ぼんやりと。

ただぼんやりとその場に佇む少女を、青年もまた無言で見下ろした。

この世界では珍しい、漆黒の髪。

意図的に整えられたかのような綺麗な顔には、残念ながら表情というものが欠けている。

まるで心を失ってしまった、抜け殻のような。

見詰める青年のその視線に気付いたのか・・・不意に顔を上げた少女は、やはり感情の宿らない表情で青年を見詰め返す―――しかしランプの光に照らされた深い紫暗の瞳には、確かに意思が宿っているように見えて、青年はくつくつと喉を鳴らして笑った。

「これは面白い。・・・ま、仕方ありません。これも自業自得ですかね」

誰に向けてというわけでもなく呟き、その白い手を少女へと差し出す。

やんわりと笑みを浮かべる青年と、無表情のまま佇む少女の視線が交差したその瞬間。

確かにその時、間違いなく少女は自分の意志で、自らの手を伸ばした。

ここから、彼と彼女の物語は始まる。

 

彼女の旅立ち

 

「あ!やっぱりここにいらしたんですね?」

キラキラと宙に舞う水飛沫をただぼんやりと見詰めていたは、不意に掛けられた声にゆるりと視界を巡らせた。

振り返れば、規定の鎧に身を包んだ1人の男が、慌てた様子でこちらへと駆けて来る。

それに返事を返すようにゆっくりと瞬きを1つして、漸く己の傍らに辿り着いた男を無言のままに見上げた。

「・・・カーティス大佐が、きっとここだろうと仰ったので」

太陽の光に照らされた紫暗の瞳に見詰められ、男は照れ臭そうに笑いながらも、自分がここにいる理由をへと説明する。

それに再び瞬きする事で答えたは、視線を戻してポツリと呟いた。

「ここは・・・綺麗だから」

視線で示されたのは、この街が誇る美しき景色。

マルクト帝国首都、グランコクマ。

海の上に作られた都市は、水道橋と呼ばれる水の壁に囲まれている。

滝のように水が降り注ぐ光景は圧巻で、太陽の光を惜しみなく受けた澄んだ水の壁は、この街をより一層美しく彩っていく。

戦時中には鉄壁の要塞と成り得るこの街は、しかし平和な今ではその面影も無い。

区画と区画を繋ぐ石橋の手すりに座り、この美しい光景を眺めるのがは好きだった。

「あの・・・お楽しみのところ申し訳ありませんが」

「・・・なに?」

「カーティス大佐がお呼びです。すぐに執務室へ戻るように、と」

自分がいることさえも忘れ景色に魅入るに、男は遠慮がちに声を掛けた。

小さく首を傾げ振り返るに自分が申し付けられた伝言を伝えると、はパチパチと瞬きを繰り返してから更に首を傾げる。

「ジェイドが?」

「はい、すぐお戻りになるようにと」

強調するように繰り返された言葉を脳裏で反芻しながら、は宮殿へと視線を移す。

今日ジェイドは、この国の皇帝・ピオニー9世陛下と大切な話があると言っていた。

本当ならばも同席しても構わなかったのだけれど、がいるとピオニーの気が散る可能性が非常に高い為、今回はジェイド1人がピオニーの私室へと出向く事になり、その間は書類の整理をしておくようにと、上司でもあるジェイドに言い渡されたのだが、はほんの僅かな息抜きと称してこうして外へと出て来ていた。

勿論、書類整理はほとんど済んでいない―――ジェイドが不在だからこそ取れた、サボリともいえる息抜きなのだ。

の脳裏に、恐ろしいほど綺麗な笑みを浮かべたジェイドの姿が甦る。

まさかこんなにも早く、話し合いが終わるとは思ってもいなかった。

機嫌を損ねてしまっただろうかと不安を抱くが、何時までもここで悩んでいても仕方が無い。

ここは覚悟を決めなければ。

は座っていた手すりから飛び降りると、自分を呼びに来た男を見上げた。

「私は、ジェイドの執務室に戻る」

「ご一緒します、中佐」

間髪入れず返って来た言葉に、逃げるつもりなど毛頭無かったにも関わらず、まさに退路を防がれたような気がして、は困ったように眉を顰めた。

 

