睨みつけて、騎士服の上着と仮面を手に取ると颯爽とした足取りでドアへと向かった。

「あの、シュヴァーン隊長・・・」

今度はまったく音の聞こえなくなった室内の様子に戸惑った騎士がもう1度声をかけてノックをしたとほぼ同時に、は閉じられた扉へと手をかける。

そうして何の躊躇いもなく扉を開いたは、そこで困惑した表情を浮かべる騎士へ向かいにっこりと友好的な笑みを向けた。

「どうかしましたか?」

どうかしましたか?もないだろうと心の中で突っ込みながら、シュヴァーンはまるでこの状況を楽しむかのように2人の騎士へと視線を送る。

そんな視線に勿論気付いているはそれを無視し、しかし気付いていない騎士は困惑した表情そのままに慌てて口を開いた。

「あ・・・はっ!今こちらの部屋から聞き慣れない破裂音が・・・」

その破裂音というのは、勿論発砲音の事だろう。

確かにこの世界において、銃という武器は非常に珍しい。

普通の武器屋に出回っているものではないし、武器の製造を一手に引き受ける大手ギルドとてそれを製造できるわけではない。

これはあるギルドにしか伝わっていない、希少価値の高い武器なのだ。―――それを手に出来た自分は、ある意味幸運なのかもしれないけれど。

そんなどうでもいい事を考えながら、は苦笑交じりに銃を手にし、それを見回りの騎士の前へと差し出した。

「ああ、申し訳ありません。私の武器が珍しいとの事で、隊長がどうしても使い方を見たいと仰るものですから」

「・・・はぁ」

確かに目の前にある武器は、非常に珍しいものだと騎士は思った。

シュヴァーンがどういうものなのか見てみたいと思うのも不思議ではないし、彼女の態度にもその背後に立つシュヴァーンにも可笑しな行動はない。

だからこそ騎士は素直に納得して、銃からへと視線を戻した。

「遅い時間に騒がせてごめんなさい。こちらは大丈夫ですから」

「はっ!」

柔和な笑みを浮かべるを前に、騎士は敬礼をひとつ。

そうして彼女の言葉通り大丈夫だと判断した騎士は、それ以上何を言うわけもなく再び見回りへと戻っていく。

その後姿を見送って・・・―――そして騎士の姿が見えなくなったのを確認してから扉を閉めると、ニヤニヤと笑みを浮かべるシュヴァーンを睨みつけた。

「・・・随分と騎士姿が板についたものだな」

「まだそんな減らず口が叩けるのね」

先ほどは命の危険に見舞われたというのに・・・―――そう言えばシュヴァーンは飄々と笑って見せる。

「もう慣れた」

あっさりと慣れたと言ってしまえるほど、この光景は既に日常と化しているのも事実で。

そしてに本当に当てる気がない事も十分に解っているから。

「日頃の行いの結果よ」

そんなシュヴァーンの考えを読み取ったは、脱力しつつも嫌味を忘れない。

どう転んでも最終的には彼を許してしまう辺り、自分は分が悪いのかもしれない。

それでもは怒る事を止めない。―――それを止めてしまえば、彼は今以上に調子に乗ってしまうだろうから。

そしてこの物騒なやり取りもまた、2人のコミュニケーションに違いないのだから。

「さ、じゃあ説明してもらいましょうか」

先ほどまでのやり取りがまるでなかったかのように態度を切り替えそう切り出すに、シュヴァーンはニヤリと口角を上げる。

この切り替えの早さが、の凄いところだ。

最も最初の言葉通り時間がないのも事実なのだから、シュヴァーンにとってはありがたかったけれど。

「・・・そうだな、なにから説明したものか」

思案しながらそう呟き、シュヴァーンは数時間前の出来事を思い出して小さくため息を吐き出した。

 

 

