コンコン、とノックをふたつ。

名を名乗ると、すぐさま入室を許可する旨の返事が返ってきた。

その低く腹の底から響くような声に、シュヴァーンの後ろに静かに控えていたは僅かに眉間に皺を刻む。

シュヴァーンにはああ言ったが、事がそれほど軽いものではないだろうとは思っていた。

騎士団のトップに立つ者が、何の階級も持たない一介の騎士に会う。

それがどういう意味を持つのか、1年前に騎士の真似事を始めたばかりのには解らないけれど。

ただ、それが普通のことではない事くらいはにも察することが出来た。

何か目覚しい成果を遂げたわけでもないというのに、何故騎士団長は突然に会うと言い出したのか。

彼が言うように、の素性がバレたのだろうか?

シュヴァーンはその心配はないと言っていたけれど、それが一番ありうる可能性のひとつである事は、彼自身も気付いているはずだ。

しかしにとって、それは覚悟の上のこと。

バレないに越した事はないけれど、その危険性はいつでも存在している。

存在しない、という人間。

いくら書類を、過去を偽造したとしても、人の記憶まで偽造できるわけではない。

もしという人間の存在に疑問を持った者がいたとしたら・・・―――そしてその疑問をそのまま放置せず確認の為に動き出してしまえば、それはそう難しくもなく露見してしまう事だろう。

バレれば、重い罪は避けられない。

ギュッと拳を握り締めて、今もまだ閉ざされた扉を睨みつける。

それならば、いい。

という人間が偽造されたものであると気付かれただけならば、まだいいとは思う。

本当に気付かれてはいけないことは、他にある。―――少なくとも、にとっては。

「・・・行くぞ」

ノックの後、意を決したようにそう呟いたシュヴァーンに、はコクリとひとつ頷く。

「いつでも、どうぞ」

ともすれば震えそうになる声を無理やり押さえ込んで、今の心境に気付かれないように気持ち明るい声を返したは、グッと唇を噛み締めて少しづつ開かれる扉を見つめた。

 

 

広い部屋の中、その一番奥にその男は立っていた。

パタンと扉が閉まる音と共に、その男はゆったりとした仕草で振り返る。

「初めまして。私が帝国騎士団長のアレクセイ=ディノイアだ」

口元にほんのりと笑みさえ乗せて、実に友好的な雰囲気でそう名乗ったアレクセイを前に、は仮面の下でほんの少し眉を寄せた。―――勿論、相手からは見えないと解っていての仕草だが。