 

執務室に戻ったに掛けられた第一声。

「おや。どうやら十分に息抜きが出来たようですねぇ、

自分のデスクで書類を片手ににこやかな笑みを浮かべるジェイドを見詰めて、はまたもや困ったように眉を寄せる。

その情けない表情に、ジェイドはヤレヤレと肩を竦めて見せた。

「そんな顔しないで下さい。まるで私が貴女を苛めているみたいではありませんか」

この国の皇帝が聞けば間違いなく「そうだろう」と突っ込みを入れるだろう台詞だが、残念ながら今この場にはそれをする人間はいない。

はますます困ったようにジェイドを見詰め、そうして小さく頭を下げる。

「ごめんなさい、ジェイド」

「・・・前にも同じ事をして、同じ事を言ったのではありませんでしたか?」

「えっと・・・多分、言った」

困った顔をしつつも堂々と肯定するに、ジェイドは諦めのため息を吐いた。

そもそもにそんな事を言っても無駄なのだ―――究極にマイペースな人間なのだから。

それを言えば、自分も、そして自分の上司であるこの国の皇帝も、決して負けてはいないだろうが。

「すぐにする、書類整理」

「その必要はありません。もう私が済ませてしまいましたから」

デスクに散らばった書類を一纏めにし、揃えて処理済の箱へと収めると、デスクの傍へと歩み寄ってきたを無言で見上げた。

「ごめん、ジェイド」

「構いませんよ。その分、貴女には活躍してもらう予定ですから」

申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にするに、ジェイドはにっこりと微笑みかける。

「・・・活躍?」

言われている意味が解らないは小さく首を傾げるが、ジェイドはそれ以上口を開く気は無いようだ。

更に笑みを深くしておもむろに椅子から立ち上がると、時計に目をやり頷いた。

「では・・・行きましょうか、

「行くって何処に?」

促しさっさと執務室を出て行ったジェイドを慌てて追いかけ、足早に廊下を歩きながら問い掛けると、ジェイドは前方を見据えたまま楽しそうな声色で言った。

「謁見の間です」

 

 

謁見の間では、既にピオニーが2人の到着を今か今かと待っていた。

礼儀に乗っ取り、王座に座するピオニーに向かい敬礼をすると、それをされた当人は嬉しそうに笑みを浮かべて優しい視線を向けた―――に、だが。

「よお、。久しぶりだなぁ」

今にも椅子から立ち上がりの元へ歩み寄りそうなピオニーは、機嫌良さそうに声を上げながらその整った顔を満面の笑顔に変えた。

しかしそれに対するは、無表情のまま小さく首を傾げる。

「・・・昨日、会った」

嫌味も呆れも無く・・・ただ事実だけを言葉に乗せた抑揚の無い声で、はポツリと呟く。

しかしそんな対応には慣れているのか、ピオニーは一向に気にした様子無くやはり機嫌良さそうに笑った。

「何言ってんだ。今日は一度も会ってないだろ?」

「会ってない」

「なら、久しぶりで良いじゃねぇか」

「・・・うん、解った。久しぶり、陛下」

強引に諭すようなピオニーの言葉に、暫く考え込んでいたは納得したように頷き挨拶を返す―――そこは納得するところではないだろうと、謁見の間を警護する兵士たちは心の中でそう思ったが、場が場なだけにそれが声に出される事は無かった。

唯一口を出す事が出来るもう1人の人物は、それは盛大なため息を吐いて。

「そろそろ本題に入っても宜しいですか、陛下?」

「なんだ、ジェイド。俺との仲が良いから妬いてんのか?」

「妬いてるのか、ジェイド?」

「では、本題に入らせて頂きます」

息の合った主従のからかいの言葉を、ジェイドはまるで何事も無かったかのようにキッパリと斬り捨てた―――勿論からかっているのはピオニーだけで、にその気は全く無いのだけれど。