それはシュヴァーンにとって、予想もしなかった言葉だった。

いつも通りスパイ活動の内容を報告に行った彼は、本当に唐突に告げられたのだ。―――を連れて来い、と。

最初は何を言われたのか理解できなかった。

何せ彼がこれまでシュヴァーンの身の回りを気にした事など一度もない。

確かに彼の耳にも、シュヴァーンが新しく騎士を側に置いた事は届いているだろう。

そういう報告もした。

けれどそれは書類上だけの事であり、それがアレクセイの記憶に留まっているなど考えもしなかったのだ。

だからシュヴァーンは、彼のそんな言葉に驚きと同時にヒヤリと肝を冷やした。

もしかすると、書類を偽造した事がバレたのかもしれない。

は元々騎士団の人間ではない。

騎士学校に在籍していたわけでもなければ、騎士団に入団する為のテストを受けたわけでもないのだ。

そもそも、という名の人間すら存在しない。

だからシュヴァーンはを騎士団に引き込む事を決めた時、その全てを偽造したのだ。

という名の人間の戸籍から、彼女のこれまでの生い立ちと、そして騎士になってからの経歴。

自分でもどうしてそこまでするのだろうかと疑問も抱いたけれど・・・―――それでも手間ばかりが掛かるそれを面倒だとは思わなかった。

そうして存在しないという名の人間が生まれ、騎士になり、そして今シュヴァーンの元にいる。

それらはバレてしまえばシュヴァーンの身を滅ぼしかねない。

けれど不思議とバレないという自信があったのも確か。

自分の仕事の完成度の高さにも自信があったし、何よりアレクセイがそれほどまでに自分に興味がないという事も知っていたからだ。

だというのに・・・。

「あの、彼女に一体何の・・・」

「ここでお前と話し合いをするつもりはない。すぐに彼女を連れて来い」

有無を言わさずというのは、まさにこの事だとシュヴァーンは思った。

これ以上理由を聞いても、彼は答えてはくれないだろう。

そもそも彼と押し問答をするなど、最初から無理があったのだ。

「・・・解りました。彼女を連れてきます」

それでもシュヴァーンがそう答えたのは、彼との少ないやり取りで確信した事があるからだ。

アレクセイが何を考えているのか、そして何の目的があって彼女に会おうとしているのかは解らないが、その理由がという人間を偽造した事ではない事が解ったからだ。

という騎士が偽造された事に気付いているのかいないのかは定かではないが、彼の目的はそれを追求することではないと直感した。

では、何故・・・という疑問は勿論あったけれど、聞いても答えてくれない事は解りきっている。

そして彼のその言葉に逆らうだけの力を、シュヴァーンは持っていない。

「・・・失礼します」

もう既にこちらを見ていないアレクセイに礼をし、シュヴァーンは彼女を召喚するべく足早に騎士団長室を後にする。

せめて彼女に被害が及ばない事だけを祈りながら。

 

 

結局アレクセイが何を考えているのかも解らず、彼女が怯えないかと心配しながらも、シュヴァーンはただ『騎士団長がお前に会いたがっている』と事実を告げる事しか出来なかった。