「お初にお目にかかります。ウィリアム・と申します」

礼に則り、敬礼をしつつ名を名乗る。

先ほどまでは震えそうだった声が嘘のように、声が滑らかに喉を通った。―――前々から思っていたけれど、やはり自分は土壇場に強いのだろうと明後日な事を考えて。

そうしてゆっくりと下げていた頭を上げれば、射るような視線を感じて仮面の下で僅かに口角を上げた。

「・・・仮面の騎士か」

アレクセイの低く通る声が小さく呟く。

まぁ確かに、を見て最初に目に付くのはそれだろう。

常日頃から仮面を被っている人間など珍しいに違いない。―――少なくとも、はそんな人間に出逢ったことはなかった。

しかしやはり相手は一筋縄ではいかない騎士団の団長をしているだけはあるのか、それには触れずにその視線をの傍らに立つシュヴァーンへと向けて。

「シュヴァーン、お前は出ていろ」

まるでそれが当然の事のように告げられた言葉に、ではなくシュヴァーンが驚きに目を瞠った。

「しかし・・・」

「聞こえなかったか?」

有無を言わせぬその声色に、一瞬迷った末にへと心配そうな眼差しを送りながらも、シュヴァーンは部屋を出て行った。

ここで逆らうことは得策ではないと判断したのだろう。―――その判断は、も同じだ。

彼が何を考えているのかは解らないこそ、今は相手の要求に従っておいた方がいい。

それに・・・―――ふとは仮面の裏からアレクセイを盗み見て僅かに目を細めた。

彼をここから出したという事は、彼には聞かれたくない話があるのだろう。

それが自分とどう結びつくのかは話を聞かない事には知りようもないが、彼女にとっても掘り返されたくない過去のひとつやふたつ勿論ある。

それをシュヴァーンに聞かれない事は、この最悪の状況では僅かな救いにも思えた。

未だにシュヴァーンの気配は廊下に残っているものの、きっちりと扉が閉められた事を確認したアレクセイは、扉に向けていた視線を漸くの方へと向けて小さく笑む。

「さて、君の事は噂でよく聞いている。大変優秀な人材のようだ」

「とんでもございません」

「謙遜するな。そんな噂を聞いて、君に興味が湧いたのだ」

「もったいないお言葉です」

唐突に・・・けれど一介の騎士にしてみればこれ以上ない賛辞であろう騎士団長自らの言葉にも表情ひとつ動かさず、は仮面の下から探るようにアレクセイの表情を観察する。

まさか本当に褒める為だけにを呼んだわけではないだろう。

なにせは褒められるような功績を何一つ残してはいない。

まぁ、シュヴァーンがアレクセイにどんな報告をしているのかまでは把握していないが、という人間を悪目立ちさせない程度の良識は備わっているだろうとは信じている。

だったらこれは本題に入る前の前置きに過ぎないのだろう。―――そう思えば、褒められれば褒められるだけ嫌な予感しか感じないが。

そんなの心境など気付いているのかいないのか、アレクセイは浮かべていた笑みを更に深いものにして、彼女にとっては爆弾とも言える『それ』を投下した。

「君はシュヴァーンに大層信頼されているようだ。奴が隠したがっている過去も知っているのだろう?」

ピクリ、との肩が僅かに跳ねた。

それにしまったと舌打ちしたい思いで、は極力何事もなかったかのように装いながら口を開いた。

「・・・私には何の事か」

「ふっ、しらばっくれるのは得意か?―――仮面が邪魔だ、外せ」

ふいに凄みを増したアレクセイの声に、身体に緊張が走る。

「申し訳ありませんが、騎士団内では外さないようにしておりますので」

至極丁寧に、けれど固い決意を込めてそう告げるも、アレクセイはのそんな言葉を一蹴した。

「団長命令だ。お前も名目上では騎士だろう?」

「申し訳ありません」

アレクセイの言葉にただひたすら拒絶を続けながらも、はそのやり取りの中でふたつの事を確信した。

彼は言った。―――お前も『名目上』では騎士だろう、と。

やはり彼は気付いていたのだ。

という人間が存在しない事に。

そしてそんな偽者の騎士を前にしながらも、それを追求するつもりはないのだという事を。

その理由を、は知らない。

騎士の名を語るなど情報を盗みに入る以上の重罪だろうに、あえてそれを見逃し泳がす理由など知りようもない。

けれど・・・―――とそこまで思考を巡らせていたは、ふいに視界に入った影にハッと顔を上げた。

それと同時に首元に衝撃を感じ、そのまま振り回される勢いで壁へと押さえつけられる。

「外せ、と言っている」

「・・・くっ」

絞められる勢いで首元を押さえつけられ、は思わず苦しげな声を上げた。

自分の思考に没頭しすぎて・・・―――そして仮面で視界がかなり狭かったことも重なって、アレクセイが近づいてきていた事に気付けなかった。

ドンと大きく音が鳴るほどの勢いで壁に叩きつけられ首を絞められている状態で、は悔しげにアレクセイを睨み上げる。

アレクセイがゆっくりと手を伸ばし、それは成す術もなく剥ぎ取られて。

途端にクリアになった視界の中で、はただジッとアレクセイを睨み続ける。

「ほう、良い目をしている」

これ以上ないほど憎しみの篭ったの眼差しを見返して、アレクセイは至極楽しそうに笑った。

「反抗的で、実に良い。―――そういう目をした人間を屈服させるのは」

ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。

こちらをジッと見つめるアレクセイの瞳の奥に、揺らめく狂気が見えた気がして、はギュッと唇を噛み締めた。

!」

おそらくは廊下で様子を窺っていただろうシュヴァーンが室内の物音を聞きつけたのか、慌てた様子で駆け込んでくる。

そうして首を絞められた状態で拘束されているを見つめて思わず硬直するシュヴァーンを横目に、は心の中で「馬鹿シュヴァーン」と小さく呟いた。

突然の事で動揺しているのは解るが、仮にも偽名を使っている人間に対して本名を呼ぶとは何事かと。

けれどアレクセイはそれを追求することもなく、やはり楽しそうに笑いながらシュヴァーンに向かい言い放った。

「気に入った。シュヴァーン、この者は私が貰い受けよう」と。

 

 

突然の事に、一瞬何を言われたのかが解らず、シュヴァーンはその場に立ち尽くした。

「なにを・・・」

アレクセイに部屋から追い出され、それでも部屋の中に残った彼女が心配で様子を窺っていれば、室内から激しい物音が聞こえてきて。

思わず許しも得ずに部屋の中に飛び込めば、仮面を剥がれ首を絞められているがいて。

そしてアレクセイはなんと言った?