そんなジェイドの対応さえ面白いのか、ピオニーは喉を鳴らして笑う。

「陛下」

「解ってるって。よし、じゃあ本題に入るか」

ジロリと冷たい目で睨みつけられたピオニーは、漸く笑いを収めてその表情を真面目なそれへと変化させ、無表情で佇むへと視線を向けた。

「ジェイド=カーティス大佐、及び中佐に、重要任務を申し渡す」

「重要任務」

「両名は即刻ダアトへ赴き、ローレライ教団・導師イオンの協力を得、休戦協定の書状をキムラスカ首都・バチカルへ届けろ」

下された命令に、は1つ頷いてから隣に立つジェイドを見上げた。

そしてそこで、今まさに戦争が勃発しそうな事と、そしてそれを食い止めなければならない事を説明されたは、再び納得したように1つ頷く。

マルクト軍の将校として、当然の事ながら国の情勢を知るは、何時戦争が始まっても可笑しくない事は承知している。

そして可能ならば、戦争を食い止めるべきだという事も。

「ま、暫くに会えなくなる事を考えれば、俺としても苦汁の決断なんだが」

真剣な話の最後に付け加えられた言葉に、ジェイドは呆れを多分に含んだため息を零した。

「私も、陛下に会えないのは寂しい」

「そうか!うんうん、やっぱりは可愛いなぁ。まさに俺の癒しだ」

「陛下。お戯れはその辺にしておいてください」

「なんだよ。俺の数少ない癒しを奪う気か?」

「陛下には貴方の大切なペットが沢山いるでしょう?どうぞそちらで存分に癒されてください」

明らかな作り笑いを向けられ、ピオニーは憮然とした表情を浮かべる。

ここでジェイドと口喧嘩をするのも悪くはないが、しかし今はそんな時ではない事も十分理解している。

今は一刻も早く、ダアトへ・・・そしてバチカルへ向かってもらわなければ。

気を取り直したピオニーは、ヤレヤレと大袈裟に肩を竦めて見せてから、再び真剣な表情でジェイドとを見据える。

そうして、一言。

「期待してるぞ」

にやりと口角を上げて笑むピオニーに向かい、ジェイドとはもう一度敬礼した。

 

 

がピオニーから命令を受けたその時には、もう既に粗方の準備が整っていたらしい。

すぐさま必要な物を纏めるようジェイドに言われ、元々あまり多くの手荷物を持ち運ぶ方ではないは、小さなポーチの中に彼女にとっての必要な物を詰め込み、それを腰に付けて既に準備が整っているジェイドの元へと駆け寄る。

「もう宜しいのですか?」

問い掛けられ、コクリと頷く。

「暫くグランコクマへは戻って来られません。何か心残りがあるのなら、今の内に済ませておいてください」

「・・・じゃあ、ブウサギのジェイドに挨拶・・・」

「無いようですね。それでは行きましょうか」

の口から飛び出した言葉を遮り、ジェイドは麗しい笑みを浮かべそう結論を出すと、クルリと踵を返し廊下を歩き出した。

はそれを慌てた様子で追いかけると、ジェイドの隣を歩きながら小さく首を傾げる。

「何処行くの?」

「良い所、です」

軍の基地内を出入り口とは逆方向に向かっている事に気付いたは問い掛けるが、にっこりと笑みを浮かべたジェイドからは明確な答えが返っては来ない。

それもまぁ、いつもの事と言えばそれまでなのだけれど。

それでも何処に行くのか問い詰めなくともすぐに解るだろうという事は解っているので、はジェイドの言う『良い所』がどんなところなのか、表情には出ていないがワクワクしながら歩みを進める。

そうしてジェイドに連れられるがまま基地の地下へと降りたは、不意に目の前に出現した巨大な物体に大きな目を見開いた。

「どうですか、。気に入りましたか?」

その瞳が輝いている事に気付いたジェイドが、楽しそうに微かに身体を折り曲げの顔を覗き込む。

「シェリダン製の最新陸上装甲艦・タルタロスです。貴女は綺麗な物が好きですからね。きっと気に入るんじゃないかと思っていました」

「これに乗るの?」

「ええ、そうです。嬉しいですか?」

「嬉しい。これ、すごく綺麗」

ジェイドの問い掛けに即座に肯定したは、滅多な事では変わらないその表情に微かな笑みを乗せた。

こんな風にの表情の変化を目の当りに出来るのは、おそらく自分とピオニーを除いてほとんどいないだろう。

決して人見知りが激しいと言うわけでも、他人に興味が無いというわけでもないが、それでも常にの顔に浮かんでいる無表情を剥ぎ取れる人物は、このマルクト軍内でもそう多くは無い。