けれどそんなシュヴァーンの心配を他所に、は微塵も怯えた様子など見せず・・・―――そうしてそれ以上追求することもなく、ふ〜んと気のない相槌を打って。

「騎士団長、ねぇ。なんか立派な人だ〜って噂くらいしか知らないけど。まさに理想の騎士だ、みたいな」

まったく興味ありませんと言わんばかりに頬杖をつきながらそう言うを前に、呆気に取られたシュヴァーンは素直な感想を口にした。

「噂、ねぇ・・・。情報屋のお前でも、噂話に興じたりするものか」

「ま、情報屋なんて噂好きと大して変わりないと思うけど」

「そんなものか?」

またもや大して興味ありませんとばかりにそう告げるに、シュヴァーンは呆れたように眉を寄せる。

自分が言うのもなんだが、情報屋が持つ情報と、そこらを流れている噂話は、当たり前だが質が違う。

まずは情報の正確さ。

それで商売をしているのだから、当然といえば当然なのだが・・・―――だからこそ情報屋は、自分たちが持つそんな情報に誇りと自信を持っている。

以前彼が情報屋にポロリと『噂話で聞いた事がある』と口を滑らせてしまった時、大層機嫌を損ねたものだ。

自分の情報と噂話を一緒にするなと。

だからこそのそんな言葉が、シュヴァーンには意外だった。

そんなシュヴァーンの思いに気付いたのか、彼が溜めた書類を話を聞きながら確認していたは、チラリと視線を彼へと向けて。

「そうよ。人の秘密が気になったり、人が隠してる事を知りたがったりさ。そういうのを突き詰めれば、情報屋も噂好きも一緒じゃない?」

「・・・ふむ」

「でもまぁ、『噂』と『情報』は違うけどね。その辺をどの辺りで満足するかによって情報屋と噂好きの違いが生まれるのよ」

やはりもここだけは譲れないらしい。

キッパリとそう告げて不敵に笑うその顔は、確かに自身に誇りを持つ情報屋と同じものだった。

そんなを見て、シュヴァーンの悪戯心が少しだけ疼く。

「なるほど。ではお前も元は噂好きだったというわけか」

「・・・そう言われると素直に頷けないけど」

だからこそそう告げれば、は少しだけ困った面持ちで視線をあさっての方向へと飛ばした。

てっきり何らかの反論が返ってくるとばかり思っていたのだけれど・・・―――そんな思いに思わず微かに首を傾げたシュヴァーンを横目に、は小さく自嘲気味に笑った。

「私の場合は、欲しい情報があって、でも人に聞くのも嫌で自分で調べていく内に他の情報も集まって、しかもその自分には特に必要のなかった情報がお金になる事を知ってこの世界に足踏み入れたってのが正しいかな?」

「欲しい情報?」

初めて聞くその話に、シュヴァーンは訝しげに眉を寄せる。

彼女が情報屋で在り続ける理由は、金儲けであるとそう思っていた。

彼女自身もそう言っていたし、本人に面と向かってはとても言えないが彼女はお金に厳しい。

何故そうまでしてお金を稼ぐのかの理由は結局今も解らずじまいだが、その理由が自分にとってそれほど重要ではないだろうと思っていたのだ。

けれど彼女は言った。―――『欲しい情報』があるのだと。

その『欲しい情報』如何では、早々放っても置けないだろう。

もしも彼女の求める情報が騎士団に纏わる事なのだとしたら?

そもそも彼女がこうしてシュヴァーンの片腕として働いているのは、彼女が騎士団の情報を求めて城に忍び込んだからだ。

あの時は彼女の言い分に嘘はないと判断したからこそ傍に置いているが、もしその判断が間違っていたのだとしたら?

現に彼女は今も騎士団の機密情報を手にしている。

彼女が無造作に手にしている書類は、決して外部に洩らす事の出来ないものだ。

そんなシュヴァーンの疑惑に気付いているのかいないのか、は小さくため息を吐き出すと、書類に判を押してそれを処理済の箱へと放り込んだ。

「ま、結局それは手に入ったのかそうじゃないのか微妙なところだけどね。それにまぁ、噂話が嫌いってわけでもないし。お金が必要だったのも確かだしね。―――途中から微妙に目的が入れ違っちゃった感が否めないけど」