そこまで考えを巡らせたシュヴァーンを待っていたかのように、アレクセイが再び口を開く。

「聞こえなかったのか?この者は私が貰い受けると言ったのだ」

そういいつつに視線を向け、苦しそうな表情を浮かべているに漸く気付いたのか、アレクセイは唐突に拘束していた手を離した。

急激に肺に入ってくる酸素にむせつつ、は先ほどまでアレクセイにつかまれていた首元に手をやる。

あれほど強い力で絞められたのだ、絶対に痣になっているに違いないと更に怒りを乗せながら、は鋭くアレクセイに睨みつける。

「何を勝手な・・・、私は物ではありません」

「だが騎士団員だ。騎士の人事に口を挟むな」

「・・・っ!」

有無を言わさぬその口調に、は思わず口を噤む。

色々と言いたい事はあるけれど、確かにアレクセイの言っている事は正論だと認めてしまったからかもしれない。

騎士団長が騎士団員の人事を決めるのはおかしな事ではない。

普段は騎士団のトップに立つ人間が末端の騎士の人事にまで関与しないのが普通だろうが、それを全て覆してしまえるだけの権力を彼は持っている。

そしてシュヴァーンは、きっとそれに逆らえない。

「異論ないな、シュヴァーン。団長命令は絶対だ」

「・・・・・・」

言い含めるように告げられ、の予想通りシュヴァーンは黙り込む。

そんなシュヴァーンを満足げに見つめて、アレクセイは流れるようにへと視線を向けた。

「お前もあまり騒がない方がいい。隊長に迷惑が掛かるだろう?」

「・・・・・・っ!」

おそらくはにとって突かれれば痛い場所などお見通しなのだろう。

間違う事無くそこを突いてきたアレクセイに、もまた口を噤んだ。

けれどこのまま口を噤んでいれば彼の思うままだ。

それを回避する為にも、は意を決してアレクセイへ向かい問いかけた。

「私を引き抜いて、どうなさるおつもりですか?貴方に私が必要だとは思えません」

投げ掛けた問いに、アレクセイは皮肉げに笑う。

「シュヴァーンにはお前が必要だと?」

「はい」

「言い切ったな、面白い」

躊躇いなく肯定したに、アレクセイは先ほどとは違う笑みを浮かべた。

の答えが余程予想外だったのだろう。―――もしかすると、一介の小娘が発した大それた台詞が滑稽に思えたのかもしれない。

けれどはそれを大それた台詞だとは思わない。

だっては知っているのだ。―――あの暗い森の中で背中越しに見せた、レイヴンの弱さを。

「確かに隊長は優秀な方です。大抵の事は1人でやってしまわれるでしょう」

視界の端にシュヴァーンの姿を映しながら、は淡々とした口調で話し続ける。

「しかし、1人では出来ない事もあります。―――1人ではない方がいい事も」

「なにかね、それは?」

語るに興味を引かれたのか、片方の眉を上げながらからかう様に問うアレクセイをまっすぐに見つめて、は臆する事なくにっこりと笑った。

「それは、私と隊長が知っています。私たちが知っていればいい事なんです」

そう、それをアレクセイに教える気はないし、きっと教えたとしても理解など出来ないだろう。

ただ一緒に町を歩いて、一緒にご飯を食べて、一緒に笑って、時々喧嘩をして、そうして仲直りをする。

たったそれだけの事が、きっと今の彼には必要なのだ。

たくさんの楽しい事も、辛い事も、悲しい事も共有して。

独りじゃないという事は、それだけで誰かの力になるとは知っているから。

まっすぐに臆する事無くアレクセイを見つめる

それを見ていたシュヴァーンが、背中を押されたように強い眼差しでアレクセイへと視線を向けた。

「・・・団長」

からからに乾いた喉から零れた掠れた声に気合を入れて、シュヴァーンは力強い声で再び口を開いた。

「私が受けている特殊任務において、彼女は非常に力になっています。今後の任務に支障をきたさない為にも、彼女の引き抜きは検討願いたい」