彼女の言う『綺麗』に分類される物に言ってしまえば垣根は無いが、それを正しく理解しているのもジェイド以外にはいなかった。

今にも走り出しそうな勢いでタルタロスへと向かうの後に続き、真新しい陸上装甲艦へと足を踏み入れる。

そこには既にジェイドが指揮する第三師団の兵士たちが、出航の準備の為に忙しく動き回っていた。

特殊任務故、通常配置されるべき人数の半分ほどではあるが、それだけでも十分すぎるほど艦内は賑わっている。

「まずはタルタロスでケセドニアに向かい、そこから船でダアトに向かいます。中立の立場であるローレライ教団の導師イオンの協力を得られなければ、キムラスカと休戦協定を結ぶなど不可能ですからね」

ブリッジへと向かう途中、丁寧なジェイドの説明に、は無言でコクリと頷く。

「その後、導師イオンと一緒にバチカルに行く。そこで休戦協定を結ぶ」

「そうです。順調に行けば・・・の話ですが」

話をしつつブリッジに足を踏み入れれば、そこにいた兵士が揃って敬礼をする。

それを目に映したジェイドは、準備が整っている事を確認し、そうしてこの艦の艦長に発進を命じた後、期待に満ちた目で自分を見つめるを見下ろした。

「ジェイド、ジェイド」

「なんですか?」

「ちょっとだけ、タルタロスを見て回っても良い?」

小さく首を傾げて強請るに、ジェイドは隠す事無く盛大なため息を吐き出しつつも、少しだけですよ・・・と了承の言葉を口にした。

その直後、更に目を輝かせて「解った」とだけ短く答えたは、キョロキョロと辺りを見回しながら楽しげにブリッジを出て行く。

その子供のような姿に、思わず苦笑を漏らして。

まるで軍人とは思えない行動と仕草。

しかし一見頼りなさそうに見えるが、その実とても頼りになる事もジェイドは知っている。

そうでなければ、自分が彼女を己の右腕として傍に置く筈がないのだから。

そしてそんな軍人らしからぬ無邪気な所も、彼女を気に入っている理由の一つでもある。

決して無邪気なだけではない・・・という事を知っているからに他ならないのだが。

ケセドニアに向かい走り出したタルタロスのブリッジから、流れる景色を見詰めていたジェイドは、思い出したように傍にいる兵士の1人に声を掛けた。

「そうそう。30分ほどしたら、艦内を捜索し、中佐をブリッジに案内してください」

「はっ、了解しました」

ジェイドの言葉に疑問を抱く事無く、兵士はきびきびとした動作で敬礼する。

そうして踵を返しブリッジを出て行った兵士の姿を見送って、ジェイドはモニターに視線を戻すとくつくつと喉の奥で笑った。

壊滅的な方向音痴であるが、タルタロス内を見学した後、ブリッジに戻る事が出来ずに途方に暮れている姿が、今目の前にあるかのように想像できてしまう。

既に第三師団内ではの方向音痴は有名であるから、もしかすると先ほどの兵士に発見される前に誰かに連れられて来るかもしれない。

まるで幼い迷子のようなを見て、さて何と言ってやろうか。

数十分後には間違いなくあるだろうその光景を脳裏に浮かべ、ジェイドは至極楽しげに口角を上げる。

陸上装甲艦タルタロスは、一路ケセドニアに向けて順調に走り出した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

大好きです、大佐。(煩い)

ここまでキャラに嵌ったのは、ずいぶんと久しぶりなような気がします。

ジェイドをベースに、ガイに浮気しつつ、アニスと友情を深めていく予定。

というよりも、こんな主人公で良いのだろうか?(物凄い今更ですが)

作成日 2006.1.30

更新日 2007.9.13

 

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