「・・・なるほど」

小さく相槌を打って、シュヴァーンは彼女の一挙手一投足を見逃すまいと目を凝らす。

表情のひとつも見逃すつもりはなかった。

「ちなみに、その『欲しい情報』というのは何なんだ?」

そうして単刀直入に問いを投げ掛ければ、は少しだけ困った様子でちらりをシュヴァーンを見て。

「・・・それって言わなきゃ駄目?」

「ぜひ答えてもらいたいね」

「じゃなきゃ、信用出来ないから?」

こちらも単刀直入に告げられた言葉に、シュヴァーンは思わず目を見開く。

まっすぐに見返したの目は、悪戯っぽく笑んでいた。

「馬鹿だねー、シュヴァーン。今さら素行調査?出会ってから1年も経つのに、かなり遅すぎじゃないの?」

からかうようにそう言って、はなんでもないかのように笑う。

なんでもないような顔をして、何も気付いていないような顔をしていても、この少しの時間でのシュヴァーンの様子の違いを、彼女は確かに気付いていたのだ。

そんな彼女の言葉にバツが悪そうに視線を逸らしたシュヴァーンを見返して、はもう1度からかうように笑った。

「ま、別に話せないような内容じゃないから別にいいんだけど」

そう前置きをして、は更に積み重なった書類に手を伸ばす。

「私ね、人を捜してるのよ」

「・・・人捜し?」

「そ、随分前に行方が解らなくなった人でさ。ほら、前に話した事あったでしょ?私にこの武醒魔導器をくれて、魔術を叩き込んでくれた人の話」

言われて過去の記憶を探る・・・までもなく、その時の会話はすぐに思い出せた。

と初めて旅に出たあの時、自分が渡すまでもなく武醒魔導器を持っていたを問い詰めた時に聞いた話だ。

「その人物を捜している、と?」

「そ、ずっとね」

「何の為に・・・?」

「何の為って・・・ただ会いたいからじゃ駄目なの?」

きょとんと目を丸くしたにまっすぐ見つめられて、シュヴァーンはそれ以上言葉を続ける事が出来なかった。

という人間は、良くも悪くも癖のある人間だ。

信用出来ないというわけでは勿論ないが、彼女の言動には時折裏がある事もシュヴァーンは知っている。

それは悪意を持って人を騙す類のものではない。

ただ心を許してすべて話していると感じても、決してそうではない場合もあるのだという事。―――上手くはぐらかして本心を見せない時が彼女には確かにある。

しかしそれは彼女の職業柄仕方のない事なのだという事も、シュヴァーンは解っている。

相手との駆け引きが必要な情報屋には、決して欠かす事の出来ない要素だろう。

けれど時折思うのだ。―――彼女の全てが知りたい、と。

そんな事、到底無理な話だと解ってはいたけれど。

だからこそシュヴァーンはそんな思いを口にすることはない。

口にしても無駄だと、解っているからだ。

「その人物は見つかったのか?」

「見つかってたら、あんたが知らないはずないでしょうが」

あっさりとそう言い切られ、シュヴァーンはなるほどと頷く。

比喩でもなんでもなく、シュヴァーンとはいつも一緒にいるのだ。―――確かに彼女の言う通り、それなら自分が知らないはずがない。

「・・・それで?その人物とはどんな奴なんだ?」

「あれ〜?興味あるの?」

「それは、まぁ・・・」

「ヤキモチ?嫉妬?いや〜、もてる女は辛いなぁ〜」

「・・・勝手に言ってろ」

口ごもるシュヴァーンに早速からかいの手を伸ばしてきたに、シュヴァーンはうんざりしたようにため息を吐き出す。

こういうところが、癖があるというのだ。と思わず独りごちて。

そんなシュヴァーンを横目に、はまたもや書類に判を押して処理済の箱に放り込むと、「さてと・・・」と呟きながらも傍らに置いていた仮面を手に立ち上がった。

「とりあえず事情が分かったところで、早速行きますか。―――あんまり気は進まないけど、無視するわけにもいかないしね」

表情を先ほどまでとは違う真剣なそれへと変えて、は仮面を付けると踵を返した。

「・・・

そんな背に躊躇いがちに名を呼んだシュヴァーンへと振り返って、は見えている口元だけで小さく笑う。

「私はではなく、ですよ、隊長。くれぐれもお間違えなきように」

「・・・そう、だったな」

「では、参りましょう。いざ、勝負」

取り澄ました中に見え隠れする普段の彼女の雰囲気に、気を張り詰めていたシュヴァーンは思わず小さく笑って。

きっとなるようにしかならないのだという事を改めて自覚して・・・―――それでも彼女ならばきっと何とか切り抜けるのだろうと根拠のない確信を抱きながら、彼もまた先を歩き出した彼女に続くかのように一歩踏み出した。

 

静かなるいの幕開け


シュヴァーンがセクハラくさくてごめんなさい。

彼ってカッコいいクールなイメージなのに、中身がおっさんだと思うとつい・・・。(笑)

作成日 2011.8.6

更新日 2012.1.29

 

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