「お前が私に意見とは、珍しい事もある。―――そんなにこの女が気に入ったか?」

「そういうわけでは・・・」

思わず言い淀んでしまったシュヴァーンを観察するように見つめて。

暫く何事か考えていたアレクセイは、しかし納得したようにひとつ頷いた。

「いいだろう。今回はお前に免じてこの者の人事は見送るとしよう」

唐突に彼の口から発せられた許しの言葉に、シュヴァーンとは揃って目を瞠る。

まさかこんなにもあっさりと納得してもらえるとは思っていなかったのだ。

それでも最悪の事態は何とか逃れられたとホッと息をつくシュヴァーンとは対照的に、は探るような視線でアレクセイを見やる。

あれほど強硬な手段に出ていたアレクセイがあっさりと納得した事が、にとっては信用出来ない。

何か企んでいるのではないかと思えてしまう。

それでもその企みを察する事が出来ない以上、どうしようもない事は解っているのだけれど。

「では、我々はこれで失礼します」

これ以上何か言われない内にと退出を告げるシュヴァーンだったが、しかしアレクセイはそんな2人の悠然とした笑みを向けて。

「待て。お前は少し残れ、話がある」

投げ掛けられた言葉に2人揃って顔を見合わせた後、視線で名指しされたは訝しげに顔を上げた。

「私、ですか?」

「警戒するな、人事は見送ると言っただろう。―――別件だ」

隠す事無く不審そうな面持ちを見せるを楽しそうに見つめて、アレクセイはシュヴァーンに先に退出するよう促す。

先ほどの事があった手前心配そうな表情でこちらを見ているシュヴァーンに大丈夫だと小さく微笑みかけて、はしっかりと扉が閉められた事を確認してから口を開いた。

「・・・何でしょうか?」

「シュヴァーンの身体の事についてはお前も知っているだろう。それを施したのが私だという事も」

唐突に切り出された問いに、は軽く目を瞠る。

それはシュヴァーンが部屋に飛び込んでくる前に交わされた会話そのものだった。

「つまり、私は奴をどうにでも出来るという事だ」

「・・・何のお話をされているのか検討も付きませんが」

「あいつが死ぬと困るだろう?」

知らないというの言葉を信じるつもりは一切ないらしい。

更に追い討ちをかけてくるアレクセイに咄嗟に黙り込めば、彼は勝利者の笑みを口元に浮かべて。

「お前が何の目的で騎士団に入ったのかは知らん。だが、奴の命は私が握っている事を肝に銘じておけ。お前が従順にしていれば、私も奴に手は出すまい」

ゆっくりと歩み寄り、へと手を伸ばすアレクセイ。

言い含めるように告げるその言葉は、まるで悪魔の囁きのようだ。

そうしての頬へ手を添え、その耳元へ顔を寄せたアレクセイは、他には誰もいないこの部屋で、それでもだけにしか聞こえないよう小さく囁く。

「これは契約だよ。―――私と、お前の」

それだけを告げて、アレクセイはゆっくりとその身を引く。

頬に添えられていた手を殊更ゆっくりと離し、悠然と微笑んだ。

「お前には期待している。必ずや私の期待に応えてくれるだろうとな」

確信犯の笑みを見返して、は眉を寄せ唇を噛み締める。

それは本当に、悪魔の囁きのようだ。

否、むしろ死神の宣告といってもいいかもしれない。

自分の行動如何で、シュヴァーンのこれからが決まってしまうかもしれないなんて。

彼がに何を望んでいるのか、何をさせたいのかさえ解らないまま、はまるで逃げるように彼に背を向けて。

「・・・失礼します」

最後の足掻きとばかりにそれだけを言い捨てて、は逸る気持ちを抑えながら団長室を後にした。

 

 

しの騎士団長


悪役のイメージしか残ってない、騎士団長。

なのでどれくらい悪そうにしていいのか加減が解らなくて困ります。(笑)

作成日 2012.3.18

更新日 2012.4.1

 

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